チョメチョメ少女は遺された ~変人中学生たちのドタバタ青春劇~

ほづみエイサク

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第七章 チョメチョメ少女の追憶

第五十七話 あなたが死ねばよかったのに

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 母はわたしを産むと同時に息を引き取った。

 かなりの難産だったらしい。

 母体と胎児の二者択一で選ばれたのは、わたしだった。

 母が望み、おとうさんが決意した。

 元々わたしの兄(お姉ちゃんにとっては弟)になるはずだった胎児は流産になっていた。産まれることすらできなかった子供をおもんばかり、母の決意は堅かったそうだ。

 もしかしたら奇跡的に二人とも助かるかもしれない。お父さんとお姉ちゃんが祈り続けても、奇跡が舞い降りることはなかった。

 母の命を奪い、わたしは生を受けた。



 この一言は今でも鼓膜にこびりついている。

「あなたが死ねばよかったのに」

 その日は楓の五歳の誕生日だった。昼から部屋の飾りつけをして、ごちそうをいっぱい用意して、ケーキは君乃の手作りだった。

 料理を食卓に並べ終わり、カメラを回しながらロウソクの火を吹き消そうとした矢先だった。

 ピンポーン、とチャイムが鳴った。

 少し気まずい雰囲気になりながらも、お父さんが玄関に向かった。

「ちょっと、いきなり何なんですか!」

 おとうさんの切羽詰まった声が聞こえて、お祝いムードだった空気が一変した。

 突然、リビングに一人の女性が侵入してきた。

 いかにも神経質そうな顔をしており、眼窩がんかがこれでもかとくぼんでいた。対照的に眼球はギョロリと出ており、非常に不気味だ。見るからに値の張りそうなアクセサリーや腕時計を身に着けており、神経質そうな態度も相まって、強い威圧感を放っている。

 お父さんがひたすら「やめてください。帰ってください」と言っても聞く耳の持たず、リビングを見渡し始めた。

 いつも暮らしている部屋。笑いながら飾り付けた装飾。前日から仕込んでいた料理の数々。誕生日おめでとうの幕。

 それらを目の前にしても、瞳に感情は無く、ただただ冷たいだけだった。

 しかし楓の姿を見た瞬間に、眉が動いた。

 わずかに目尻を下げたかと思うと、まるでお気に入りのぬいぐるみを抱くような動きで、近づいてくる。

「ぁ……」

 楓は怖くて動けなかった。ただただ怖くて、この後自分がどうなるのかすら想像できなかった。

 氷のように冷たい指先が頬に触れた瞬間だった。

「やめてください!!!」

 おとうさんが強引に女性を引きはがした。

 離れて行く女性の顔は、どこか寂し気だった。しかしそんなのはほんの一瞬で、すぐに顔を真っ赤にして怒鳴りだす。

「離しなさいよ! 何なのよ一体!」

「あなたこそなんなんですかっ!」

 突然叫んだのは、君乃だった。先ほどまでは状況を飲み込めずに呆然としていたが、今は闖入者ちんにゅうしゃの女性を睨みつけている。

 女性は、出来の悪い教え子を見る様な目を向けながら、衝撃的な事実を告げる。

「あなたたちの祖母よ」

 聞いた瞬間、頭が真っ白になった。それは君乃も同様で、助けを求めるようにおとうさんに視線を向ける。

 おとうさんは、悲痛な顔をして押し黙っていた。その表情だけで理解できてしまう。しかし訊かずにはいられない。

「おとうさん、本当なの?」

 そう問う君乃の声は、かすれていた。

「本当よ。だって、私は――」と当たり前のように答えようとする女性の言葉を遮るように
「この人はお母さん――理咲のおかあさん、つまりは君乃達のおばあちゃんなんだ」とお父さんは答えた。

 青木理咲。君乃と楓の母親の名前だ。

(うそ……)

 目の前の女性がおばあちゃん。誕生日パーティをめちゃくちゃにして、怒鳴り散らかし、不気味な女性が、お祖母ちゃん。その事実が、まだ幼い楓には受け入れられなかった。

 楓は自分にはお祖母ちゃんがいないのだと思っていた。お母さんがいないのだから、お祖母ちゃんがいないことにも特段疑問を抱いていなかった。

 それでも、お祖母ちゃんという存在はテレビの中で知っていた。物腰柔らかで、優しくて、いつも孫の背中を押してくれる。そんなイメージがあった。

 目の前の女性と、一般的なお祖母ちゃん像が、全く異なる。

(うそ……!)

 楓は受け入れきれずに、とっさに動いてしまった。

 カラン、と静寂な空間に金属音が鳴った。

 楓が投げたスプーンは、女性の腹部に当たったのだ。ケガや痛みはない。しかし神経質な更年期女性の逆鱗に触れてしまった。

 みるみると祖母の表情が変わっていく。さっきまでの不気味な顔が生易しく感じる様な、鬼気迫る顔があらわになる。その顔からどんな暴言が出るのか、どんな暴力にさらされるのか、想像するだけでも血の気が引いていく。

 しかし――

「どんな教育をしているの!?」

 バチン、とビンタの音が痛々しかった。

 祖母が般若の顔を向けた先は、おとうさんだった。

(なんで……?)

 楓には何が起きたのかわからなかった。不可解で、不気味だった。

 しかし一つだけは理解できていた。

(わたしのせいで、おとうさんはなぐられたんだ)

 自然と涙が流れ始めた。怖さと、おとうさんへの申し訳なさと、ちょっぴりの安心感。それらがないまぜになって抑えきれなくなった。

 涙が流れて、声がこぼれて、全身が悲しさで染まっていく。

 泣きじゃくる楓を、君乃は必死に

 君乃は捨て猫のように震えていた。それでも妹を守るために祖母を睨みつけていた

「そもそも私はあなたとの結婚が反対だった。お金も無くて顔もよくないあなたに、娘が幸せにできるわけがなかった。
 せっかく、いい人を見つけてお見合いまでさせたのに……全部あなたが台無しにした!」

 怒りに任せて、祖母はおとうさんの髪の毛を引っ張った。

「娘を返してよ」

 おとうさんは下唇を噛んで耐え続けていた。

「もう、やめてくださいっ!」

 三人の視線が、叫んだ君乃の集中する。今にも泣きだしそうな顔をしながらも、妹を抱きしめて守っている。そんな姿を見ても、祖母の瞳は揺るがない。

「あなたたちも可哀そうね」

 何をもってかわいそう、と言っているのかすぐに察しがついた。

「あなたはなんで生まれてきたの?」

 まるで死体が発したかのように冷徹な声だった。

 その"あなた"は君乃を差していないことは、次の言葉からわかる。

「あなたが死ねばよかったのに」

「————————っ!!

 おとうさんが叫んだ。伝えたい言葉なんてなく、怒り任せだったのだろう。もはや声にすらなっておらず、獣の咆哮に近かった。

 温和なおとうさんからは想像できないような、激しい怒りだった。

(え、あ……ぁ)

 楓は幼心ながらに絶望していた。しかしそれは祖母に対する怖さのせいではなかった。

(おとうさんが、おかしくなっちゃった)

 大好きなおとうさんの変容ぶりが怖かった。自分のために怒ってくれているのは理解している。それでも、家族愛よりも恐怖がまさってしまっていた。

「大丈夫、大丈夫だから」

 そう何度も呟きながら、君乃は楓の頭を撫で続けていた。自分も恐怖で震えているのに。

 ガチャン、と突然、姉妹の頭上で何かが弾けた。直後に熱い汁が降りかかる。誕生日パーティのために用意したビーフシチューだった。祖母が暴れて吹き飛ばしたのだろう。

 このままで危険だと判断したのか、君乃は楓を抱き上げて、移動し始める。

 君乃に抱かれながら、楓は手を伸ばしていた。

(いまごろは、ケーキをたべてたはずなのに……)

 誕生日パーティが遠ざかっていく。何日も前から計画して、すごく楽しみにしていたのに……。

(もうたんじょうびパーティはないんだ)

 リビングから連れ出されて、隣の部屋で降ろされた。そこは仏間で母親の仏壇が置かれていた。一番目立つところには母の遺影が置かれており、ずっと微笑んでいる。線香から煙が漂っているのに臭いは感じなかった。鼻水でふさがっていたから。

「大丈夫、大丈夫だから」

 君乃は壊れたラジオのように繰り返していた。

「大丈夫、大丈夫だから」

 ずっと言い続けている"大丈夫"は、守るべき妹だけ・・に向けたものではなかった。その場には他の人を気遣えるほど余裕がある人間は一人もいなかった。

 ガシャン、と。

 一際大きな音が聞こえた。一拍遅れて、おとうさんの悲鳴が響いた。

 君乃はおとうさんがいるリビングへ続く扉と、楓を交互に見た。楓はその姿を不安げな瞳で見続けていた。

「ごめん。ちょっと待ってて。絶対にこの部屋からは出ないで」

 取り付く島もなく、君乃はリビングへと向かってしまった。

 仏間で独りになった瞬間、寒気に襲われた。

 空気が冷え切って感じて、楓は身を震わせた。さっきまで包んでくれていた姉の温もりが恋しくて仕方がなくなった。

 不安を紛らわせるように、立ち上がり、歩き出す。君乃の言いつけを守って部屋から出るつもりはなかったのだが、じっとしていることも出来なかった。

(あ、おかあさん)

 偶然、母の遺影が目についた。楓にとっては知らない人だ。しかし他に縋るものもなく、仏壇の前に座り、祈る。

(おねえちゃんとおとうさんを守ってください)

 ガシャン
「ひっ……!」

 そんなささやかな祈りをあざ笑うように、何かが砕ける音と、君乃の小さい悲鳴が聞こえた。

 楓は扉を少し開けて覗きこもうと考えて、立ち上がろうとした。しかし震えた足が言うことを聞かず、座布団に足を取られてしまう。

 ゴツ、と転んだ拍子に頭に何かがぶつかった。

 あまりもの衝撃に意識が遠のいていく。

 意識が途絶えるまでの刹那、母の遺影が視界に映った。

 さっきまで微笑んでいたその顔が、無情に見下ろしているように――。

『あなたが死ねばよかったのに』

 残酷な声が、いつまでも木霊した。
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