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Episode2 愛のこもった手料理で胃袋鷲掴み大作戦!

2-12 愛のこもった手料理を貴方に

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 魔王城の王室に、カレーライスのスパイシーな香りが漂っている。
 ベイディオロと共に王室に入ったリザミィとライジャーは、玉座の前で片膝をつけながら頭を下げていた。
 これから魔王の夕食の時間が訪れようとしている。ベイディオロの手によって、KEMO特製カレーライスが魔王の元へ静かに運ばれた。

 リザミィはハチャメチャに緊張していた。さっきから手の震えが止まらない。王室に入るのはこれで三度目だが、何度行っても心臓がばくばくする。
 今回もきっちりと身だしなみを整える時間がなかった。思えば、KEMOに配属されてからきちんとした格好で魔王の前に立てた試しがない。普段はあれだけ容姿には気を付けているのに。
 昨日は一睡もしていないせいでお肌の状態も最悪だ。ライジャーだけに行ってもらおうかとも悩んだが、歴史的瞬間をどうしてもこの目に焼き付けたかった。

 だってあの魔王が、リザミィの手料理を食べてくれるのだ。

 実際はほとんどの調理をライジャーが行っているが、リザミィだってじゃがいもの皮を剥いたのだからリザミィの料理と言ってもいいはずだ。
 そう、あれは私の手料理。
 大好きな相手に手料理を食べてもらえるなんて、まるで新婚生活の一ページだ。想像するだけで顔が火照る。
 しんとした王室の沈黙を破るように、ベイディオロが静々と話し始めた。

「魔王様、こちらが世話係たちが用意した本日の夕食でございます。私の方で既に毒味は済ませておりますので、安心してお食べください」
「……匂いですぐにわかった。……カレーライスだな」

 魔王の渋い声が響いた。声からは機嫌はよく読み取れない。仮面の向こうで魔王はどんな表情をしているのだろう。

「……いただくとする」

 リザミィは衝撃なことに気付いてしまった。
 魔王が目の前で食事をするということは、仮面に隠された素顔を見るチャンスなのでは!? 大変だ。今日はそこまで心の準備は出来ていない。迂闊だった。
 素顔を見たら失神してしまうのではないだろうか。
 見たいような、見ちゃダメなような。……あぁでも見たい!

 リザミィは我慢が出来ず、ちら、とだけ視線を上げた。
 銀色のスプーンを握った魔王がカレーライスの器を持っている。その光景だけでも、嬉しさで眩暈がしそうだった。
 しかし魔王は食事を始める素振りはなく、スプーンを握ったまま固まっていた。

「い、いかがされましたか」

 ベイディオロが焦った様子で魔王に声を掛ける。

「……ニンジンが、入っておらぬな」

 隣のライジャーが口の動きだけで「ほらみろ」と言ったのがわかった。
 リザミィは何一つ動じず、ライジャーに向かって親指を立てた。彼はとても渋い顔をしていた。

「な、なんとっ! 申し訳ございません! 私としたことが、そこまでは気付きませんでした。早く作り直させますので!」

 ベイディオロは大慌てで魔王からカレーライスの器を回収しようとした。
 しかし魔王は仮面をつけた顔をゆっくり横に振った。

「……いいや。……これでいい」

 魔王は静かにカレーライスを掬うと、口元へ持って行った。リザミィはまばたきをせずにその瞬間を見つめていた。
 いよいよ仮面の下が見えるかと思いきや、スプーンの上のカレーライスはシュッと一瞬で消えてしまった。え、なにこれマジック?
 ライジャーやベイディオロは目の前で起こった不思議な光景に何の反応も見せない。気にならないのだろうか。私は気になって仕方ないんだけど!?
 しばらく場に沈黙が流れる。

「……美味い」

 魔王の声がリザミィの胸の奥に響いた。
 美味い。魔王は確かにそう言った。
 魔王はカレーライスを食べ進め、あっという間に器は空になってしまった。
 ベイディオロへ空の器を渡すと、魔王は足を組んだ。

「……おかわりを頼む」

 ぶわっとリザミィの全身に喜びが満ちる。
 魔王様が、私の手料理をおかわりしてくださった。あぁもう……! 幸せすぎて気絶しそうだ。
 更に魔王は、満足げな口調で言葉を続けた。

「……世話係たちは、我の好みを良く知っておるのだな。……今夜は素晴らしい夕食だ」
「あ、ありがたいお言葉でございます」

 ベイディオロがリザミィたちの代わりに、御礼を述べる。
 リザミィとライジャーは深々とお辞儀をした。
 

◆◆◆


「ねぇ聞いた聞いた聞いた!? 魔王様、美味いって言ってた! 美味いって! 素晴らしい夕食だったってー!」

 本部に戻ってからのリザミィは興奮しっぱなしだった。ぴょんぴょん飛び跳ねて歓喜する。
 パイプ椅子に座ったライジャーは、そんなリザミィを鬱陶しそうに眺めていた。

「見ろ、魔界終末時計ドゥームズデイ・クロックが10時になっているぞ! 大手柄だ!」

 ベイディオロが机の上の魔界終末時計ドゥームズデイ・クロックを指し、珍しく満面の笑顔を見せている。
 針がこれだけ巻き戻ったということは、魔王はよっぽど喜んでくれたに違いない。

「私の言った通りだったでしょ!」

 ライジャーの肩を叩くと、彼は不機嫌そうに短く息を吐いた。

「ボンボがくれた「旨旨うまうま」が美味かっただけかもしんねーだろ」

 確かにあの調味料もとてもいい仕事をしてくれた。
 それに今回魔王へ料理を作ることが出来たのは、ボンボの力があってこそだ。彼がいなければアリマから魔王の好きな料理を聞き出すことも出来なかった。
 料理が無事に完成出来たのはライジャーのお陰だ。リザミィだけだったら、魔王をがっかりさせる結果になっていたことだろう。がっかりどころか、魔界デスガルドが終わる可能性だってあった。

「手伝ってくれてありがとね。あんたには助けられたわ」

 リザミィが素直にお礼を言うと、ライジャーは何も言い返さずにそっぽを向いた。あれ? もしかして照れてる?
 面白半分にライジャーの顔を覗きこもうとしていると、「ちょっと待てよ」と言いながら彼は勢いよくこちらを振り向いた。怖い顔をしている。

「手伝ったのはオマエだろッ!? ほとんどオレが作ったんじゃねーか!?」
「あら? そうだったかしら?」
「そうだ! こんのババア! しらばっくれやがってッ!」
「だからババア言うなッ!」
「……ボンボはこんな中でよくやっていけるな」

 ベイディオロが小声で何か呟いたような気がした。
 リザミィとライジャーが言い合いを続けている間に、ベイディオロは静かに本部を出て行った。
 言い合いに一区切りがついた頃、本部の扉が数回叩かれた。

「ベイディオロが忘れ物かしら?」
「じいさんだったらわざわざノックしねぇだろ」

 それもそうだ。
 リザミィは扉を開けるが、誰もいなかった。首を傾げていると足元の方から声が聞こえた。

「リザミィ嬢ちゃん、下だよ、下」

 見下ろすと、なんとアリマとネロが並んで立っていた。ネロまでいることにはかなり驚いた。ネロは不機嫌そうな表情でちらっとリザミィを見ると、すぐに視線を逸らした。

「二人揃って、どうしてここに?」

 するとアリマがネロの頭を無理矢理下げさせた。アリマ自身も深々と頭を下げている。一体何事だろうか。

「この度は、バカ息子がとんでもないご迷惑を……!」
 
 アリマたちはご丁寧に謝りに来たらしい。リザミィは頬を掻いた。
 確かに今回ネロには振り回された。そもそもネロのせいで魔王の機嫌は悪くなったのだし、挙句の果てにリザミィたちが手に入れたレシピまで彼に破られてしまった。
 魔王の機嫌を悪くさせたことについては特に腹立たしくもある。
 けれど最終的には料理を無事作ることが出来た上、魔王もとても喜んでくれた。
 結果良ければ全てよし。リザミィは彼に対して既に怒りはなかった。
 ……ケット・シーに甘いわけではない。決して。

「まぁ、元はと言えばうちのトカゲのせいなんで」
「なんでだよッ!? どの辺がだよッ!?」

 後ろからライジャーのツッコみが聞こえた。
 アリマは真剣な表情で口を開いた。

「こいつがしたことは、料理人としてあるまじき行為だ。恥ずかしいったらない。アタシはこんなやつを料理人として世に出すわけにはいかないと判断した」

 まさかネロは勘当されてしまうのだろうか。リザミィがハラハラしていると、アリマは続けて言った。

「だから、アタシは魔王様の料理番に戻ることにしたよ。そして息子にはアタシの下で働いてもらって、一から鍛え直すことに決めたんだ」

 ネロは何も言わず俯いた。アリマによっぽどお叱りを受けたのか、耳を垂らして元気がない。
 親子間のことに他人が口を出すことは出来ない。ネロはまだ若そうだし、これからなんとか頑張って欲しいものだ。
 リザミィはそんなネロを見てピンと思い付いた。

「そうだ、よかったらアリマさんとネロさんも私たちのカレーライスを食べて行ってよ。余ってるし」

 魔王様お墨付きのカレーライスを食べたら元気を出してくれるかもしれない。

「オマエなぁ、魔王は喜んでくれたとは言え、一流の料理人に食べさせるようなもんじゃねぇだろ」

 ライジャーがわざわざリザミィの隣に移動してきた。彼はネロと睨み合っている。ライジャーはネロを許しているわけではなさそうだ。
 アリマは姿勢を正してリザミィに向き直った。

「いや、いただこう。魔王様もお喜びになったとなれば、どんな料理なのかぜひ食べておきたい」

 そしてリザミィたちは食堂の共有キッチンに移動した。
 机に座ったアリマとネロの前に、リザミィはKEMO特製カレーライスを置いた。
 カレーライスを見たネロは、すぐに目を見張って口を開いた。

「おい、ニンジンが入ってないぞ」

 さっきまで無言を貫いていたのに、よほど衝撃を受けたのだろう。

「これを作ったのは?」

 アリマが尋ねながら、リザミィとライジャーを見た。
 リザミィは笑顔で答える。

「私とライジャーよ」
「オマエはじゃがいもの皮を剥いただけだ」
「ニンジンを入れなかったのは私のアイデアでしょ!」
「どっかの誰かさんのせいでレシピがなくなっちまったからな。一般的なカレーライスしか作れなかった」

 ライジャーがぼやいたが、ネロは全く動じていない様子だった。
 アリマはカレーライスを一口食べる。その後、小さく頷いた。

「……アタシの作るカレーライスとは、程遠い味だね。具材の大きさもバラバラだし、調味料で味を誤魔化してる」

 流石は元魔王の料理番、鋭い指摘だ。何も言い返すことは出来ない。
 ところが、アリマは柔らかい笑みを浮かべた。

「けど、相手のことをよく考えて作られたのがわかる。……魔王様にぴったりな美味しい料理だね」

 ネロは無言でカレーライスを食べ進めていた。
 リザミィはにこっと笑って胸を張った。

「当り前でしょ。私が魔王様のために作った、愛情いっぱいの手料理なんだから!」
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