元引きこもり、恋をする

五月萌

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1 転生してなかった僕

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優陽ゆうひ! 先生、優陽が目を覚ましました!」

閉じていた瞳を開けると顔にシワがあるが、美しい母親が名前を呼んだ。
ナース服のお姉さんに囲まれて気分は良いと言えるだろう。ただ頭がズキズキ傷んでいた。
僕の名は石井いしい優陽。能力は平均的な一般人だ。

「母さん」

母親の名前は美優みやさ。自慢であろう黒髪には艶があり毛先はワインレッド色だ。1つに結んでいる。シングルマザーで優陽を育てている。
優陽は病院にいた。顛末はこうだ。
その日昼間にお使い頼まれていた優陽は、ボールを追いかけて道路に飛び出した子供を、トラックの魔の手から飛び出して、救ったのだ。
違和感を感じて頭を触ると、頭に包帯が巻かれている。頭をアスファルトかどこかに打ち付けて意識を失っていたらしい。スクラブを着た医者の様子から察すると、どうやら軽い脳震盪になったようだった。
お使いに行くのは年に1回か2回くらいだ。優陽はほとんど引きこもりのニートだった。
父親の太陽たいようは優陽が中学生の時、行方不明になってしまった。どこかで生きているのか、はたまた、死んでいるのか、優陽にはわからない。
アルバイトを中学校卒業してすぐやり始め、30くらいの時に転機が起き、花屋の雇われで店長をしていた。しかし仕事は毎日単調なもので2年後には鬱っぽくなって辞めてしまった。
そこから、外に出るのが億劫で引きこもりニートになった。
優陽は今年で41になる。
美優に楽器をやってみたら仲間も見識も広がると言われているが、優陽はその度に迷惑顔をして逃げている。因みに優陽は何の楽器もやったことがない。やりたくもない。
美優は楽器の力でお金を稼いでいると言っているし、まさにその通り、シングルマザーとは思えぬ程の裕福な家庭だ。

「あーぁ、これで異世界に行けると思ったんだけどなぁ」
「異世界に行きたいの?」
「リコヨーテとかいう演奏者マンセーの世界には行きたくないけど。何もしないで楽に金が手に入ればいいのになぁー」
「毎日、食いつぶしてないでさ、デイケアとか通ってみたらどう?」
「デイケア? 何それ?」
「皆でコミュニケーションをとったり、トランプで遊んだり、絵を描いたり、好きなことを集団で行うところだね」
「うーん」
「なろうと思えば、女の子と友達になれるよ? 私の知っている所はお昼ご飯も出るから、その太った肉体をどうにかできるんじゃない?」
「でも、絶対メンヘラだろうな」
「あんたがそれを言うか」

美優が呆けた顔に変わる。

「自立支援の申請で自己負担額が軽減されるの。さらにね、自己負担上限金額まで払えば無料で利用できるの」

美優は痩せ細った手で身振り手振りで伝えてくる。
「タダになるの? 上限金額って?」
「月に5000円や、10000円などね。自立支援医療の患者の世帯単位と育成医療で変わるの。例えば1日に医療保険と自立支援医療費を抜いた患者負担の1割負担、上限10000円で770円で通うとなると土日祝除いて約13日行って支払えば、後は実質無料で通えるの」
「はぇ~」
「病院、退院したら考えてみて」
「うん、そうだな……」

優陽は生返事をした。
若くて、可愛い子と付き合いたいな。そこに行けば会えるかな?
優陽は面食いだった。
期待はしないが、このまま何もしないでいると、家を追い出されかねないので一応行ってみることにした。
1週間、病院にあった漫画を読みながら退院する日を待った。




ついに退院する日が来た。
頭の痛みはほとんど無くなっていた。
家に帰るといつも嗅いでいた匂いがした。とりあえず、自分の城である2階の1室にこもった。
ケータイでデイケアを調べる。
デイケアへは隣の市に電車で1本の距離だった。

「ふうん、案外近いんじゃん」

優陽は美優と少し離れたところにあるメンタルクリニックと市役所で手続きを済ませる。メンタルクリニックで個別支援計画書をかいてもらった。
数日後、髪の毛を短く切ってもらい、自立支援医療受給者証と3級の障害者手帳を手に入れた。

「デイケアは自力で行けるよね?」
「も、もちろん!」
「私は朝から仕事に行くからちゃんと行きなさいよ。今日は優陽の好きな唐揚げよ?」

美優は車の中で優陽に確認するとやっと笑顔を見せる。
優陽はその後、唐揚げを食べて、3日ぶりの風呂に入った。
何だろう、生きている感じがする。
久しぶりの風呂は気持ちよかった。
明日、どんな人と仲良くなれるのかな?
優陽はドキドキしながら眠りについた。




7時にアラームがなった。
朝食を美優と一緒に食べる。
八時半になると、海外メーカーのスポーツブランドに身を包んで外を出た。外は初夏で少し暑い。
朝日が眩しい。まだ眠っていたい。実を言うと優陽はロングスリーパーなるもので12時間は眠っていられる。昼夜逆転の生活からの病院での規則正しい生活は効いていた。なんとか朝早く起きることができた。しかし、サボり癖は抜けてない。
どこかで一杯やりたい気分だ。

「優陽! 頑張ってね!」

背中の方から美優の嬉しそうな声が響いた。
優陽はギクリとしながら振り返る。
美優が手を降っている。
優陽は手のひらを見せて、またすぐ向き直った。

「母さん、僕、頑張って行くからね」

優陽は決意表明してサボらず行くことにした。
駅に付き、切符を買った。改札を抜けて電車に乗り込んだ。人はまばらだ。電車は揺れ動く。デイケアは駅からそう遠くない。
精神障害者のマークをつけたバッグを持った人が少し見られる。このデイケアはメンタルクリニックの横に併設しているのだ。
まず、このメンタルクリニックで保険証と上限金額管理表と自立支援医療受給者証を出して、検温をした。

「おはよう、お兄さん、初めての人? 名前は?」

さっそく同じデイケアに来た人に名前を聞かれた。焼けた肌に長めな黒髪でとっつきにくい声色とは違って優しげな顔をしている。まだ優陽より若そうだ。

「おはようございます。石井と言います。よろしくお願いします」
「俺は長口尚人ながくちひさと、よろしくね。じゃーね」

尚人はメンタルクリニックのカウンターの列に並んだ。

「はい!」

さっそく友達になれそうな人ができた。
気分が浮つく。
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