王太子殿下は小説みたいな恋がしたい

紅花うさぎ

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21.私の唇はカッサカサ!?

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「……ましょうか? アリス様?」

 アナベルに名前を呼ばれ、はっと我にかえる。

「ごめん、今何か言った?」

「……昨夜の事を思い出していたんですね?」

 アナベルが私を見てにっこり……いや、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。

「そ、そういうわけじゃないけど……」
 図星をつかれてドキっとする。

 昨夜は色々ありすぎた。ありすぎて色々考えてたら、頭がオーバーヒートを起こしたらしい。普段から賢いとは言えない頭が、一段と働きを悪くしている。

 グフっ。

 アナベルの口から奇怪な音が漏れる。笑うのを一生懸命我慢しようと口元に手を当ててはいるが、堪えきれないのだろう。アナベルの体が小刻みに震えている。

 あらら、アナベルったらまた興奮してるみたいね。

 この笑い方さえなければアナベルは最高に可愛いのに。もったいない事に、何故か興奮するとグフグフとうるさくなるのだ。

「あっ。私のことは気にせず、思う存分キッスの余韻に浸ってください」

 私の視線を感じたのか、アナベルが口元に手を当てたままそう言った。

 キスの余韻って言われても、横でそんなにグフグフ言われたら落ちついていられませんから。

「……って、なんでキスしたって知ってるの?」

「お二人の顔を見たら、一発で分かりますよ」

 えっ? 思わず両手を頬に当てた。
 何それ? 私ってば「昨日キスしました」みたいな顔してたの? って、それって一体どんな顔よ!!

「特に昨夜こちらからお帰りになる際にお見かけしたウィルバート様のお顔はゆるゆるでしたからね。よっぽど察しの悪い人間でない限りは想像がつくと思いますよ」

「そ、そうなんだ……」

 そっかぁ、ウィルってばそんな緩んだ顔してたのかぁ。ウィルが浮かれてるところなんて全然想像つかないけど、私とのキスでそうなってるのだと思うと何だか照れくさい。

「アリス様?」

 再び自分の世界に入り込んでいた私をアナベルが呼び戻す。

「えっと……何の話してたっけ?」

「興奮されてるようですし、リラックスする温かいハーブティーはいかがですか?」

 興奮してるのは私じゃなくてアナベルの方でしょ、っと思いながらカップを手にとった。立ち上る湯気から漂う青りんごのような甘い香りが気持ちを落ちつかせてくれる。

「それで……ウィルバート様とのキッスはどうでしたか?」

 私がほうっと息をつくのと、お盆を持ったままのアナベルが身を乗り出したのはほとんどほ同時だった。

「えっ? どうでしたかって聞かれても……」

そんなに目を輝かせて見つめられても困ってしまう。

「やはりウィルバート様はキッスがお上手でしたか?」

 躊躇う私のことなどお構いなしにアナベルはグイグイせまってくる。

「そんなの答えられないわよ」

「えー。教えてくださらないんですかぁ?」
 アナベルが不満そうに口を尖らせた。

「そんなこと言われたって……キスなんて初めてなんだから、上手か下手かなんて判断できるわけないじゃない」

「まったく……アリス様ったら本当にお子様なんですから」

「悪かったわね」
 やれやれと、仕方なさそうに肩をすぼめたアナベルに少しだけムカっとする。

 えぇ、えぇ、たしかに私は恋愛初心者なお子様ですよ。

「いいですか……素敵なキッスというものは、それだけでとろけちゃいそうに……」

 いつの間にやらアナベルのキス講座が始まってしまった。キスについての分析をあれやこれや聞いていると、なんだか気分が盛り下がってくる。

「アリス様、聞いてますか?」

 アナベルの勢いに負け、はいっと返事をした。あぁ、これじゃキスの余韻に浸るどころじゃないわね……

「反対に下手なキッスは、鼻息が荒かったり……」

 鼻息を荒くしながらキスについて語るアナベルを見て思わず苦笑いしてしまう。

 こりゃ話が長くなるだろうなと覚悟したが、いいタイミングでトントントンっとドアを叩く音が聞こえた。

「まぁ、ウィルバート様!?」
 思いがけぬ来客に、ドアを開けたアナベルが嬉しそうな声を上げた。

「おはよう、アリス」

「お、おはようございます」

 うぅっ。何だか恥ずかしくって、ウィルの顔を直視できない。

「出かける前に渡したいものがあってね」

「そ、そうなんですか」

 自分でもあきれちゃうくらいにドギマギして、全てがぎこちなくなってしまう。そんな私とは対照的に、ウィルは悔しいくらいにいつも通りだ。

「これなんだけど」
 そう言ってウィルが私の手にのせたのは小瓶だった。

「昨日唇がカサカサすると言っていたろう? 王族専門医に頼んで薬を作らせたから、使っておくれ」

「あ、ありがとうございます」
 えっと唇カサカサにつける薬って……リップクリーム!?

 このタイミングで、リップクリームのプレゼントってことは、やっぱり私の唇はカサカサだったってことよね?

 自分でも乾燥してるなぁとは思っていたけど、ウィルにもそう思われたんだと思うと、かなりショックだ。

 王立学園へ向かうウィルが部屋を出るやいなや、抑えていた感情が吹き出した。 

「アナベル!!」

「どうされました?」

 突然大声を出した私の元に、心配したアナベルが飛んでくる

「ウィルがこれをくれたのって、私の唇がカサカサだから治せって言ってるのよね? それって昨日キスした時、『何だよ、こいつの唇カサカサじゃん。最低だな』って思ったって事よね?」

 私がこんなにも泣きそうなのに、アナベルは「考えすぎですよ」と笑っている。

「あー、なんでキスなんかしちゃったんだろう」

 あの時唇が乾いてるって自覚してたのに。

「ですからアリス様の考えすぎですって。だいたいウィルバート様がアリス様の事を最低だって思うわけないんですから」

「まぁ確かにウィルは優しいから最低とは思わないかもしれないけど。でも唇カサカサだと思われただけで嫌なの!!」

「はいはい、そうですね。それよりアリス様、その小瓶開けてみませんか?」

 アナベルってば、ちょっと冷たくない?

 一貫してそんなに気にすることないでしょ、みたいな態度をとり続けるアナベルは、私の叫びより小瓶の中身の方が気になるらしい。

「王族専門医の調合したリップなんて、そうそう手に入るものじゃありませんもの」

 王族専門医とは、その名の通り王族の診察や投薬に関する医者の事だ。詳しい仕事内容も、どんな人物なのかも私は知らないけど、そんな特別な人物が調合したのだからそれはそれは素晴らしい物に違いないと、アナベルが瞳を輝かせている。

「そう言ってもリップはリップでしょ? 誰が調合しても大差は……あるみたいね」

 瓶の中身にアナベルと目が釘付けになった。

「ねぇ、アナベル? これって本当にリップなのかな? なんか私が想像してたものと違うんだけど……」

「そうですね……私もこれは想定外でした」

 唇カサカサに対する薬だから、てっきり蜂蜜みないなとろりとしたものかと思っていた。けれど瓶の中に入っていたのは、揺れるとチャプチャプと音を立てるような液体だ。

 そして私達が一番驚いたのはその色で、深緑……いや、それよりもっと黒い、黒緑色をしていた。

「これ唇につけていいやつなのかな? なんとなく匂いも気になるような……」

 どこかで嗅いだことのあるような、油臭い匂いが漂っている。

「うわっ。臭いっ」

 何の匂いだったっけと、鼻を近づけて後悔した。思い切り嗅ぐと、つんとする刺激臭が鼻の粘膜を攻撃してくる。思わず涙ぐむほどやられてしまった。

 同じく顔を近づけて匂いを確かめていたアナベルが無言で瓶の蓋を閉めた。

「王族専門医も大したことありませんね。これなら私の方がよい物を作る事ができますよ。こんな物を使ってアリス様の体に害があったらどうするんですか」

 怒りを露わにしながら、材料を取りに行こうとするアナベルをとりあえずなだめた。

「別にそんな今すぐ作らなくてもいいのよ。普通のリップならあるんだし」

「いいえ。アリス様の唇のケアも私の仕事ですから」

 いやまぁ、そう言ってくれるのはありがたいんだけど……こんな風にアナベルが張り切る時って、必ずといっていいほど何かが起こるのよね。

 と言っても別に事件とか大問題ってわけじゃない。ただ私が困惑するような事が起こるのだ。 

「えぇっと、まず蜂蜜と……」

 ぶつぶつと呟きながら、紅茶用の蜂蜜を手にとったアナベルがやる気に満ちた目を私に向ける。

「アリス様、待っててくださいね。私がアリス様の唇をうるうるのぷるっぷる、テカッテカに光り輝くものにしてみせますから」

 え!?
 うるうるのぷるっぷるはいいとして、テカッテカに光り輝く唇ってあんまり魅力的に聞こえないんだけど……

 一体どんなものを作る気なのかしら。
 お礼を言いながらも、鼻歌を歌うアナベルに不安な気持ちしか抱けなかった。
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