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番外編 ノックの秘密の物語
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その日、アイゼンボルト王国の空は、王太子の結婚を祝うかのようにとても青く澄み渡っていた。
「よっ!!」
ぼんやりとしているノックに声をかけてきたのは、同僚のヤクナだ。何故だか重そうなケースを両手で抱えている。
「何しに来たんだよ?」
「何って、お前の娘の結婚式だろ。祝いに来たに決まってんじゃねーか」
ヤクナがケースから、酒の瓶を二本取り出し一本をノックに手渡した。
娘なんかじゃねーよ……
そう思いながらもノックは黙って酒の瓶を受け取った。
ノック達がいるのはアイゼンボルト王宮内、今から王太子であるウィルバートと異世界からの客人であるアリスとの結婚式が行われる会場だ。
会場内の神官の後ろにある窓枠に腰掛け、慌ただしく準備をしている人を眺めているノック達の姿に気づく者はいない。それは単にこの二人が小さいからというわけではない。元々ノック達本の神は人の目に見えない存在なのだ。もちろん声も聞こえていない。
本の神には階級があり、その働きによって魔力が溜まり階級があがるような仕組みになっている。本来は人に見えないノックの姿がアリスに見えたのは、ノックがそれなりに高い階級にいて特別な術が使えたからだろう。
階級は背中についている羽根の枚数で表される。一番下の階級は羽根なしで、階級が上がるごとに羽根の数が増える仕組みだ。
「いいわねぇ。私も混ぜてよ」
ノックの隣に腰掛けたのは、同じく同僚のタルーナだ。
「何だ、お前も来たのかよ」
「もちろん。アリスがウィルバートと出会えたのは私のおかげじゃない。それにあんたの事も心配だったしね」
心配する必要など何もないのにと思ったが、ノックは何も言わなかった。タルーナが自分に好意を持っていることには前から気づいている。しかしタルーナの気持ちを嬉しいとも思わなかった。
「おっ! 娘ちゃんが来たみたいだぜ」
だから娘じゃ……
ノックの反論はアリスの姿を見た途端消えてしまった。
綺麗だと思うと同時に、あんなに小さかったあいつがこんなに大きくなったんだなと思うノックは、確かに娘の結婚式に参列する親の様なものかもしれない。
ノックがアリスに出会ったのは、アリスが小学生になったばかりの頃だった。出会ったと言っても、アリスはノックの存在には気づいていないので、ノックがアリスの存在を知ったのはと言った方が正しいのかもしれないが。
ノックにとって、アリスは非常に都合のいい存在だった。読書好きのアリスのおかげで、ノルマは楽々達成できるし仕事も楽だったからだ。
同じ時期に仕事を始めた同僚の中でもノックが出世頭だったのは、アリスのおかげと言っても過言ではない。周りはやっと羽根が生えたという中で、ノックはすでに4枚の羽根持ちだった。
人間に対してさほど興味がなかったノックがアリスに興味を持ったのは、アリスがいつも公園で本を読んでいたからだろう。放課後はもちろん休みの日にも公園のベンチに座って読書するアリスは異様に思えた。
「こいつ他にする事ないのかよ?」
本ばかり読んでいるアリスに対して、ノックは何度そう思ったか分からない。だからだろうか、ある日ノックは興味本位で帰宅するアリスについて行った。
アリスが毎日公園で読書ばかりしている理由……アリスは家庭内に居場所がなかったのだ。特に家族から嫌われているわけでも嫌がらせを受けているわけでもない。ただアリスの存在そのものが無視されているようだとノックは感じた。
実際アリスが読書をしているのは、孤独な現実から逃避するためだった。物語を読んでいる時だけは、寂しさを忘れて楽しい気分になれるのだ。
アリスの家庭事情を知り、ノックはアリスの事がより一層気になり始めた。暇さえあればアリスを見つめる日々。ノックはただ、孤独なアリスの側にいてやりたいと思っていた。
いつだったか、アリスが高熱で寝込んだ事がある。他の部屋から聞こえる家族の笑い声は、部屋で一人苦しむアリスにはどのように聞こえたのだろうか?
熱で真っ赤な顔を苦しそうに歪めながら、一人声を殺して泣くアリスの姿にノックの胸は痛んだ。きっとその時だったに違いない。ノックの心の中に、アリスを守ってやりたいという思いが芽生えたのは。
せめて友人でもいれば違ったのだろうが、アリスに友人らしい友人はいなかった。内向的な性格で自己肯定感の低いアリスは、なかなか人とうちとけることができなかったのだ。
ノックはアリスを受け入れない者達の事を憎いと思っていた。けれど何よりノックが許せなかったのは、アリス自身が人と関わることを諦めていた事だ。
こいつをなんとかしてやりたい!!
いくらノックがそう思っても、アリスを孤独から救うためにできることは何もなかった。ならば誰か他の人間にやらせればいい。でも誰に……? ノックのアリスを救う人間探しが始まった。
そんな時だった。タルーナからウィルバートの話を聞いたのは。
「おい、その王子の話もっと聞かせろよ」
タルーナは初めてノックが自分の話に興味を持ってくれたことがとても嬉しかった。ただ単に自分が担当する本好き人間の話をしただけなのに、何故ノックがこんなに食いついたのかという疑問を持たないわけではなかったが、それでもノックと話せる喜びの方が大きかった。
「その王子の事が見てみてーな」
ノックの言葉に、タルーナは飛び上がりたくなった。
「じゃあ、一緒にいきましょうよ」
相変わらずノックの目的は分からなかったが、まるでデートのように二人きりで出かけられることが、タルーナにとっては嬉しかった。
ノックやタルーナのいるこの世界は、大きな一つの世界の中に、小さないくつもの世界が存在することで成り立っている。
この大きな世界がノック達の生活している世界であり、ノック達神が小さな世界を本として管理しているのだ。アリスはウィルバートのいる世界を本の世界だと思っていたが、アリスのいた世界もまたウィルバートとは違う本の世界なのだ。
アリスのいる世界の担当はノック、ウィルバートのいる世界の担当はタルーナ。自分の担当以外の世界に行くには魔力を使わなくてはならないが、それなりの階級にあるノックにとっては余裕だった。
まぁ、悪くはない。
ノックのウィルバートに対する第一印象はそんなものだったか。それからしばらくウィルバートの観察を続けたノックは、アリスをこのウィルバートのいる世界に転移させることにした。
ウィルバートがアリスを救ってくれる確証はなかったが、他の人間より可能性はあるような気がしたからだ。
「あんた正気なの!?」
ノックの考えを聞いたタルーナは驚いた。と同時にひどく反対した。
「そんな事したらどうなるか分かってるの?」
「分かってるに決まってるだろ」
「じゃあ羽根がなくなるって分かってて、そんなバカな事するっていうの?」
ある世界の住人を他の世界に転移させる事は禁じられてはいない。そもそもそんな事をしようとする者はいないので、禁じる必要がなかったのかもしれない。
なぜなら世界間の転移には非常に多くの魔力がいるからだ。階級の高いノックだとしても、そう簡単にやれることではない。魔力の大量消費で羽根は消滅するだろう。
おそらく羽根1枚の犠牲ですむだろうが、自分の好きなノックの美しい羽根が失われる事をタルーナはどうしても受け入れられなかった。
「ヤクナ!! あんた、ノックと仲良いんだから、あんたからも言ってやりなよ」
「ノックの好きなようにすればいいんじゃねーか?」
「あんたねぇ……」
タルーナはノックを止めないヤクナを薄情だと言ったが、別に薄情なわけではなかった。
ヤクナがノックのやる事に反対しなかったのはなぜか? それはヤクナが、ノックはアリスを愛しているという事を知っていたからだ。そしてその事をノック本人が知らないということも。
ヤクナはノックに恋心を自覚させたくなかった。気づいたところでノックが苦しむことになるだけだと分かっていたからだ。神のノックと、その管理対象である世界の住人が結ばれることなんて決してない。
ヤクナはアリスの事を娘ちゃんと呼び、それを見守るノックは親のようだとよく言った。それもノック自身に、アリスへの感情は保護者的なものだと勘違いさせるためだったのかもしれない。
ヤクナは反対するタルーナも説得した。
アリスが他の男のものになれば、もしかしたらノックの興味も他へ向くんじゃないか……
そう言われると、タルーナにも期待が生まれる。タルーナはノックの手伝いをすることを決心した。
アリスの転移はすぐに行われた。
羽根は予想通り1枚消滅してしまったが、ノックはそんな事全く気にもならなかった。初めてアリスと会話ができる。それだけで心臓がはち切れそうだった。
どうしてアリスをこの世界に呼んだのか?
ノックはその本当の理由をアリスに伝えることはできなかった。だから嘘をついたのだ?自分の昇格のためだと。
アリスがウィルバートと結婚し、この世界に留まることを決めた。
ノックは自分の作戦がうまくいった事が嬉しかった。と同時にひどく虚しかった。アリスの結婚に、なぜこんなにも自分が動揺しているのか分からなかった。
昨夜ノックは久しぶりにアリスの元を訪れた。アリスはとても満たされた顔をしていて、声まで明るかった。いつも寂しく公園で読書していた子供とは大違いだ。
よかったとノックが思った時、胸に強烈な欲望が湧き上がってきた。アリスに触れたい、アリスを自分のものにしたいという欲望。それが何なのかノックには分からなかった。
気づけばノックは魔力のほとんどを使い、人間の姿になっていた。ノック達は魔力を使えば変身も可能なのだ。ただし魔力の消費量はかなり多い。ノックが人間の姿でいられるのは、全魔力を使っても30分といったところだろう。
アリスがノックのためにいれた茶は、とても美味だった。こんな美味いものは今まで口にしたことがない。ノックは本気でそう思った。ノックはなぜ自分がこんなにも幸福なのか、その理由すら分からなかった。
「また会いに来てくださいね」
アリスの言葉はノックにひどい悲しみを与えた。これだけ魔力を使ってしまった自分は、二度とアリスに会えないかもしれない……
その絶望にも似た感情がノックを突き動かした。初めて抱きしめたアリスはひどく柔らかく、そして温かかった。
ああ、もう時間か……
ノックは自分の体が消え始めた事に気がついた。この結婚式のためにと、少しだけ残しておいた魔力もこれでおしまいだ。魔力なしでは自分の担当外世界にはいられない。強制的に追い出されてしまう。
魔力は底をついてしまったけれど、ノックはとても満足だった。これだけ明るく笑うアリスを見られたのだから。
「大丈夫よ!! あんたの代わりに私があの子の事見守ってあげるから。毎日だってあんたに報告してあげる」
なんでお前が泣くんだよ……
涙で顔をぐちゃぐちゃにして叫ぶタルーナに、ノックは感謝の気持ちで手を振った。
世界から排除される瞬間、ノックの瞳にアリスの姿がうつった。ウィルバートに横抱きされ、恥ずかしそうにしている姿が。
あと何年、いや何十年先かもしれないが、いつかまた魔力がたまったらアリスに会いにこよう。
「またな」
アリスの幸せを願いながら、ノックは小さく呟いた。
「よっ!!」
ぼんやりとしているノックに声をかけてきたのは、同僚のヤクナだ。何故だか重そうなケースを両手で抱えている。
「何しに来たんだよ?」
「何って、お前の娘の結婚式だろ。祝いに来たに決まってんじゃねーか」
ヤクナがケースから、酒の瓶を二本取り出し一本をノックに手渡した。
娘なんかじゃねーよ……
そう思いながらもノックは黙って酒の瓶を受け取った。
ノック達がいるのはアイゼンボルト王宮内、今から王太子であるウィルバートと異世界からの客人であるアリスとの結婚式が行われる会場だ。
会場内の神官の後ろにある窓枠に腰掛け、慌ただしく準備をしている人を眺めているノック達の姿に気づく者はいない。それは単にこの二人が小さいからというわけではない。元々ノック達本の神は人の目に見えない存在なのだ。もちろん声も聞こえていない。
本の神には階級があり、その働きによって魔力が溜まり階級があがるような仕組みになっている。本来は人に見えないノックの姿がアリスに見えたのは、ノックがそれなりに高い階級にいて特別な術が使えたからだろう。
階級は背中についている羽根の枚数で表される。一番下の階級は羽根なしで、階級が上がるごとに羽根の数が増える仕組みだ。
「いいわねぇ。私も混ぜてよ」
ノックの隣に腰掛けたのは、同じく同僚のタルーナだ。
「何だ、お前も来たのかよ」
「もちろん。アリスがウィルバートと出会えたのは私のおかげじゃない。それにあんたの事も心配だったしね」
心配する必要など何もないのにと思ったが、ノックは何も言わなかった。タルーナが自分に好意を持っていることには前から気づいている。しかしタルーナの気持ちを嬉しいとも思わなかった。
「おっ! 娘ちゃんが来たみたいだぜ」
だから娘じゃ……
ノックの反論はアリスの姿を見た途端消えてしまった。
綺麗だと思うと同時に、あんなに小さかったあいつがこんなに大きくなったんだなと思うノックは、確かに娘の結婚式に参列する親の様なものかもしれない。
ノックがアリスに出会ったのは、アリスが小学生になったばかりの頃だった。出会ったと言っても、アリスはノックの存在には気づいていないので、ノックがアリスの存在を知ったのはと言った方が正しいのかもしれないが。
ノックにとって、アリスは非常に都合のいい存在だった。読書好きのアリスのおかげで、ノルマは楽々達成できるし仕事も楽だったからだ。
同じ時期に仕事を始めた同僚の中でもノックが出世頭だったのは、アリスのおかげと言っても過言ではない。周りはやっと羽根が生えたという中で、ノックはすでに4枚の羽根持ちだった。
人間に対してさほど興味がなかったノックがアリスに興味を持ったのは、アリスがいつも公園で本を読んでいたからだろう。放課後はもちろん休みの日にも公園のベンチに座って読書するアリスは異様に思えた。
「こいつ他にする事ないのかよ?」
本ばかり読んでいるアリスに対して、ノックは何度そう思ったか分からない。だからだろうか、ある日ノックは興味本位で帰宅するアリスについて行った。
アリスが毎日公園で読書ばかりしている理由……アリスは家庭内に居場所がなかったのだ。特に家族から嫌われているわけでも嫌がらせを受けているわけでもない。ただアリスの存在そのものが無視されているようだとノックは感じた。
実際アリスが読書をしているのは、孤独な現実から逃避するためだった。物語を読んでいる時だけは、寂しさを忘れて楽しい気分になれるのだ。
アリスの家庭事情を知り、ノックはアリスの事がより一層気になり始めた。暇さえあればアリスを見つめる日々。ノックはただ、孤独なアリスの側にいてやりたいと思っていた。
いつだったか、アリスが高熱で寝込んだ事がある。他の部屋から聞こえる家族の笑い声は、部屋で一人苦しむアリスにはどのように聞こえたのだろうか?
熱で真っ赤な顔を苦しそうに歪めながら、一人声を殺して泣くアリスの姿にノックの胸は痛んだ。きっとその時だったに違いない。ノックの心の中に、アリスを守ってやりたいという思いが芽生えたのは。
せめて友人でもいれば違ったのだろうが、アリスに友人らしい友人はいなかった。内向的な性格で自己肯定感の低いアリスは、なかなか人とうちとけることができなかったのだ。
ノックはアリスを受け入れない者達の事を憎いと思っていた。けれど何よりノックが許せなかったのは、アリス自身が人と関わることを諦めていた事だ。
こいつをなんとかしてやりたい!!
いくらノックがそう思っても、アリスを孤独から救うためにできることは何もなかった。ならば誰か他の人間にやらせればいい。でも誰に……? ノックのアリスを救う人間探しが始まった。
そんな時だった。タルーナからウィルバートの話を聞いたのは。
「おい、その王子の話もっと聞かせろよ」
タルーナは初めてノックが自分の話に興味を持ってくれたことがとても嬉しかった。ただ単に自分が担当する本好き人間の話をしただけなのに、何故ノックがこんなに食いついたのかという疑問を持たないわけではなかったが、それでもノックと話せる喜びの方が大きかった。
「その王子の事が見てみてーな」
ノックの言葉に、タルーナは飛び上がりたくなった。
「じゃあ、一緒にいきましょうよ」
相変わらずノックの目的は分からなかったが、まるでデートのように二人きりで出かけられることが、タルーナにとっては嬉しかった。
ノックやタルーナのいるこの世界は、大きな一つの世界の中に、小さないくつもの世界が存在することで成り立っている。
この大きな世界がノック達の生活している世界であり、ノック達神が小さな世界を本として管理しているのだ。アリスはウィルバートのいる世界を本の世界だと思っていたが、アリスのいた世界もまたウィルバートとは違う本の世界なのだ。
アリスのいる世界の担当はノック、ウィルバートのいる世界の担当はタルーナ。自分の担当以外の世界に行くには魔力を使わなくてはならないが、それなりの階級にあるノックにとっては余裕だった。
まぁ、悪くはない。
ノックのウィルバートに対する第一印象はそんなものだったか。それからしばらくウィルバートの観察を続けたノックは、アリスをこのウィルバートのいる世界に転移させることにした。
ウィルバートがアリスを救ってくれる確証はなかったが、他の人間より可能性はあるような気がしたからだ。
「あんた正気なの!?」
ノックの考えを聞いたタルーナは驚いた。と同時にひどく反対した。
「そんな事したらどうなるか分かってるの?」
「分かってるに決まってるだろ」
「じゃあ羽根がなくなるって分かってて、そんなバカな事するっていうの?」
ある世界の住人を他の世界に転移させる事は禁じられてはいない。そもそもそんな事をしようとする者はいないので、禁じる必要がなかったのかもしれない。
なぜなら世界間の転移には非常に多くの魔力がいるからだ。階級の高いノックだとしても、そう簡単にやれることではない。魔力の大量消費で羽根は消滅するだろう。
おそらく羽根1枚の犠牲ですむだろうが、自分の好きなノックの美しい羽根が失われる事をタルーナはどうしても受け入れられなかった。
「ヤクナ!! あんた、ノックと仲良いんだから、あんたからも言ってやりなよ」
「ノックの好きなようにすればいいんじゃねーか?」
「あんたねぇ……」
タルーナはノックを止めないヤクナを薄情だと言ったが、別に薄情なわけではなかった。
ヤクナがノックのやる事に反対しなかったのはなぜか? それはヤクナが、ノックはアリスを愛しているという事を知っていたからだ。そしてその事をノック本人が知らないということも。
ヤクナはノックに恋心を自覚させたくなかった。気づいたところでノックが苦しむことになるだけだと分かっていたからだ。神のノックと、その管理対象である世界の住人が結ばれることなんて決してない。
ヤクナはアリスの事を娘ちゃんと呼び、それを見守るノックは親のようだとよく言った。それもノック自身に、アリスへの感情は保護者的なものだと勘違いさせるためだったのかもしれない。
ヤクナは反対するタルーナも説得した。
アリスが他の男のものになれば、もしかしたらノックの興味も他へ向くんじゃないか……
そう言われると、タルーナにも期待が生まれる。タルーナはノックの手伝いをすることを決心した。
アリスの転移はすぐに行われた。
羽根は予想通り1枚消滅してしまったが、ノックはそんな事全く気にもならなかった。初めてアリスと会話ができる。それだけで心臓がはち切れそうだった。
どうしてアリスをこの世界に呼んだのか?
ノックはその本当の理由をアリスに伝えることはできなかった。だから嘘をついたのだ?自分の昇格のためだと。
アリスがウィルバートと結婚し、この世界に留まることを決めた。
ノックは自分の作戦がうまくいった事が嬉しかった。と同時にひどく虚しかった。アリスの結婚に、なぜこんなにも自分が動揺しているのか分からなかった。
昨夜ノックは久しぶりにアリスの元を訪れた。アリスはとても満たされた顔をしていて、声まで明るかった。いつも寂しく公園で読書していた子供とは大違いだ。
よかったとノックが思った時、胸に強烈な欲望が湧き上がってきた。アリスに触れたい、アリスを自分のものにしたいという欲望。それが何なのかノックには分からなかった。
気づけばノックは魔力のほとんどを使い、人間の姿になっていた。ノック達は魔力を使えば変身も可能なのだ。ただし魔力の消費量はかなり多い。ノックが人間の姿でいられるのは、全魔力を使っても30分といったところだろう。
アリスがノックのためにいれた茶は、とても美味だった。こんな美味いものは今まで口にしたことがない。ノックは本気でそう思った。ノックはなぜ自分がこんなにも幸福なのか、その理由すら分からなかった。
「また会いに来てくださいね」
アリスの言葉はノックにひどい悲しみを与えた。これだけ魔力を使ってしまった自分は、二度とアリスに会えないかもしれない……
その絶望にも似た感情がノックを突き動かした。初めて抱きしめたアリスはひどく柔らかく、そして温かかった。
ああ、もう時間か……
ノックは自分の体が消え始めた事に気がついた。この結婚式のためにと、少しだけ残しておいた魔力もこれでおしまいだ。魔力なしでは自分の担当外世界にはいられない。強制的に追い出されてしまう。
魔力は底をついてしまったけれど、ノックはとても満足だった。これだけ明るく笑うアリスを見られたのだから。
「大丈夫よ!! あんたの代わりに私があの子の事見守ってあげるから。毎日だってあんたに報告してあげる」
なんでお前が泣くんだよ……
涙で顔をぐちゃぐちゃにして叫ぶタルーナに、ノックは感謝の気持ちで手を振った。
世界から排除される瞬間、ノックの瞳にアリスの姿がうつった。ウィルバートに横抱きされ、恥ずかしそうにしている姿が。
あと何年、いや何十年先かもしれないが、いつかまた魔力がたまったらアリスに会いにこよう。
「またな」
アリスの幸せを願いながら、ノックは小さく呟いた。
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今後も読んでいただけるよう、頑張って更新したいと思います。