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一章 天命
五.邂逅〔三〕
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剣術の修行の後。
翔隆は自分のすり傷などに、揉んだ葉を付けながら聞く。
「ねぇ…義成はさ、その金色の目…嫌じゃないの?」
「…まあ…もっと暗い色なら良かったが」
「一族じゃないんだよね?」
「ああ…そう聞いているが…実のところは定かではない」
「…そか」
そこに楓が握り飯の弁当を持って走ってきた。
「二人共! 休憩しましょ!」
「ああ、ありがとう」
義成が答え、差し出された竹筒を受け取る。
翔隆は、優しく笑う義成と楓を微笑しながら見つめた。
〈父さんが認めたのって、去年だったっけ?〉
義成がここに住むようになってから、八年。
ーーー八年前、義成は大怪我を負って運ばれてきた。
手当てをして、目を開けた時に目の色が金色で綺麗だと思ったのを、鮮明に覚えている。
志木達男衆は訝しがりながらも接していたようだ。
楓が好意を寄せるようになったのは、義成の傷が癒える頃ーーー。
〈…違うな。二・三日したらもう惚れてた感じだったな…〉
義成は行く場所が無いとの事だったので、二人で志木に頼み込んで、義成がここに住んでもいいという許しを得たのだ。
そうして翔隆は剣術の師匠を得た。
…ついでに、どうやら義兄も得る事になるらしい。
今年には、正式に婿として迎えると志木が言っていた…。
翔隆は、小さな握り飯を一つ掴んで立ち上がる。
「俺、弓の練習に行くね!」
そう言って二人きりにする為に走り去った。
「あいつ…」
義成は苦笑しながらも握り飯を食べ、楓を見る。
「…五月にはカキツバタが見頃になる場所を翔隆に教わったんだが、行ってみないか?」
「いいわね! 来月中頃になるかしら」
「ああ…後で志木殿にも聞いてみよう」
二人は、寄り添いながら青い空を見つめた。
一方。
睦月はしばらく外で、里を眺めながら昔の事を思い出していた。
〈共に手立てを考えて欲しかったのに…〉
正直、あんな話は聞きたくなかった…。
しかし、自分が言い出したのも事実で、狭霧一族だという事も事実。
拓須は何一つ間違った事は言っていない。
何はともあれ、取り敢えず夕餉の支度をしなくてはならない。
〈一人か…義成はどうするのか…〉
共に食べるか誘いに行って、睦月は戸を前に立ち止まる。
中から睦言の声がしたので、楓といるのだろうと察して魚を獲りに川へ行く。
…こんな時に一人なのは少し寂しく感じる。
〈おかしなものだ〉
狭霧では感じなかった感情が、翔隆といる事で沢山増えてきた。
嬉しさ、楽しさ、悔しさ、悲しさ、寂しさ…こんなにも自分に感情があるなんて知らなかった。
〈あ、夜中に翔隆が腹を空かすかもしれないな…何か用意しておくか〉
そう思いながら、睦月は枝で魚を捕っていく。
そこに、翔隆がやってきた。
「それ、矢でも出来るかな?」
「やってみたらどうだ?」
「やってみてよ。俺じゃ絶対無理なの分かるから」
そんな翔隆に睦月は苦笑して近寄り、弓矢を受け取る。
「…どうだろうな…」
そう言いながらも矢を放つと、矢の刺さった魚がぷかりと浮かんだ。
「やっぱり凄いや!」
翔隆は喜んでその魚を手にして、まじまじと見つめる。
「俺がやっても、こんな風に刺さらなくて逃げられちゃってさ。さすがだな…」
「力加減じゃないか?」
睦月は翔隆に弓矢を返して、取った魚を分ける。
「ほら、四匹あれば家族で食べられるだろう? …手ぶらじゃ怒られるぞ」
「ありがとう! じゃ、また後で!」
笑って言い、翔隆は走っていった。
朝と夕の食事だけは家族四人で摂る、というのが決まりだからだ。
夜…
美しい星々が空に散らばり、薄月夜の中を虫や梟の声が支配する。
木々のザワめきと心地よい風の吹く森の暗闇の中、絡み合う二つの影があった。
「お願い…もう少し、こうしていて…」
闇の中に艶めかしい女体が月に照らし出されている。その下には、逞しい男の肌…。
楓と義成だ。
「…冷えるぞ」
そう言い、楓に着物を纏わせてやる。
「どうした? お前らしくないな、楓…」
「…不安なのよ…」
そう言い、楓は義成の首に顔を擦り寄せる。
「不安?」
「貴方が…何処かへ行ってしまいそうで…」
「ふ…。何処にも行きはしないさ。何故急にそんな事を?」
義成は、楓の髪を優しく撫でながら尋ねた。
「だって…」
言い掛けて、楓はふふっと笑い頬を染める。
〈だって、貴方の子が…居るんですもの……〉
楓は愛しそうに、そっと自分の腹を撫でた。
「なんだ? 一人で笑って…寒いのか?」
「うふふ…もう。ふふふふ」
楓はきゅっと体を擦り寄せ、義成の背に手を回す。
義成は微苦笑しながらも、楓を抱き締めた。
「退屈だなあ…」
自分だけに与えられた小屋の中で、翔隆はゴロゴロとしていた。
「義成も楓姉さんも居ないし。……恋仲なんだもんなぁ。う~んん…」
背伸びをしていると、睦月が入ってきた。
「あっ、睦月っ!」
翔隆が喜んで飛びつくと、睦月は苦笑して翔隆の頭を撫でてやる。
「翔隆、義成は?」
「楓姉さんと、どっか行っちゃった」
「………。そ、そうか。じゃあ拓須を見なかったか?」
「行ってみたけど、居なかったよ」
「おかしいな…いつもならとっくに寝てるくせに………」
―――――その本人は、森の中にいた。
森の至る所に、武装した者達が居る。
その中に、平然と拓須が居た。
「こんな所に隠れていたとはなぁ…」
隣りに居る男が言う。
拓須はクッとほくそ笑み、空を見上げる。
「ここには私の《結界》を張っていたからな。例え京羅とて判ろう筈もない」
「…成る程。狭霧の〝導師〟と呼ばれ崇拝される貴殿の《力》では、誰にも見破られる筈がない」
「ふん、世辞などいらぬわ。…やるのならば、今だぞ」
「――――承知!」
急に、森の動物達の声がしなくなった。
…何やら、嫌な予感がする…。
「翔隆!」
「睦月!」
…同時に出た言葉だ。
「何やら胸騒きがする。お前は、ここでじっとしていろ!」
そう言い、睦月は飛び出していった。
〈ふー…いつまでも、子供扱いするんだからなぁ。…でも、何だろうこの不安は…。…何かが――――…来る?!〉
本能で咄嵯に刀を掴んだ時!
カカッと、何かが小屋に刺さる音がした。そして煙が上がる。
火矢!?
まさか! 何で?!
「狭霧だ!」
誰かの声が響く。
「馬鹿な! 見つかる筈が…」
次第に表が静寂から一変して、騒然とした。
〈挟霧……? 〝宿敵〟の?!〉
ドクンドクンと、心臓の音が高鳴ってくる。
〈敵…襲………!?〉
ハッとして立ち上がった時!
バンと勢いよく戸が開かれ、くないと短刀を手にした睦月が入って来た。
「翔隆、これを持って!!」
そう言い渡されたのは銭袋と刀。
「な、何を…刀なら…」
「いいから早く!」
そう言い睦月は銭袋を翔隆の腰紐にキツく縛り付けて、刀を背負わせ外に出る。
「――――――!!」
何て事だろう!
…今の今まで、平和で穏やかであった集落が…血と炎で染まっている…!
〈…なに―――――っ!〉
余りの事に、翔隆は言葉を失い口元を押さえた。
そう…こんな惨たらしい光景を見るのは、彼にとっては生まれて初めてなのだ。
ガクガクと、小刻みに体が震える。
〈な…なん…で……こんな――――っ?!〉
胃液がぐっと込み上げてくる。
と同時に、体の底から激しい〝感情〟が沸き上がってきた。
怒りなのか、悲しみなのか、憎しみなのか…様々な感情が交差して分からない。
「居たぞ!」
誰かの声がして振り向くと、近くに居た千太が翔隆を抱き締めた。
すると、ドッと鈍い音がして千太の腹を貫通した刃の切っ先が目の前に見えた。
「千…?!」
「大事ない早う行け!!」
そう怒鳴り、誰かと戦う…。
〈戦う…?! 何と…狭霧?!〉
翔隆が震えながら固まっているのを、睦月が腕を引いて速歩きをする。
「翔隆しっかりしろ!!」
「なんで、こんな…急に…!?」
「翔隆、逃げるんだ!」
「?! 何故!? 相手は〝狭霧〟なんだろう!? 俺も戦う!」
「馬鹿者! 戦える様な相手ではないっ! いいから逃げるんだっ!!」
ぐいっと引っ張られて、翔隆は訳の分からないままに走った。
走る中で、睦月はある事に気付く。
…そうだ、言われてみればおかしい。
今まで、狭霧に気付かれぬ様《結界》を張っていた筈…。
〈結界! そうだ、あれは拓須が張っていた《もの》! まさか…っ! まさか拓須がっ!?〉
そう考え、急に立ち止まった。
「…睦月?」
翔隆は不審に思い、ふと前方を見る。
――――そこには月明かりを背にした男が、立ち塞がっていた。
結い上げている黒い長髪…左の顔を、まるで隠すかの様に赤い布で覆っている長身の男。
その手には見た事も無い、朱色の異形な槍が握られている。
「陽炎……!」
睦月が、蒼白して言う。
〈知り合い…?〉
…に、しては様子がおかしい。
あんなに強い睦月が蒼白しきって冷や汗を流し、わずかに震えている。
その槍使いは、ニッと笑い一歩近付く。
「久しいな、睦月…」
「……陽炎…何故ここへ…」
「義成は、どうした」
「知らぬ。知っていたとて、教えはせぬ!」
言いながら、睦月は翔隆を後ろに庇う。
槍使いはちらりと翔隆を一瞥し、また一歩近付く。
(翔隆、逃げろ)
睦月が小声で言ってきた。
「睦月…!?」
(わたしが隙を作る。その間に…)
「嫌だ!」
拒絶反応の様に、思わず叫んだ。
何故だか知らないが、この〝陽炎〟という男に対して、妙に腹立たしさを覚えるのだ。
「駄々をこねている時か! 行け!!」
怒鳴り付けると、睦月は陽炎に真っ向から斬り掛かっていった。
「睦月…!!」
自分も刀を構えようとするが、立ちすくむ。
二人の戦いが、余りにも凄まじい攻防戦だったからだ。
陽炎は身の丈以上もある槍を軽々と扱い、あの睦月を相手に息一つ乱さずに戦っている。
〈悔しいけど…体が動かない…!〉
蒼然として立ち尽くしていると、またもや怒鳴られる。
「早く行けッ!!」
「っ!」
翔隆はビクッとして走り出した。
「させぬ!」
その声に思わず立ち止まって振り返ると、睦月が陽炎に斬られて倒れた。
「睦月っ!!」
反射的に駆け寄ろうとした…が、陽炎の槍が目前に迫る。
「死ね………!」
「翔隆!!」
志木の声がして、ドシュッ…という鈍い音と共に視界が血に染まった…
…何が、起きた……?
愕然と目を見張ると、血に染まった槍が……人の、体を…突き抜けて……!
「父…さん…っ?!」
志木が…父が、陽炎の槍をその体で受け止め、血を吐きながらも両手でしっかりとその槍を抜かせまいと、握っているではないか!
「父さんっっ!」
「逃げ…ろっ! お前は…っ死んではならん、のだ…っ! いっ…生きて………必…ず、しら…ぬい、を…っ!」
「とう…さ…」
「行けええっ!!」
その気迫に押され、翔隆は泣きながら駆け出した。
とにかく、必死に逃げた。
誰かが、斬り掛かってくるのをかわしながら、逃げる事だけを考えた。
〈何…?! 何が…一体……っ!〉
混乱しながら森を駆けていく。
涙で視界がぼやけ、呼吸が乱れて苦しい…。
ふと殺気を感じて振り返ると、陽炎が執拗に追い掛けてきていた。
〈何でこんな事になった!? 何故あいつは追って来るんだよおっ!!?〉
もう訳が分からない。
自分が今、どうやって走っているのか。
足が地に着いているのかさえも分からない…。
陽炎は、ぴたりと翔隆の後ろまで追いついている。
〈駄目だ―――――っ!〉
斧の様な槍先が、逃げる翔隆の背に対して月に反射している。
それに気を取られ翔隆は木の根につまずいて、すっ転んだ。
殺られる―――――!!
そう確信した時、カッと何かが槍に当たった。
…小石だ。
「何奴っ!」
敵意を剥き出しに、陽炎が小石の投げられた方向を見る。
つられて翔隆もそちらに目をやった。
「……義成…!!」
〝同時〟に、出た言葉。
草むらから、太刀を構えた義成が出てきた。
すると、陽炎は嬉笑にも似た笑みを浮かべ、標的を変えた。
「義成…」
「お主の相手はこの俺だ、陽炎! 思う存分掛かって来るがいい!!」
「望むところ!」
言い様、陽炎は嬉笑して義成に向かって行った。
「行け!」
狼狽する翔隆に、義成が〝目〟で語った。
翔隆は放心しながらも、走り出す。
これから何処へ行けばいいのか、どうすればいいのか、何も分からないまま…
遂に、運命の歯車が動き始めた…
もはや翔隆は逃れられない…
〔一族〕という〝宿命〟…
〔嫡男〕という〝運命〟…
そして…〝戦乱〟という、業火から―――――。
翔隆は自分のすり傷などに、揉んだ葉を付けながら聞く。
「ねぇ…義成はさ、その金色の目…嫌じゃないの?」
「…まあ…もっと暗い色なら良かったが」
「一族じゃないんだよね?」
「ああ…そう聞いているが…実のところは定かではない」
「…そか」
そこに楓が握り飯の弁当を持って走ってきた。
「二人共! 休憩しましょ!」
「ああ、ありがとう」
義成が答え、差し出された竹筒を受け取る。
翔隆は、優しく笑う義成と楓を微笑しながら見つめた。
〈父さんが認めたのって、去年だったっけ?〉
義成がここに住むようになってから、八年。
ーーー八年前、義成は大怪我を負って運ばれてきた。
手当てをして、目を開けた時に目の色が金色で綺麗だと思ったのを、鮮明に覚えている。
志木達男衆は訝しがりながらも接していたようだ。
楓が好意を寄せるようになったのは、義成の傷が癒える頃ーーー。
〈…違うな。二・三日したらもう惚れてた感じだったな…〉
義成は行く場所が無いとの事だったので、二人で志木に頼み込んで、義成がここに住んでもいいという許しを得たのだ。
そうして翔隆は剣術の師匠を得た。
…ついでに、どうやら義兄も得る事になるらしい。
今年には、正式に婿として迎えると志木が言っていた…。
翔隆は、小さな握り飯を一つ掴んで立ち上がる。
「俺、弓の練習に行くね!」
そう言って二人きりにする為に走り去った。
「あいつ…」
義成は苦笑しながらも握り飯を食べ、楓を見る。
「…五月にはカキツバタが見頃になる場所を翔隆に教わったんだが、行ってみないか?」
「いいわね! 来月中頃になるかしら」
「ああ…後で志木殿にも聞いてみよう」
二人は、寄り添いながら青い空を見つめた。
一方。
睦月はしばらく外で、里を眺めながら昔の事を思い出していた。
〈共に手立てを考えて欲しかったのに…〉
正直、あんな話は聞きたくなかった…。
しかし、自分が言い出したのも事実で、狭霧一族だという事も事実。
拓須は何一つ間違った事は言っていない。
何はともあれ、取り敢えず夕餉の支度をしなくてはならない。
〈一人か…義成はどうするのか…〉
共に食べるか誘いに行って、睦月は戸を前に立ち止まる。
中から睦言の声がしたので、楓といるのだろうと察して魚を獲りに川へ行く。
…こんな時に一人なのは少し寂しく感じる。
〈おかしなものだ〉
狭霧では感じなかった感情が、翔隆といる事で沢山増えてきた。
嬉しさ、楽しさ、悔しさ、悲しさ、寂しさ…こんなにも自分に感情があるなんて知らなかった。
〈あ、夜中に翔隆が腹を空かすかもしれないな…何か用意しておくか〉
そう思いながら、睦月は枝で魚を捕っていく。
そこに、翔隆がやってきた。
「それ、矢でも出来るかな?」
「やってみたらどうだ?」
「やってみてよ。俺じゃ絶対無理なの分かるから」
そんな翔隆に睦月は苦笑して近寄り、弓矢を受け取る。
「…どうだろうな…」
そう言いながらも矢を放つと、矢の刺さった魚がぷかりと浮かんだ。
「やっぱり凄いや!」
翔隆は喜んでその魚を手にして、まじまじと見つめる。
「俺がやっても、こんな風に刺さらなくて逃げられちゃってさ。さすがだな…」
「力加減じゃないか?」
睦月は翔隆に弓矢を返して、取った魚を分ける。
「ほら、四匹あれば家族で食べられるだろう? …手ぶらじゃ怒られるぞ」
「ありがとう! じゃ、また後で!」
笑って言い、翔隆は走っていった。
朝と夕の食事だけは家族四人で摂る、というのが決まりだからだ。
夜…
美しい星々が空に散らばり、薄月夜の中を虫や梟の声が支配する。
木々のザワめきと心地よい風の吹く森の暗闇の中、絡み合う二つの影があった。
「お願い…もう少し、こうしていて…」
闇の中に艶めかしい女体が月に照らし出されている。その下には、逞しい男の肌…。
楓と義成だ。
「…冷えるぞ」
そう言い、楓に着物を纏わせてやる。
「どうした? お前らしくないな、楓…」
「…不安なのよ…」
そう言い、楓は義成の首に顔を擦り寄せる。
「不安?」
「貴方が…何処かへ行ってしまいそうで…」
「ふ…。何処にも行きはしないさ。何故急にそんな事を?」
義成は、楓の髪を優しく撫でながら尋ねた。
「だって…」
言い掛けて、楓はふふっと笑い頬を染める。
〈だって、貴方の子が…居るんですもの……〉
楓は愛しそうに、そっと自分の腹を撫でた。
「なんだ? 一人で笑って…寒いのか?」
「うふふ…もう。ふふふふ」
楓はきゅっと体を擦り寄せ、義成の背に手を回す。
義成は微苦笑しながらも、楓を抱き締めた。
「退屈だなあ…」
自分だけに与えられた小屋の中で、翔隆はゴロゴロとしていた。
「義成も楓姉さんも居ないし。……恋仲なんだもんなぁ。う~んん…」
背伸びをしていると、睦月が入ってきた。
「あっ、睦月っ!」
翔隆が喜んで飛びつくと、睦月は苦笑して翔隆の頭を撫でてやる。
「翔隆、義成は?」
「楓姉さんと、どっか行っちゃった」
「………。そ、そうか。じゃあ拓須を見なかったか?」
「行ってみたけど、居なかったよ」
「おかしいな…いつもならとっくに寝てるくせに………」
―――――その本人は、森の中にいた。
森の至る所に、武装した者達が居る。
その中に、平然と拓須が居た。
「こんな所に隠れていたとはなぁ…」
隣りに居る男が言う。
拓須はクッとほくそ笑み、空を見上げる。
「ここには私の《結界》を張っていたからな。例え京羅とて判ろう筈もない」
「…成る程。狭霧の〝導師〟と呼ばれ崇拝される貴殿の《力》では、誰にも見破られる筈がない」
「ふん、世辞などいらぬわ。…やるのならば、今だぞ」
「――――承知!」
急に、森の動物達の声がしなくなった。
…何やら、嫌な予感がする…。
「翔隆!」
「睦月!」
…同時に出た言葉だ。
「何やら胸騒きがする。お前は、ここでじっとしていろ!」
そう言い、睦月は飛び出していった。
〈ふー…いつまでも、子供扱いするんだからなぁ。…でも、何だろうこの不安は…。…何かが――――…来る?!〉
本能で咄嵯に刀を掴んだ時!
カカッと、何かが小屋に刺さる音がした。そして煙が上がる。
火矢!?
まさか! 何で?!
「狭霧だ!」
誰かの声が響く。
「馬鹿な! 見つかる筈が…」
次第に表が静寂から一変して、騒然とした。
〈挟霧……? 〝宿敵〟の?!〉
ドクンドクンと、心臓の音が高鳴ってくる。
〈敵…襲………!?〉
ハッとして立ち上がった時!
バンと勢いよく戸が開かれ、くないと短刀を手にした睦月が入って来た。
「翔隆、これを持って!!」
そう言い渡されたのは銭袋と刀。
「な、何を…刀なら…」
「いいから早く!」
そう言い睦月は銭袋を翔隆の腰紐にキツく縛り付けて、刀を背負わせ外に出る。
「――――――!!」
何て事だろう!
…今の今まで、平和で穏やかであった集落が…血と炎で染まっている…!
〈…なに―――――っ!〉
余りの事に、翔隆は言葉を失い口元を押さえた。
そう…こんな惨たらしい光景を見るのは、彼にとっては生まれて初めてなのだ。
ガクガクと、小刻みに体が震える。
〈な…なん…で……こんな――――っ?!〉
胃液がぐっと込み上げてくる。
と同時に、体の底から激しい〝感情〟が沸き上がってきた。
怒りなのか、悲しみなのか、憎しみなのか…様々な感情が交差して分からない。
「居たぞ!」
誰かの声がして振り向くと、近くに居た千太が翔隆を抱き締めた。
すると、ドッと鈍い音がして千太の腹を貫通した刃の切っ先が目の前に見えた。
「千…?!」
「大事ない早う行け!!」
そう怒鳴り、誰かと戦う…。
〈戦う…?! 何と…狭霧?!〉
翔隆が震えながら固まっているのを、睦月が腕を引いて速歩きをする。
「翔隆しっかりしろ!!」
「なんで、こんな…急に…!?」
「翔隆、逃げるんだ!」
「?! 何故!? 相手は〝狭霧〟なんだろう!? 俺も戦う!」
「馬鹿者! 戦える様な相手ではないっ! いいから逃げるんだっ!!」
ぐいっと引っ張られて、翔隆は訳の分からないままに走った。
走る中で、睦月はある事に気付く。
…そうだ、言われてみればおかしい。
今まで、狭霧に気付かれぬ様《結界》を張っていた筈…。
〈結界! そうだ、あれは拓須が張っていた《もの》! まさか…っ! まさか拓須がっ!?〉
そう考え、急に立ち止まった。
「…睦月?」
翔隆は不審に思い、ふと前方を見る。
――――そこには月明かりを背にした男が、立ち塞がっていた。
結い上げている黒い長髪…左の顔を、まるで隠すかの様に赤い布で覆っている長身の男。
その手には見た事も無い、朱色の異形な槍が握られている。
「陽炎……!」
睦月が、蒼白して言う。
〈知り合い…?〉
…に、しては様子がおかしい。
あんなに強い睦月が蒼白しきって冷や汗を流し、わずかに震えている。
その槍使いは、ニッと笑い一歩近付く。
「久しいな、睦月…」
「……陽炎…何故ここへ…」
「義成は、どうした」
「知らぬ。知っていたとて、教えはせぬ!」
言いながら、睦月は翔隆を後ろに庇う。
槍使いはちらりと翔隆を一瞥し、また一歩近付く。
(翔隆、逃げろ)
睦月が小声で言ってきた。
「睦月…!?」
(わたしが隙を作る。その間に…)
「嫌だ!」
拒絶反応の様に、思わず叫んだ。
何故だか知らないが、この〝陽炎〟という男に対して、妙に腹立たしさを覚えるのだ。
「駄々をこねている時か! 行け!!」
怒鳴り付けると、睦月は陽炎に真っ向から斬り掛かっていった。
「睦月…!!」
自分も刀を構えようとするが、立ちすくむ。
二人の戦いが、余りにも凄まじい攻防戦だったからだ。
陽炎は身の丈以上もある槍を軽々と扱い、あの睦月を相手に息一つ乱さずに戦っている。
〈悔しいけど…体が動かない…!〉
蒼然として立ち尽くしていると、またもや怒鳴られる。
「早く行けッ!!」
「っ!」
翔隆はビクッとして走り出した。
「させぬ!」
その声に思わず立ち止まって振り返ると、睦月が陽炎に斬られて倒れた。
「睦月っ!!」
反射的に駆け寄ろうとした…が、陽炎の槍が目前に迫る。
「死ね………!」
「翔隆!!」
志木の声がして、ドシュッ…という鈍い音と共に視界が血に染まった…
…何が、起きた……?
愕然と目を見張ると、血に染まった槍が……人の、体を…突き抜けて……!
「父…さん…っ?!」
志木が…父が、陽炎の槍をその体で受け止め、血を吐きながらも両手でしっかりとその槍を抜かせまいと、握っているではないか!
「父さんっっ!」
「逃げ…ろっ! お前は…っ死んではならん、のだ…っ! いっ…生きて………必…ず、しら…ぬい、を…っ!」
「とう…さ…」
「行けええっ!!」
その気迫に押され、翔隆は泣きながら駆け出した。
とにかく、必死に逃げた。
誰かが、斬り掛かってくるのをかわしながら、逃げる事だけを考えた。
〈何…?! 何が…一体……っ!〉
混乱しながら森を駆けていく。
涙で視界がぼやけ、呼吸が乱れて苦しい…。
ふと殺気を感じて振り返ると、陽炎が執拗に追い掛けてきていた。
〈何でこんな事になった!? 何故あいつは追って来るんだよおっ!!?〉
もう訳が分からない。
自分が今、どうやって走っているのか。
足が地に着いているのかさえも分からない…。
陽炎は、ぴたりと翔隆の後ろまで追いついている。
〈駄目だ―――――っ!〉
斧の様な槍先が、逃げる翔隆の背に対して月に反射している。
それに気を取られ翔隆は木の根につまずいて、すっ転んだ。
殺られる―――――!!
そう確信した時、カッと何かが槍に当たった。
…小石だ。
「何奴っ!」
敵意を剥き出しに、陽炎が小石の投げられた方向を見る。
つられて翔隆もそちらに目をやった。
「……義成…!!」
〝同時〟に、出た言葉。
草むらから、太刀を構えた義成が出てきた。
すると、陽炎は嬉笑にも似た笑みを浮かべ、標的を変えた。
「義成…」
「お主の相手はこの俺だ、陽炎! 思う存分掛かって来るがいい!!」
「望むところ!」
言い様、陽炎は嬉笑して義成に向かって行った。
「行け!」
狼狽する翔隆に、義成が〝目〟で語った。
翔隆は放心しながらも、走り出す。
これから何処へ行けばいいのか、どうすればいいのか、何も分からないまま…
遂に、運命の歯車が動き始めた…
もはや翔隆は逃れられない…
〔一族〕という〝宿命〟…
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そして…〝戦乱〟という、業火から―――――。
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