鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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二章 変転

十七.傅役

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 やっと熱も下がり、《力》が回復してきたのは、じめじめと雨の降る五月であった。
「翔隆、具合はどうじゃ?」
四郎が笑いながら聞く。この所、毎日のように翔隆の下へやってきては、色々な話をしていく。本当に腹心…いや、傅役もりやくにでもなった気分だ。翔隆はくすっと笑って、起き上がる。
「はい、もうだいぶ良くなりました」
「そうか、良かった…。では今日は何をするか」
嬉しそうに翔隆の側に寝そべり、真っすぐに見つめてくる。
何とも愛らしい…こんな風に、幼子に慕われるというのも悪くないが、何ともくすぐったい。
「…では、勉学でも至しましょうか。この所、四郎様はお遊びになられてばかりでしょう?」
「いらん! それよりおぬしと話がしたい!」
急にふくれっ面をして、ごろんと仰向けに寝る。どうやら、ご機嫌を損ねてしまったようだ。
 翔隆は苦笑して周りを見る。毎日四郎が心配してやって来ていた為、そこら中に貝殻やら書物やらといった、退屈凌ぎの品物が散乱していた。
「…四郎様は、俺のどこがお気に召されたのですか?」
話題を変えると、四郎はパッと笑顔に戻った。
「母上に似てる!」
「………え…?」
「姿は違うが、どことなく似てる。優しくて、暖かくて…よう判らんが、とても落ち着く!」
思ってもみなかった返答に、翔隆は言葉を失くして呆然とする。
女子おなごに、似ている…〉
何と言っていいものか…。女のようだ、などと言われて喜ぶ男はいない。しかし、無邪気に言われては怒る気にもなれない。
「そ、そうですか…」
そう言って、笑うしかなかった。
 結局、その日も四郎の話し相手をして時を過ごしてしまった。まだ、少し体がだるく頭も痛い。
〈…余り、ご迷惑を掛ける訳にはいかんな。薬草でも探しに行くか……〉
そう思い、立ち上がって着替えをして剣を背負うと、天井から声が聞こえた。
(帰られるのですか?)
「! …義深よしみか…。いや、少し外の風に当たってくるだけだ。黙って出て行くような、無礼な真似はしない」
(左様で。丁度、雨は上がっております。…無理は禁物ですぞ。また風邪を引かれてはお屋形さまに叱られます故)
「分かっているよ。ありがとう、義深」
(…いえ)
優しい言葉なのかどうかは判らないが、取り敢えず義深も警戒を解いてくれたようだ。
翔隆は天井に向かって頷くと、そっと座敷を出た。


 雨上がりの湿った風が、気持ち良かった。
翔隆は寝疲れした体を、その風や自然で癒しながら薬草を探し始めた。
 どの草が何に効くかは、睦月に教えられていたので、すぐに目当ての物を探し当てられる。
ゆっくりと薬草を摘みながら、ふと病に罹ってしまった大切な師匠の事を思い出す。
〈…睦月…どうしているだろう……?〉
睦月の容体も気になるし、預けた義成と楓の子・雪乃宮も気になる。
もう、八ヶ月も会っていない…。まあ雪乃宮なら大丈夫だろう。
冷たいが、ああみえても拓須は面倒見がいい方だ。
〈睦月……義成…………〉
自分の為に、掟を破ってまで逃亡した睦月…。そして、突然…今川家の者となり、敵対してしまった義成…。
 二人の事を想うと、胸が痛い。いや、今は考えまい。
考えても、どうしようもない事なのだから…。




同じ頃、義成は疾風に剣術の指南をしていた。
「踏み込みが足らん! 目を閉じずに、もっとよく相手の動きを見ろ!」
そう怒鳴りながら、刃を交える。
「くっ…!」
疾風も幼いなりに、よくやってはいるのだが、軽くあしらわれるばかり。
その内に、疾風の剣が弾かれてしまう。
「…さすがに、お強い…」
「いや、お主も仲々…」
言い掛けて、止まる。
〈……以前も、こんな風に…誰かに教えていた…? この子より、もっと…幼い……〉
無邪気な笑顔で、よく懐いてきた少年……何故か顔が、はっきりと思い出せない。
雲間から覗く月を見上げながら、義成は放心していた。

  何故、思い出せない?

 その少年の側に、拓須と睦月が居たのは覚えている。
 だが、その少年だけが何故…?
必死に思い出そうとした時、突然頭部に激痛が走った。
「ぐっ…!!」
頭を押さえて片膝を撞くと、縁側に居た陽炎が真っ先に駆け寄ってきた。
「どうした!」
「分からぬ…何か、思い出そうと…急に……」
翔隆か…。陽炎にはすぐに分かった。
少々忌ま忌ましく感じながらも、陽炎は義成に肩を貸す。
「ほら、とにかく休め。疲れているのだろう」
「うむ……済まぬ…」
よろめきながらも肩を借りて座敷に入ると、疾風が床の支度をしてくれる。
「ありがとう」
穏やかに微笑むと、本当に疲れていたらしく、義成はそのまま眠りについてしまった。
陽炎は、義成の頬を撫でる。
〈…奴の術如きでは、完全に忘れさせる事は出来ぬ…か。至仕方あるまい〉
そう思った時、障子が開いて京羅きょうらが姿を見せる。
「どうした?」
言いながら、眠る義成の側に座る。
「……術が不完全らしい。時々、思い出し掛けてこうなる」
「成る程。…新蓮しんれんも一族なのだが、力は至らぬ故…な。許してやれ」
「………」
陽炎は無返答で、義成の髪を撫でる。
別に責める気もなければ、許す気もないのだ。
陽炎にとって、大事なのは義成だけ……そんな陽炎の仏頂面を見て苦笑すると、京羅は静かに部屋を出た。
 
 
 翔隆が薬草を摘んで戻ると、丁度 家臣達が居たので笑って軽く会釈する。
が、何事もなく無視されてしまった。
〈当たり前か…〉
ただでさえ異形な姿の上、何処の者とも知れぬ輩が突然 家臣などになったのだから、白い目で見られるのも無理はない。
こうして話し掛けても、
「物の怪に貸す耳など持たん」
「細作の言葉など聞きとうもない!」
と、冷たく言われるだけ。
翔隆は溜め息を吐きながら、己にあてがわれた座敷の前で、薬草を石で潰し始めた。
ガリガリと潰し、ふと手を止めて庭を眺める。
「…義深よしみ、か?」
(よくお分かりで)
姿は見えないが、後方の屋根に居る事は分かった。
(何を、作っておられる?)
「丸薬、さ。はは、何の、とは言わなくともお主になら分かるだろう?」
(ええ。それなれば、言って下されば持って参りましたものを…)
「いや…余り、厄介になっても困るだろう? それでなくとも長い間、介抱してもらい手を煩わせてしまったのだから…これくらいは自分で、な」
苦笑いをして言うと、義深が隣に降り立つ。
「妙な所で気を遣われる。本当に…憎めないお方ですな」
「?」
その言葉に首を傾げると、義深が薬草を手にする。
「…私が作りますよ」
「しかし…」
翔隆は戸惑って義深を見つめる。
「やらせて下され。…貴殿を殺そうとした、せめてものお詫びに」
そう言って、義深が初めて笑顔を見せてくれた。
「…ありがとう。では、お願いする…」
それに頷いて、義深は薬を作り始めた。どうやら、変な誤解も解けたようだ。
翔隆は心から微笑み、義深と共に薬を作りながら語らっていた。
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