鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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二章 変転

十六.二人目の主君

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 しと しと しと しと

 翔隆は、雨の音で目を覚ました。

ぼやける視界に入ったのは天井…そして、温かい部屋に何枚も掛けられた着物。
目を凝らして周りをよく見てみると、火鉢・水桶・屏風・障子が見えた。
手を出して額に当てると、濡れた布が乗せられていた…。
〈……確か……何処かで倒れて…〉
 ボーッとしながら起き上がろうとするが、体中が痛くて頭が熱くて重苦しい上、全く力が入らない。
〈そうか…熱を……〉
その時、サラリと障子が開いて人が入ってきた。
「……!」
翔隆は驚いて起き上がる。
影優かげゆう義深よしみ…。
甲斐の透破すっぱの副頭が、そこにいた。
「気が付かれたか。まだ起きてはなりません。貴殿は四日も生死の境を彷徨うておられたのだから」
「ここは…まさか……躑躅ヶ崎、か…?」
「はい。倒れておられたのを、私めがお連れ申した」
「…済まない…」
確かに、ここに来ようとは思っていた。…しかし、人から恐れられ忌み嫌われる〔一族〕であると知り、自覚してしまった今、こんな形で世話になるのはやはり気が引ける………。
何故なにゆえ、織田家臣である貴殿があのような所に倒れておられた? 前の時も今も酷い手傷を負うて…。しかもかちであちらこちらに行くなど………理由を、お教え下され」
義深よしみの言葉に、翔隆は一瞬口を開きかけたがギュッと拳を握り、俯く。
「………教えられぬ」
何故なにゆえ! 敵だから、と言われるのか? それとも主命か?」
眉を寄せて聞いてくる義深よしみに、翔隆は溜め息を吐いて天井を仰ぎ見る。
「違う。俺は―――…〔影の一族〕だ…。そう、言えば…忍のお主には…分かるだろう…?」
「さ…狭霧と不知火…! まさかあの、〝魔物〟とも〝物の怪〟とも言われ、決して近付いてはならぬと掟されている〔伝承の一族〕か!?」
魔物に物の怪…酷い言われ様だが、〝人間〟にはない《力》を持っているのだから、間違ってはいないだろう。
翔隆は、静かに頷いた。すると、途端に義深よしみはサァーと蒼冷めて後退る。
「そ、それはまことか?! 南蛮や異国の者だから、髪や目の色が違うのではないのか?!」
「………真だ」
真顔で答えると、義深はバッと懐剣を抜く。
それは、主君・武田晴信の、武田家の御為にならぬ者は抹殺する…という意志を表している。
二人は、じっと瞬きもせずに見据え合う。その緊迫した空気の中で翔隆が静かに言う。
「…俺を殺しても…何の解決にもならんぞ…」
「どういう意味か?」
問われて、翔隆は意を決して話し出す。
「狭霧は―――今川と深く結び付いている。その内に他家にも手を伸ばし、裏よりじわじわと乗っ取るだろう。俺は、それを阻止したい。何があろうとも……この命尽きるとも、一人でも多くの者を、魔の手から守りたい。…不知火の、嫡子として!」
「………」
目を見て、その者の本質を見抜くのが忍…。
どれ程の力があるのか、どの様な性根か…。
〈嘘偽りは見えぬ。だが……私一人の判断では…信じて良いものかどうか………〉
翔隆の曇りの無い、澄んだ藍色の瞳に困惑しながらも、義深よしみはじっと相手の出方を窺った。

 すると、翔隆は何も言わずにふらりと立ち上がり、己のボロ布と化した着物に着替えると、剣を背にして気丈に微笑んだ。
「お主の居るこの武田家では…いらぬ世話だったようだな。介抱してくれて、ありがとう…」
そう言い障子を開けた。
「あ…」
するとそこには、諏訪四郎と侍大将の工藤昌豊まさとよ(二十九歳)が立っていたのだ。
恐らく、四郎が通り掛かった昌豊を連れ出して、覗きに来たのだろう。
何時からそこに居たのかは、その表情で分かった。
少し悲しげな、怯えた顔をしている。翔隆は微笑んで膝をく。
「…四郎様、しっかりとお育ちなされ。次にお会いする時は、織田と武田の戦になると存じますが…どうかお体、お厭い下さいませ」
しかし、四郎は口をぎゅっと噤んだまま何も答えない。
翔隆は寂しげに笑い、立ち上がる。
―――と、四郎が翔隆の袴の裾をぎゅっと握り締めてきた。
「四郎様…?」
「嫌、じゃ…! 行っては嫌じゃっ!」
「我が儘はなりませぬ!」
義深が言った。
だが、四郎は首を振り両手でしっかりと袴を握り、切なげに翔隆を見上げる。
「…ではっ! …ならば翔隆は何故なにゆえ、国境に倒れていた?!」
鋭い所を衝いてくる。翔隆は、苦笑しながらも正直に言った。
「俺は、来年まで牢人の身となってしまいまして…放浪しておりました。それ故、修行の旅を…と…」
「ならばここにおればいい! 家臣にならなくても良い、おぬしが決して我らをたばかったり裏切ったりしないと誓うのならっ…いつでも、いつまででも、居てもいいから…っ!」
懸命に、涙ぐみながら側に居て欲しい、と…この幼な子は必死で伝えようとしている。
これ程、四郎が執着する者も珍しかった。
無論甘えはするが、身内や家臣達にさえも心を閉ざし、本心を隠し、ここまで我が儘を言うような子ではないのだ。
だが、翔隆にだけは…他家の家臣であり、魔性の者である、この男にだけは…縋り付き全身で甘えている。
「翔…ここにおれ。わたしの、として!」
「四郎様…」
それは、四郎にとって初めて他人に言った言葉だった。
呪われた諏訪の子としてここで生まれ、心孤独に育った四郎の本音である。
「…ですが、それをお決めになるのは、晴信様です。…そりゃ…決して刃を向けない、という約束は出来ますが……この乱世、いつ翻すやも…」
「それはない! おぬしは、決して人を…わたしを、裏切らぬ!」
「………」
「期待を、裏切るまい?!」
グサリとくる言葉だ。
これ程、慕われ信頼されているのに、誰が背けよう。そこに、
「何事か!」
 と、騒ぎを聞き付けた晴信が、侍大将である飯富おぶ源四郎昌景まさかげ(二十四歳)と、馬場民部少輔みんぶしょうゆう信房のぶふさ(三十九歳)を引き連れて現れた。
即座に翔隆、それに昌豊まさとよ義深よしみひざまずく。
「翔隆、もう起きて良いのか?」
「はい」
「そうは見えぬな。…義深、何があった」
矛先が回り、義深は顔色蒼然としながら言う。
「はっ。…忍界に伝わる〝一族〟がございまして」
「ん?」
「その一族は二つに分かれており、それぞれに霊力や魔力を持っております。故に、決して関わってはならぬという掟がございまする」
「それと、これと、どう繋がる?」
「翔隆はその一族です。関わった者に不運と死を招き、争いを起こすという〝一族〟にござりますれば…関わらぬが、武田家の御為かと」
そこまで聞いて、流石の晴信も眉をひそめた。
そして、じっと翔隆を見つめる。
 しとしとと、雨の音だけがその場に響く。
誰も、何も言えずに時が雨と共に流れていく…。

暫く後、晴信は厳しい表情を和らげ笑みを浮かべた。
「―――…お主は、主君を一人しか持たぬか?」
「はい」
「わしを、二番目の主君とする気はないか?」
「―――」
 どういう、意味であろうか?
信長の死後、仕えろというのか、それとも義に反して二人の主君を持てというのか、はたまた寝返れとでもいうのだろうか…。
〈……もしや、それ程までに〝信頼〟されてしまったのか……?〉
 斎藤道三と同じように…?
じっと晴信を見返すと、右手を差し延べ微笑んでいる…。目は口ほどにものを言う。
 「お主が欲しい。何があろうとも信頼出来るからこそ、
 武田軍の一員となれ!!」
晴信の目が、そう語っている…。
〈…信長様に、許可を得られる筈もない…。この乱世の世で、両方に忠誠を立てるといって誰が信じよう…?〉
心底から悩み、迷った。もし、晴信がさほど魅力のない大名であれば、そんなにためらわずに断れただろう。だが、翔隆は晴信に対し信長にはない魅力を感じているのも事実…。
 〝ばれなければ平気〟などという浅はかな考えは、信長には通じない。
ましてや、〝兼帯けんたい〟(主君を二人以上持つ事)など許す筈もない。
…だがやはり、晴信達に関わっていたいし、出来れば自分の手で守りたいと思う。
 なるようになる――――。
思い切って、翔隆はその手を取った。
「信長様以上、想う事は出来ませぬが…貴方様に、絶対の忠誠を、誓いましょう」
そう言葉にして、心に言い聞かせた。
「ん!」
晴信は満足げに頷く。
その時やっと四郎が手を離して、父に歩み寄った。
「父上、来年まで…牢人じゃなくなるまで、ここにおいてやりましょう?」
どうやら四郎はまだ、混乱しているらしい。
解任が解けるまで、と言いたいのだろう。
「うむ。…病が治るまで、無理はさせるな」
「はい!」
答えて四郎は元気良く、嬉しそうに駆けて行った。
〈…これで本当に、良かったのだろうか…?〉
翔隆はそう思いながら、四郎を見送った。
 その次の瞬間 気が緩んでか、翔隆はその場へ倒れ込んでしまった…―――。


 熱で寝込んで、もう十日以上経っていた。
寝過ぎて、体中がだるくて痛くなっている。
 …まだ、霊力の回復は見られない。
今までの無理が祟っての、この熱続きなのだから仕方がないが…。
 この所、妙な夢を見る。
藤吉郎に助けてもらった時に見た、嫌な夢だ。あんなに信長を怒らせた事など、一度もないというのに…何故なにゆえあれ程までに激怒した信長を見るのだろうか…?
〈…しかし怖いな…。まさか、帰ったらあんな風に怒っているのではあるまいな…〉
そう考えると、ぞっとする。
そうではない事を願いながら、翔隆は体中を走る痛みに耐えながら、目を閉じた。
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