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三章 廻転
二十七.命懸けて〔二〕
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翔隆の傷が癒えたのは、それから一月後だった。
冷え込んできた十一月。
高信達に礼を言って、義成が翔隆を背負って尾張に連れ帰る。
「翔隆、済まん…俺の…――」
「いいよ。…信じて、いたから…」
そう言って、翔隆は笑った。
三日掛かって尾張の小屋に帰ると、そこに拓須が出迎えていた。
義成はそっと翔隆を降ろしてやる。
翔隆はそのまま中に入っていくが、義成は拓須と向かい合う。
「礼を言う」
「何が、だ?」
「…翔隆の命、救ってくれたろう? …再生の術や蘇生、復活の術などお主にしか出来ぬ」
「……。それよりも、私は謝らねばならん」
「謝る?」
「お前の子を、死なせてしまった…昨日の昼、血を吐いて死んだ…。病だったのを…見抜けなかった」
「ま、待て! 俺の子とは一体―――」
「…楓の子だ。身に覚えがあるだろう?」
「……!」
「年は五つ。とても、お前に似た子だった…」
それを聞いて、義成は血相を変えて小屋に飛び込んだ。
小屋の中には睦月と見知らぬ子供、そして震えている翔隆が立っており――床には白い布を被されて寝かされている…見知らぬ我が子の姿……。
義成は戸惑いながら歩み寄り、布を取る。
「……名は?」
聞くと、泣きながら睦月が答える。
「ゆ…雪乃宮…! …済まないっ! わたしが……わたしがもっと早くに、気付いていれば…こんな事にはっ!!」
睦月は嗚咽で言葉を詰まらせながらも、義成に謝った。
義成は真顔で睦月の肩を叩く。
「いや、己を責めるな。…これが、この子の命運だったのだ…」
そう言い、義成はそっと雪乃宮の頬や額を撫でた。
…生きている内に、会いたかっただろうに…。
その時、ガラッと戸が開けられる。
振り向くと犬千代が立っていた。
「犬千代…!?」
「烏に案内してもらった。……誰かの葬儀であったか…これは、失礼を…」
犬千代はぺこりと頭を下げて、手を合わせる。
「拙者、前田又左衛門利家と申す。比度元服至した信長が小姓衆にござる。…失礼ながら、翔隆どのをお貸し願えまいか?」
翔隆は、おずおずと利家に近寄る。
「一体、どうしたのだ…?」
「どうもこうもない! 信光公が昨夜討たれたのだ!」
「え…!?」
「詳しくは後で話す故、早う殿の下へ。一月も出仕せぬ故、お苛立ちじゃ!」
「し、しかし…」
翔隆は困惑して義成を見た。すると義成は〝行け〟と目で語り、頷く。
「…済まない…」
「さ、早う!」
利家は一礼して出ると、慌てて馬に乗り駆け出す。翔隆もその後を追った。
城に着くまでに、これまでの事を大体聞いた。
一つは、めでたい事。
佐々内蔵助も元服し成政と改め、池田勝三郎も同じ頃に元服して恒興と名を改めた。
もう一つは信光の事…。
どうやら信光の正室と逢引きしていた坂井孫八郎に暗殺された、というのだが…。
無論、信長が差し向けた者ではない。
〈引っ掛かるな……。もしや、一族が……?〉
清洲城に着き本丸に行くと、
「おう! 待ち兼ねたぞ!」
と信長が笑顔で出迎えた。翔隆はすぐ様平伏する。
「申し訳ござりません!」
言い訳をしないのを見て、信長は頷く。
「…那古野が空になったのは、存じておろう」
「はっ。信光様もさぞ、ご無念で…」
「そこで、後詰めを誰にするか思案しておる。お主は、誰が良いと思う?」
これは、ここに居る者全員に聞いた事である。
森可成と池田恒興は十一歳の信長の弟を元服させてとの意見。
丹羽長秀は森可成を、前田利家は宿老の内藤勝介を。
塙直政と佐々成政はやはり信長の弟の三十郎信包を、とバラバラなのだ。
翔隆はしばらく考えてから、答える。
「…林佐渡守秀貞様が良いかと」
「ほう、故は!」
「佐渡守様は今でこそ達成様に荷担しておりますが、それは〝宿老〟の身に不満があっての事だと思います。那古野をお与えになれば、恐らく…少しは落ち着くかと。あの方は美作守様のような謀略に乗らなければ、礼節を重んじるお人故に…」
「いい所に気が付いたな。…考えておこう。大儀であった!」
そう言って立ち上がり、何処かへ行こうとしたので慌てて利家達がついて行こうとする。が、
「来るなッ!」
と一喝されてしまう。
「…濃姫様の下か。どうも殿は、いつ何処へ行くか分からぬ所がある故、困るなぁ…」
利家が溜め息を吐く。
ふと翔隆は皆に向かって頭を下げる。
「済まぬ…迷惑を掛けてしまって…」
「それを言うなら〝心配〟であろう? ここに居る我らは、よく存じておる故気に掛けるな」
可成がにこりと笑って言う。翔隆は申し訳なさそうに眉を寄せて苦笑する。
「…それと、遅れたが…利家、成政、そして恒興…元服おめでとう」
「かたじけない」
三人はぺこりと頭を下げた。
「しかし殿はころりと変わられる。先程まで苛立って膝を叩いておられたというのに、翔隆を見た途端笑顔になられた。…見目良いと、目の保養になるようじゃな」
直政が苦笑いして言うと、成政も頷く。
「ほんに。何年か前の犬千代も、保養になったしの」
「それは厭味か?!」
利家が怒鳴って成政に言うと、
「また喧嘩ごしになる! …成政も一人前の武士なのだから、もう童染みた真似はよさないか! 利家もだぞ!」
いつもの如く長秀に止められた。
そこに信長が戻ってきて、翔隆を見る。
「今まで何をしていた!」
今更怒って問う。
「はい。我が師を取り返しに行っておりました!」
「取り返す…?」
正直な答えだが、奇妙な言葉である。
翔隆は前に出て平伏する。
「…以前に申し上げました義成が、実は操られて敵に回ったと知り、その者を殺すべく駿河に行きました。その折、背を貫かれ生死を彷徨っていた為に長く掛かってしまいました。…申し訳、ございませぬ…!!」
「して、どうであった」
「はっ。無事、連れ戻す事が叶いました」
「そうか…」
信長は表情を和らげると、スッと立ち上がる。
「河へ行く。利家、長秀、恒興! ついて来いッ!」
「はっ!」
いつものように交替制で三人を連れ、信長は行ってしまう。
翔隆は掃除に取り掛かった。
夕刻になると、信長らが戻ってきて食事をした。
そして、やっと出仕が終えたので城を出た。
夕日の煌めく中、小屋に戻る。
「す、すまぬ……」
「始めよう」
拓須が言う。始める、とは埋葬の事だ。
翔隆と睦月そして禾巳が鍬を手に、義成が遺骸を運ぶ。
そして志木や弥生らを埋めた林に入り、その近くに穴を掘る。
「………っ」
翔隆は滲み出る涙をぐっと堪えて、義成を見た。
彼は夕暮れの中で眉を吊り上げ、地面を見つめている。その瞳に―――涙を、浮かべて…。
掘った穴に、雪乃宮をそっと中に入れる。
「…雪乃宮…済まぬ。父親らしい事を、何一つしてやれずに……。腑甲斐なき父を許せ…!」
義成はそう言って雪乃宮の冷たい頬を撫で、一筋の涙を流した。
そんな義成の肩を叩き、後ろに下がらせると翔隆が土を被せて墓標代わりの石を乗せた。
皆で、手を合わせ冥福を祈ると静かに、帰っていく。
その途中で、翔隆はこんな時に聞くものではないと思いながらも、義成に問い掛ける。
「義成…その…―――陽炎の事…知っている限り、教えてくれぬか…?」
突然の言葉に戸惑いながらも、義成は口を開く。
「―――あ奴は、俺が四・五歳の時に狭霧に来た…。俺の遊び役にと共に館で育った。…ずっと、お前を恨み、羽隆を憎む事によって…強くなっていったのだ…。幼い頃より俺を事あるごとに庇い、守ってくれた…。恐らく、お前に向けられる筈の愛情が…俺に向けられたのだろうな…」
…いや、あれが肉親愛だというのなら異状だ。明らかに〝愛〟だ、と翔隆は心の中で思う。
「俺が十八の時か…。奴は明朝に渡ると言って出ていった。三年間、向こうで修行をして……その地で、あの槍などを持ち帰ってきたようだ。その間に…俺はもう、義元にこの顔の傷を付けられて、追放されたから後は判らぬ。操られていた間は……余り覚えていない」
「そう、か。こんな時にごめん…ありがとう…」
「いや…」
覚えていないと言ったが、義成は自分が何をしたか、周りはどうであったか…全てはっきりと覚えていた。
〈…だが…お前には教えられぬ。許せ……〉
母を殺した憎い父、今川義元…。だが、尊敬しているのもまた事実…。
悔しいが、義元を慕う自分を否定出来ない。
そんな父の事を、信長の〝家臣〟である翔隆には言えない……。
いや、言う訳にはいかないのだ。
気まずそうにしながら、翔隆は静かに義成に話し掛ける。
「義成……楓姉さんなのだが…」
「……ん?」
翔隆は言いづらそうにしながらも喋る。
「その…斉藤道三様の養女として、今川に…」
「………そう、か」
それも、知っている…。あの屋敷の中で、会った事もある。だが敢えて言わずにいた。
「翔隆様…」
くいくいと禾巳が翔隆の裾を掴む。
「ん? どうした」
「………眠い…」
そう言い、寝ぼけ半分でふらふらしている。
「仕方ない奴だ…ほら」
翔隆はしゃがんで眠りそうな禾巳を背負って、また歩き出す。
その後ろ姿を見つめながら、拓須が苦笑した。
「どうしたのだ?」
睦月が不思議そうに拓須に問う。
「ん…いや、何でもない」
そう言って睦月の頭を抱え込む。
「…拓須はそればかりだ」
「――――ただ…この風も良いかな、と思ってな」
「拓須らしくない…」
そう言われると、拓須は更に苦笑する。
〈義成が戻ってくれて、本当に良かった……〉
翔隆はつくづく思った。まだまだ、自分には師匠が必要なのだ、と。
習いたい事が沢山ある。
それに何より、一番頼れるのは…信頼出来るのは、義成と睦月だから…。
居てくれるなら…許されるのなら、時折羽を休めて甘えたい。
〈とにかく、やらねば…。俺は強い〝長〟になると、皆に誓った。辛いやもしれんが、もう後には引けぬ。既に俺は道を決めたのだ……もう迷ってはいられない。いや、ならんのだ!〉
翔隆は固く心に言い聞かせ、深く刻み込んだ。
その決意がこれから先に起こる数々の嵐、困難、苦境に対して、崩れ去りはしないか……挫けぬか、否か……。
誰にも、先の事など分かろう筈もない…―――――。
冷え込んできた十一月。
高信達に礼を言って、義成が翔隆を背負って尾張に連れ帰る。
「翔隆、済まん…俺の…――」
「いいよ。…信じて、いたから…」
そう言って、翔隆は笑った。
三日掛かって尾張の小屋に帰ると、そこに拓須が出迎えていた。
義成はそっと翔隆を降ろしてやる。
翔隆はそのまま中に入っていくが、義成は拓須と向かい合う。
「礼を言う」
「何が、だ?」
「…翔隆の命、救ってくれたろう? …再生の術や蘇生、復活の術などお主にしか出来ぬ」
「……。それよりも、私は謝らねばならん」
「謝る?」
「お前の子を、死なせてしまった…昨日の昼、血を吐いて死んだ…。病だったのを…見抜けなかった」
「ま、待て! 俺の子とは一体―――」
「…楓の子だ。身に覚えがあるだろう?」
「……!」
「年は五つ。とても、お前に似た子だった…」
それを聞いて、義成は血相を変えて小屋に飛び込んだ。
小屋の中には睦月と見知らぬ子供、そして震えている翔隆が立っており――床には白い布を被されて寝かされている…見知らぬ我が子の姿……。
義成は戸惑いながら歩み寄り、布を取る。
「……名は?」
聞くと、泣きながら睦月が答える。
「ゆ…雪乃宮…! …済まないっ! わたしが……わたしがもっと早くに、気付いていれば…こんな事にはっ!!」
睦月は嗚咽で言葉を詰まらせながらも、義成に謝った。
義成は真顔で睦月の肩を叩く。
「いや、己を責めるな。…これが、この子の命運だったのだ…」
そう言い、義成はそっと雪乃宮の頬や額を撫でた。
…生きている内に、会いたかっただろうに…。
その時、ガラッと戸が開けられる。
振り向くと犬千代が立っていた。
「犬千代…!?」
「烏に案内してもらった。……誰かの葬儀であったか…これは、失礼を…」
犬千代はぺこりと頭を下げて、手を合わせる。
「拙者、前田又左衛門利家と申す。比度元服至した信長が小姓衆にござる。…失礼ながら、翔隆どのをお貸し願えまいか?」
翔隆は、おずおずと利家に近寄る。
「一体、どうしたのだ…?」
「どうもこうもない! 信光公が昨夜討たれたのだ!」
「え…!?」
「詳しくは後で話す故、早う殿の下へ。一月も出仕せぬ故、お苛立ちじゃ!」
「し、しかし…」
翔隆は困惑して義成を見た。すると義成は〝行け〟と目で語り、頷く。
「…済まない…」
「さ、早う!」
利家は一礼して出ると、慌てて馬に乗り駆け出す。翔隆もその後を追った。
城に着くまでに、これまでの事を大体聞いた。
一つは、めでたい事。
佐々内蔵助も元服し成政と改め、池田勝三郎も同じ頃に元服して恒興と名を改めた。
もう一つは信光の事…。
どうやら信光の正室と逢引きしていた坂井孫八郎に暗殺された、というのだが…。
無論、信長が差し向けた者ではない。
〈引っ掛かるな……。もしや、一族が……?〉
清洲城に着き本丸に行くと、
「おう! 待ち兼ねたぞ!」
と信長が笑顔で出迎えた。翔隆はすぐ様平伏する。
「申し訳ござりません!」
言い訳をしないのを見て、信長は頷く。
「…那古野が空になったのは、存じておろう」
「はっ。信光様もさぞ、ご無念で…」
「そこで、後詰めを誰にするか思案しておる。お主は、誰が良いと思う?」
これは、ここに居る者全員に聞いた事である。
森可成と池田恒興は十一歳の信長の弟を元服させてとの意見。
丹羽長秀は森可成を、前田利家は宿老の内藤勝介を。
塙直政と佐々成政はやはり信長の弟の三十郎信包を、とバラバラなのだ。
翔隆はしばらく考えてから、答える。
「…林佐渡守秀貞様が良いかと」
「ほう、故は!」
「佐渡守様は今でこそ達成様に荷担しておりますが、それは〝宿老〟の身に不満があっての事だと思います。那古野をお与えになれば、恐らく…少しは落ち着くかと。あの方は美作守様のような謀略に乗らなければ、礼節を重んじるお人故に…」
「いい所に気が付いたな。…考えておこう。大儀であった!」
そう言って立ち上がり、何処かへ行こうとしたので慌てて利家達がついて行こうとする。が、
「来るなッ!」
と一喝されてしまう。
「…濃姫様の下か。どうも殿は、いつ何処へ行くか分からぬ所がある故、困るなぁ…」
利家が溜め息を吐く。
ふと翔隆は皆に向かって頭を下げる。
「済まぬ…迷惑を掛けてしまって…」
「それを言うなら〝心配〟であろう? ここに居る我らは、よく存じておる故気に掛けるな」
可成がにこりと笑って言う。翔隆は申し訳なさそうに眉を寄せて苦笑する。
「…それと、遅れたが…利家、成政、そして恒興…元服おめでとう」
「かたじけない」
三人はぺこりと頭を下げた。
「しかし殿はころりと変わられる。先程まで苛立って膝を叩いておられたというのに、翔隆を見た途端笑顔になられた。…見目良いと、目の保養になるようじゃな」
直政が苦笑いして言うと、成政も頷く。
「ほんに。何年か前の犬千代も、保養になったしの」
「それは厭味か?!」
利家が怒鳴って成政に言うと、
「また喧嘩ごしになる! …成政も一人前の武士なのだから、もう童染みた真似はよさないか! 利家もだぞ!」
いつもの如く長秀に止められた。
そこに信長が戻ってきて、翔隆を見る。
「今まで何をしていた!」
今更怒って問う。
「はい。我が師を取り返しに行っておりました!」
「取り返す…?」
正直な答えだが、奇妙な言葉である。
翔隆は前に出て平伏する。
「…以前に申し上げました義成が、実は操られて敵に回ったと知り、その者を殺すべく駿河に行きました。その折、背を貫かれ生死を彷徨っていた為に長く掛かってしまいました。…申し訳、ございませぬ…!!」
「して、どうであった」
「はっ。無事、連れ戻す事が叶いました」
「そうか…」
信長は表情を和らげると、スッと立ち上がる。
「河へ行く。利家、長秀、恒興! ついて来いッ!」
「はっ!」
いつものように交替制で三人を連れ、信長は行ってしまう。
翔隆は掃除に取り掛かった。
夕刻になると、信長らが戻ってきて食事をした。
そして、やっと出仕が終えたので城を出た。
夕日の煌めく中、小屋に戻る。
「す、すまぬ……」
「始めよう」
拓須が言う。始める、とは埋葬の事だ。
翔隆と睦月そして禾巳が鍬を手に、義成が遺骸を運ぶ。
そして志木や弥生らを埋めた林に入り、その近くに穴を掘る。
「………っ」
翔隆は滲み出る涙をぐっと堪えて、義成を見た。
彼は夕暮れの中で眉を吊り上げ、地面を見つめている。その瞳に―――涙を、浮かべて…。
掘った穴に、雪乃宮をそっと中に入れる。
「…雪乃宮…済まぬ。父親らしい事を、何一つしてやれずに……。腑甲斐なき父を許せ…!」
義成はそう言って雪乃宮の冷たい頬を撫で、一筋の涙を流した。
そんな義成の肩を叩き、後ろに下がらせると翔隆が土を被せて墓標代わりの石を乗せた。
皆で、手を合わせ冥福を祈ると静かに、帰っていく。
その途中で、翔隆はこんな時に聞くものではないと思いながらも、義成に問い掛ける。
「義成…その…―――陽炎の事…知っている限り、教えてくれぬか…?」
突然の言葉に戸惑いながらも、義成は口を開く。
「―――あ奴は、俺が四・五歳の時に狭霧に来た…。俺の遊び役にと共に館で育った。…ずっと、お前を恨み、羽隆を憎む事によって…強くなっていったのだ…。幼い頃より俺を事あるごとに庇い、守ってくれた…。恐らく、お前に向けられる筈の愛情が…俺に向けられたのだろうな…」
…いや、あれが肉親愛だというのなら異状だ。明らかに〝愛〟だ、と翔隆は心の中で思う。
「俺が十八の時か…。奴は明朝に渡ると言って出ていった。三年間、向こうで修行をして……その地で、あの槍などを持ち帰ってきたようだ。その間に…俺はもう、義元にこの顔の傷を付けられて、追放されたから後は判らぬ。操られていた間は……余り覚えていない」
「そう、か。こんな時にごめん…ありがとう…」
「いや…」
覚えていないと言ったが、義成は自分が何をしたか、周りはどうであったか…全てはっきりと覚えていた。
〈…だが…お前には教えられぬ。許せ……〉
母を殺した憎い父、今川義元…。だが、尊敬しているのもまた事実…。
悔しいが、義元を慕う自分を否定出来ない。
そんな父の事を、信長の〝家臣〟である翔隆には言えない……。
いや、言う訳にはいかないのだ。
気まずそうにしながら、翔隆は静かに義成に話し掛ける。
「義成……楓姉さんなのだが…」
「……ん?」
翔隆は言いづらそうにしながらも喋る。
「その…斉藤道三様の養女として、今川に…」
「………そう、か」
それも、知っている…。あの屋敷の中で、会った事もある。だが敢えて言わずにいた。
「翔隆様…」
くいくいと禾巳が翔隆の裾を掴む。
「ん? どうした」
「………眠い…」
そう言い、寝ぼけ半分でふらふらしている。
「仕方ない奴だ…ほら」
翔隆はしゃがんで眠りそうな禾巳を背負って、また歩き出す。
その後ろ姿を見つめながら、拓須が苦笑した。
「どうしたのだ?」
睦月が不思議そうに拓須に問う。
「ん…いや、何でもない」
そう言って睦月の頭を抱え込む。
「…拓須はそればかりだ」
「――――ただ…この風も良いかな、と思ってな」
「拓須らしくない…」
そう言われると、拓須は更に苦笑する。
〈義成が戻ってくれて、本当に良かった……〉
翔隆はつくづく思った。まだまだ、自分には師匠が必要なのだ、と。
習いたい事が沢山ある。
それに何より、一番頼れるのは…信頼出来るのは、義成と睦月だから…。
居てくれるなら…許されるのなら、時折羽を休めて甘えたい。
〈とにかく、やらねば…。俺は強い〝長〟になると、皆に誓った。辛いやもしれんが、もう後には引けぬ。既に俺は道を決めたのだ……もう迷ってはいられない。いや、ならんのだ!〉
翔隆は固く心に言い聞かせ、深く刻み込んだ。
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