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五章 流浪
二.解任〔二〕
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翔隆は二つの文を作り、皆を見る。
義成達や、侍女達も遠巻きに見ている。
「…一成」
「はい」
「この文を持ち、越後の春日山城へ向かえ。私の代わりに、お前がお仕えしてくれ。…いいか?」
「はい」
一成は恭しく一礼して、それを受け取った。
「待って! 正気なの?!」
弓香(十九歳)が叫ぶ。
すると、似推里はニコリとして頷く。
「本気よ。これが、私の決意……悔いない為にも!」
「似推里………」
弓香は何も言えずに、忌那蒼司(二十二歳)と共に似推里に続いた。
カチャカチャと音がして、翔隆は渡り廊を見る。するとそこには何処から出してきたか、具足姿の似推里が立っていた。
「似推里…!」
一同が唖然とする中、似推里は何も言わずに座敷に上がって座ると平伏した。
翔隆は混乱気味に聞く。
「ど、どうしたのだ…?」
「翔隆……私を、武田に行かせて下さい」
「?! な…何を……」
「私も、一人の武士です。ずっと義成さまに刀術と体術を習い、日々精進したつもりです」
「駄目だ! いくら一対一の戦いで優れていようと、戦とは訳が違うのだ! それに、何故武田家に行く必要がある! ここにいても、お前達には何の咎も無いのだ!」
「いいえ!」
否定してから、似推里は強い眼差しで翔隆を見つめた。
「私も一人の武士です。そして、情や愛だけでは生きられない女です。…別の場所で、あなたと共に…同じ道を歩みたいの!」
そう強く、はっきりと言う。
これまで、修行や修練を積んできたものの、似推里が翔隆と共に戦える事は皆無……。
こんなにも近くに居るというのに、何も出来ない己が歯痒くてならなかった。
だからこそ考えに考えた結果、翔隆が〝二番目〟に選んだ武田に仕えて、別の方法で同じ志を持って生きていきたい、と言っているのだ。
〈似推里…!〉
翔隆はそんな似推里の心を感じ取り、いじらしく、愛しく思う。
尚更、手放したくないという思いが溢れるが、一人の剣客となった似推里を、引き止める術が見つからない…。
「……分かった」
そう言い翔隆は文机に向かい、もう一つ文を書くと、武田家宛の文に添えて似推里に渡す。
「…気を付けて、行くといい。甲斐の冬は厳しい………樟美は、私がきちんと育てるから…」
「ありがとう…!」
似推里はボロボロと涙を流して、深く頭を下げた。
そんな似推里を、翔隆はそっと包むように抱く。
…ここを出てしまったら、二度と…愛し合う事は出来なくなる…。
そっと手を離すと、似推里は涙を拭う。
「…きちんと、支度をします」
そう言い、似推里は行ってしまう。それを見送り、義成が尋ねる。
「もしやと思うが…子供達を連れて行く気か?」
「うむ」
何のためらいもなく答えると、篠姫が仰天して言う。
「殿、何を考えて…正気ですか! そのような危険な旅に、この愛し子達を連れて行くなどと…」
「これも修行になるだろう。見聞を広めるのにも良い…。私自身、一人よりは誰かを連れて行った方がいいと思うのだが………」
「なれば忠長どのや、雪孝どのとておられましょう!」
「…我が子には、強くなってもらわねば困るのだ」
「ですが…!」
「篠………私が解任となれば、奴らはこの邸を狙って来るやもしれん。お前も、狙われる可能性が高いのだ。だから…」
「嫌じゃっ!」
話の途中で篠姫が叫んだ。
聞かずとも、翔隆が何を言わんとしているのかが、分かったのだ。
「わらわはここにおりまする!」
「しかし…」
「実家へ去ねと申されるのならば、篠は斎藤家へ参りまする! 龍興どのは、わらわを温かく迎えてくれましょうぞ! 質として! そして父上に交渉なさりましょう! それでも、良いと申されるのでしたら、篠はおとなしく参りましょう!」
「………………」
何と、気性が激しい切れ者なのであろうか。似推里といい、篠姫といい、翔隆を強く愛するが故に、各々そういう事を言うのだという事が、よく分かった…。
翔隆が黙ると、篠姫はにこりと微笑む。
「夫の留守を守るのが、妻たるわらわの務めにございまする。百や二百の狭霧が攻めてこようとも、わらわが守ってみせまする!」
それを聞き、翔隆は苦笑する。
「ありがとう、篠……。義成、睦月、拓須…留守の間、邸を頼む」
翔隆は三人の師匠に向き直り、深く一礼した。
「何も案ずるな」
「家臣達もきちんと指導する」
義成と睦月が答える。
「俺達は連れて行ってもらえないのですかっ?!」
忠長が言うと、翔隆は首を横に振る。
「蒼司には武田に行ってもらう。そして………この間の、弓栩羅や他の強者が、いつこちらに来るか分からぬ。お前と光征、雪孝や疾風達には居てもらわねば困るのだ。…言っている意味が、分かるな?」
そう聞くと、皆コクリと頷く。
「…皆、尾張・美濃も含めて守ってくれ。頼んだぞ」
「…はっ!」
侍女達の間では、具足を脱いだ似推里が旅支度をしていた。
側には、弓香と葵と鹿奈がいる。
「本当に、武田に行くの?」
「何故、具足を…」
葵と鹿奈が聞くと、似推里は微笑する。
「…翔隆は、きちんと分かってくれたみたいなの…ほら」
そう言い似推里は添えられた方の文を、仲間に見せる。
そこには、〝苗字は菱沼諱は伊織、女子ですが我が腹心です。是非にと申すので、何卒男としてお小姓衆にお加え下さりますよう、お願い申し上げ候〟とある。
そして、字は付けてやって欲しい、と…。
女ではなく男として生きる道を、翔隆はきちんと理解して書いたのだ。
それを見て弓香が泣き出す。
「…そんな……そんなの嫌っ!」
「弓香…」
「嫌よ! 幸せに……似推里姉様には、幸せになって欲しいの! 甲斐の…しかも小姓だなんて…」
弓香が嗚咽を漏らすと、蒼司がやってきた。
「……似推里殿と殿の決められた道…それで、良いのですね?」
「ええ。織田には無理だから…晴信公に決めたの。言ったでしょう? 共に戦いたい、と」
似推里の晴れやかな笑顔を見て、蒼司も微笑む。
「…ほんに…女人にしておくには、もったいないお方ですな」
「似推里……もう会えないかもしれないのね…」
葵が言い、鹿奈と二人で泣く。
他家へ仕えるという事は、二度と会えなくなるという事でもある…。
その夜、翔隆の邸では別れの宴が開かれた。
賑やかに努めようとする家臣達を微笑ましく見る翔隆…。
そんな翔隆を見て、睦月は微笑した。
〈成長したな…〉
そう思い、翔隆に近寄る。
「…一族を、説き伏せるのだな?」
「うむ…」
「無茶はするな…というて聞くお前ではあるまい。約束を、してもらおう」
「約束?」
「その道中、《術》を使うのを禁ずる」
「えっ……む、睦月…それは」
「それから、物事を外見で判断する悪い癖がある。目隠しをしていなさい」
「ぇえっ!」
それには、さすがに家臣達も驚く。
そして、酌をしていた光征が睦月に近付く。
「お師匠様、それはいくら何でも…」
「…厳しい、か? 《力》など使わなくても、翔隆は十分に強い。並の一族相手ならば、躱せよう」
「しかし、いつ何があるか…」
「それしきで恐れるようでは、頑なな一族を説き伏せるなどと、到底無理だ」
一言、今まで黙していた拓須が言う。
すると、義成も頷く。
「〝気〟で感じれば良いのだ。強い者のいる場所へ、行かねばいい事」
それはそうだが…三人の師匠に言われてしまってはどうしようもない。
翔隆は苦笑して頷いた。
夜更け…。
しんしんと冷たい雪が降ってきている。
その寒い中で、家臣達は屋根に集まっていた。
「…いつ、解任が解けるのだろうか…」
ふいに雪孝が言う。
誰も、何も言えない…ただ単に、過ちを犯しただけという訳ではない。
内密で他家に仕え、信長を激怒させてしまった以上は、勘気が解かれるか…功を立てるかしか、道がない。
いや、逆鱗に触れてしまったのだから、再士官などと無理なのではないか?
…誰もが、思った。
それぞれに、別の方向を見つめながら、〝明日〟を思う。
「何があろうとも、翔隆様は…織田信長に仕えようとするのでしょうね」
蒼司が言う。
「…武田や上杉では、駄目なんだろ…」
続いて忠長が言った。何故、駄目なのかなどと…愚問だ。
惚れた主君なればこそ、こうして従う。
それは、ここに居る皆も同じだから、だ。
皆は、雪を払って向かい合う。
「我らは翔隆様が臣」
一成が言い、刀を抜く。
「惚れた主だからこそ!」
忠長が言い、光る剣を《術》で作り出し、刀に重ねる。
「何があろうとも、付き従う」
蒼司が《炎の剣》を作って、刀と《光る剣》にまた重ねる。
「終生の忠誠を誓う者として」
雪孝が短刀を抜いて、刀と《光る剣》と《炎の剣》に重ねる。
そして光征が刀を抜き、皆の武器の上に重ね合わせた。
「志は、共に!」
その五本の剣の上に、異国の曲刀が重ねられた。
「この命賭しても!」
見ると、疾風がいた。
皆は微笑して、それぞれに剣を弾いて、収める。
誰も何も言わなくとも、翔隆を想う気持ちは一つ。
…仲間として、固い絆を結ぶ儀式のように…自然にそうしていた。
翌日は、雪が降り積もり寒かった。
「では、行って参ります」
支度をした一成が、早くに上杉家へ向かう。そして、翔隆と抱き合い、別れをした似推里は、具足姿で白馬の〝雪丈〟にまたがる。
腰には、義成から戴いた二尺三寸の刀を帯びて…。
「気を、付けてな…」
「お達者で…」
目を潤ませて、似推里は馬を走らせた。
それを見送り、翔隆は今後の任務を皆に振り分けてから、樟美と浅葱に旅支度をさせる。
…鹿奈はもう臨月。弓香も、篠も二人目の子を身籠もっている…。
〈こんな時に、出なければならんとは…〉
家臣達と侍女達が心配だ。
何より………似推里とこんな形で別れたくはなかった…。
「父上…」
そんな翔隆を、樟美が心配げに見上げる。
「…何でもない。二人共、刀は持ったか?」
「はい」
「よし、先に行って〝影疾〟に乗っていなさい」
そう言うと、浅葱は拓須に瞳を《力》で黒くしてもらい、樟美と共に外に出た。
翔隆は今後の事で書き漏らしがないか調べてから、邸を出る。
髪を黒く染めて、《力》で目を黒くしてから陣笠を被り、子らの乗る馬の下へ行く。
その馬は、一成を救い出した時に上杉景虎から戴いた立派な黒毛の馬だった。
翔隆の姿に、ふと篠姫は違和感を覚えて尋ねる。
「殿、刀は?」
「無い。…信長様の下へ勝手に預けてきた」
「刀なればいくらでも…」
そう言う篠姫を抱き締めると、翔隆は申し訳なさで眉を顰めて目を瞑る。
「…済まぬ………頼むぞ」
「心得ておりまする。胸を張って、行ってらっしゃいませ!」
「………ん」
あくまでも泣き言を言わない篠姫を、翔隆は心強く思った。
そっと頬に口付けして篠を離すと、軽く手を振って影疾の轡を取り、歩き出す。
天からこぼれ落ちてくる雪が、心身ともに染み入る。
城下町の出入り口に差しかかった時、翔隆は信じられない光景を見た。
そこに、大事な友達が見送りに立っていたのだ。
いや、それだけではない…もう二度と会えぬと思っていた主君・信長が愛馬〝むら雲〟にまたがり、あたかも〝雪見〟をしているかのように振る舞っているではないか!
〈………っ!〉
誰かが信長を〝雪見物〟という口実で連れてきたのであろう…。
森可成、前田利家や丹羽長秀、佐々成政達が、翔隆には気付かぬ振りをしている…。
翔隆は、そんな仲間達に深く一礼して、声を殺して泣いた…。
可成や勝家らが、微かに頷く。
その皆の姿を、信長の姿を胸に焼き付けて、翔隆は雪の中を歩いていった…。
義成達や、侍女達も遠巻きに見ている。
「…一成」
「はい」
「この文を持ち、越後の春日山城へ向かえ。私の代わりに、お前がお仕えしてくれ。…いいか?」
「はい」
一成は恭しく一礼して、それを受け取った。
「待って! 正気なの?!」
弓香(十九歳)が叫ぶ。
すると、似推里はニコリとして頷く。
「本気よ。これが、私の決意……悔いない為にも!」
「似推里………」
弓香は何も言えずに、忌那蒼司(二十二歳)と共に似推里に続いた。
カチャカチャと音がして、翔隆は渡り廊を見る。するとそこには何処から出してきたか、具足姿の似推里が立っていた。
「似推里…!」
一同が唖然とする中、似推里は何も言わずに座敷に上がって座ると平伏した。
翔隆は混乱気味に聞く。
「ど、どうしたのだ…?」
「翔隆……私を、武田に行かせて下さい」
「?! な…何を……」
「私も、一人の武士です。ずっと義成さまに刀術と体術を習い、日々精進したつもりです」
「駄目だ! いくら一対一の戦いで優れていようと、戦とは訳が違うのだ! それに、何故武田家に行く必要がある! ここにいても、お前達には何の咎も無いのだ!」
「いいえ!」
否定してから、似推里は強い眼差しで翔隆を見つめた。
「私も一人の武士です。そして、情や愛だけでは生きられない女です。…別の場所で、あなたと共に…同じ道を歩みたいの!」
そう強く、はっきりと言う。
これまで、修行や修練を積んできたものの、似推里が翔隆と共に戦える事は皆無……。
こんなにも近くに居るというのに、何も出来ない己が歯痒くてならなかった。
だからこそ考えに考えた結果、翔隆が〝二番目〟に選んだ武田に仕えて、別の方法で同じ志を持って生きていきたい、と言っているのだ。
〈似推里…!〉
翔隆はそんな似推里の心を感じ取り、いじらしく、愛しく思う。
尚更、手放したくないという思いが溢れるが、一人の剣客となった似推里を、引き止める術が見つからない…。
「……分かった」
そう言い翔隆は文机に向かい、もう一つ文を書くと、武田家宛の文に添えて似推里に渡す。
「…気を付けて、行くといい。甲斐の冬は厳しい………樟美は、私がきちんと育てるから…」
「ありがとう…!」
似推里はボロボロと涙を流して、深く頭を下げた。
そんな似推里を、翔隆はそっと包むように抱く。
…ここを出てしまったら、二度と…愛し合う事は出来なくなる…。
そっと手を離すと、似推里は涙を拭う。
「…きちんと、支度をします」
そう言い、似推里は行ってしまう。それを見送り、義成が尋ねる。
「もしやと思うが…子供達を連れて行く気か?」
「うむ」
何のためらいもなく答えると、篠姫が仰天して言う。
「殿、何を考えて…正気ですか! そのような危険な旅に、この愛し子達を連れて行くなどと…」
「これも修行になるだろう。見聞を広めるのにも良い…。私自身、一人よりは誰かを連れて行った方がいいと思うのだが………」
「なれば忠長どのや、雪孝どのとておられましょう!」
「…我が子には、強くなってもらわねば困るのだ」
「ですが…!」
「篠………私が解任となれば、奴らはこの邸を狙って来るやもしれん。お前も、狙われる可能性が高いのだ。だから…」
「嫌じゃっ!」
話の途中で篠姫が叫んだ。
聞かずとも、翔隆が何を言わんとしているのかが、分かったのだ。
「わらわはここにおりまする!」
「しかし…」
「実家へ去ねと申されるのならば、篠は斎藤家へ参りまする! 龍興どのは、わらわを温かく迎えてくれましょうぞ! 質として! そして父上に交渉なさりましょう! それでも、良いと申されるのでしたら、篠はおとなしく参りましょう!」
「………………」
何と、気性が激しい切れ者なのであろうか。似推里といい、篠姫といい、翔隆を強く愛するが故に、各々そういう事を言うのだという事が、よく分かった…。
翔隆が黙ると、篠姫はにこりと微笑む。
「夫の留守を守るのが、妻たるわらわの務めにございまする。百や二百の狭霧が攻めてこようとも、わらわが守ってみせまする!」
それを聞き、翔隆は苦笑する。
「ありがとう、篠……。義成、睦月、拓須…留守の間、邸を頼む」
翔隆は三人の師匠に向き直り、深く一礼した。
「何も案ずるな」
「家臣達もきちんと指導する」
義成と睦月が答える。
「俺達は連れて行ってもらえないのですかっ?!」
忠長が言うと、翔隆は首を横に振る。
「蒼司には武田に行ってもらう。そして………この間の、弓栩羅や他の強者が、いつこちらに来るか分からぬ。お前と光征、雪孝や疾風達には居てもらわねば困るのだ。…言っている意味が、分かるな?」
そう聞くと、皆コクリと頷く。
「…皆、尾張・美濃も含めて守ってくれ。頼んだぞ」
「…はっ!」
侍女達の間では、具足を脱いだ似推里が旅支度をしていた。
側には、弓香と葵と鹿奈がいる。
「本当に、武田に行くの?」
「何故、具足を…」
葵と鹿奈が聞くと、似推里は微笑する。
「…翔隆は、きちんと分かってくれたみたいなの…ほら」
そう言い似推里は添えられた方の文を、仲間に見せる。
そこには、〝苗字は菱沼諱は伊織、女子ですが我が腹心です。是非にと申すので、何卒男としてお小姓衆にお加え下さりますよう、お願い申し上げ候〟とある。
そして、字は付けてやって欲しい、と…。
女ではなく男として生きる道を、翔隆はきちんと理解して書いたのだ。
それを見て弓香が泣き出す。
「…そんな……そんなの嫌っ!」
「弓香…」
「嫌よ! 幸せに……似推里姉様には、幸せになって欲しいの! 甲斐の…しかも小姓だなんて…」
弓香が嗚咽を漏らすと、蒼司がやってきた。
「……似推里殿と殿の決められた道…それで、良いのですね?」
「ええ。織田には無理だから…晴信公に決めたの。言ったでしょう? 共に戦いたい、と」
似推里の晴れやかな笑顔を見て、蒼司も微笑む。
「…ほんに…女人にしておくには、もったいないお方ですな」
「似推里……もう会えないかもしれないのね…」
葵が言い、鹿奈と二人で泣く。
他家へ仕えるという事は、二度と会えなくなるという事でもある…。
その夜、翔隆の邸では別れの宴が開かれた。
賑やかに努めようとする家臣達を微笑ましく見る翔隆…。
そんな翔隆を見て、睦月は微笑した。
〈成長したな…〉
そう思い、翔隆に近寄る。
「…一族を、説き伏せるのだな?」
「うむ…」
「無茶はするな…というて聞くお前ではあるまい。約束を、してもらおう」
「約束?」
「その道中、《術》を使うのを禁ずる」
「えっ……む、睦月…それは」
「それから、物事を外見で判断する悪い癖がある。目隠しをしていなさい」
「ぇえっ!」
それには、さすがに家臣達も驚く。
そして、酌をしていた光征が睦月に近付く。
「お師匠様、それはいくら何でも…」
「…厳しい、か? 《力》など使わなくても、翔隆は十分に強い。並の一族相手ならば、躱せよう」
「しかし、いつ何があるか…」
「それしきで恐れるようでは、頑なな一族を説き伏せるなどと、到底無理だ」
一言、今まで黙していた拓須が言う。
すると、義成も頷く。
「〝気〟で感じれば良いのだ。強い者のいる場所へ、行かねばいい事」
それはそうだが…三人の師匠に言われてしまってはどうしようもない。
翔隆は苦笑して頷いた。
夜更け…。
しんしんと冷たい雪が降ってきている。
その寒い中で、家臣達は屋根に集まっていた。
「…いつ、解任が解けるのだろうか…」
ふいに雪孝が言う。
誰も、何も言えない…ただ単に、過ちを犯しただけという訳ではない。
内密で他家に仕え、信長を激怒させてしまった以上は、勘気が解かれるか…功を立てるかしか、道がない。
いや、逆鱗に触れてしまったのだから、再士官などと無理なのではないか?
…誰もが、思った。
それぞれに、別の方向を見つめながら、〝明日〟を思う。
「何があろうとも、翔隆様は…織田信長に仕えようとするのでしょうね」
蒼司が言う。
「…武田や上杉では、駄目なんだろ…」
続いて忠長が言った。何故、駄目なのかなどと…愚問だ。
惚れた主君なればこそ、こうして従う。
それは、ここに居る皆も同じだから、だ。
皆は、雪を払って向かい合う。
「我らは翔隆様が臣」
一成が言い、刀を抜く。
「惚れた主だからこそ!」
忠長が言い、光る剣を《術》で作り出し、刀に重ねる。
「何があろうとも、付き従う」
蒼司が《炎の剣》を作って、刀と《光る剣》にまた重ねる。
「終生の忠誠を誓う者として」
雪孝が短刀を抜いて、刀と《光る剣》と《炎の剣》に重ねる。
そして光征が刀を抜き、皆の武器の上に重ね合わせた。
「志は、共に!」
その五本の剣の上に、異国の曲刀が重ねられた。
「この命賭しても!」
見ると、疾風がいた。
皆は微笑して、それぞれに剣を弾いて、収める。
誰も何も言わなくとも、翔隆を想う気持ちは一つ。
…仲間として、固い絆を結ぶ儀式のように…自然にそうしていた。
翌日は、雪が降り積もり寒かった。
「では、行って参ります」
支度をした一成が、早くに上杉家へ向かう。そして、翔隆と抱き合い、別れをした似推里は、具足姿で白馬の〝雪丈〟にまたがる。
腰には、義成から戴いた二尺三寸の刀を帯びて…。
「気を、付けてな…」
「お達者で…」
目を潤ませて、似推里は馬を走らせた。
それを見送り、翔隆は今後の任務を皆に振り分けてから、樟美と浅葱に旅支度をさせる。
…鹿奈はもう臨月。弓香も、篠も二人目の子を身籠もっている…。
〈こんな時に、出なければならんとは…〉
家臣達と侍女達が心配だ。
何より………似推里とこんな形で別れたくはなかった…。
「父上…」
そんな翔隆を、樟美が心配げに見上げる。
「…何でもない。二人共、刀は持ったか?」
「はい」
「よし、先に行って〝影疾〟に乗っていなさい」
そう言うと、浅葱は拓須に瞳を《力》で黒くしてもらい、樟美と共に外に出た。
翔隆は今後の事で書き漏らしがないか調べてから、邸を出る。
髪を黒く染めて、《力》で目を黒くしてから陣笠を被り、子らの乗る馬の下へ行く。
その馬は、一成を救い出した時に上杉景虎から戴いた立派な黒毛の馬だった。
翔隆の姿に、ふと篠姫は違和感を覚えて尋ねる。
「殿、刀は?」
「無い。…信長様の下へ勝手に預けてきた」
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そう言う篠姫を抱き締めると、翔隆は申し訳なさで眉を顰めて目を瞑る。
「…済まぬ………頼むぞ」
「心得ておりまする。胸を張って、行ってらっしゃいませ!」
「………ん」
あくまでも泣き言を言わない篠姫を、翔隆は心強く思った。
そっと頬に口付けして篠を離すと、軽く手を振って影疾の轡を取り、歩き出す。
天からこぼれ落ちてくる雪が、心身ともに染み入る。
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いや、それだけではない…もう二度と会えぬと思っていた主君・信長が愛馬〝むら雲〟にまたがり、あたかも〝雪見〟をしているかのように振る舞っているではないか!
〈………っ!〉
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秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
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