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五章 流浪
四.接触
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邸に招かれると、翔隆は樟美と浅葱と共に夕餉を御馳走になった。
「ととさま、食べさせてあげる」
浅葱が笑って箸を上手に使い、膳の上の鰯の身を取って、翔隆の口元へ寄せた。
「…ん…」
「おいしい?」
口に入れた途端に聞くので、思わず笑ってしまう。
「ああ、美味しいよ」
「はい、ごはんも」
見ていると、浅葱は次から次へ食べさせていくので、孫市が笑い出した。
「それでは父御が喉に詰まらせてしまうぞ?」
言われてから気付いたのか、浅葱はお茶を持って翔隆の口元に寄せた。
「はい、ととさま」
「あ、ありがとう。私はいいから、浅葱も食べなさい。こんな御馳走を用意して下さったのだから」
「はーい」
返事をして、浅葱は用意された膳の前に座って、食べ始める。
「白飯など…高価ではありませんか?」
「また気を遣うのか……士気を高めてくれた礼なのだから、遠慮はしないでくれ」
「………ありがとう存じます」
翔隆は一礼して、にこりと微笑んだ。
それを見て微笑むと、孫市は近寄って盃を渡す。
「酒は飲めぬか?」
「いえ、飲めますが…」
さすがに孫市にもその言葉の続きが分かって、酒を注いだ。
「慎み深いというのか、それとも疑っているのか?」
「えっ? 疑うとは何を……」
戸惑いの言葉に、孫市と樟美が吹き出した。
「…父上、毒を盛られるかと疑っているのか、と尋ねられたのですよ」
「あ、えっ?! そんな滅相もない…」
翔隆がうろたえると、侍女達も含めた全員が笑った。
「ち、馳走になります…」
翔隆は恥ずかしさに顔を赤らめながら、酒を戴いた。
子供二人を侍女が寝かしつけてくれたので、翔隆は孫市と二人、盃を酌み交わしていた。
「堺で、なんの仕事をしようと思っていたのだ?」
「あ………その………考えていなくて…」
「あっはっはは! 豪胆な事よ!」
何だか今日は、恥ずかしい事だらけだ。
翔隆は苦笑して、首を傾ける。
「…どこまで、旅をするのだ?」
「え……」
どこまで……そう聞かれると困る。
この日の本中を歩こうとしていると言ったら笑われそうだ。
「何だ、これといって決めてはいないのか?」
「…はい」
「お主程の男ならば、目が見えずとも士官先は幾らでもあろうに…。……もしや、それも考えていなかったのか?」
翔隆は、少し間を空けてから頷いた。
すると孫市はただ苦笑する。
「…お主の性質なのだろうな」
「え…?」
「…深い事は聞かないが……その、元の主に再士官する為に、見聞を広める旅に出たのではないか?」
当たっている…。翔隆は何も言わずにいた。すると、孫市は話し続ける。
「…この辺りも物騒でな。豪族以外にも、物の怪がいるという噂が絶えん」
「物の怪…」
「うむ。人の形をしていて、髪や目の色が恐ろしいと聞く。森や山の奥に住みついているというが…我らには害がないし………鷹匠か樵やもしれぬし……」
「……この辺りに、いるのですか…?」
「ああ、心配はいらん! 何をしてきたという事は一度も無いしな」
「そうですか……」
どうやら、両族のどちらかがこの辺りにいるらしい…。
頭領は……誰であったか?
翌日。
朝餉も馳走になり、また同じ仕事をくれた。
昨日の分の給金は朝早くに戴いて、五十文もあった。それでも十分なのだが、この先仕事が見つかる保証は無いと言って、また働かせてくれたのだ。
翔隆は手際よく弾込めをしながら、ずっと一族の〝気〟を探っていた。
〈…ここの頭領は確か……宮内に…八尋……だったな〉
そう考えていると、訓練をしている者から話し掛けられた。
「目が見えぬのに、よく働くな」
「えっ? あ…いえ、お仕事を戴けるだけでも、ありがたいです」
微笑んで答えると、他の者達もやってきて話す。
「口薬の量がちょうど良くてな、的を割れるようになったわ」
「そうですか…」
翔隆は微笑みながらも、何挺も弾込めしていく。
「この口薬と胴薬の量で、撃ち損じもあってなぁ」
「種子島は肩にこたえてな」
「…でしたら、撃つ瞬間に支えとしている肩を、少し後ろにずらすといいですよ」
そう言い翔隆は構えて身振りでやってみせた。
「ほおお!」
「しかし、狙いがずれそうだな」
と雑談をしている所に、孫市がやってくる。
「…弾込めを待っているのか? それとも仕事の邪魔をしているのか?」
「すいません!」
言われてそそくさと何人かが散っていった。…今、何人いたのだろう?
「…お主は、武器の扱いだけではなく、人の扱いも巧そうだな」
「いえ、そんな事は…」
「今、お主の周りに何人いたと思う?」
「え……さあ……」
「全員、だ」
「えっ?」
「呆れた事に、撃つのも忘れて話しに夢中になっておった」
笑って孫市が言う。
…どうりで、話している間に銃声が聞こえなかった訳だ。翔隆は苦笑する。
「皆様、訓練でお疲れなのでしょう。こんな時は、書でも読まれるのが宜しいですよ」
「書か……」
ふむ、と唸って孫市は腕を組む。
「あっ! 差し出がましい事を、申し訳ございません…」
「いや、いい。書といっても何がいいか……どんな物が気晴らしになると思う?」
「……そうですね…。孟子や論語も良いかもしれませんが、たまには徒然草や枕草子のような物も、良いかもしれませぬよ」
翔隆は微笑したまま言い、仕事をする。
すると、孫市は感心しながら翔隆を見つめる。
「………お主、偉い大名にでも仕えていたのか…?」
突然の言葉に翔隆はドキッと驚くが、平静を保つ。
「…ただ、書物が好きなだけですよ」
笑って答えた。
するとそこに、樟美がやってきた。
「おお、坊、どうした?」
「わたしも手伝って良いでしょうか? 父の仕事を、覚えたいのです」
樟美は真面目に孫市に言う。…助け船を出してくれたのだろう。
「気を付けてな」
それに頷くと、樟美は翔隆の側で仕事を手伝い始めた。
「口薬などは危ないから、扱いには気を付けろ」
「もう孫市さまに言われました」
そう言い、樟美は見て覚えたやり方を丁寧に実行に移す。
翔隆はただ苦笑した。
火縄銃を抱えながら、樟美は心で父に話し掛ける。
〈父上、先程…森の陰から誰かが覗いていました〉
「!」
〈ちらりと見えたのは黒髪……狭霧は、どんな時も髪の色を染めたりしませんよね?〉
⦅うむ…不知火だろうな⦆
翔隆も《思考派》でそれに答えながら、弾込めをする。
〈……どうするか………。こちらの〝気〟で感付いたので様子を見に来たのか…〉
だとしたら、頭領に知らせに行ったのだろう。接触を図る好機だ。
だが、今は孫市に世話になっている身……。
夜中にこっそりと行くか、ここを出た時に行くしかない。
⦅今は、こちらも様子を窺おう⦆
〈はい〉
答えて、樟美は黙々と作業に集中した。
樟美の行動に耳を傾けながら、翔隆はふと手を止める。
「…樟美、薬の量が違う」
「あ、すみません」
「口薬の量が多過ぎると暴発を起こす。気を付けろ」
「はい」
樟美は叱られても落ち込む事もなく、作業を続けた。
〈…樟美はしっかりしているな…嫡子であれば、とても頼もしい……〉
思って、翔隆は手を止めた。
父も、そんな事を思っただろうか?
いや…志木なら思うまい。
立派な嫡子となると信じてくれていただろう。
そう考え苦笑すると、樟美が話し掛ける。
「父上、どうかしましたか?」
「い、いや…」
更に苦笑して答え、翔隆は作業を再開した。
その夜も、孫市の邸に泊めてもらった。
さすがにこれ以上の長居は、申し訳ないだろう。そう考え、明日発つ事にした。
朝餉の後にそれを話すと、孫市は残念そうな顔をして言う。
「そうか…行くか」
「はい」
「では、昨日の賃銀だ」
そう言って孫市が渡してきた袋は、ズシリと重かった。
「…孫市殿……これは…」
「何も言わずに受け取れ。皆も自信を付けたようだし、楽しんでいた……その礼だ」
「…あ……」
一瞬戸惑った後、翔隆は微笑んで頷く。
「ありがとう、ございます…」
「道中、気を付けてな」
「はい」
微笑んで言い、翔隆は浅葱と樟美の乗る影疾の轡を取って歩き出した。
翔隆は貰った銭袋を樟美に渡す。
「幾ら入っている?」
聞かれて袋を開けて、樟美は驚いて言葉を失う。中には銭と金の塊が幾つか交ざっていたのだ。
「父上…」
「……銭はしまっておけ」
急に翔隆が馬を止めて言う。
気が付くと、周りを一族に囲まれていた…。
「何をしに来た!」
突然その中の一人に言われる。翔隆は冷静に答える。
「宮内殿か八尋殿はいるか?」
そう言うと、皆一斉に刀を抜いて切っ先を向けてきた。
「貴様、頭に何の用じゃ!」
「説得に来た」
「なにぃ?!」
…普通の反応だろう。
何故、こうも馬鹿が付く程に正直に答えるのか…。
樟美は馬上で短刀を持ちながら、溜め息を吐いていた。
それでも翔隆は我を貫く。
「争う気は無いのだ…。我が名は翔隆。不知火が嫡子だ。…頭領は何処か、教えて欲しい」
陣笠と包帯を取って、ぺこりと頭を下げて言うと、周りはザワザワとし始める。
無理も無い……嫡子と名乗っておきながら頭を下げるなどと、考えられないからだ。
その内に、一人が前に出て来た。
「…話には聞いている。私が八尋だ。…説得の真意を問いたい」
八尋が静かに尋ねると、翔隆は苦笑した。
「話をする前に、何処か人目に付かぬ所に行かせて貰えるか? ここでは誰かが通るであろう?」
確かに、ここはただの林道…。
人間が通る場所だ。
「分かった。付いてくるといい」
そう言い、八尋は猟師に扮する一族を引き連れ歩き出した。
来た所は、うっそうと生い茂る雑木林の中…。
小屋が、点々とある。間違いなく集落だ。
その中の一つの小屋に案内されて、翔隆は影疾を繋いで樟美と浅葱を連れて中に入る。
そこに、もう一人の頭領である宮内が待っていた。
「…座られよ」
言われるまま座ると、八尋は宮内の隣りに座った。すると宮内が口を開く。
「掟破りの嫡男が、一体紀伊に何用で参られたのか」
「各地の頭領を説得し、一致団結する為に参った」
「団結………」
「我らは結束しておるわ!」
八尋が言うと、年上であろう宮内がそれを制して話を続ける。
「いかにして、一致団結させるというのだ?」
そう聞かれると、翔隆は真顔で二人を見つめた。
「この戦を乗り切るには、各地でバラバラに戦っていては駄目なのだ。奴らは強い………将一人一人が何らかの目的を持って戦っているのだ」
「我らは目的が無いとでも?」
「いや。狭霧を滅する事………それを目的として戦っているのであろう?」
「そうだ」
「それでは、駄目なのだ」
「?!」
「ただ相手を滅ぼそうとして戦っていては、何処かに綻びが生じる…。紀伊は紀伊、尾張は尾張で片を付けよう、としていては駄目なのだ。この意味は、分かる筈だ」
翔隆が言うと、二人は黙り込む。
言いたい事は分かる………全国で結束し、時に援軍を出して戦った方がいいに決まっている。
しかし、羽隆が追放となった後から、紀伊を必死で守ってきた意地もある。
いきなり現れた嫡子に、この苦労が分かろう筈もない。
そう思っていると、また翔隆が喋り出す。
「私には、貴方方の苦労や努力は分からない。だが、それらを無下にするような真似はしない! 皆の力あってこその私なのだ。私一人では、何度戦ったとて勝てはしない。竹中や高信、凪間や上泉達の力添えがなくば、戦には勝てない。そして、貴方方の力も、必要なのだ」
真剣な眼差しで、訴えるように言う。
その言葉は、宮内と八尋の心に充分響いていた。
宮内は頷いて翔隆を見る。
「分かった」
「宮内殿!」
「ただの坊やかと思っていたが、覚悟はあるようだな。…認めてやろう。良かろう? 八尋」
宮内が聞くと、八尋は静かに頷いた。
「認めはするが……力が無いと判断した場合は…」
「無論、見離して構わない」
言われる前に言うと、宮内はフッと笑って右手を前に出した。
「よしなにお頼みする…翔隆殿」
「こちらこそ、よしなに」
固く握手を交わし、三人は笑い合った。
「ととさま、食べさせてあげる」
浅葱が笑って箸を上手に使い、膳の上の鰯の身を取って、翔隆の口元へ寄せた。
「…ん…」
「おいしい?」
口に入れた途端に聞くので、思わず笑ってしまう。
「ああ、美味しいよ」
「はい、ごはんも」
見ていると、浅葱は次から次へ食べさせていくので、孫市が笑い出した。
「それでは父御が喉に詰まらせてしまうぞ?」
言われてから気付いたのか、浅葱はお茶を持って翔隆の口元に寄せた。
「はい、ととさま」
「あ、ありがとう。私はいいから、浅葱も食べなさい。こんな御馳走を用意して下さったのだから」
「はーい」
返事をして、浅葱は用意された膳の前に座って、食べ始める。
「白飯など…高価ではありませんか?」
「また気を遣うのか……士気を高めてくれた礼なのだから、遠慮はしないでくれ」
「………ありがとう存じます」
翔隆は一礼して、にこりと微笑んだ。
それを見て微笑むと、孫市は近寄って盃を渡す。
「酒は飲めぬか?」
「いえ、飲めますが…」
さすがに孫市にもその言葉の続きが分かって、酒を注いだ。
「慎み深いというのか、それとも疑っているのか?」
「えっ? 疑うとは何を……」
戸惑いの言葉に、孫市と樟美が吹き出した。
「…父上、毒を盛られるかと疑っているのか、と尋ねられたのですよ」
「あ、えっ?! そんな滅相もない…」
翔隆がうろたえると、侍女達も含めた全員が笑った。
「ち、馳走になります…」
翔隆は恥ずかしさに顔を赤らめながら、酒を戴いた。
子供二人を侍女が寝かしつけてくれたので、翔隆は孫市と二人、盃を酌み交わしていた。
「堺で、なんの仕事をしようと思っていたのだ?」
「あ………その………考えていなくて…」
「あっはっはは! 豪胆な事よ!」
何だか今日は、恥ずかしい事だらけだ。
翔隆は苦笑して、首を傾ける。
「…どこまで、旅をするのだ?」
「え……」
どこまで……そう聞かれると困る。
この日の本中を歩こうとしていると言ったら笑われそうだ。
「何だ、これといって決めてはいないのか?」
「…はい」
「お主程の男ならば、目が見えずとも士官先は幾らでもあろうに…。……もしや、それも考えていなかったのか?」
翔隆は、少し間を空けてから頷いた。
すると孫市はただ苦笑する。
「…お主の性質なのだろうな」
「え…?」
「…深い事は聞かないが……その、元の主に再士官する為に、見聞を広める旅に出たのではないか?」
当たっている…。翔隆は何も言わずにいた。すると、孫市は話し続ける。
「…この辺りも物騒でな。豪族以外にも、物の怪がいるという噂が絶えん」
「物の怪…」
「うむ。人の形をしていて、髪や目の色が恐ろしいと聞く。森や山の奥に住みついているというが…我らには害がないし………鷹匠か樵やもしれぬし……」
「……この辺りに、いるのですか…?」
「ああ、心配はいらん! 何をしてきたという事は一度も無いしな」
「そうですか……」
どうやら、両族のどちらかがこの辺りにいるらしい…。
頭領は……誰であったか?
翌日。
朝餉も馳走になり、また同じ仕事をくれた。
昨日の分の給金は朝早くに戴いて、五十文もあった。それでも十分なのだが、この先仕事が見つかる保証は無いと言って、また働かせてくれたのだ。
翔隆は手際よく弾込めをしながら、ずっと一族の〝気〟を探っていた。
〈…ここの頭領は確か……宮内に…八尋……だったな〉
そう考えていると、訓練をしている者から話し掛けられた。
「目が見えぬのに、よく働くな」
「えっ? あ…いえ、お仕事を戴けるだけでも、ありがたいです」
微笑んで答えると、他の者達もやってきて話す。
「口薬の量がちょうど良くてな、的を割れるようになったわ」
「そうですか…」
翔隆は微笑みながらも、何挺も弾込めしていく。
「この口薬と胴薬の量で、撃ち損じもあってなぁ」
「種子島は肩にこたえてな」
「…でしたら、撃つ瞬間に支えとしている肩を、少し後ろにずらすといいですよ」
そう言い翔隆は構えて身振りでやってみせた。
「ほおお!」
「しかし、狙いがずれそうだな」
と雑談をしている所に、孫市がやってくる。
「…弾込めを待っているのか? それとも仕事の邪魔をしているのか?」
「すいません!」
言われてそそくさと何人かが散っていった。…今、何人いたのだろう?
「…お主は、武器の扱いだけではなく、人の扱いも巧そうだな」
「いえ、そんな事は…」
「今、お主の周りに何人いたと思う?」
「え……さあ……」
「全員、だ」
「えっ?」
「呆れた事に、撃つのも忘れて話しに夢中になっておった」
笑って孫市が言う。
…どうりで、話している間に銃声が聞こえなかった訳だ。翔隆は苦笑する。
「皆様、訓練でお疲れなのでしょう。こんな時は、書でも読まれるのが宜しいですよ」
「書か……」
ふむ、と唸って孫市は腕を組む。
「あっ! 差し出がましい事を、申し訳ございません…」
「いや、いい。書といっても何がいいか……どんな物が気晴らしになると思う?」
「……そうですね…。孟子や論語も良いかもしれませんが、たまには徒然草や枕草子のような物も、良いかもしれませぬよ」
翔隆は微笑したまま言い、仕事をする。
すると、孫市は感心しながら翔隆を見つめる。
「………お主、偉い大名にでも仕えていたのか…?」
突然の言葉に翔隆はドキッと驚くが、平静を保つ。
「…ただ、書物が好きなだけですよ」
笑って答えた。
するとそこに、樟美がやってきた。
「おお、坊、どうした?」
「わたしも手伝って良いでしょうか? 父の仕事を、覚えたいのです」
樟美は真面目に孫市に言う。…助け船を出してくれたのだろう。
「気を付けてな」
それに頷くと、樟美は翔隆の側で仕事を手伝い始めた。
「口薬などは危ないから、扱いには気を付けろ」
「もう孫市さまに言われました」
そう言い、樟美は見て覚えたやり方を丁寧に実行に移す。
翔隆はただ苦笑した。
火縄銃を抱えながら、樟美は心で父に話し掛ける。
〈父上、先程…森の陰から誰かが覗いていました〉
「!」
〈ちらりと見えたのは黒髪……狭霧は、どんな時も髪の色を染めたりしませんよね?〉
⦅うむ…不知火だろうな⦆
翔隆も《思考派》でそれに答えながら、弾込めをする。
〈……どうするか………。こちらの〝気〟で感付いたので様子を見に来たのか…〉
だとしたら、頭領に知らせに行ったのだろう。接触を図る好機だ。
だが、今は孫市に世話になっている身……。
夜中にこっそりと行くか、ここを出た時に行くしかない。
⦅今は、こちらも様子を窺おう⦆
〈はい〉
答えて、樟美は黙々と作業に集中した。
樟美の行動に耳を傾けながら、翔隆はふと手を止める。
「…樟美、薬の量が違う」
「あ、すみません」
「口薬の量が多過ぎると暴発を起こす。気を付けろ」
「はい」
樟美は叱られても落ち込む事もなく、作業を続けた。
〈…樟美はしっかりしているな…嫡子であれば、とても頼もしい……〉
思って、翔隆は手を止めた。
父も、そんな事を思っただろうか?
いや…志木なら思うまい。
立派な嫡子となると信じてくれていただろう。
そう考え苦笑すると、樟美が話し掛ける。
「父上、どうかしましたか?」
「い、いや…」
更に苦笑して答え、翔隆は作業を再開した。
その夜も、孫市の邸に泊めてもらった。
さすがにこれ以上の長居は、申し訳ないだろう。そう考え、明日発つ事にした。
朝餉の後にそれを話すと、孫市は残念そうな顔をして言う。
「そうか…行くか」
「はい」
「では、昨日の賃銀だ」
そう言って孫市が渡してきた袋は、ズシリと重かった。
「…孫市殿……これは…」
「何も言わずに受け取れ。皆も自信を付けたようだし、楽しんでいた……その礼だ」
「…あ……」
一瞬戸惑った後、翔隆は微笑んで頷く。
「ありがとう、ございます…」
「道中、気を付けてな」
「はい」
微笑んで言い、翔隆は浅葱と樟美の乗る影疾の轡を取って歩き出した。
翔隆は貰った銭袋を樟美に渡す。
「幾ら入っている?」
聞かれて袋を開けて、樟美は驚いて言葉を失う。中には銭と金の塊が幾つか交ざっていたのだ。
「父上…」
「……銭はしまっておけ」
急に翔隆が馬を止めて言う。
気が付くと、周りを一族に囲まれていた…。
「何をしに来た!」
突然その中の一人に言われる。翔隆は冷静に答える。
「宮内殿か八尋殿はいるか?」
そう言うと、皆一斉に刀を抜いて切っ先を向けてきた。
「貴様、頭に何の用じゃ!」
「説得に来た」
「なにぃ?!」
…普通の反応だろう。
何故、こうも馬鹿が付く程に正直に答えるのか…。
樟美は馬上で短刀を持ちながら、溜め息を吐いていた。
それでも翔隆は我を貫く。
「争う気は無いのだ…。我が名は翔隆。不知火が嫡子だ。…頭領は何処か、教えて欲しい」
陣笠と包帯を取って、ぺこりと頭を下げて言うと、周りはザワザワとし始める。
無理も無い……嫡子と名乗っておきながら頭を下げるなどと、考えられないからだ。
その内に、一人が前に出て来た。
「…話には聞いている。私が八尋だ。…説得の真意を問いたい」
八尋が静かに尋ねると、翔隆は苦笑した。
「話をする前に、何処か人目に付かぬ所に行かせて貰えるか? ここでは誰かが通るであろう?」
確かに、ここはただの林道…。
人間が通る場所だ。
「分かった。付いてくるといい」
そう言い、八尋は猟師に扮する一族を引き連れ歩き出した。
来た所は、うっそうと生い茂る雑木林の中…。
小屋が、点々とある。間違いなく集落だ。
その中の一つの小屋に案内されて、翔隆は影疾を繋いで樟美と浅葱を連れて中に入る。
そこに、もう一人の頭領である宮内が待っていた。
「…座られよ」
言われるまま座ると、八尋は宮内の隣りに座った。すると宮内が口を開く。
「掟破りの嫡男が、一体紀伊に何用で参られたのか」
「各地の頭領を説得し、一致団結する為に参った」
「団結………」
「我らは結束しておるわ!」
八尋が言うと、年上であろう宮内がそれを制して話を続ける。
「いかにして、一致団結させるというのだ?」
そう聞かれると、翔隆は真顔で二人を見つめた。
「この戦を乗り切るには、各地でバラバラに戦っていては駄目なのだ。奴らは強い………将一人一人が何らかの目的を持って戦っているのだ」
「我らは目的が無いとでも?」
「いや。狭霧を滅する事………それを目的として戦っているのであろう?」
「そうだ」
「それでは、駄目なのだ」
「?!」
「ただ相手を滅ぼそうとして戦っていては、何処かに綻びが生じる…。紀伊は紀伊、尾張は尾張で片を付けよう、としていては駄目なのだ。この意味は、分かる筈だ」
翔隆が言うと、二人は黙り込む。
言いたい事は分かる………全国で結束し、時に援軍を出して戦った方がいいに決まっている。
しかし、羽隆が追放となった後から、紀伊を必死で守ってきた意地もある。
いきなり現れた嫡子に、この苦労が分かろう筈もない。
そう思っていると、また翔隆が喋り出す。
「私には、貴方方の苦労や努力は分からない。だが、それらを無下にするような真似はしない! 皆の力あってこその私なのだ。私一人では、何度戦ったとて勝てはしない。竹中や高信、凪間や上泉達の力添えがなくば、戦には勝てない。そして、貴方方の力も、必要なのだ」
真剣な眼差しで、訴えるように言う。
その言葉は、宮内と八尋の心に充分響いていた。
宮内は頷いて翔隆を見る。
「分かった」
「宮内殿!」
「ただの坊やかと思っていたが、覚悟はあるようだな。…認めてやろう。良かろう? 八尋」
宮内が聞くと、八尋は静かに頷いた。
「認めはするが……力が無いと判断した場合は…」
「無論、見離して構わない」
言われる前に言うと、宮内はフッと笑って右手を前に出した。
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