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五章 流浪
五.質
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二月…。
翔隆は、影疾の轡を引いて歩き、堺に向かっていた。
その途中、早馬に煽られて転んでしまう。
「いたた…」
「大丈夫、デスカ?」
後ろから聞き慣れない声がして、誰かが肩に触れてきた。
「貴方は…?」
翔隆は警戒しながら立ち上がる。
「ワタシ、アルメイダとイイマス。フロイス様ト来タ、破天連ネ」
「翔隆と申します…」
ペコリと頭を下げて言うと、アルメイダはニコニコして翔隆の左手を握る。
「目、見えナイノデスネ。何処マデ行くノデスカ?」
「……堺まで…」
「ワタシモ ソコ行きマス! 手を貸しマス」
「あ、あの…」
「大丈夫!」
そう言って笑うとアルメイダと名乗る破天連は、手を引いてくれる。
「ばてれんってなぁに?」
浅葱が聞くと、樟美が答えた。
「パアデレとも言って、宣教師なんだ。宗教を広める人だよ」
「目の色が違うのね…浅葱と」
言いかけたのを、樟美が手で塞いだ。
(しっ。それは誰にも言わないって言っただろう?)
「はぁい」
関所を通り堺の中に入ると、アルメイダはまた話し出した。
「フロイス様、ココニ来てイルノネ。会いマスカ?」
「い、いや…」
堺に入ったのに、アルメイダは手を離してくれない…。
親切心なのだろうが、これでは困る。
「ぱあでれ、あれなぁに?」
「アレは水晶イウネ。あさぎモ買ッテモラウトイイヨ」
どうやら浅葱はアルメイダと仲良くなったようだ。町に並ぶ色んな珍しい物を尋ねている。
そんな間に、ある邸の前で止まる。
「ココ、用がアリマス。待っテテ下サイネ」
そう言い、アルメイダは中へ入っていく。
馬上から樟美が話し掛けてくる。
「…とても大きい豪商の邸です」
豪商………嫌な予感がする。その時、中から声が聞こえてきた。
「これはアルメイダどの。フロイスどのなら先に京に行かれましたよ」
「ソウデスカ…。アア、今井どの、ワタシオ客ヲ連レテイマス」
「ほう?」
〈まずい…!〉
そう思った時には目の前に堺会合衆の一人、茶人にして武器商人の今井宗久が立っていた。
翔隆は冷静に陣笠を取り、一礼する。
「篠蔦三郎兵衛と申します」
「今井宗久です…盲ですか?」
「はい」
「ふうむ…」
今井宗久はじろじろと翔隆を見た後、にこりとする。
「まあ中へどうぞ。粗茶でもお入れしますので……あ、馬はこちらに」
案内されるままに中に入っていく。
子供二人はアルメイダがあやし、翔隆だけ座敷に通されて茶をもらった。
「茶会ではないので、お楽にどうぞ」
「はい…」
宗久は、会ってからずっと刺すような視線を翔隆に向けている。殺気にも似た視線…。
〈…何だろうか?〉
「何処かの家臣の方ですか?」
「いえ、牢人です…」
「元は、どちらに?」
「……尾張に…」
翔隆は慎重に答えた。何だか、正直に答えてはいけない気がしたからだ。
「ほほう。……今日は松永さまと茶会がありましてなぁ。そろそろ参られるかと……」
〈! 松永といえば大和の…〉
その後すぐに、
「松永さま、茶室にお見えです」
と誰かが伝えに来た。
「お客様でしたら、私はこれで…」
そう言って立ち上がろうとした翔隆の後ろに宗久が来て、耳元で囁く。
(松永さまは、ある仕事をして下さる方をお探しです。銭に困っておいでなのでは…?)
「……………」
牢人になってしまった以上、解せない奉公もしなければならない時もある。
そうしなければ、食べていけないからだ。
翔隆は黙ってついていった。
「結構なお手前で…」
「お粗末さまです」
普通の茶会の端に、翔隆は一人座っていた。
〈…仕事をする者を探している……内密のものか…。では、斬り捨ててもいいような者…〉
そう考えていると、二人は翔隆を見る。
「さて、そちらの御仁は?」
松永弾正少弼久秀(五十五歳)が問う。
「尾張から参られた牢人とか…」
「ほう。…そなた、目が見えぬのか?」
穏やかな口調だ。翔隆は頷いて答える。
「はい。戦の折にやられまして…」
「傷はあるのか?」
「いえ。炎に炙られて光を失いましたので…」
そう言った後、久秀が突然翔隆の着物をバッと脱がせた。
「なっ、何をなされます!」
「鍛えてあるな。年は? 十八程か?」
「え…」
違う、と言いかけてやめる。
十八、と具体的な年齢を言ってくるのだから、若い方が良いのだろう。
「…はい」
答えると、宗久の気配が急に消えた。
すると、久秀の〝気〟が、炎のように揺らめいた。
「ーーー三好義興を毒殺せよ」
「! み…三好といえば主家なのではっ…?!」
「ほお…よく知っておるな。…そなた、見目が良いな。その包帯を取ってみせよ」
一瞬ビクッとするが、目は《力》で黒くしてあるので、バレる心配はない。
翔隆はゆっくりと包帯を取って目を閉じたまま見せた。
「ん、良かろう。明日、お前は足利義輝の小姓として、この文を持って行くのだ。…口実はこうだ。〝義輝公には利がないと見て、これを奪い逃げて参りました。どうかお助け下さい〟とな。義興は、男狂いだ」
「……同衾して殺せ、と…?!」
「前金として…これを」
そう言い、久秀は座っていた場所からふろしき包みを持って来て、それを開いて中身である黄金五十匁はある延べ板を翔隆に手渡した。
「…これは……!?」
「無論、旨くいった暁には、これをあと二つ…」
そう言って気味悪く笑うのが分かった。
〈…毒殺させて、口封じに殺す気か…〉
翔隆は延べ板を下に置いて、平伏した。
「お断り至します」
「何…?」
「ここでお受けしても、断っても口封じに殺すつもりでおられますね? このまま逃げても殺される」
「ほお…」
「逃げぬように、既に乱破で囲ませておられる………真に策士であられまするな」
「ふむ。仲々どうして…。お前のような切れ者も初めてよ。どうだ、わしに仕える気はないか?」
「残念ながら、ございませぬ」
「ふふふ…実にさっぱりして気持ちのいい男よ。……さて、これでも断る…と言えるのかな…?」
その言葉の後、茶室に人が入ってくる。
「ととさま…」
「!」
樟美と浅葱が縛られて、その首に刀を当てられているのだ。
「分かるか? お前の子二人…いつでも斬れるぞ…?」
「…質、ですか………」
「どうする…?」
「……………」
表面では平静を保ちながらも、内心では焦っていた。
〈…我が子の命か………義輝様に汚名を着せるか…っ!〉
どちらも、取りたくはない。
選べない!
うっうっ、と浅葱の泣く声がする…。
本気を出せば、逃げられるが…万が一にも、子供に怪我をさせたり…最悪の場合は命を………!
「ーーー分かりました………その任、お引き受け至します」
「…旨くいけば、殺さずにいてやる。その後も、な」
翔隆は目に包帯をしたまま単身、三好邸へ入っていた。
子供二人を、質に取られたままで…。
ある一室で、翔隆は義興が来るのをじっと待っていた。
その内、カラリと障子が開き義興が入ってくる。
「待たせたのう」
「いいえ…」
ここへ来て、もう五日になる。
義興の信頼はもう得ている………だが、人に…好いてもいない相手に媚びるというのは、何とも胸糞が悪い。
義興は座って盃を手にして、左手で翔隆の肩を抱き寄せた。
「ほら、飲め?」
そう言って翔隆に酒を飲ませる。
ここ三日間、義興は欠かさずに翔隆を抱きに来ていた。
…殺るのであれば、そろそろだろう。
義興の手が、するりと着物の中に潜りこんできた。
「あ…」
わざと声を上げながらも、翔隆は今にも義興の首を折りたくなる衝動にかられ、必死に抑えていた。
「お主を抱いていると、心が休まるのう……」
「と、殿、その前に……これを」
翔隆は何とか逸らしたくて、懐から薬の紙包みを取り出す。
「それは?」
「殿が風邪を召されたと聞き、よく効くと評判の薬師から買った物にございまする。…これで一日も早う良くなって頂きたく…」
「愛い奴!」
そう言い義興は翔隆を抱き締めた。
そして、その薬を飲む。
「フー…。そうじゃの、風邪を移しては悪い。また明日参るぞ」
そう言って翔隆の頬に口付けをすると、義興は行ってしまった。
翔隆はそのまま部屋を出ていく。
〈…明日の昼には効く……〉
あの毒薬は、松永から渡されたような猛毒ではなく、じわじわと効き、確実に死に至らしめる物……薬作りの名人である睦月に教わった物だ。調合を間違える筈もない。
〈………良かったのか? これで〉
翔隆は邸を出て、白い雪が降る中を歩きながら自問する。
今ならまだ間に合う…。
解毒薬を作れば、今ならーーーまだ……。
そう考えてふと前を向いた時、人の気を感じ取る。
「…………」
〝気〟だけで、誰だか分かった。
翔隆は包帯を取り、じっとその人を見る。
「…久しいな、父さん」
「! …もう、知っていたのか…」
その人は、義羽景凌こと、羽隆その人であった。
「…何か用か?」
「何かではない。何故、上様の名を使ってあのような…っ!」
「覗き見とは趣味の悪い」
「話を逸らすな! お前は…自分が何をしたか判っているのか…?!」
「…悪いとは……思っているさ」
「思っ……」
「言いたい事は分かっている…」
「分かっていない! どういう事に繋がるか、よく知っている筈だ!」
「知っているし分かっている! …仕方が無いんだ…っ」
「…仕方ない…?」
「私は解任されたのだ、もう信長の家臣ではない! 銭が必要なんだ! その為にはやりたくもない事だってしなくてはならないっ!」
「だからといって…」
「質に取られているのだ! 我が子を! これをやらなければ、殺されるのだっ!」
「なっ…」
「……父さん………。私は、貴方のように我が子を島流しにしてまで主君を取らないっ! 取るのであれば両方取る! そうしてみせる! 疾風のようには、したくないのだっ!!」
そう言い放ち、翔隆は走り去った…。
その言葉がどれ程深く羽隆を傷付け、その行動が後にどれ程大変な事態を引き起こす事となるとも知らずに………。
宿場に戻ると、松永久秀は約束通り子供と馬を返してくれて、延べ板を二枚くれた。
「真、明日には死ぬのだな?」
「間違いなど無い。お疑いならば、この場で斬られよ」
「いや、信じよう…」
久秀はニヤリとして、まるで動じない翔隆を見る。
「……篠蔦、と申したな」
「はい」
「いずれまた会おう」
そう言い、久秀は家臣と共に行ってしまう。
「ととさま!」
泣きながら浅葱が駆け寄って来た。
翔隆は優しく抱き締め、頭を撫でてやる。
「もう大丈夫だ……怖い思いをさせてしまい、済まない…」
「父上……」
利発な樟美も、涙ぐんで翔隆に抱き着いた。
「すまなかった………」
我が子二人を抱き締めて、翔隆は罪悪感を振り切っていた…。
翔隆は、影疾の轡を引いて歩き、堺に向かっていた。
その途中、早馬に煽られて転んでしまう。
「いたた…」
「大丈夫、デスカ?」
後ろから聞き慣れない声がして、誰かが肩に触れてきた。
「貴方は…?」
翔隆は警戒しながら立ち上がる。
「ワタシ、アルメイダとイイマス。フロイス様ト来タ、破天連ネ」
「翔隆と申します…」
ペコリと頭を下げて言うと、アルメイダはニコニコして翔隆の左手を握る。
「目、見えナイノデスネ。何処マデ行くノデスカ?」
「……堺まで…」
「ワタシモ ソコ行きマス! 手を貸しマス」
「あ、あの…」
「大丈夫!」
そう言って笑うとアルメイダと名乗る破天連は、手を引いてくれる。
「ばてれんってなぁに?」
浅葱が聞くと、樟美が答えた。
「パアデレとも言って、宣教師なんだ。宗教を広める人だよ」
「目の色が違うのね…浅葱と」
言いかけたのを、樟美が手で塞いだ。
(しっ。それは誰にも言わないって言っただろう?)
「はぁい」
関所を通り堺の中に入ると、アルメイダはまた話し出した。
「フロイス様、ココニ来てイルノネ。会いマスカ?」
「い、いや…」
堺に入ったのに、アルメイダは手を離してくれない…。
親切心なのだろうが、これでは困る。
「ぱあでれ、あれなぁに?」
「アレは水晶イウネ。あさぎモ買ッテモラウトイイヨ」
どうやら浅葱はアルメイダと仲良くなったようだ。町に並ぶ色んな珍しい物を尋ねている。
そんな間に、ある邸の前で止まる。
「ココ、用がアリマス。待っテテ下サイネ」
そう言い、アルメイダは中へ入っていく。
馬上から樟美が話し掛けてくる。
「…とても大きい豪商の邸です」
豪商………嫌な予感がする。その時、中から声が聞こえてきた。
「これはアルメイダどの。フロイスどのなら先に京に行かれましたよ」
「ソウデスカ…。アア、今井どの、ワタシオ客ヲ連レテイマス」
「ほう?」
〈まずい…!〉
そう思った時には目の前に堺会合衆の一人、茶人にして武器商人の今井宗久が立っていた。
翔隆は冷静に陣笠を取り、一礼する。
「篠蔦三郎兵衛と申します」
「今井宗久です…盲ですか?」
「はい」
「ふうむ…」
今井宗久はじろじろと翔隆を見た後、にこりとする。
「まあ中へどうぞ。粗茶でもお入れしますので……あ、馬はこちらに」
案内されるままに中に入っていく。
子供二人はアルメイダがあやし、翔隆だけ座敷に通されて茶をもらった。
「茶会ではないので、お楽にどうぞ」
「はい…」
宗久は、会ってからずっと刺すような視線を翔隆に向けている。殺気にも似た視線…。
〈…何だろうか?〉
「何処かの家臣の方ですか?」
「いえ、牢人です…」
「元は、どちらに?」
「……尾張に…」
翔隆は慎重に答えた。何だか、正直に答えてはいけない気がしたからだ。
「ほほう。……今日は松永さまと茶会がありましてなぁ。そろそろ参られるかと……」
〈! 松永といえば大和の…〉
その後すぐに、
「松永さま、茶室にお見えです」
と誰かが伝えに来た。
「お客様でしたら、私はこれで…」
そう言って立ち上がろうとした翔隆の後ろに宗久が来て、耳元で囁く。
(松永さまは、ある仕事をして下さる方をお探しです。銭に困っておいでなのでは…?)
「……………」
牢人になってしまった以上、解せない奉公もしなければならない時もある。
そうしなければ、食べていけないからだ。
翔隆は黙ってついていった。
「結構なお手前で…」
「お粗末さまです」
普通の茶会の端に、翔隆は一人座っていた。
〈…仕事をする者を探している……内密のものか…。では、斬り捨ててもいいような者…〉
そう考えていると、二人は翔隆を見る。
「さて、そちらの御仁は?」
松永弾正少弼久秀(五十五歳)が問う。
「尾張から参られた牢人とか…」
「ほう。…そなた、目が見えぬのか?」
穏やかな口調だ。翔隆は頷いて答える。
「はい。戦の折にやられまして…」
「傷はあるのか?」
「いえ。炎に炙られて光を失いましたので…」
そう言った後、久秀が突然翔隆の着物をバッと脱がせた。
「なっ、何をなされます!」
「鍛えてあるな。年は? 十八程か?」
「え…」
違う、と言いかけてやめる。
十八、と具体的な年齢を言ってくるのだから、若い方が良いのだろう。
「…はい」
答えると、宗久の気配が急に消えた。
すると、久秀の〝気〟が、炎のように揺らめいた。
「ーーー三好義興を毒殺せよ」
「! み…三好といえば主家なのではっ…?!」
「ほお…よく知っておるな。…そなた、見目が良いな。その包帯を取ってみせよ」
一瞬ビクッとするが、目は《力》で黒くしてあるので、バレる心配はない。
翔隆はゆっくりと包帯を取って目を閉じたまま見せた。
「ん、良かろう。明日、お前は足利義輝の小姓として、この文を持って行くのだ。…口実はこうだ。〝義輝公には利がないと見て、これを奪い逃げて参りました。どうかお助け下さい〟とな。義興は、男狂いだ」
「……同衾して殺せ、と…?!」
「前金として…これを」
そう言い、久秀は座っていた場所からふろしき包みを持って来て、それを開いて中身である黄金五十匁はある延べ板を翔隆に手渡した。
「…これは……!?」
「無論、旨くいった暁には、これをあと二つ…」
そう言って気味悪く笑うのが分かった。
〈…毒殺させて、口封じに殺す気か…〉
翔隆は延べ板を下に置いて、平伏した。
「お断り至します」
「何…?」
「ここでお受けしても、断っても口封じに殺すつもりでおられますね? このまま逃げても殺される」
「ほお…」
「逃げぬように、既に乱破で囲ませておられる………真に策士であられまするな」
「ふむ。仲々どうして…。お前のような切れ者も初めてよ。どうだ、わしに仕える気はないか?」
「残念ながら、ございませぬ」
「ふふふ…実にさっぱりして気持ちのいい男よ。……さて、これでも断る…と言えるのかな…?」
その言葉の後、茶室に人が入ってくる。
「ととさま…」
「!」
樟美と浅葱が縛られて、その首に刀を当てられているのだ。
「分かるか? お前の子二人…いつでも斬れるぞ…?」
「…質、ですか………」
「どうする…?」
「……………」
表面では平静を保ちながらも、内心では焦っていた。
〈…我が子の命か………義輝様に汚名を着せるか…っ!〉
どちらも、取りたくはない。
選べない!
うっうっ、と浅葱の泣く声がする…。
本気を出せば、逃げられるが…万が一にも、子供に怪我をさせたり…最悪の場合は命を………!
「ーーー分かりました………その任、お引き受け至します」
「…旨くいけば、殺さずにいてやる。その後も、な」
翔隆は目に包帯をしたまま単身、三好邸へ入っていた。
子供二人を、質に取られたままで…。
ある一室で、翔隆は義興が来るのをじっと待っていた。
その内、カラリと障子が開き義興が入ってくる。
「待たせたのう」
「いいえ…」
ここへ来て、もう五日になる。
義興の信頼はもう得ている………だが、人に…好いてもいない相手に媚びるというのは、何とも胸糞が悪い。
義興は座って盃を手にして、左手で翔隆の肩を抱き寄せた。
「ほら、飲め?」
そう言って翔隆に酒を飲ませる。
ここ三日間、義興は欠かさずに翔隆を抱きに来ていた。
…殺るのであれば、そろそろだろう。
義興の手が、するりと着物の中に潜りこんできた。
「あ…」
わざと声を上げながらも、翔隆は今にも義興の首を折りたくなる衝動にかられ、必死に抑えていた。
「お主を抱いていると、心が休まるのう……」
「と、殿、その前に……これを」
翔隆は何とか逸らしたくて、懐から薬の紙包みを取り出す。
「それは?」
「殿が風邪を召されたと聞き、よく効くと評判の薬師から買った物にございまする。…これで一日も早う良くなって頂きたく…」
「愛い奴!」
そう言い義興は翔隆を抱き締めた。
そして、その薬を飲む。
「フー…。そうじゃの、風邪を移しては悪い。また明日参るぞ」
そう言って翔隆の頬に口付けをすると、義興は行ってしまった。
翔隆はそのまま部屋を出ていく。
〈…明日の昼には効く……〉
あの毒薬は、松永から渡されたような猛毒ではなく、じわじわと効き、確実に死に至らしめる物……薬作りの名人である睦月に教わった物だ。調合を間違える筈もない。
〈………良かったのか? これで〉
翔隆は邸を出て、白い雪が降る中を歩きながら自問する。
今ならまだ間に合う…。
解毒薬を作れば、今ならーーーまだ……。
そう考えてふと前を向いた時、人の気を感じ取る。
「…………」
〝気〟だけで、誰だか分かった。
翔隆は包帯を取り、じっとその人を見る。
「…久しいな、父さん」
「! …もう、知っていたのか…」
その人は、義羽景凌こと、羽隆その人であった。
「…何か用か?」
「何かではない。何故、上様の名を使ってあのような…っ!」
「覗き見とは趣味の悪い」
「話を逸らすな! お前は…自分が何をしたか判っているのか…?!」
「…悪いとは……思っているさ」
「思っ……」
「言いたい事は分かっている…」
「分かっていない! どういう事に繋がるか、よく知っている筈だ!」
「知っているし分かっている! …仕方が無いんだ…っ」
「…仕方ない…?」
「私は解任されたのだ、もう信長の家臣ではない! 銭が必要なんだ! その為にはやりたくもない事だってしなくてはならないっ!」
「だからといって…」
「質に取られているのだ! 我が子を! これをやらなければ、殺されるのだっ!」
「なっ…」
「……父さん………。私は、貴方のように我が子を島流しにしてまで主君を取らないっ! 取るのであれば両方取る! そうしてみせる! 疾風のようには、したくないのだっ!!」
そう言い放ち、翔隆は走り去った…。
その言葉がどれ程深く羽隆を傷付け、その行動が後にどれ程大変な事態を引き起こす事となるとも知らずに………。
宿場に戻ると、松永久秀は約束通り子供と馬を返してくれて、延べ板を二枚くれた。
「真、明日には死ぬのだな?」
「間違いなど無い。お疑いならば、この場で斬られよ」
「いや、信じよう…」
久秀はニヤリとして、まるで動じない翔隆を見る。
「……篠蔦、と申したな」
「はい」
「いずれまた会おう」
そう言い、久秀は家臣と共に行ってしまう。
「ととさま!」
泣きながら浅葱が駆け寄って来た。
翔隆は優しく抱き締め、頭を撫でてやる。
「もう大丈夫だ……怖い思いをさせてしまい、済まない…」
「父上……」
利発な樟美も、涙ぐんで翔隆に抱き着いた。
「すまなかった………」
我が子二人を抱き締めて、翔隆は罪悪感を振り切っていた…。
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