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七章 帰参
一.別れ
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岡崎城に戻ってから数日、翔隆は掃除や洗濯を手伝っていた。
樟美達は修行をしている。
「そんな事は、わたし共でやりますから…」
と侍女達が言うのを、翔隆は微笑んで答える。
「長い間世話になっているのに、何もしないのは申し訳ない。これくらいはさせて下され」
「……はあ…」
そう言われて、侍女達も何も言えなくなってしまう。
暫く縁側を拭き掃除していくと、一室の前でキョロキョロとしてから入っていく大久保七郎右衛門忠世の姿を見付けた。
〈…? 何かあるのか?〉
そう思って覗きに行くと、ペキッと音がしたので入ってみる。すると、忠世が壺の破片を手にしていた。
「…大久保殿、その壺…」
「いや! いやいや! わしではない!」
「…その破片、米粒が付いてますな」
冷静に言うと、忠世は我に返る。
「あ、うむ、中に入っている捻頭(花林糖)を食べようとしたら…その…軽く割れたのだ」
「……では、割ったのは家康様ですね」
「えっ?!」
「これは侍女の話によれば、確か先代よりの壺…そんな大事な物を割る人物など、家康様しかおりますまい」
「…なる程。では、割ってしまったので米粒で…」
二人でその姿を想像して、プッと吹き出す。どれ程慌てていただろうか…。
「はは! 殿らしい…」
「ふふ…それで、食べないのですか?」
「あ……はは。少し頂いてから壺を直すか」
そう言って大久保忠世は捻頭を鷲掴みにして取り、数個を翔隆にも持たせる。
「これで、同罪じゃ!」
「…はい。では、子供達の分も頂きます」
翔隆は微笑んで、布にくるんだ。
「わしには、敬語はいらん。七郎でいい」
「……ありがとう」
「平八郎達も同じだ。…殿の、友なのであろう?」
「七郎…」
翔隆は微笑して頷いた。
それから数日後。
翔隆は家康と話をした。
「…そうか。出て行くか……」
家康が淋しそうに呟く。
前に座る翔隆は申し訳無さそうに俯いていた。
「申し訳ありません、家康様…」
「いや。みなまで言わずとも分かっておる。分かっていて引き止めたのは、わしの我が儘じゃ…」
「家康様…」
「達者でな、翔隆。…再士官、早く出来るように祈っておるぞ」
家康は優しく微笑んで言う。翔隆はじんとして涙を堪えた。
「はい! …それと、言い忘れた事がございます」
「何じゃ?」
「北条の助五郎様を覚えていらっしゃいますか?」
「ん? おお、覚えておるぞ」
「氏規様はご息災でした」
「それは何より……んん? 会ったのか?」
「いえ。ご不在でしたので、氏政様に」
「…そうか……ふふ。わざわざそれを確かめに行ったな?」
「はい…」
苦笑して言うと、家康は大笑いした。そして、盃を持つ。
「さて、また次の対顔までの、一時の別れじゃ」
「はい…」
その後、翔隆は色々な人達に別れを告げて、子供達と共に岡崎城を出た。
尾張に入ると、翔隆は立ち止まる。
そして、影疾に乗った樟美と浅葱、百鬼に乗った龍之介と千景を交互に見つめる。
「樟美」
「はい?」
「これよりは、お前が叶兄弟を邸に連れて行け」
「! 父上…」
樟美はすぐに影疾から飛び降りた。
すると浅葱や龍之介達も馬から降りて寄ってきた。
「父さま、浅葱は側にいます!」
「ならん。戻って睦月達に従い、暮らすのだ」
「う…ふええ…」
浅葱は翔隆の足に縋り付いて泣き出す。
すると千景も泣いてしまった。
翔隆は二人の頭を撫でながら、樟美を見る。
「お前達の事は、疾風達が面倒を見てくれる。よく修行に励めよ」
「―――はいっ!」
樟美と龍之介は、涙ぐみながらも返事をした。
それに頷き、翔隆はしゃがんで女童二人を抱き締める。
「済まんな……。これからはお前達が居ても、もう世話をしてやれんのだ。戻る為にも、寝る間を惜しんで働かねばならぬ。…分かってくれ」
「いやああ! 父さまの側にいるー!!」
「………」
翔隆は、眉をひそめて二人の小さな背中を撫でた。
泣き止んだ女子二人を馬に乗せ、龍之介を千景の後ろに乗せてやる。
「龍之介、邸に行けば私の家臣とその妻子達が居る。淋しくは無いから案ずるな」
「…翔隆様……おれ、ちゃんと学んで強くなって、お役に立てるように頑張ります!」
「…ん、頼むぞ!」
「はい!」
龍之介は涙を堪えて笑って返事をした。
それに頷き、翔隆は轡を持つ樟美を見る。
「樟美…」
「私ならば、心配無用です。それよりも倒れないように、お体だけはきちんとして下さいね」
「…分かった」
逆に説教されてしまい、翔隆は苦笑した。
「さ、行くといい。…達者でな」
頷いて、樟美は影疾に乗る。
そして、ふと振り返った。
「父上」
「ん?」
「一つ、言い忘れていました」
「何だ?」
「―――稲葉山を身一つで落とせば許す、と…大殿様が仰いました」
「…!?」
「では」
樟美は何かを問い質される前に、馬を走らせた。翔隆は独りその場に立ち尽くす。
〈稲葉山を…信長様が…?!〉
翔隆は小刻みに震える手を握り締める。
そして、樟美達の走っていった方向を見つめる。
〈一人で落とせば、などと…そんな好機…〉
あの稲葉山城を落とすなど、竹中重治のように機を作ったとて無理だ。
〈許して下さる、と…本気で? それとも戯れで言われただけか? いや、それよりもいつ信長様にお会いしたのだ?!〉
そんな素振りは無かったが…。いや、そんな事を考えてはいられない。
今はやれる事をやるしかない―――そう、自分に言い聞かせた。
夜間はあちらこちらの田畑へ。
早朝には道を作り、それから城に潜り込んで武器の手入れと裁縫や掃除もやっておく。
もう何時何処が空くか、人が居なくなるかも把握したので、ずっと誰にも見つからずに行えた。
寒さも厳しい十二月。
ずっと村や城に入り浸っているお陰で、色々な事が分かった。
信長が朝廷から〝尾張守〟を与えられた事。
来年には北伊勢と美濃を侵略する気でいる事…。また斎藤との戦い…。
〈信長様が戯れで言われたにせよ、一度は口にした事…出来れば兵を減らしたくはないのだ…〉
それは当然だろう。
一人で稲葉山を落とす―――。
本気で戦えば、可能やもしれないが、信長はそれを望んでいる訳では無い。
とすれば、調略以外に無い。
そう分かれば、その相手も決まっている。
美濃三人衆―――。
〈氏家殿には一度会っている…。後は、半兵衛の舅である安藤殿、稲葉殿…〉
この三人さえ落とせば、龍興など取るに足らない存在。稲葉山もすぐに落ちる。
〈何としても、説得しよう!〉
そして、信長に美濃を治めて欲しい―――。
再士官、というよりは、ただそう願った。
翔隆の心の中で、再士官という言葉が薄れてきていたのだ。
このまま影から守って助けていった方がいいのではないか…とさえ思い始めている。
影から支えるか、再士官するか――――。
翔隆は迷妄していた。
取り敢えず、説得はする。
するのだが―――やはり、全てを内密にしておいて、それからどうするかを考えよう…と思った。
樟美達は修行をしている。
「そんな事は、わたし共でやりますから…」
と侍女達が言うのを、翔隆は微笑んで答える。
「長い間世話になっているのに、何もしないのは申し訳ない。これくらいはさせて下され」
「……はあ…」
そう言われて、侍女達も何も言えなくなってしまう。
暫く縁側を拭き掃除していくと、一室の前でキョロキョロとしてから入っていく大久保七郎右衛門忠世の姿を見付けた。
〈…? 何かあるのか?〉
そう思って覗きに行くと、ペキッと音がしたので入ってみる。すると、忠世が壺の破片を手にしていた。
「…大久保殿、その壺…」
「いや! いやいや! わしではない!」
「…その破片、米粒が付いてますな」
冷静に言うと、忠世は我に返る。
「あ、うむ、中に入っている捻頭(花林糖)を食べようとしたら…その…軽く割れたのだ」
「……では、割ったのは家康様ですね」
「えっ?!」
「これは侍女の話によれば、確か先代よりの壺…そんな大事な物を割る人物など、家康様しかおりますまい」
「…なる程。では、割ってしまったので米粒で…」
二人でその姿を想像して、プッと吹き出す。どれ程慌てていただろうか…。
「はは! 殿らしい…」
「ふふ…それで、食べないのですか?」
「あ……はは。少し頂いてから壺を直すか」
そう言って大久保忠世は捻頭を鷲掴みにして取り、数個を翔隆にも持たせる。
「これで、同罪じゃ!」
「…はい。では、子供達の分も頂きます」
翔隆は微笑んで、布にくるんだ。
「わしには、敬語はいらん。七郎でいい」
「……ありがとう」
「平八郎達も同じだ。…殿の、友なのであろう?」
「七郎…」
翔隆は微笑して頷いた。
それから数日後。
翔隆は家康と話をした。
「…そうか。出て行くか……」
家康が淋しそうに呟く。
前に座る翔隆は申し訳無さそうに俯いていた。
「申し訳ありません、家康様…」
「いや。みなまで言わずとも分かっておる。分かっていて引き止めたのは、わしの我が儘じゃ…」
「家康様…」
「達者でな、翔隆。…再士官、早く出来るように祈っておるぞ」
家康は優しく微笑んで言う。翔隆はじんとして涙を堪えた。
「はい! …それと、言い忘れた事がございます」
「何じゃ?」
「北条の助五郎様を覚えていらっしゃいますか?」
「ん? おお、覚えておるぞ」
「氏規様はご息災でした」
「それは何より……んん? 会ったのか?」
「いえ。ご不在でしたので、氏政様に」
「…そうか……ふふ。わざわざそれを確かめに行ったな?」
「はい…」
苦笑して言うと、家康は大笑いした。そして、盃を持つ。
「さて、また次の対顔までの、一時の別れじゃ」
「はい…」
その後、翔隆は色々な人達に別れを告げて、子供達と共に岡崎城を出た。
尾張に入ると、翔隆は立ち止まる。
そして、影疾に乗った樟美と浅葱、百鬼に乗った龍之介と千景を交互に見つめる。
「樟美」
「はい?」
「これよりは、お前が叶兄弟を邸に連れて行け」
「! 父上…」
樟美はすぐに影疾から飛び降りた。
すると浅葱や龍之介達も馬から降りて寄ってきた。
「父さま、浅葱は側にいます!」
「ならん。戻って睦月達に従い、暮らすのだ」
「う…ふええ…」
浅葱は翔隆の足に縋り付いて泣き出す。
すると千景も泣いてしまった。
翔隆は二人の頭を撫でながら、樟美を見る。
「お前達の事は、疾風達が面倒を見てくれる。よく修行に励めよ」
「―――はいっ!」
樟美と龍之介は、涙ぐみながらも返事をした。
それに頷き、翔隆はしゃがんで女童二人を抱き締める。
「済まんな……。これからはお前達が居ても、もう世話をしてやれんのだ。戻る為にも、寝る間を惜しんで働かねばならぬ。…分かってくれ」
「いやああ! 父さまの側にいるー!!」
「………」
翔隆は、眉をひそめて二人の小さな背中を撫でた。
泣き止んだ女子二人を馬に乗せ、龍之介を千景の後ろに乗せてやる。
「龍之介、邸に行けば私の家臣とその妻子達が居る。淋しくは無いから案ずるな」
「…翔隆様……おれ、ちゃんと学んで強くなって、お役に立てるように頑張ります!」
「…ん、頼むぞ!」
「はい!」
龍之介は涙を堪えて笑って返事をした。
それに頷き、翔隆は轡を持つ樟美を見る。
「樟美…」
「私ならば、心配無用です。それよりも倒れないように、お体だけはきちんとして下さいね」
「…分かった」
逆に説教されてしまい、翔隆は苦笑した。
「さ、行くといい。…達者でな」
頷いて、樟美は影疾に乗る。
そして、ふと振り返った。
「父上」
「ん?」
「一つ、言い忘れていました」
「何だ?」
「―――稲葉山を身一つで落とせば許す、と…大殿様が仰いました」
「…!?」
「では」
樟美は何かを問い質される前に、馬を走らせた。翔隆は独りその場に立ち尽くす。
〈稲葉山を…信長様が…?!〉
翔隆は小刻みに震える手を握り締める。
そして、樟美達の走っていった方向を見つめる。
〈一人で落とせば、などと…そんな好機…〉
あの稲葉山城を落とすなど、竹中重治のように機を作ったとて無理だ。
〈許して下さる、と…本気で? それとも戯れで言われただけか? いや、それよりもいつ信長様にお会いしたのだ?!〉
そんな素振りは無かったが…。いや、そんな事を考えてはいられない。
今はやれる事をやるしかない―――そう、自分に言い聞かせた。
夜間はあちらこちらの田畑へ。
早朝には道を作り、それから城に潜り込んで武器の手入れと裁縫や掃除もやっておく。
もう何時何処が空くか、人が居なくなるかも把握したので、ずっと誰にも見つからずに行えた。
寒さも厳しい十二月。
ずっと村や城に入り浸っているお陰で、色々な事が分かった。
信長が朝廷から〝尾張守〟を与えられた事。
来年には北伊勢と美濃を侵略する気でいる事…。また斎藤との戦い…。
〈信長様が戯れで言われたにせよ、一度は口にした事…出来れば兵を減らしたくはないのだ…〉
それは当然だろう。
一人で稲葉山を落とす―――。
本気で戦えば、可能やもしれないが、信長はそれを望んでいる訳では無い。
とすれば、調略以外に無い。
そう分かれば、その相手も決まっている。
美濃三人衆―――。
〈氏家殿には一度会っている…。後は、半兵衛の舅である安藤殿、稲葉殿…〉
この三人さえ落とせば、龍興など取るに足らない存在。稲葉山もすぐに落ちる。
〈何としても、説得しよう!〉
そして、信長に美濃を治めて欲しい―――。
再士官、というよりは、ただそう願った。
翔隆の心の中で、再士官という言葉が薄れてきていたのだ。
このまま影から守って助けていった方がいいのではないか…とさえ思い始めている。
影から支えるか、再士官するか――――。
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