鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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七章 帰参

十七.果たし状

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 一五六八年、永禄十一年、正月一月
出仕をしに屋敷を出ると目の前に黒豹の緋炎ひえんが現れる。
「!こんな町中で…」
翔隆は慌てて緋炎の体を押して端に寄る。
すると緋炎は口にくわえた文を落とす。
翔隆がそれを取ると緋炎は屋敷に行った。
「! そうか…」
それは竹中重治からの物で、一族集会の報せであった。
今までに一五五三年の十月が初めてで、その次は一五五八年の八月の二回、翔隆は出ている。
一五六三年は出られなかった。
五年に一度、全員が集まる集会だ。それが今年にあるのだ。
〈許可を得てから行くか…〉
翔隆は急いで天主に向かう。
すると、侍女の帰蝶が出迎えた。
「翔隆…殿は今、遠駆けに出掛けられておりまする。中で待ちなされ」
「あ、いえ…あの、戻られたら私は〝一族の事でしばし近江へ行っております〟とお伝え下さい」
「あい分かりました。気を付けて行ってきなされ」
「はっ」
帰蝶に頼めばまず間違いはないだろう。
翔隆はすぐに琵琶湖近くへ向かった。
正月早々に集会など開かないので、何かがあったのだろう…。

 琵琶湖の側には、すでに一族が勢揃いしていた。
美濃の頭領の矢佐介やさのすけと竹中重治
尾張の頭領の飛白かすり
三河の頭領の偲原しばら
甲斐の頭領の凪間なぎま
近江の頭領の武宮たけみや
備州の頭領の上泉こうずみ
肥前の頭領の相根そね
四国の頭領の馬名辺まなべ
紀伊の頭領の宮内みやうち八尋やひろ
摂津の頭領の狩実かりさね
播磨の頭領の小山こやま郡川こおりがわ
土佐の頭領の高砂たかさ土井野といの
出雲の頭領の忍坂おしざか
伯耆の頭領の深瀬
因幡の頭領の常葉いくは
但馬の頭領の柚木ゆのき
丹後・丹波の頭領の流合はぎえ相賀おうが
上野の頭領の上地かみち如罪あいの
出羽の頭領の尾坂おざか粟逆あわさか
皆は翔隆が来ると同時に跪く。
「久しいな。皆、息災で何よりだ」
「はっ」
翔隆は皆を見回して言う。
「…何かあったのだろうが、まずは報告を聞こう。何か変わった事はあったか?」
そう言うと、馬名辺まなべが言う。
「四国の馬名辺です。一進一退が続いておりまして…敵の大将が変わったようで、名を清隆きよたかと…」
「きよたか…」
嫌な予感しかしない。
「先代・羽隆うりゅうの弟で、貴方から見て叔父に当たる人物です」
「そうか…」
「長、報告よりも大事な事が」
そう言い武宮が文を差し出した。
からの文が届いております」
翔隆は受け取って中を見る。

 永禄十一年、一月二十日に富士に参れ
一人ならば果たし合い、軍勢ならば戦とする

そう書かれていた。
翔隆は手を震わせて蒼白する。
「これは京羅の字ではなく……焔羅の字だ…」
「長だという焔羅ですか!」
上泉こうずみが問うと、翔隆が頷く。
まだ、焔羅と戦う覚悟も出来ていない…。とても敵うとも思えない…。
その間に皆が話し出す。
「焔羅か…名の通りであれば炎を使うのであろうな」
そう凪間なぎまが言う。
「京羅もどのような強さなのか分からんが…文をよこすとは…」
不可解げに飛白かすりが言う。
「これぞ好機ではないか?富士ごと潰してしまえばいい!」
強気に偲原しばらが言う。
「ならん!!」
翔隆が急に言う。
「そんな相手ではない!!」
「ではどんなどがん相手やと言うんですか?!」
相根そねが言うと、翔隆は眉をしかめて横を向く。
明らかに様子がおかしいので皆は翔隆を心配げに見つめた。
すると竹中重治が言う。
「翔隆様の刀術の師匠だ。何度かお会いした事があるが…義成という名で」
そう言うと、高信たかしなが目を見開いて叫んだ。
「あの男が焔羅だと?!そんな馬鹿な…!翔隆様が命懸けで今川より連れ戻したというのに?!」
高信の言葉に皆が見る。
「どういう事だ!」
皆が詰め寄る。高信たかしなはその時の事情を説明した。
すると皆は翔隆を見る。

翔隆は目を閉じて立っていた。
兄であり師匠と慕う大切な存在が敵の長となった…それは、翔隆には絶望的な状況であろう。
誰もがその心境を案ずる。
そんな中で翔隆は口を開く。
「…私は一人で行く」
「! なりません!」
全員が言った。
「今までそれで幾度死に掛けましたか?!」と重治。
「我々も行きますぞ!?」と尾坂。
「長一人でなど行かせません!」と上泉こうずみ
「ーー分かった…」
恐らくは、自分が家臣であれば同じ事を言うだろう…そう分かるので、もう何かを言うのをやめた。
その後は各地の報告を受けて皆は散った。
その場には竹中重治と矢佐介やさのすけが残る。
〈…義成……〉
ついにこの日が来たか、と思う。
恐らく義成は何のためらいもなく自分を殺せるだろう…。
〈考えたとて…どうにもならない〉
しかし、焔羅を殺す覚悟はしなくてはならない。
〈殺すーーー〉
一体どうやって?
そんな事さえ考えられない。

翔隆は放心したまま重治達に付き添われて美濃に戻った。

 岐阜城の天主に行くと、翔隆は暗い顔のまま信長の前に出る。
その顔を見てから信長は酒を飲み干して盃を前に出す。
その盃に堀久太郎きゅうたろう(十六歳)が酒を注ぐが、信長はそのまま盃を翔隆に差し向けていた。
対する翔隆はボーっと畳を見つめている。
「ゴホン、ンン!」
気付かせる為に森傅兵衛ふのひょうえ可隆よしたか(十五歳)が咳払いをする。
するとやっと翔隆が前を向く。
その今にも自害でもしそうな蒼白しきった顔に、堀久太郎と森傅兵衛はギクッとした。
「あ…信長様、あの」
「飲め」
「信長様」
言い掛けると信長は怒鳴る。
「良いから飲め!!」
「…はっ…」
翔隆はそれ以上言えずに、盃を手にして酒を飲んで盃を返した。
すると、信長はその盃に酒を注がせて飲む。
「…人払いをするか?」
「いえ、あの…ーーーー二十日に、一族の戦いがあります…恐らく……もう…」
言いながら翔隆は涙を流す。
「敵は」
そう信長が聞くと、翔隆は腕で涙を拭いながら言う。
「焔羅です………果たし状が、届いて…」
言う間にまた、ポタポタと涙がこぼれ落ちる。
信長は手を上げて人払いをする。
堀久太郎と森傅兵衛が下がって障子を閉めてから、信長は翔隆の前に膝をつく。
「その果たし状は?」
信長が問うと、翔隆は涙を拭いながら懐から果たし状を取り出して渡した。
その中を見て、信長は首を傾げた。
〈一人ならば果たし合い、軍勢ならば戦…〉
富士は確か敵の拠点。
わざわざ拠点に呼び出して一人では来ない事は分かる筈。
軍勢で来いと言っているようなものだが…罠とも思えない。
まことに行くのか」
「…はい」
「何かの罠としてもか」
「…焔羅が罠を仕掛けるのであれば、文は書きません………義成ならば、虚を突いてきます」
言って気が付いた。
焔羅に、こちらを壊滅させる気はないと。
壊滅させる気であれば、わざわざ文にはしないのだ。
「…恐らく、果たし合いの為の文なのです…」
そう確信が出来た。
確信はしたが、翔隆は死しか予見出来ない。
「…済みませぬ……やはり、生きて戻る自信は…」
「軍勢で殺されに行くのか?」
「いえ、あ…」
そう言われて自分が死んだら結局は壊滅するのだと悟る。
「生きて戻れ」
そう言い信長は翔隆の頭を左手で己の胸に抱き寄せ、右手で背を撫でてやった。
〈のこのこと行って、殺られる訳にはいかない…〉
皆が死なないように守らなくてはならない!
そう強く思い、やっと戦う覚悟が出来た。
翔隆は顔を上げて言う。
「例え手や足を失くしても、戻って参ります」
そう言う目には、もう涙は見られない。
「ん…」
信長は苦笑して頷き、その背を叩いて座った。


 屋敷に戻って夕餉を摂ってから、翔隆は皆に果たし状を見せて言う。
「…各地の頭領達が来ると言うので、中国や九州、四国や陸奥などは誰か一人だけにするように文を書かねばならんのだ。その時は何も言えなくてな…」
そう翔隆が言い、紙とすずり
を用意した。
すると睦月が側に来て言う。
「私も共に行く」
「駄目だ。睦月は病なんだから」
「血を吐いても行く!」
そう言い、睦月は部屋に籠もった。
「………」
翔隆はその襖を見て溜め息を吐いてから、皆を見る。
「どうせ居てくれ、と言っても付いてくるだろう?…私は果たし合いをしたいんだ…恐らく焔羅も。だから、邪魔はするな…いいな?」
そう言う翔隆は真剣で、皆は何も言えずに頷いた。
そして、文を書くのを手伝った。
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