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第四章 ~災厄の蹂躙者~ 4

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 ガベルの待ち伏せていた隊を死なない程度に痛めつけた後、ビローは傘を下に下げたまま空を歩いていた。
 実際には歩くという行為はポーズ以外の何物でもなかったが悩める者としてはたとえそうだと分かっていてもそうしないではいられなかった。

「………ポイト……」

 ビローはどうして彼が禁を犯したのか分からなかった。
 そして人間で言うところの幼馴染みに当たる彼を自らの手で罰さねばならないことに深く傷付いていた。
 彼の返答如何(いかん)によっては殺さなければならない。
 その事実が更に彼女の心を追い込ませる。
 一分一秒でも先延ばしにしたい。
 もはや引くことなどできはしなかった。彼は今回何度も禁破りに近いことをしている。すでにそのことは他の者たちにも伝わっているだろう。自分がやらねば他の者が手を下す。
 まず間違いなく自分の目の前でそれが行われる。ビローはそんなことになるくらいなら自分でやった方が遥かに気が楽だった。
 ただやはりしたくはないのだ。できることなら彼を――何のお咎めも無く済ませるとはいかなくても――助けてあげたかった。

「もう口先三寸ではどうにもならないわ。ポイト、覚悟はいい?」

 だが無情にも、ビローの中で決着をする前にポイトが現れてしまった。
 どうして自分から現れたのよ。
 ビローは張り裂けそうな心を抑えて、しかし幾分かは顔に出て彼女の顔を顰(しか)めさせた。

「怖い顔をしないでくれよ。これでも気を使ったつもりだよ。こうして逃げずに自分から来たんだから。余計な手間が掛からなくて良かったじゃないか」

 自分から刑を受けに来るくらいなら罪が重くなっても逃げてくれた方がよかった。

「ポイト、あなたは自らの手で人間を殺すというルールに反する行為を犯した。どうなるかは、もう分かっているでしょう?」
「確か……軽くても能力を奪われて数ヶ月の禁固刑、しかもその間監視がたっぷりついてそちらの取り決めた意に反する行動を取ったら一気に数年伸びるっていう無茶な内容。重くてその場で有無を言わさず死刑だっけ」

 あははと笑って言うその態度にビローは苛立った。
 自分がそうなると分かっていながらどうしてそんな愚を起こしたのか。どうしてせめて一言何か言ってくれなかったのか。私という存在は彼にとって取るに足らないものなのか。
 ビローは自分が彼に持っている三つの意識――罪を咎める意識、仲間としての意識、深いある情を持っての意識――が複雑に絡み合った。

「っくぉの!」

 傘を彼に叩き付けた。
 力任せの、特にどこに当てるか深く考えもしない一撃だった。
 ポイトはそんなビローの、八つ当たりとしか言いようのない攻撃を避けなかった。

「なっ!?」

 ビローは当然、こんな人間でさえ簡単に躱せるものを彼が躱さないなんて思っても見なかった。
 打ち付けられた傘は、がっ、と下にあった建物の屋根に落ちていった。
 ポイトがどんな気持ちでそれを受けたのかは分からなかった。分かりたくもなかった。
 少なくとも甘んじて、とか迷惑を掛けたから、とかそんな生易しい気持ちでないことは彼のいつもとは違う生意気な顔からは考えられなかった。
 ケタケタ笑うことによってできる生意気ではない。ただ黙ってふーん、とこちらを見るという生意気だ。
 余裕の色も無い、達観したように蔑む目でもない。
 ただ表情を無くして前を見てるだけだった。それだけなのに危うさの無い雰囲気が全体に醸(かも)し出されていた。

「安心しなよ。僕はもう話を着けてきた後だから。君が勘違いするのを分かっていて言っただけだから」
「私が、何を、勘違いしてるっての」
「僕は言ってないよね。何から逃げずにここに来たかを」

 ビローはなんとなく嫌な予感がした。しかしそれは最悪でないことを感じ取ってもいた。

「僕はね、自分で君に僕がどんな刑を受けることになったかを言いに来たんだよ」

 雷に撃たれたような衝撃が走った。

「悪いね。君がこうして葛藤をしている間にもう事は済んだんだ」
「ポ…イト」
「実刑判決は禁固刑で済んだよ。軽くは無いけど。僕の話に彼らが乗ってくれたおかげだ。早ければ二ヵ月後には外に出られるよ。能力はこの先二年はほとんど使えないけど」

 ポイトはそうしてビローを安心させてから微笑んだ。そうしていると見た目よりかなり大人っぽく見える。

「じゃあ僕はこれで。制約ばかりの刑を受けに行くよ」

 ビローが何かを言う暇も無くポイトはその場から掻き消えた。

「ポイト……」

 一人残った彼女はその名を胸に手を当てて囁(ささや)いた。


                ◇◆◇◆◇


 シースは街中のざわめきを気にせずに歩いていた。
 捜査対象を壊滅してしまってから一日。街は新興の馬鹿な組織が潰れたことを噂していた。
 もちろんシースはあのあと怒られ、反省文を書かされた。しかし仕事は続けるよう通達された。
 そこで足で動いて調査をしているのだが、街中を歩いても人々の口に上がるのは皆同じ内容(こと)。捜査に進展は無かった。
 人の動きという荒波に、そっと懐を押さえた。
 そこにはお手製のクッキーが入っている。すでに最初に作ったクッキーは食べて処分した。今あるのは四回目に作った物だ。
 アウロイやフェレンなどは夜中にこっそり作るなんてことをせず堂々と昼に作れば良いのにと言ってきたがそれは無視した。
 自分が嫌われていることはちゃんと自覚していたしこんな奇行としか言えない事をやっているのを見られたら嫌味や余計なことをしてくるに違いない。
 いくらなんでもそんなことをされてまで続けるようなことではないからわざわざ夜遅くに調理しているのだ。たとえそのせいで怪談話が出てきたとしても。
 おそらく自分はこれを続けていたいのだろう。そしてこれが終わるのは目的の人物に渡すことができたとき。

「…………本当におかしいな」

 なんでこんな自分でも明らかにおかしいということをどんな手を使ってでも続けようとしているのだろう。シースには皆目見当が付かなかった。
 そんな風に少しだけ上の空になっていると、どん、と誰かが自分にぶつかった。
 物取り(スリ)か? そんな簡単に自分にぶつかられたことに、だとしたら相当腕の良い奴だなと思いながら特に危機意識を持たずに相手を見やった。

「なっ」

 ぶつかった相手は見知った者だった。更に言えば今一番会いたいような、しかしできれば一生会わなくてもいいような相手だった。

「あっ、すみません。考え事をしていたものですから前を見てなくて。大丈夫です、か?」

 最後の方は惰性で出たようなものだった。相手も驚いたのだ。こんな出会い方をするとは夢にも思ってなかったに違いない。自分もそうなのだから相手もそうだと勝手に彼は思っていた。

「シース、さん?」

 ああ、やはりよく似た誰かで最後の方が尻窄(すぼ)みになたのはこっちが怒っているのだと思って恐怖したからでもないんだなと最終確認した。
 惨めな足掻きとは言うなかれ。誰だって関係が微妙で調子が狂うような相手とは突発的に会いたくないと思うのは当然のことなのだから。

「え? え? あれ、あの」
「落ち着け」

 とりあえずあちらの方が取り乱したおかげで余裕が出てきた。
 シースはフィルネの自分より下にある頭を片手で押さえ付けてじっとさせた。当初、混乱していた彼女も次第に大人しくなっていった。

「なんでここにいる。お前がここに来るような依頼は今、回らないはずだ」
「あ、それは……」

 俯く彼女。シースはそれで事態を推測の域は出ないもののある程度理解した。

「勝手に来たわけか。組織の事務支援(バックアップ)もなしに動くなんてお前にはまだ早いだろう。それから許可も無く動くことは刑罰ものだ」
「そうだけど……」

 フィルネは俯いたまま顔を上げようとはしない。
 そこで異変に気付いた。
 普段ならこんなことはしないだろう。別に彼女が優等生というわけではない。危機管理能力がそれなりにあれば誰も重い刑罰なんて受けようとは思わない。それにこんな歯切れの悪い、俯いたままの会話なんていままでほとんどなかった。
 手作業をしていて必然的にそれをやりながらというのぐらいだ。もちろん会話の途中に俯くこともあるがそれだってこれほど長い時間俯いていたわけじゃない。
 いったいどうしたというんだ。
 シースは何か取り返しのつかないことが目の前で進行しているような気分に陥(おちい)った。

「何があった」

 訊き出そうと思った。そうするしか道は無いと本能的に悟っていた。
 いまここで解決しなければいけないことのように思えた。そして暗い中でどこに足場があるのか分からないままこれを越えなければならないということも感じた。
 一つ、またはたった一度間違えるだけで深淵の底へと落ちてしまうような張り詰めた感覚の中、彼はまっすぐにフィルネを見つめた。
 答えはない。
 話をするには時間が掛かると分かり人気の多い雑踏から人気のない方へと彼女を引っ張って連れて行った。
 公園。そう呼ばれていて、しかしそれ以外に名のない場所へと彼女を連れて行く。普段から人の姿など無く子供の遊ぶ姿などお目に掛かれないさびれた所だ。
 そこでシースとフィルネの二人は向かい合った。

「フィルネ。何があった?」

 もう一度、訊く。

「…………あの日、出したよね。怪物を。怪物使い(ワンダーシープ)としての」

 フィルネはそう、切り出した。

「怪物使い(ワンダーシープ)の怪物は想像によって作られたもので、その美醜は宿主の心のあり方に関係するのは、周知の事実」

 フィルネは辛そうに次の言葉を紡いでいく。

「だから、その怪物が醜いということは創造主の心が醜いということ」

 一拍間を置いてから、一つの名を口にする。

「〝ミケイナ〟……って言いましたよね。シースさんのは」
「…………見ていたのか。気絶していたと思っていたんだが」
「思い出したのはついこの前なんです。それからずっと悩んで、考えて、……出しました。答え。私はシースさんに会って話をするって。それで来たんです。ここまで」

 気が付いたとき、彼女はシースをしっかりと見ていた。心なしか少し笑んでいるようにも見える。

「教えてください。シースさんは、私のことをどう思ってるのか」

 フィルネはいたく真剣なようだが、言われた方にとっては思わぬ言葉と言うしかない。普通はもっと違う言葉が出てきはしないだろうか。

「何を考えてるのか分からないな。なんでそんなことになる?」
「なんでって、何かおかしいですか? この質問は」
「てっきり、半年以上前の事件で言われてるパートナーを盾にしたのは本当なんですね。とか、どうしてあなたみたいなのがガベルにいるんですか、とか。そんなのが飛び交うかと思ってた」
「そんな事を考えなかったと言ったら嘘になります。でも、本当に酷い人なら、フェレンさんやアウロイ支部長、ゴロイさんに便宜されることも普通に話してることも無いと思います。それに、婚約者であったビュアネさんはシースさんを憎んでいません。納得のいかないところや関わり方をどうしたら良いのか分かっていないみたいですけど」

 フィルネは何を思ったのかクスリと笑いを出した。

「私自身がシースさんと付き合ってきて、シースさんが決して汚い人でないことは知っています。冷たいところが随分ありましたけど」

 睨むようにこちらを見る。

「それで私は決めたんです。これからもパートナーでいることを。だけど、シースさんは私とパートナーでいたくないのかもしれません。だから訊きに来たんです」

 一気に吐き出して気が済んだのか、彼女ははあっと一息吐いた。

「私は至らないですか。頼りないですか。必要ないですか。私はただの足手まといですか。言ってください。私は、シースさんのパートナーとしていてもいいですか?」

 真摯な、それでいて悲壮な表情で問い詰めてくるフィルネ。しかしシースには答えられるわけがなかった。なぜなら彼はまだ自分が彼女をどう思っているのかまったく分からなかったからだ。
 ただ、はっきりしてることが一つ。

「お前は俺のパートナーだ。それは揺るがない」

 フィルネは違うという風に首を振った。

「そうじゃないの。私が聞きたいのは――」
「話しにならない。やっぱり僕が手を出した方が良さそうだね」

 現れたのはビュアネだった。
 ビュアネはどこかイラつくようにしてシースとフィルネを見ていた。

「シース。君はどこまでも自分の意思という点において疎いようだね。そんな誰かが決めたことを言うだけで済むならそもそも彼女はここに来たりはしない」

 調節剣(レギュレイト)を向けて言い放ち、シースにも剣を抜くように指し示した。

「いい加減僕も見てるだけってのは辛くてね。今のを見て君と戦り合うことを決めたんだ。叩きのめしてからなら少しは頭が柔らかいだろうからね」

 汚い物でも見るかのような目付きで彼にしては珍しく怒りも露(あら)わに構える。

「なぜ戦う必要がある? まあこれで合点がいった。昨日の気配はお前か」
「僕がそんなへまをするとでも思うのか? 君は僕がいるのとは別な所に向かっていたよ」

 もしかしたら誰もいない所に向かって行ったのが彼に体たらくだとでも思わせたのかもしれない。だがどうにせよ彼はもう我慢も限界にきて適当な理由を付けてシースをやっつけたいらしい。なんともはや、どうにもならないようだ。
 シースはどうしたものかと思いながらも自分の調節剣(ブラインド)を取り出した。
 一瞬にしてロングソードと化す二振りの剣。フィルネを脇に退けて二人は対峙した。

「君みたいな人の気持ちを考えもしない奴に何ができる。もう二度とあんな悲惨な出来事は起こさせない。その為に僕はあの人の命を受け入れたんだ」
「不毛としか言いようのない戦いだがな。それでもやる気なら受けて立つ」

 ビュアネに対して半身で構えるシース。彼らの間で一気に緊張が高まる様子が視覚できるようだった。

「はっ」

 間合いをあっという間に詰めてからの縦の一閃。それを横に動いて躱し空いた脇腹へと剣を振るう。

「ちぃっ」

 舌打ちしてビュアネは身を捻(ひね)る。僅(わず)かの差で剣は相手の体を傷付けることは無かった。

「終わりだ」
「なにっ!?」

 足払い。身を捻ってしまった為に態勢を整えられず無様に転んでしまう。そこへ何の躊躇(ためらい)いも無く振り下ろされる剣を間一髪、自分の剣で防ぐ。

「ふぅ」

 一瞬力を抜き剣を浮かせたところへすかさず剣を振り上げるが如何せん、倒れていた為に後一歩届かなかった。
 そして少ししか浮いていない剣を再度下に下ろされる。今度は防げなかった。
 シースの剣はあの一瞬で短剣へと変わりそこから更にまたロングソードへと変化するなどという大それた真似をしてくれたせいだ。

「く、そっ」

 喉元に突き付けられた切っ先を憎々しげに見つめ、ビュアネは呻いた。
 力の差は歴然だった。
 シースはまだほとんどその場を動いていないのだ。また、剣技(けんぎ)とも体術とも言えるほどの物を彼は出していなかった。

「結局何をしたかったんだ? あっさり負けたからって自害をされても困るし……とりあえず寝てろ」

 シースは腹を足で踏みつけた。

「げがっ」
「…………」

 当たり所が悪かったのか変な悲鳴と腹の辺りでゴリッとする感触が感じられるがまあ、今は無視していいだろう。死ぬわけじゃないし。

「え? あの、良いの?」

 フィルネが何か訴えてくるがそれも無視。気にしたら負けだ。何に――または誰に――負けるのかは知らないが。

「帰るぞ」
「どこに?」

 シースは分からないのか、という視線を思いっきりフィルネにぶつけた。

「ガベルの、第六支部に」
「どうして?」

 まだ話は何も終わってないのだ。それなのに勝手に帰るだのと、まだ仕事も残ってるはずなのに。

「お前は、勝手に、黙ってここに来たんだろう? だったら早く帰還しないと大変なことになるぞ」

 まして組織の権威を失墜させたばかりのところに失墜させた張本人がいるなんて話、上の耳に入れるわけにはいかない。

「帰りは俺も一緒に行く。一人で行かせるわけにはいかないからな。仕事の方は大丈夫だ。どうせ、あまりしたことのない雑用ばかりだ」

 ビュアネが付いていたのはアウロイの好意や彼本人の使命感からばかりではない。彼女が今危険に晒(さら)されているということが示されている。

「待って」

 そこから離れようとしていたシースの足を止める声がした。

「まだ私は返事を貰ってない。だから、一緒には行けない」

 目を細める。
 この後に及んで、まだそんな事を言うのか。
 シースは呆れてため息を吐いた。

「俺はお前がパートナーで問題無いということを言った。それでもう終わりだろう」
「そういうことじゃなくって」

 フィルネは頭を振ってどうにか伝えようと必死になる。
 しかしシースには彼女が何をしたいのか分からなかった。
 いや、正確には何を言えば良いかはなんとなく分かっている。
 しかし、彼にはそれを言うだけの度胸は無かったうえ、自分の感情の整理さえままならないのに言えるような代物ではなかったし今の彼がそれを言うととても長くて要点の掴めない話になる。
 そんなわけで一体自分が彼女を本当はどう思ってるのかも幼児以下に分からない彼は結局、自分も相手もどう扱えばいいのか分からないという状況に陥ってしまっていた。
 できるのは素っ気無く振る舞うこと。
 それだけだった。

「いいから行くぞ。余計な些事に構ってる暇は無い」

 それが、彼女の琴線に触れた。

「……ほんと、にもう、いや。なんで分かんないの? どうして普通に接してくれさえしてくれないの? なんでそんなに人と付き合うことを避けるの? もっと人を見たらどうなのよっ! 誰かの言うこと聞くばっかで自分が何をしたいのかも、何かを望むことさえしないまま終わるの? 人の事を分かろうとしないで感情の籠(こ)もってない言葉で誰かを納得させられると思ってるの!?」

 静寂。
 シースは何も言わなかった。
 ただそこに立ち、見ているだけだった。
 何かを言いたい。けど何も言うことがない。
 そんな、どうしようもない状態だった。

「…………俺が言えるのは」

 相手の息遣いと自分の息遣いだけが聞こえ、動くこともままならない空気の中、搾り出すようにシースは言葉を出した。

「帰るぞ。それだけだ」

 ビュアネを担ぎに移動し、彼を運ぶ事を理由にその場を去ろうとする。
 フィルネの顔は見ない。見れるわけが無かった。

「…………」

 フィルネもその場を動かず、何も言わず、突っ立っているだけで何もすることはd系無かった。
 できるわけがない。今何をしても彼から答えを貰えるはずが無いのだから。

「門の前で待ってる」

 何かをすることそのものが辛いこの場所で、最後に一言彼はそう言った。


「どうした?」

 ドーアンは帰ってきた居候の様子がおかしいことに初めから気付いていたが、今の今まで何もしなかった。
 だが、流石に作業場の前にずっといられるとあっては何か言わないわけにはいかなかった。

「う……ん、何でもないの。ただ、ちょっと参ってるだけだから」

 何でもないのに、会って一日の人物を頼られても困る。
 そんな事を思いながら作業を中止し、物を片付けた。
 フィルネのところからそれは見えないが音で気付いたのだろう。慌てて弁明してくる声が聞こえた。

「気にするな。最初に関わったのは俺の方だ」

 これもまた、仕方の無いことなのだろう。
 半分諦め気分で彼はフィルネと共に食事をしに家を出た。

「何が食べたい」

 活気のある街並み。こう表現すれば好く取られがちだが実際ここでの活気はそのまま裏の活気である。
 そんなただ中を相手の遅い歩みから必然的に先行して歩くドーアン。彼は感情を出していない顔とは裏腹にとても辟易していた。
 普段はこんな時間に街に出ることなど無い。裏が活気付くということはそのまま自分の身の危険も増えるからだ。
 昨日はどれほどの物か確める為に出ていたに過ぎない。自身の目で確認してでしか本当の姿など見れはしないのだから。
 時間が無い時やどうしようもない時は幾つものある程度以上の信頼が置ける情報屋を雇って調べてもらう。でなければひょんなことから死に繋がる事が多々あるのだ。
 事実、過去十数回もそんな目に合ってきている。
 いつまでも答えのないフィルネに嫌気が差して、勝手に店を決めてそこに入った。彼女も何も言わずただ付いて来る。
 それを見て余計に気分が悪くなった。
 余程いままで運が良かったか腕の良い仲間がいたようだ。何の警戒も無く付いて来るし店にも入る。中を一瞥(いちべつ)することすらしない。
 だがそれほどに機嫌が悪くても彼は口に出すことはしなかった。
 身の危険を回避する術を身に着けるには実体験しなければならないからだ。どれほどの訓練を積もうと、用心をしようと、そこに実際の経験という物がなければ役には立たない。それを知っているからだ。
 もっとも、俺の近くで揉め事を起こす気などさらさら無いが。
 身の危険はいつでもそこにある。大げさではない。彼の場合本当にそうなのだ。裏に身を置く者には。
 頼んだメニューが着くまでの間、彼は店に危険度を付けた。最低限の注意で問題無し。
 そこで向かい合う形で座ったフィルネの方を観察することにした。
 いまもまだ、気の抜けた表情と意識が見て取れる。心ここに在らずとはまさにこのことだろう。彼が裏の世界に入ってから、いやその前の裏に入るまでの出来事から、こんな物はついぞ見たことはなかった。
 そういう意味では貴重だが、それには一体どれほどの値段が付くのだろう。手足の一本かそれとも内臓か、もしくは一生喋れなくなるか片目でも失うか、もしくは命か。とにもかくにも、法外な値段が付くことになりそうだ。

「どうぞ」

 店員が素っ気無く頼んだ物を運びに来た。それを鷹揚(おうよう)に受け取り、並べる。
 そこそこの値段でそれなりの物が出された。初めて来る店だが悪くは無い。しかし、家から近過ぎてもう来る気にはなれなかったが。

「悩み事か?」

 ドーアンは訊いた。
 詮索は好きではないがいい加減うんざりしていた。そろそろ余計な接点を持つ相手と別れる為にも、ここらで手伝って解決した方が良さそうだった。

「……はい」

 料理を食べる手を休め、小さく頷く。ドーアンは先を促した。
 話を聞き、ドーアンは呆れ返った。全く、こんな事で人の手を煩わせたのか。

「縁を切れ。それが嫌ならはっきり伝えろ。自分がその男に何を望んでいるのかを」
「それは、伝えました」
「伝えていない。お前が言ったのは自分はパートナーなのだからもっと信頼してくれ、とそういうことじゃないか。望みは言っていない」
「そんな……」
「聞いた限りじゃ、お前はそいつにこう言いたいんだよ。もっと私を見て、ってな」
「違う」
「違わない。……別に恋だの愛だので言ってるわけじゃない。お前は誰よりもそいつを信頼するつもりでいる。だから、その報いが欲しいのさ。無意識のうちにな、そう、望んでるんだよ」

 それきり、ドーアンは黙りフィルネも口を出すことなどなかった。
 しばらくして――ドーアンが料理を食べ終わって飲み物も半分以上飲み終わった時――フィルネは小さく、言った。

「そう、なんでしょうね」

 ドーアンは何も言わなかった。もう後は自分でできるだろう。これでもかなり世話を焼いたと思うほどだった。

「そうなんですね。あはっ、何だか分かったらすっきりしました」

 フィルネは空元気とも取れる笑顔で喋る。

「ありがとうございました。私、これからどうすれば良いのか、少し分かった気がします」
「そうか」

 ドーアンは変わらず素っ気無い。

「私、これから行かなきゃならないとこがあるんです。失礼します。あっ、お金は……」
「いい、奢りだ」
「えっ、でも」
「行け」

 彼はそれきり、フィルネを見ることもなかった。
 フィルネは席を立った後黙って一礼し、その場から走って行った。

「……たまには、悪くないかもな」

 残った紅茶は音を立てて啜(すす)った。


                ◇◆◇◆◇


 門の壁に背を預け、どれほどの時間そうしていただろう。目を瞑(つぶ)り、頬を風で撫でられ、耳が人の動きを捉えて離さなくなって久しいぐらいには待っただろう。
 近付く気配を感じ、それが知己の者である事を確認してから顔を上げる。

「フィルネ……」

 もっと時間が掛かるものと思っていた。もしかしたら一生来ないのではないかとさえ思った。
 だが、待ち人は来た。
 少なからず――シースにしては――喜びに近い物が顔に出る。
 フィルネはなぜか、こうなってしまう前の立ち居振る舞いで歩って来る。
 違和感を覚え、しかしそれはすぐに自分の中で都合よく解釈され、結局は無視される。

「シース……。私ね、分かったの。たぶん、今じゃ答えが出ないことが。でも、それじゃ私は待てないの」

 シースはその言葉に戦慄した。
 まるで、それが決別のように聞こえたから。
 フィルネはそんなシースの様子を見て微笑む。
 そして、締め括りに一つ、零(こぼ)した。

「だから、魔法の終わり方を見せてあげる」

 そこで……シースの意識は暗転する。

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