鳥かご童話

ななはら

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プロローグ

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* * *



〝アルベルト様がいらしたわ〟

 通りすがりざま耳をかすった囁きに、マリーは歩みを緩めた。

 壁際に集まった娘たちが、口元を扇子で隠したまま頬を紅く染めあげている。会場では、着飾った紳士淑女がめいめいに話しこんでいた。
 しかし今、彼らの関心は一点に集まっている。
 マリーは冷めた瞳で視線の先をたどった。
 ホールの入り口に、背の高い青年が立ち止まっている。

 アルベルト・フォルツァ。

 マリーのブライス家と並ぶ名家の嫡男だ。
 アルベルトは、濃いブラウンの髪をオールバックで固め、その美しく整った顔を惜しげもなく晒していた。早速挨拶に来た者に、柔和な笑みを向ける。
 あの笑顔に、誰もが心を許してしまう。

〝ダンスに誘ってくださらないかしら〟

 背後で、誰かが囁いた。



「余所見をしていてはまた転びますよ」

 マリーの手を引いていたクロードが正面を向いたまま呟く。

「わかってるわ」

 マリーは憮然とした面持ちでクロードを見上げた。嫌味なほど完璧な礼装のクロードは、マリーの従兄弟であり、婚約者だ。

 資産家のブライス家は爵位こそ無いものの、上流階級にその名を連ねている。ブライス家の功績は、大公からも存分に認められていたからだ。

 その名誉を誇りに思いつつ、しかしブライスの一族は、自分たちが生粋の貴族家でない事に並々ならぬ劣等感を抱いていた。クロードもそうだ。その証拠に、彼は白銀の肩まで伸ばした髪を後ろでひとつにくくるという、都で流行の髪型を真似ていたし、金糸の刺繍が入ったタキシードはファッションの最先端をいっているものだ。靴にいたっては、外国の有名な靴職人へオーダーメイドしたもので、貴族家でもおいそれと手に出来ない代物であった。全てはコンプレックスゆえの見栄。見た目で舐められてはたまったものではない、とクロードは念入りにそれらを準備していたのだ。

 マリーは、クロードほどブライスの名前に執着はなかったが、“成り上がり”と馬鹿にされたくないという想いは理解できた。
 その出自のせいで仲間はずれにされたり、茶会への出席を拒否されたりと、苦い経験もあったからだ。

 今夜は、マリーにとっては数ヶ月ぶりの社交であった。
 こういった場は普段は兄に任せきりだった為、煌々と光るシャンデリアにも、多すぎる人の数にもめまいがする。
 覚悟はしていたものの“金持ちのブライス家”と懇意になりたい者達との対話はひどく疲れるものだった。

 友人に会えるのは嬉しかったが、それ以上に兄の用意した新品のドレスはウエストを締め上げる最悪の出来で、早く脱いでしまいたいとそればかりだ。

 マリーの貼り付けたような笑みに、クロードが脇腹を小突く。気付けば、小太りの男がこちらへ近付いてきていた。クロードが小さく耳打ちしてくる。

「マリー、エンブランド卿です。ご挨拶を」

(媚びを売るなら、フォルツァ家のご子息がいらしているのに。)

 マリーは心の声を封印して軽く腰を折った。

「お目にかかれて光栄です、エンブラント卿」

 エンブラント卿は、丸いお腹をゆすって、ほう、と目を細める。まるで品定めするように、たっぷりとまるまった己の顎をさすった。

「マリー殿、お美しくなられましたなあ」
「いいえ。私など、皆様の足元にも及びませんわ」

 厳しいマナーレッスンのおかげで、上流階級でのマリーの評判は上場だ。クロードも満足気に頷く。クロードが銀行の話題を出したところで、エンブラント卿とやらが、財政界でも権力のある人物だと、マリーはようやく思い出した。
 毎朝新聞に目は通しているのだが、興味のない話題はマリーの記憶には一切残らないのだった。



* * *
 


「お兄様が出席なさればよかったのに」

 ブライス家の代表ならば、彼の方が適任だ。
 エンブラント卿と別れた後、マリーは頬を膨らませた。

「仕方ありません。兄君を外国から戻すわけにはいきませんし、父君も容態が思わしくないのですから…今夜ばかりは欠席とも行きませんしね」

 クロードは小休憩しましょうと、壁際へマリーを連れ出した。シャンパンのグラスを傾けながら、会場を観察する。その視線はさながら獲物を狩るハンターのようで、ブライス家に有益な繋がりがないか探っているらしかった。

「領主様はどこにいるの?早くご挨拶をして帰りましょうよ」

 早く帰って、猫のエリザと遊びたい。

 このところ元気がないし、獣医は心配ないと言っていたけれど、眠っていることが多くなったように思うのだ。
 マリーはクロードの肘をひっぱった。
 伸びるじゃないですか、と嫌な顔をされるのを覚悟していたのが、クロードは会場を向いたまま、固まった。前を見据えたまま、皮肉めいた笑みを浮かべる。
 誰かが近付いてきた。

「これはこれは」

 クロードの慇懃な挨拶には、確かな蔑みが含まれていた。マリーは、クロードの袖をぎゅっと強く握り締める。

「フォルツアのご子息様ではありませんか」

 クロードが睨み据えた先には、側近を従えたアルベルトの姿があった。

「そう構えないでください。挨拶がしたかっただけですよ」

 今にも噛み付きそうなクロードに、アルベルトは困ったように微笑む。
 遠目では分からなかったけれど、アルベルトはよりも身長が伸びて、男性らしい顔つきになっている。昔はひょっとすると女の子にも見えたのに。

「クロード殿、でしたね。ご無沙汰しております。マリー嬢も、お元気ですか?」

 マリーが応えるべきか迷っている隙にクロードが庇うように前に出た。広い背中に視界が阻まれる。

「ええ、こちらこそ大変ご無沙汰しております。アルベルト様。今夜はお会い出来てよかった。我々が出る夜会には出席なさらなかったり、反対にフォルツァ様が出られる会はこちらが行けずじまいと行き違いが多くありましたからね。今夜こそはと思っていたのですよ。マリー?マリーでしたらこのように元気です。恥ずかしがり屋なもので、あまり外には出ないのですが」
「そうですか、元気ならよかった」

 アルベルトが柔らかく微笑んだのが分かった。クロードは笑みを浮かべながらも、高圧的な態度を崩さない。

「ところで、ご高名のアルベルト様が私めなどに何用でしょうか?お話するのも恐れ多くて」
「ああ、実はマリー嬢に用がありまして」

 アルベルトが、クロードの背後に隠れていたマリーをひょっこりと覗く。
 そしていつかのように手を差し出した。
 あれはそう、今から7年も前のことだった。

 あの頃はマリーも、そしてアルベルトも、互いのことも、世界のことも、なにも知らなかった。


 だから、友達になれたのに。
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