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一章
遠い日のふたり
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これは、マリーがまだ10歳の頃のお話です。
その日は、領主様の計らいで領内の子供たちが城に招待されていたのでした。
領主様ご夫婦は大変仲が良いのですが、実際には子供がいらっしゃらず、この集まりは、子供好きの奥様をお慰めするていもあったのです。
呼ばれた子供たちは三日三晩、領主様のお城に泊まりこみでした。
詩の朗読したり、得意のピアノを披露したりと、皆で騒ぎあっておりました。
マリー・ブライスもその一人として領主様に招かれておりました。
ところが今、マリーはひとりぼっちで、途方に暮れていました。
からっぽの籠を抱えながら、涙を堪えて、知らない森を踏み歩きます。
森とは言っても、領主様の城内ですから野犬や迷子の心配はありません。
それでもマリーは、飼い猫のエリザが怪我をしていないか、もう二度と見つからないのではないかと心細くてなりませんでした。それというのも、エリザはまだ仔猫でしたし、そのくせ好奇心が旺盛で、高い所に上りたがるクセがあったからです。まだ小さなエリザは悪戯っこで、カーテンに爪を立てながら天井近くまで上ることはしょっちゅうでしたし、上ったはいいものの、降りられなくて助けを求める事も何度かありました。
今もどこかで降りられなくなって震えているのではないかと想像するだけで、マリーは自分のことのように身が縮こまるのでした。
「エリザ、エリザ、どこにいるの?」
しかしマリーがいくら呼びかけても、森は微かな葉の音を立てるばかりです。
足の裏は痛み出すし、しだいにお腹も減ってきました。
くたくたになったマリーは大きな木の根元に座り込んでしまいました。
普段でしたら、今頃はお茶の時間です。
でも、戻るわけには行きませんでした。
教育係のケイトはそれは厳しく、口うるさい女でした。そのケイトの言いつけを破ってエリザを連れてきてしまったばかりか、領主様のお屋敷で逃してしまうだなんて。これが知れたらどれほど怒られることでしょう。
「ガーデンパーティも欠席してしまったし、歌会には間に合わないだろうし、どちらにしろは夕飯は抜きね。ビスケットとミルクだけ渡されて、ひもじい気持ちで眠るんだわ。ううん、それだけじゃない。きっと躾部屋に入れられて、長いお説教を喰らうのよ」
マリーは大木に背を預け、目を瞑りました。
さやさやと流れる木々の音は耳に心地よく、こんな境遇でなければ眠ってしまいそうでした。
「…これをみたら、ケイトは絶叫するわね。〝おいくらするものとおもっているのですか!〟って」
マリーは他人事のように呟きましたが、彼女の身につけているものはなにからなにまで間違いなく高価なものばかりでした。
今日の為にと新しく誂えたドレスは薄桃色のワンピースで、繊細なレースを袖口にたっぷりと縫い付けてありましたし、耳たぶで揺れている特注のイヤリングは都でも人気の細工師に作らせたものです。白いエナメルのパンプスにも宝石の飾りがついていて、キラキラと光っています。
普段はブーツばかりでしたから、その格好は動きにくくてなりませんでしたが、ケイトに逆らう気にはなれません。彼女の口は恐ろしく達者で、少しでも意見しようものなら、くどくどと一時間近く立ったまま話されるからです。それならば少しくらい踵が痛むほうがマシでした。
いいことをひとつあげるとすれば、髪型ぐらいのものでしょう。
悩ましいマリーのくせっ毛は、ケイトが上手いこと編み込んで花飾りをつけてくれたおかげで、なんとか見れる程度にはなりましたから。
正直を言いますと、今日の宴だってマリーは乗り気ではありませんでした。
人前に出るのは得意ではありませんし、貴族の子供達は気位が高く、どうにも話が合いません。
ですが、父と母、それにケイトが加わっては、マリーがどう太刀打ち出来るものでもありませんでした。
だからせめて、大人しく出席する代わりに、荷物の中にエリザを忍ばせるくらいのワガママは良いと思ったのでした。
けれど、マリーは今、こんな事態になるのならおとなしくケイトの言うことを聞いてエリザはお留守番させるべきだったわ、と後悔し始めていました。
その時です。
森の向こうから、マリーと同じくらいの年頃の少年が歩いてきました。十五歩くらいの距離のところで、少年もマリーに気付き足を止めます。
少年はマリーを観察するように深いブラウンの瞳を瞬かせました。同時に瞳と同色の髪がさらりと風に揺れます。
「こんなところで何をしているの?」
「猫が逃げてしまって」
マリーは、空の籠を両手であげました。
「猫?」
少年の目尻はわずかに釣りあがっていて、それがどことなく威圧的なのでした。
「どんな猫?」
少年は白いシャツにチェックのベスト、灰色の膝丈のズボンを身につけていました。一歩こちらに歩んだ革の靴は、反射するほど磨かれています。
マリーは、自分と同じ、領主様に呼ばれた子供の一人なのだろうと思いました。
ひとりではどうにもなりそうにないし、と少年にエリザの特徴を話します。
「雪みたいに真っ白で、ふわふわの猫よ。瞳は金色。名前はエリザベス」
「随分豪華な名前をつけたんだね」
少年は可笑しそうに笑いました。
その笑顔の可愛らしさときたら天使のようで、あのケイトでも取り込まれてしまいそうです。
マリーは、自分も彼みたいに可愛かったらもっと愛してもらえただろうかとわずかに思いました。
その日は、領主様の計らいで領内の子供たちが城に招待されていたのでした。
領主様ご夫婦は大変仲が良いのですが、実際には子供がいらっしゃらず、この集まりは、子供好きの奥様をお慰めするていもあったのです。
呼ばれた子供たちは三日三晩、領主様のお城に泊まりこみでした。
詩の朗読したり、得意のピアノを披露したりと、皆で騒ぎあっておりました。
マリー・ブライスもその一人として領主様に招かれておりました。
ところが今、マリーはひとりぼっちで、途方に暮れていました。
からっぽの籠を抱えながら、涙を堪えて、知らない森を踏み歩きます。
森とは言っても、領主様の城内ですから野犬や迷子の心配はありません。
それでもマリーは、飼い猫のエリザが怪我をしていないか、もう二度と見つからないのではないかと心細くてなりませんでした。それというのも、エリザはまだ仔猫でしたし、そのくせ好奇心が旺盛で、高い所に上りたがるクセがあったからです。まだ小さなエリザは悪戯っこで、カーテンに爪を立てながら天井近くまで上ることはしょっちゅうでしたし、上ったはいいものの、降りられなくて助けを求める事も何度かありました。
今もどこかで降りられなくなって震えているのではないかと想像するだけで、マリーは自分のことのように身が縮こまるのでした。
「エリザ、エリザ、どこにいるの?」
しかしマリーがいくら呼びかけても、森は微かな葉の音を立てるばかりです。
足の裏は痛み出すし、しだいにお腹も減ってきました。
くたくたになったマリーは大きな木の根元に座り込んでしまいました。
普段でしたら、今頃はお茶の時間です。
でも、戻るわけには行きませんでした。
教育係のケイトはそれは厳しく、口うるさい女でした。そのケイトの言いつけを破ってエリザを連れてきてしまったばかりか、領主様のお屋敷で逃してしまうだなんて。これが知れたらどれほど怒られることでしょう。
「ガーデンパーティも欠席してしまったし、歌会には間に合わないだろうし、どちらにしろは夕飯は抜きね。ビスケットとミルクだけ渡されて、ひもじい気持ちで眠るんだわ。ううん、それだけじゃない。きっと躾部屋に入れられて、長いお説教を喰らうのよ」
マリーは大木に背を預け、目を瞑りました。
さやさやと流れる木々の音は耳に心地よく、こんな境遇でなければ眠ってしまいそうでした。
「…これをみたら、ケイトは絶叫するわね。〝おいくらするものとおもっているのですか!〟って」
マリーは他人事のように呟きましたが、彼女の身につけているものはなにからなにまで間違いなく高価なものばかりでした。
今日の為にと新しく誂えたドレスは薄桃色のワンピースで、繊細なレースを袖口にたっぷりと縫い付けてありましたし、耳たぶで揺れている特注のイヤリングは都でも人気の細工師に作らせたものです。白いエナメルのパンプスにも宝石の飾りがついていて、キラキラと光っています。
普段はブーツばかりでしたから、その格好は動きにくくてなりませんでしたが、ケイトに逆らう気にはなれません。彼女の口は恐ろしく達者で、少しでも意見しようものなら、くどくどと一時間近く立ったまま話されるからです。それならば少しくらい踵が痛むほうがマシでした。
いいことをひとつあげるとすれば、髪型ぐらいのものでしょう。
悩ましいマリーのくせっ毛は、ケイトが上手いこと編み込んで花飾りをつけてくれたおかげで、なんとか見れる程度にはなりましたから。
正直を言いますと、今日の宴だってマリーは乗り気ではありませんでした。
人前に出るのは得意ではありませんし、貴族の子供達は気位が高く、どうにも話が合いません。
ですが、父と母、それにケイトが加わっては、マリーがどう太刀打ち出来るものでもありませんでした。
だからせめて、大人しく出席する代わりに、荷物の中にエリザを忍ばせるくらいのワガママは良いと思ったのでした。
けれど、マリーは今、こんな事態になるのならおとなしくケイトの言うことを聞いてエリザはお留守番させるべきだったわ、と後悔し始めていました。
その時です。
森の向こうから、マリーと同じくらいの年頃の少年が歩いてきました。十五歩くらいの距離のところで、少年もマリーに気付き足を止めます。
少年はマリーを観察するように深いブラウンの瞳を瞬かせました。同時に瞳と同色の髪がさらりと風に揺れます。
「こんなところで何をしているの?」
「猫が逃げてしまって」
マリーは、空の籠を両手であげました。
「猫?」
少年の目尻はわずかに釣りあがっていて、それがどことなく威圧的なのでした。
「どんな猫?」
少年は白いシャツにチェックのベスト、灰色の膝丈のズボンを身につけていました。一歩こちらに歩んだ革の靴は、反射するほど磨かれています。
マリーは、自分と同じ、領主様に呼ばれた子供の一人なのだろうと思いました。
ひとりではどうにもなりそうにないし、と少年にエリザの特徴を話します。
「雪みたいに真っ白で、ふわふわの猫よ。瞳は金色。名前はエリザベス」
「随分豪華な名前をつけたんだね」
少年は可笑しそうに笑いました。
その笑顔の可愛らしさときたら天使のようで、あのケイトでも取り込まれてしまいそうです。
マリーは、自分も彼みたいに可愛かったらもっと愛してもらえただろうかとわずかに思いました。
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