喫茶うみねこの魔法

如月 凜

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第1章 合挽き肉のナポリタン

《黒田 敏美》

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夫が出て行った病室のドアを見つめながら、そっと自分の胸をさする。

息子家族の幸せな写真を机に戻し、ベッドに横になった。

白いふかふかの布団をきゅっと身体に巻き付けるようにして、麗らかな風にふわりと大きくたなびくクリーム色のカーテンと、その向こうに広がる淡い空色を眺めた。

夫の苛立ちを隠せない言葉と、明らかに痩せてしまっていた姿を思い出すだけで、私の胸の中にちくりと棘が刺さるような感覚になる。

「なんだか、今年の桜はいつもと違うみたい・・・」

窓から見える大きな桜の木は、今まで見てきたものよりも、儚く、舞い散る花弁は、確実に過ぎ行く時の流れを表しているようにも思える。

身体を起こし、おもむろに机の引き出しから、1通のエアーメールを取り出した。


アメリカ人である俊弘の奥さん、ミアさんからの手紙だ。

それは、娘と俊弘を連れて会いに行きたいというものだった。

慣れない日本語で一生懸命書いてくれたのが文字からひしと伝わる。

一文字一文字を指で追いながら、彼女の優しさをその手に感じ取る。

『仕事、休めるようにするから会いに行きたいんだけど、良いかな?』

この手紙が届いてすぐに、俊弘からも電話があった。

『ありがとう。でも大丈夫。お仕事、今がとても大切な時だって言ってたじゃないの。ミアさんもお腹に赤ちゃんがいるでしょう。俊弘は俊弘の今の家族を大切にしてちょうだい。お母さんからのお願いよ。それが親孝行だと思って。ミアさんにも、ありがとうって伝えておいてね。お母さん、とても嬉しかったから』

そう言ったものの、初めは俊弘も納得しきれずにいたが、その後も話をするうちに『・・・わかった。また声聞かせてよ』と電話を切ったのだった。


ミアさんからの手紙を引き出しに戻して、再び布団に入り目を閉じた。

まぶたの裏に、午後のお日様の光を感じながら。


これで良かったのだ。


夫の明弘は、実の母親の最期に会いたくて大切な仕事を投げうって病院へ駆けつけたが、間に合わなかった。

仕事での大きなチャンスを逃してからの彼の落ち込みは、今思い出すだけでも辛い。

私のせいで息子が同じ思いをするのは耐えられないし、奥さんも着いて行くと聞かないだろうから、身重な彼女に無理もさせられない。

微かに聞こえるのは、入院患者さんの見舞いに来た子供だろうか。

病院の庭の桜で、花見でもしているのか、子供の笑い声が聞こえる。


俊弘がまだ小さい頃、近所の土手にある桜の下で花見をしたなぁ。


あと、どれくらい私はこの空を見られるのだろう。


あの桜が散って、青葉が茂る姿を見られるだろうか。


夫と、あと何度話せるだろうか。


夫の笑顔を、命尽きるまでにもう一度見られたら。


夫や、アメリカに住む息子家族を思い浮かべると、自然と頬が緩む。

身体に暗い痛みが走るのを感じながら、眠りについた。
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