おにぎり食堂『そよかぜ』

如月 凜

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風鈴とずんだ餅

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「おはようございますー・・・あれ?ハルさーん?」

 8月のよく晴れた午前6時半。

 寝起きの葉子さんの声が、階段を下りる足音と共に聞こえてきました。

「おはようございます。こっちですよ」

 じょうろを手に、開け放った玄関から顔を出して手招きしました。

「あ、お水やりでしたか。どれどれ・・・」

 葉子さんは、パタパタと足早にやって来ました。

「わぁ!咲いてるっ」

 見事に咲いた可愛らしい朝顔を見て、眠そうな顔からパッと笑顔に。

「可愛いですねぇ!やっぱり夏はヒマワリも綺麗ですけど、朝顔も外せないですねっ」

「ふふっ、そう言って貰えて良かったです。あ、そろそろご飯も出来たかしら」

 葉子さんは私よりも先に「ごっはん!ごっはん!」と嬉しそうに食堂に入っていきました。

 ふふっ。葉子さんは花より団子ですね。

 ふと足元を見ると、小さな瞳で何かを期待するようにこちらを見上げるぽんすけ。

「はいはい、あなたも朝ごはんにしましょうね」

 まるで私の言葉がわかるかのように、嬉しそうに自分のお皿の場所に走っていきました。

 そんな1人と1匹を見て、思わず笑ってしまいした。

 さて、今日も1日が始まります。


「世間はお盆ねぇ・・・私もお墓参りに行かないとね」

 窓際に立ち、ミンミンと元気いっぱいに鳴く蝉の声を聞きながら、夏の昼下がりの風を肌で感じて、ふとそんな事を考えていた時でした。

「ハルちゃん、こんにちは」

 食堂の玄関には、街でおばぁの野菜カフェを営む谷本タツ子さんと、その隣には白髪混じりの髪に、目元のシワを深くしてにこやかに「初めまして」と会釈をする男性が立っていました。

「まぁ、タツ子さん!いらっしゃいませ。こちらへどうぞ。冷たいお茶をお持ちしますね」

「ごめんねハルちゃん。お昼ごはんは食べてきたから、あとでおやつを頂いても良いかね?」

「勿論ですよ。3時にお出しできるように用意しておきますね。もう少しで葉子さんとぽんすけも、お散歩から戻ってくると思いますから」

 そう言って、グラスに氷と麦茶を注いでお二人のテーブルにお持ちしました。

「ハルちゃん、この人は日下部修治さん。うちのお客さんでね。田舎暮らしがしたいって言うから紹介しにきたんだよ。ここらは空き家はないのかね?」

 タツ子さんに続いて、日下部さんは「この辺りは本当に景色が綺麗で気に入りました」と嬉しそうに仰りました。

「まぁ、空き家ですか・・・私より村の方に聞いた方が良いかもしれません。今日は誰かいらっしゃらないかしら・・・」

 窓の外に目をやると、愛犬のハナちゃんを散歩する栗原さんが、こちらに歩いて来るではありませんか。

 そしてその隣には、葉子さんとぽんすけまで居ます。

「ちょうど村の方がいらしたので、聞いてみましょうか。葉子さんも戻って来ますから、おやつの準備もしますね」

 私は食堂を出て栗原さんに事情を話し、お店に来て頂くようお願いしました。


「空き家は無いが、うちの使ってない離れがあるから、住んで貰って構わないよ。人が増えるのは話し相手も出来て楽しいじゃないか。いつでも引っ越して来たら良い」

「本当ですか!いやぁ、嬉しい。ありがとうございます」

 栗原さんと日下部さんはすぐに打ち解けたようで、その後も、とても楽しそうに話していました。


「すみません、畑から食材を採ってきます。すぐ戻りますから、少しお待ちいただけますか?」

「はいはい。楽しみだねぇ」

 タツ子さんはニコニコと、足元に座るぽんすけの顎を撫でました。

 私は盛り上がる賑やかな食堂を後にして、小さな収穫用の竹かごを持ち、裏の畑に向かいました。

「ふぅ・・・流石にこの時間は暑いわね」

 夏の太陽がこれでもかというくらいに降り注ぎ、首筋や額に汗が滲みます。

 ちょっと裏に出るだけでも、帽子は欠かせません。

 お気に入りの麦わら帽子。

 好きなものを身に付けるだけで、夏の暑さも特別嫌だとは思わなくなります。

 今日は枝豆を使います。

 ちょうど収穫時期でしたから、きっととても美味しいお料理になってくれるでしょう。

 鮮やかな深みのある緑色のさやは、ふっくらと膨らんで、ふわふわの産毛も新鮮さを際立たせているよう。

 塩茹でした物はビールのお供にもぴったりですが、今回はおやつに使いたいと思います。


 食堂に、お客様達の笑い声が溢れます。

 私はそれを聞きながらお料理です。

「葉子さん、そちらでお餅を茹でてくださいますか?茹でたらここにお水を張って、冷蔵庫で冷やしておいてください」

 私は葉子さんに、お餅が十分に並べられる大きさのバットを手渡して言いました。

「はーい!」

 葉子さんはバットを受け取ると、近くにあったお鍋にお水を入れ始めます。

 私はその間に、枝豆の両端を切って塩揉みします。

 お次は枝豆を塩茹でしていきます。

 茹でたら、さやから枝豆の実を取り、お水を入れたボウルの中で薄皮を剥いていきます。

 丁寧に、取り残しの無いように。

 すべての薄皮を取り終えたら、水気を拭き取り、すりこぎで潰していきます。

 お砂糖とお塩を加えて味を調えたら、冷やしておいたお餅に絡めます。

 綺麗な黄緑色は、とても爽やかです。

 とれたて新鮮な枝豆を使った、美味しいずんだ餅の完成です。

「どうぞ、お待たせしました」

 葉子さんが、栗原さん、日下部さん、タツ子さんが待つテーブルに、ずんだ餅をお持ちしました。

「これはこれは、ずんだ餅ですか。久しぶりに食べます。昔、死んだ妻が作ってくれたのを思い出します」

 日下部さんは懐かしむように、目を細めました。

「まぁ、想い出のお料理でしたか。奥様にはとても敵いませんが、気に入って下さると嬉しいです。あと、良かったらこちらもどうぞ」

 私は手作りの紫蘇ジュースを、ずんだ餅のお皿の隣に置きました。

「へぇ、ハルちゃんが作ったのかい?色が綺麗だねぇ」

 氷の浮かんだ赤紫色の紫蘇ジュースを手にしたタツ子さんは一口飲み、「うん、美味しい!」と喜んでくださいました。

 日下部さんもずんだ餅を特に気に入って下さったようでした。

 お喋りしながらのおやつの時間は、ゆったりと和やかに過ぎていきます。

「この風鈴、良いですね。優しい音で。何だか懐かしい気持ちになります」

 日下部さんは、窓に吊るしてある風鈴に耳を傾けます。

「ほう、風流なこと言うなぁ」

 栗原さんも目を閉じて、チリンチリンと優しげな音を奏でる風鈴に聞き入っています。

「南部鉄の風鈴です。私はこの風鈴が1番好きで、昔から使っている物なんですよ」

 暖かな風に揺られる風鈴が、静かになった食堂に音を響かせます。

「良い人にも出会えたし、この食堂は料理も美味しいし、店の雰囲気も、そしてハルさんもとても優しい。妻も元気な頃は、こんな場所で余生を過ごしたいと話していましたから、きっとあの世で喜んでくれるでしょうね」

 目を閉じて風鈴の音色を聞きながら、日下部さんが仰いました。


 「ハルさん、ごちそうさまでした。葉子さんもありがとうございました。引っ越して来たら、毎日通うかもしれませんが、宜しくお願いしますね」

 日下部さんは、栗原さんにも深々と頭を下げてお礼を言いました。

「ハルちゃん、また来るよ。うちにもいつでも遊びにおいで」

「はい、またお伺いしますね」

 午後5時。

 日下部さんとタツ子さんは、夕方の田舎道をゆっくりと歩いて帰っていきました。

「いやいや。また賑やかになるな。河田のじいさんと喧嘩ばっかりしてるのとは違って、日下部さんとは楽しい話も出来そうだ」

 栗原さんは愉快そうに笑いながら、村の方へと歩いて行かれました。

「ハルさん、ここもお客さんが増えましたねぇ」

「えぇ、本当に。私ももっともっと頑張らないといけませんね」

 ぽんすけも嬉しそうな表情で、私たちを見上げています。

  お盆は、亡くなった方が帰ってくると言います。

「ふたりとも、今の私を見てどう思うかしら」

 夕焼け空を眺め、ふとそんな事を呟きましたが、葉子さんは気付いていないようです。


 ひとりで始めた食堂。


 最初のお客様は、迷子のわんちゃんでした。

 そのこも、今ではうちの可愛い看板犬です。

 気付けば、お客様も増えて。

 とっても幸せです。


 チリンチリン・・・


 食堂の窓では、風鈴が涼しげな音を鳴らしています。

「さて!ハルさん、夕飯は何します?!」

 葉子さんが「茄子ありましたよね!ひんやりとお浸しも良いなぁっ」と言いながらお店に戻り、ぽんすけは、つぶらな瞳で私を見上げています。

「ふふっ。ぽんすけも夕飯ね」

 ぽんすけも嬉しそうに、自分のお皿に駆けていきました。


 青色と黄色、オレンジとグラデーションのとても綺麗な夕焼け空ですが、やっぱりうちの看板娘のふたりは花より団子のようですね。
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