おにぎり食堂『そよかぜ』

如月 凜

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平成最後の桜

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 白い雪に包まれ、凜とした空気に覆われていた冬。 

 気付けば梅が咲き、景色もぱっと明るくなりました。 

 春ももうすぐと胸を踊らせた頃 春一番が吹き荒れ、寒くなったり暖かくなったりを繰り返していました。

  皆様の所は、桜は満開になりましたか? 

 こちらでも、とても素晴らしい景色を楽しむことができますよ。 

 村を囲む山々も、あちこちに桜が咲いているのが確認出来ます。

  村へと続く道沿いや、土手にも桜の木があり、辺りは見事にピンク色に染まっています。

  時折、はらはらと風に乗って舞う花びらは、とても幻想的。

  見上げた満開の桜は、天色と相まって、見る者の心を洗ってくれるかのようです。 

「ぽんすけ、穏やかで気持ちが良いわねぇ」

  どこからか聞こえる鳥のさえずりに耳を傾けながら、のんびりと歩くぽんすけの背中に語りかけました。 

「本当に本当に平穏。何にもない所だけど、私にとっては宝物ばかりだわ」

  ぽんすけは、歩きながら一度こちらを振り返り、再び前を向いて食堂へと向かいました。

  今朝は、お花見を兼ねたお散歩がてら、村で河田さんの所のコロや、栗原さんちのハナと遊んで来ました。 

「あら、葉子さん。何をしてるのかしら」 遠くに見える食堂の前で、葉子さんが店の看板を眺めて立っていました。

「あ、ハルさんおかえりなさい。ぽんすけも、おかえりー」 

「どうかしましたか?」 

「あぁ、これね。そろそろ新しく書き直さないとなぁと思って・・・」 

 それは、葉子さんが描いて下さった食堂のスタンド看板。 

 お洒落な字体で【おにぎり食堂 そよかぜ】と手書きされ、鳥やお花が描かれています。

  私もとても気に入っているのですが、確かに月日が立ち、雨風にも晒される事もあり、汚れや傷みが見てとれます。 

「ほら、これ。ハルさんがお散歩行ってる間に、新しく看板を作ってみたんですよ。今回はどんなデザインにしようかなぁって・・・」

  顎に手を当てて唸る葉子さんの足元に、ぽんすけが玄関先に置いてあったボールを持って来ました。 

「んー?これが終わったら遊んであげる・・・あっ!ぽんすけにしよう!」 

 葉子さんの表情が、あっという間に明るくなりました。

「まぁ、よかったわねぇ」

  ぽんすけの頭を撫でてやると、嬉しそうに口を開いて目を細めました。

  まるで、葉子さんに描いて貰うためにボールを持って来て注意を引いたかのよう。

 「よーぅし!腕がなるー!」

 「ふふっ。宜しくお願いします。楽しみにしていますね。お店の方は私がやりますから、ゆっくりやっていてくださいな」 

「はい!ありがとうございますっ。ほら、ぽんすけ!そこ座っててね」 

 そう言われるのを待っていたかのように、ぽんすけはボールを加えて葉子さんの向かいにお座りをしました。 

 そんな1人と1匹の、平和で微笑ましい光景に頬が緩むのを感じながら、食堂へと入りました。 

 柔らかい春キャベツ。 

 先日、河田さんから頂いたものです。

  ふふっ。河田さん曰く、『栗原さんとこのより、うちのは旨い』のだそうですよ。

  生姜や、良いお出汁が出る椎茸を混ぜた挽き肉を包みましょう。

  醤油やみりんといった和風のスープでコトコト。 

 甘くて柔らかいキャベツの中に、生姜の風味もふわりと感じられるロールキャベツの完成。

  空いたコンロでお味噌汁を作りながら、隣のコンロでは絹さやを茹でています。

  艶やかな緑の絹さやは、今朝早くに栗原さんの旦那様が届けてくださいました。 

 お砂糖や醤油、胡麻と和えて。 

 パリパリシャキシャキが癖になる、美味しい絹さやの胡麻和えの出来上がり。

  もうそろそろ、お客様がいらっしゃる頃です。


「あら、いらっしゃったかしら?」

  玄関のドアの向こうから、何やら楽しげな声が聞こえてきました。

  濡れた手をタオルで拭いて、キッチンを出ようとすると、取り付けたベルの音色と共に、ドアが開きました。 

「こんにちは。あれ、ベルだ。あぁ、良い香り」

  佐野美香さんは、食堂に入るなり深呼吸をしました。 

「いらっしゃいませ。ふふっ、そのベル素敵でしょう?お好きなお席にどうぞ。今日は窓際のテーブルなら、満開の桜が楽しめますよ」

 「綺麗・・・!ここにしますね」 

「お食事、すぐにご用意しますね」 

 美香さんは席につき、ゆったりと窓の外を眺めています。

  窓からのそよ風に、美香さんの髪がさらりと流れるようにゆらぎました。 

「あのベル、優しい音がして、この店にぴったりですね。あ。おにぎりは梅干しでお願いします」 

「はい、かしこまりました。今日は雅紀さんはいらっしゃるのかしら?」 

「仕事が終わったらすぐに来るって言ってましたよ。美味しいイチゴがあるみたいで、持ってくるって言ってました」

 「いちご!楽しみですねっ!」 

 食堂の前で看板に絵を描いていた葉子さんが真っ先に反応したので、美香さんも笑っていらっしゃいました。 

「それにしても、ここはいつ来ても良い香りでいっぱい。落ち着くし・・・何だろう。実家・・・大好きなおばあちゃんのお家に帰った時みたいな安心感があります」 

「まぁ、それは嬉しいですね。はい、お茶ですよ。お料理、すぐにお持ちしますから」

  私がお茶をお出しすると、「ありがとうございます」と会釈してから、湯飲みに両手を添えて窓の外を眺めていらっしゃいました。

「わぁ、ロールキャベツだ。美味しそう」

 「キャベツも、そっちの絹さやも村の方が作ったものなんですよ。ゆっくり召し上がってくださいね」 

 私は、最後にお味噌汁をテーブルに置いてからキッチンへと戻りました。 

「確か、ハルさんもお野菜とか作ってるんですよね?すごいなぁ・・・いただきます」

 「皆さんが作るものほど立派ではありませんけどね。それでも、私なりに愛情は込めてお世話していますよ」

 「私なんて、毎日お料理するだけで精一杯ですから・・・和風のロールキャベツも良いいですね。これ、凄く美味しいです」

  ぱくぱくと箸を進める美香さんを見ているだけで、作った身としてはとても幸せなものです。 

「絹さやの胡麻和えも、パリパリしてて美味しいー。こっちなら私でも作れるかなぁ・・・」 

「あら、でしたらレシピ書いておきますね。茹でて和えるだけですから、すぐに出来ますよ」 

「わぁ、ありがとうございます!嬉しいっ」

  美香さんは嬉しそうにニコニコとしながら、お食事を召し上がっておられました。

 おかずを食べ、おにぎりを召し上がっていた頃、食堂の扉が開きました。 

「こんにちは!はぁ・・・間に合った」

 「あら、佐野さん。いらっしゃいませ」

 「雅紀君、ごめんね。先にいただいちゃってた」 

「ううん、先に食べてくれてて良かったよ。待たせてたらどうしようって思ってたから」

  佐野さんはそう言うと、持っていた段ボール箱をキッチンのカウンターに置きました。 

「これ、良かったらどうぞ。ばっちり熟れて甘いですよ」 

「来たー!!」 

 待ってましたと言わんばかりに、葉子さんが看板作りを切り上げて、手を洗って箱を覗きに来ました。 

「うわぁ!真っ赤!美味しそうーっ」 

「まぁ、こんなに沢山。宜しいんですか?」 

「勿論ですよ!世話になってるお礼です。これじゃ足りないくらいですよ」 

 雅紀さんの言葉に、美香さんも頷いています。 

「ここが無かったら、雅紀君とも出会えなかったものね。感謝してもしきれないわ」

 「ふふっ。ありがとうございます。では、お言葉に甘えて。沢山ありますし、食後に皆さんで食べましょうね」

 「はい!いやぁ、お腹空きましたよー」

  雅紀さんは美香さんの向かいに座りました。

「あー・・・美味しい」 

 佐野さんが、味噌汁を飲んで噛み締めるように言います。 

「良いなぁ。私も雅紀君をあんな顔にさせたい」 

「え?」 

 美香さんがぽつりと言った言葉に、佐野さんはきょとんとした表情で聞き返しました。 

「ここのおにぎりとお味噌汁は、やっぱりどれだけレシピを教わっても簡単に再現は出来ないんですよね。間違えずにやってるはずなのに」 

 美香さんは、頬杖をつきながら佐野さんを見て苦笑しました。 

 私は美香さんの食器を片付け終え、珈琲を淹れています。 

 葉子さんは、上機嫌でイチゴを洗っていました。 

「美香さんの味噌汁も美味しいよ!?今まで作ってくれた料理、どれも美味しかったよ」 

「違うのよねぇ・・・雅紀君。まぁ、こればかりは経験を積むしか無いのかも」

 「経験・・・っていうより、想いかも!」

  ハッとしたように、葉子さんが人差し指を立てました。 

「あら、想いですか?」 

 私が訪ねると、葉子さんは「うんうん」と力強く頷きます。 

「ハルさんって、野菜作るのも、お料理するもの、すごーく丁寧でしょ?丁寧っていうか、食材を凄く大切に扱ってるというか。それに、作ってるときもずーっと嬉そうにしていますよ」

 嬉しそうに。 

 それは気が付きませんでしたが、言われてみればそうかもしれません。

  私はいつも、このお料理を食べたらお客様はどんな顔をしてくださるだろう。

  どんな言葉を言ってくれるのだろう。 

 そればかりを考えていたので、思わず頬が緩んでいたのかもしれませんね。

 「ハルさんのお料理は、レシピも素晴らしいけど、気持ちがすごーく大事なのかも!」

  そう言いつつ、葉子さんは洗ったイチゴを人数分のお皿に取り分けました。 

「雅紀君への愛情は込めてるはずなんだけどなぁ」 

 美香さんが腑に落ちない表情をしていました。

「新婚さんの愛っていう愛情とは違うものなんですよ。まぁ、所謂・・・お母さん!お母さんの愛情に近い気がします」

  葉子さんがそう言うと、美香さんは「あぁ、確かに!」と納得したように仰いました。 

「ごちそうさまでした。美味しかったぁ」

  雅紀さんは、ゆっくりと手を合わせて言いました。 

「その愛情には、確かにまだまだ年月が足りないですね。私もいつかハルさんみたいなお料理が作れるように頑張ろう」 

「今の料理だって美味しくて満足してるのになぁ、ぽんすけ」

  佐野さんは足元にぽんすけを呼び寄せ、顎の辺りをわしゃわしゃと撫でています。

  そんな優しい佐野さんと美香さんをみていると、何だか幸せな気持ちになりました。

「はい、イチゴ!お待たせしましたぁ」

  葉子さんが、洗ったイチゴを取り分けたお皿をテーブルに並べ、私たちも佐野さん夫婦とご一緒させて頂くことにしました。

 「んー!甘い!美味しいっ」 

 葉子さんがはイチゴにかぶり付き、満面の笑みを浮かべました。 

「はははっ!そんなに喜んで貰えるなら、また持ってきますよ」 

「沢山あって食べきれなかったら、ケーキにしたりジャムにしたり・・・まぁ、私は作れないけど」 

 残念そうに、美香さんが呟きました。 

「あまりお洒落なものは作れないですが、何か作るとなったら美香さんに連絡しましょうか?一緒に作れば、またこうして一緒に楽しく食べられますから」 

「わぁ!嬉しいです!雅紀君、毎年イチゴ忘れちゃダメよ?」

 「はい!任せてください」 

「じゃあ私もお手伝いしますー!そして味見係も引き受けまーす」

  葉子さんの胸を張る姿に、佐野さん夫婦も私も声を出して笑いました。


 お二人が帰られ、葉子さんは看板作り、私は後片付けやお花の水やりをしていると、あっという間に5時になっていました。 

「ハルさーん、ちょっと休憩しましょうよ。お茶、淹れましたよ。ここ置いておきますね」

  裏の畑で雑草を取っていると、葉子さんが食堂から大きな声で言いました。

  手を洗って食堂へ戻ると、葉子さんが先に窓際のテーブルについて手招きしていました。

  ぽんすけは、その足元で、尻尾をぱたつかせながら、お座りしてこちらを見ています。 

「ありがとうございます。よいしょっと」

 「夕方の桜も綺麗ですよねぇ」 

 葉子さんが窓の外を眺めながら、うっとりするように仰いました。 

「そうですね。夜明け、昼間、夕方、夜と違った雰囲気がありますね」

 「寝坊助の私には、夜明けの桜は拝めそうにないですー」 

 葉子さんは苦笑いしています。 

「でも、これが平成最後の桜かぁ。そう考えると、何だか少し寂しく感じますねぇ・・・」 

「何事も終わると聞くと、突然今までより尊いものに感じますよね」

  春の西陽に照らされた桜は透明感があり、どこか儚げでとても美しい。

  新しい時代になって 変わるものもあれば、変わらないものもある。 

 変わることの良さ、新たなものに対する希望に満ちるのは、とても素敵なこと。

  ですが、おにぎり食堂『そよかぜ』は、きっと変わらないでしょう。 

 変わらないが故の良さというものも、きっとここにはあると思っています。

  人は年を取りますし、生きていく上でどうしても変わってしまう事もあります。

  そんな中でも、ここに来た方が心落ち着ける場所でありたいと、切に願っております。

 「ハルさん、後で看板見てくださいねっ。良いのが出来ましたから」 

「あら、それは楽しみですね」

  ぽんすけは、玄関の前に置いてある看板に駆け寄り、嬉しそうに見上げていました。

  ふふっ。 きっと、上手に描いてもらったのでしょうね。
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