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堕ち神様は駆ける

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 水神にも色々な種類がある。様々な権能があり、得意分野が違う。

 だからといってそれしかできないというわけでも無い。

 大海原を治め、波を四六時中揺らしている神でも雷雲を動かし、雨雲を喚ぶこともできる。  

 雨雲と共に空を飛び回っている水神でも、枯渇した井戸を甦らせる事だって可能だ。ただ、本業の神よりか時間が掛かるだけで。



 わたしは具体的な権能を振られる前に堕ちたので、得意も不得意もない中途半端な龍神だ。
 可も無く不可も無くある程度なんでも許容できるわたしだが、中途半端なりに苦手なものもある。





「いかが致しましたか? 顔色があまり……」
「あ、もしかしてこれがわからない感じです? お風呂ですよ? お・ふ・ろ! 温かくて気持ちいいですよ! しっかりと確認したので、湯加減もバッチリです! あたし達人間の適温では少し熱いかと思ったので、ちょっとぬるくしてますから、安心してください!」

 エルヴィス青年と別れてすぐにエイダとミアという人間がやってきた。

 この人間はエルヴィス青年に仕える者達で、わたしの身の回りのあれこれを手伝ってくれる存在らしい。



 なんでも申しつけてくれ、と言われたけれど生憎声を出せないのできっと二人は困ってしまうだろう。

 わたしも困るだろうけれど、なんて思っていたがその困りごとは案外早くやってきた。

 二人に手を引かれて辿り着いた扉を開けて固まった。
 それ以上前に足が進まなかったと言うほうが正しいかもしれない。


 もわんもわんと立ち籠める湯気がゆっくりと確実にまとわりついてくる。
衣服の外、露出した皮膚にねっとりとすり寄ってくる生暖かい空気に思わず後退る。



(二人とも困ってる。でも、わたしもかなり困ってる。温かい水は、好きじゃ無い。というか、凄く苦手だ)


 ゆるゆると這い寄る湯気を避けるよう、徐々に後退する。


(温かい水は姉神様達の領分だ。それを統べるものはその中で起きたことの全てを知ることができる)







「いかが致しましたか?」

(わたしがこれに入らないと人間か困る。でも、この温かい水に触れると、姉神様達にわたしの居場所が……。わたしが下界に降りた事がバレてしまう)



 わたしのことが大嫌いな姉神様達。
 わたしがこんな極上の社に足を踏み入れたと知ったら、烈火の如く怒るだろう。
 下手すれば大地神の腹の中に眠る、轟々と煮えたぎる赤き水がところ構わず噴き出すかもしれない。

 
 それは困る。とても困る。
 姉神様達の怒りは、地上のものにとっては迷惑極まりない。日常生活に大打撃を与えるものだ。





「どうしましたかぁ? ダメですよぉ? お風呂、きちんと入りましょうね? 大丈夫です、なーんにも怖くなんてないですからね! このミアにお任せあれ!」
「エルヴィス様より、身の回りのお世話を仰せつかっていますので、わたくしどもにご協力をお願い致します」



 わたしが一歩下がるごとに、ジワジワと距離を詰めてくる人間達の目が怖い。
 己が職務を全うするという強すぎる意志を感じる。ビシバシと感じる。



(それでもわたしは彼女達から逃げなければいけない。他でもない、この地に住まう全てのものたちのために!)


「ぅわっ!? ちょっ! あっ!」
「お待ちください!」


 サッと駆け出し扉を抜けて廊下に出る。

 獣人の基本装備だろうか? 駆ける足がとっても軽い。



 少なくとも、親神様の社でぐうたら過ごしていた身体と同じではないだろう。考えられないくらい俊敏な動作ができる。





 ミアの声に気付いて振り返る人間たちをすり抜け駆ける。

 (せめて、神使の居る場所を突き止められれば!)

 神使は神と生き物を繋ぐ役目をもって生まれてくる。

 徳を積み格が上がれば、人間と会話できる神使になるのだ。その者を仲介とすれば、人間にわたしの言葉を伝えることができる。










「なにっ!? なにがあったの!?」
「エルヴィス様! お客様がっ!」
「エルヴィス様、神域にっ!」

 騒ぎに気付いてエルヴィス青年が現れたらしい。屋敷がいっそう賑やかさを増した。
 これでは片っ端から扉を開いて通路を確認するなんてできなくなってしまう。





(どこかに眷属はいないのっ!? 水神を祀る屋敷なんだから、眷属がいたっておかしくないハズなのに!!)




 呼びかけても反応しないことを考えると、この屋敷に水神の眷属は不在らしい。
 社付きの神がいないからだろうか。

 あちこちに神具がある割には、眷属もいなければ神器も感じられない。
 こんな状況じゃぁ、高位の格を持つ神使を見つけるなんて到底無理なんじゃ……。


(とにかく今は逃げなきゃ)


 人間たちはわたしに禊をさせたいらしい。確かに水から上がって今まで時間は経っているし、地上を歩いたから着ているものも土埃なんかで薄汚れている。

 今だってふかふかの廊下を素足で駆けているわけだから、わたしが通った後はくっきりと汚れた跡が付いてしまっているだろう。

 片付ける人間には申し訳無いが、この地が炭になるよりはマシだろうから、頑張っていただきたい。









「お巫山戯はその辺にしていただきたいのですが?」
(っひぇっ!?)

 耳元で聞こえた声。
 反射的に身を捩ると、身体があった場所に網が広がっていた。
 
 咄嗟に躱していなければ今頃わたしはあの網に絡まっていたに違いない。





「……避けられるとは、さすが。逃げ足は特級ですね」
(エルヴィス青年の隣にいた獣人! 人間は撒けても獣人はどうだろう……)



 人間と獣人なら、獣人のほうに身体的軍配が上がるだろうが、おなじ獣人同士ならより優れている方が勝つのだろうか。


(鳥ってどうなんだろう。地を駆ける鳥も存在するから、種類によっては不利かも……)



 鳥獣人が網を回収している隙に再び駆ける。





「罠が効かなければ実力行使、ですね」
(ぅわっ!? え! わぁっ!?)

 背後から伸ばされた腕をすんでのところで躱す。さっきの場所からけっこう離れたと思ったのに、もうこんな近くまで来てる!?

 応戦なんてしない。逃げるほかに選択肢は無い。自身がなんの獣人になっているのかわからない以上、自認ある獣人に敵うわけが無いのだから。




「――鹿一匹捉えられないとは。鈍りましたね、わたくしも」
(ひぇぇぇっ! )

「どうせなら、夜の狩りを楽しみたいところですけれど……」
(やだぁぁぁっ! 全然、引き離せない! そしてなんか絶妙に躱せるんだけど、これってわたしの能力なの!? それとも、わざと躱せるようにしてる……?)



 曲がっても避けてもピッタリと背後をとられて追跡される。天敵から逃げ惑う小動物はこんな気持ちなのだろう。



(獣人怖いよぉ! いやわたしも今は獣人らしいんだけど!)



 わたしが人間だったらとっくの昔にお縄を頂戴したに違いない。



(わぁーん、怖いよぉ! 助けて親神様――!)

「トーチ! 退けっ!」
「――御意に」
(っ!?)


 声と共に現れたのはエルヴィス青年。
 エルヴィス青年の言葉に鳥獣人は即座に従う。

 だがしかし重要なのはそこじゃない。


(後ろには鳥獣人。前にはエルヴィス青年……。うわぁ、ど、どうしよう……)

 曲がり角から現れたエルヴィス青年を見て急停止したわたしと彼の距離はおおよそ十歩ほど。後ろに静止する鳥獣人との距離もだいたい十歩くらい?




「どうしたの? なにか、怖いことがあった? ミアとエイダがなにか、した?」
(人間二人に落ち度は無いよ! でも……っ!)

「もしかして、水、怖い? おれ、君に嫌な思い、させちゃった……?」
(違うよ! 水が怖いんじゃ無いの! それに、嫌な思いもしてない!)


 伝えたくても声が出ない。こんなにもどかしいことがあるだろうか。


 エルヴィス青年がゆっくり、一歩こちらに近付いた。
 反射的に半歩ほど身を引いたとき、背後でジャラリと金属が擦れる音がする。

「トーチ!」
「――すみません」

 振り向くのが怖い。わたしはなにをされるところだったんだろう。



 エルヴィス青年の表情がちょっと怖いのはきっと鳥獣人のせいだ。




「先に夕食でも食べようか。湯浴みはその後でもいいし」
(湯での禊は困るんだよなぁ……。池でも水路でもどこか水場があるならその場所ですぐにでもさせてもらうんだけど……)







『――龍神様、ですか?』
(っ!?)

 三歩先、手の届かないギリギリの距離までエルヴィス青年がやってきたとき、微かな眷属の声が届いた。
 効果音が付きそうな勢いでその声の出所視線で追う。

「どうし――っ!? え、っちょ!?」
「っ! エルヴィス様! いけません!」
「待って!!」

「エルヴィス様を追え! ひとつ残らず破片の回収を!」




(どこ? たしかこの辺りから……)


 眷属の声を頼りに、透明な板を突き破って駆けてきたというのに、さっきの声はちっとも聞こえない。




(気のせい、じゃ、なかった。たしかに聞こえたのに……)
『この気配――やはり、龍神様でいらっしゃいますか?』

(どこっ? どこにいるの?)
『ここでございます、龍神様』


 はっきり聞こえた声を辿ると、小さな木の囲いが草木に覆われひっそりと佇んでいる。



(井戸……? にしては低い、というか、なんか、違う、ような……?)

 もう少し近くで確認しなければなんなのか判別できない。

 あれが井戸だった場合、その中に住む眷属であればなるほどこちらまでは上がってこられないか。





「ダメだっ! 戻って!」
(水の気配はする。――でも、それならなんでこんな森の中に?)

「ねぇってば! おれの声、聞こえてるっ!?」
(周囲の状況からして打ち棄てられたってわけでは無さそうだけど、水場として使用した痕跡は無い)

「そっちはダメだって! そこは――」
(注連縄で囲ってもいないから、何かを祀っているわけでも、無さそうだし……)

「瀬織――」
(っ痛!?)



 あと一歩で囲いに触れるところに来たとき、唐突にツキリと痛みが襲う。
 あまりの激痛に一瞬呼吸が詰まり、その場に膝をつく。身体を支えようと伸ばした手にあたるものは無く。



「っ!!」
(あ、ここかなり深場だ)



 グラと傾いた身体はそのまま落ちていく。
 落下しつつも全身で感じる水の気配にホッとしてしまうのは、龍神だから致し方ない。



(今日は落っこちてばっかりだなぁ)

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