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第四章 波乱の軍事訓練後半戦
19 君の真似
しおりを挟む早朝、みんなの起床より少し早い時間にイーサンを起こして宿舎に送り返す。散策に飽きてしまった呉宇軒は、今日は幼馴染と二人でベッドの上に寝転がり、手持ち無沙汰にゴロゴロしていた。
ネットを見ると、李浩然の言った通り昨日の結婚騒動は大分落ち着いてきている。今の話題はもっぱらあの巨大ショートケーキで、どこで食べられるのか情報を求める声で溢れていた。呉宇軒は彼らの書き込みにお店の名前と注意事項を添えて教えてやると、そっと携帯の電源を落とし、仰向けで寛いでいる幼馴染の胸の上に顎を乗せた。
「浩然、浩然、俺のこと構って?」
携帯から視線を上げた李浩然は、幼馴染を一瞥するも何も言わない。ほんの一瞬迷惑そうな色が過り、彼の目はまた画面に戻ってしまった。
「然然ってばぁ!」
小声で催促すると、今度は僅かに眉を顰め、呉宇軒の顔が見えないよう携帯を被せてきた。
意地でも返事をしたくないらしい。それならこっちにも考えがあると、呉宇軒は悪巧みするようにニヤリと口の端を吊り上げた。
無視を決め込む幼馴染の上に覆い被さるように乗り上げ、そのまま全体重を預ける。ところがかなり重たいはずなのに、李浩然はうんともすんとも言わない。いつもの平然とした顔のまま、画面上の文字を熱心に目で追っている。
呉宇軒は彼の脇腹をくすぐってみたり突いてみたりと好き放題してみたが、李浩然は顔を隠すように携帯を持ち、無反応を貫いた。
構ってくれない幼馴染に痺れを切らし、呉宇軒は腕を潜って携帯と彼の間に割って入った。徹底的に邪魔をしてやろうと口を開きかけたその時、李浩然に強く体を抱き寄せられ、そのまま彼の上に倒れ込む。背中に回された腕は力強く、幼馴染の首元に顔を埋めた体勢のまま動けなくなる。
「こ、のっ……離せよ!」
「煩い」
じたばたともがきながら文句を言うも、彼には交渉する気が無いようで一蹴されて終わった。変な体勢で倒れてしまったため腕に力が入らず、呉宇軒は暴れるのを止めると、今度は脅しにかかる。
「もう! 離さないならお前の首に噛みついてやるからなっ」
「どうぞ」
さらりと返され、呉宇軒は言葉に詰まった。どうせできっこないと思っているのだろう。何を言っても全く相手にされていない。
「ほ、本当にやるからな!」
「好きにしなさい」
耳元で李浩然の冷ややかな声がする。やれるものならやってみろと言わんばかりだ。
悔しいのに何も言い返せず、呉宇軒は文句の代わりにうぅーっと唸った。構ってもらうという目的はすっかり忘れ、どうにかして一泡吹かせてやりたいと頭を捻る。
幼馴染が大人しくなって気が抜けたようで、李浩然は体勢はそのままにまた携帯を弄り始めていた。
彼の白く透き通るような首筋に、呉宇軒はそっと息を吹きかけてみる。すると、背中に回された手がぴくりと反応した。
「……阿軒」
咎めるように呼ばれ、呉宇軒はニヤニヤして返す。
「何だよ。何かあった?」
彼は悪戯っ子をジロリと見たものの、何も言わず携帯に視線を戻した。まだ頑張る気でいるらしい。それならと忍び笑いを浮かべてもう一度、今度は耳の辺りにふーっと息をかけた。
来るのが分かっていると耐えられるのか、李浩然は無反応だった。呉宇軒の方もそれは想定済みで、本命はむしろ次の攻撃だ。
滑らかな肌に唇を寄せ、ちゅっと音を立てて首筋に口付ける。その小さな音は二度三度と、ルームメイトたちが寝静まった部屋の静寂に細波を立てる。
さすがに耐えきれなくなった李浩然は僅かに身動ぎ、携帯を置いて訴えるような眼差しを向けてきた。してやったりの顔で笑みを返そうとしたその時、幼馴染が素早い動きで身を反転させ、あっという間に呉宇軒を下敷きにしてしまった。
体にのしかかる重みで身動きが取れず、慌てて両手で守ろうとしたものの、李浩然に手首を掴まれてしまう。彼は呉宇軒の両手を器用に片手で掴み、ベッドに押さえつけてしまった。
「浩然、ちょっと……」
謝るべきか、それともからかうべきか、迷っている間に暗い影が落ちる。
間近に迫った彼の端正な顔に思わずぎゅっと目を瞑ると、暖かな吐息が撫でるように首筋をくすぐり、柔らかいものが肌に触れた。ちゅっと細やかな音を立ててそれは離れ、今度は喰むように耳を掠める。
目を瞑っていたせいもあって、秘めやかなその動きに肌が粟立つ。ルームメイトたちがすぐそこで眠っているというのに、なんだかいけない事をしているようで胸がドキドキして、気付けば息をするのも忘れていた。
それからしばらく経っても何も起こらず、呉宇軒は心配になってそろりと瞼を開ける。すると、鼻先が触れそうなほど近くに幼馴染の顔があった。
叫びそうになるのをなんとか堪え、呉宇軒は小さく息を呑む。驚く幼馴染を見て李浩然は楽しげに目を細め、唇に触れるギリギリの所に優しく口付けを落とした。それでようやく満足したのか、彼は手を離して呉宇軒を解放すると、静かに身を起こした。
「どうした? 何かあったか?」
尋ねる声に隠しきれない笑みが滲む。先ほどの意趣返しをされ、呉宇軒は自由になった両手で顔を覆った。
何でもないと小声で返し、強く掴まれていたせいで少し痺れた手を顔にぐっと押しつけると、そこは火傷しそうなくらいに熱を持っていた。李浩然にちょっかいを掛けても、ここのところずっと連敗続きだ。
一泡吹かせるつもりが逆に吹かされて悶絶していると、ピピピ、と無機質なアラームの音が部屋に鳴り響く。それを合図にルームメイトたちが次々に起き始めた。
「おい、こいつどうした?」
顔を両手で覆ったままぴくりとも動かない呉宇軒に、呂子星が訝しげな目を向ける。
「はしゃぎ過ぎたようだ」
李浩然が代わりに返し、呂子星は腑に落ちない顔をしながらも王茗を起こしにかかった。彼の抱いているくまのぬいぐるみを取り上げ、耳元で起きろと急き立てると、王茗は鳥の巣みたいに爆発した頭をゆらりと上げた。
「……んあ? 軒兄何かあったの?」
向かいのベッドなので、彼は寝ぼけながらもすぐに異変に気付く。呉宇軒は手の隙間からしょんぼりした声を出した。
「浩然に挑んで一敗地に塗れたところ」
「自業自得じゃねぇか。ほら王茗、さっさと準備するぞ!」
呂子星はこれっぽっちも心配する素振りもなく吐き捨てると、また眠りに就こうとしていた王茗を無理矢理引っ張り起こした。
仲間たちが一斉に朝の準備をしに行ってしまったので、呉宇軒は幼馴染と二人きりになる。少々気まずい空気が流れる中、李浩然が静かに口を開いた。
「今日の夜は野営をするそうだ」
彼の言葉を聞いて、教官がレクリエーションの一環で運動場にテントを張ると言っていたことを思い出す。李浩然が自然に話題を逸らしてくれたことに気付き、呉宇軒は気持ちを落ち着かせて身を起こした。
「そっか、今日だっけ。キャンプファイヤーとかもするのかな?」
李浩然の隣に並んで座り、普段と変わらない様子を装って尋ねると、彼は僅かに眉を顰めて考え込んだ。
「どうだろう。何にせよ、今日の夕飯はカレーだ」
「だな! 美味しく作ってくれよ?」
夜にはキャンプお決まりメニューのカレー作りがある。こういう時呉宇軒は他の料理できないグループから助っ人を頼まれるため、不在になりがちだった。そういう訳で、幼馴染が困らないように普段から野菜の切り方や炒め方くらいは教えてあげていた。
日のあるうちからテントの張り方について講習があるので、今日の予定について予想を立てて話していると、不意に李浩然が体を寄せてくる。肩と肩が触れ、先ほどのことを思い出した呉宇軒は思わず身を硬くした。
「阿軒」
「な、なに?」
覗き込むように顔を見られ、思わず視線を逸らす。彼の眼差しはいつも真っ直ぐで力強く、目を合わせると雰囲気に飲まれそうになってしまう。
ベッドの上に置いた手に、ふと彼の手が重なった。
「……何故目を逸らす?」
「そう? そんなことないと思うけどなぁ……」
普通に聞かれただけなのに、何故か追い込まれているような気がしてくる。この妙な緊張感は一体なんなのか。誰も居ない部屋で二人きりという状況は慣れっこなはずなのに、今日に限って落ち着かない。
「浩然っ……お前、今日どうした?」
いつもと様子が違う彼に思い切って尋ねると、李浩然はふっと微笑んで身を離した。すると先ほどまでの緊張した空気も緩み、呉宇軒はようやく息の詰まる思いから解放された。
「君の真似をした」
「……俺の真似?」
言われてようやく気付く。押せ押せで距離を詰めるあの感じは、確かに自分がいつもやっていることだ。だというのに、やる人が変わるとこうも違うものなのかとびっくりする。
「お前がやると洒落になんねぇよ! 禁止!」
いつもふざけている呉宇軒がやるのと、真面目な李浩然がやるのでは天と地の差があった。それはもう冗談などではなく、別の意味になってしまう。
「俺、お前に本気で口説かれるかと思った」
どっと疲れがきて項垂れると、李浩然は楽しそうに言った。
「本気で口説いてもいいのか?」
まだやる気かとぞっとする。朝から散々弄ばれ続けた呉宇軒は、全力で駄目!と却下した。
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