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第九章 ひみつのこころ
26 勢いに任せて
しおりを挟むシルクの光沢が美しいシーツに覆われたベッドには、あつらえたかのように枕が二つ並んでいる。
最近はずっと一緒に寝ているにも関わらず、呉宇軒はその光景に激しく動揺して、より一層落ち着きを無くしてしまった。彼は李浩然がバスルームから出てくるまで意味もなく部屋の中をうろうろして時間を潰すと、幼馴染が出てくるのと入れ替わりで中へ飛び込んだ。
「ヤバい……どうしよう!」
小声で呟きながら鏡を覗くと、憔悴しきった自分の顔が映る。誤魔化しようもなく赤くなった顔を見て、呉宇軒はどうしてこうなったのだろうと頭を抱えた。
友人たちが変なことを言ったせいで、いつもなら気にならないほんの些細なことが気になってしょうがない。彼はどうにか気持ちを沈めようとバスルームの中で右往左往していたが、掻き乱された心は一向に落ち着く気配がなかった。
李浩然は本当に自分のことが好きなのだろうか。
仲間たちから幼馴染の不可解な行動について散々指摘されたが、呉宇軒は未だにその事実を受け入れられないでいる。何かの勘違いではという気持ちが捨てきれないのだ。でも、もし本当にそうだったら、自分はどうすればいいのだろう。
呉宇軒は幼馴染のことが好きだ。それは家族としてであって、恋人としてではない。しかし、彼が好意を伝えてきたらどう思うかと聞かれたら、嬉しいの一言に尽きる。
李浩然は思わず見惚れてしまうくらいに整った顔立ちをしていて、おまけに大企業の御曹司だ。そんな完璧な美男子が自分だけを見てくれたら、好きにならないわけがない。そこまで考えたものの、呉宇軒はでもなぁ……と表情を曇らせた。
「別れた時が気まずいんだよな……」
問題はそこなのだ。二人は今までどんな時も一緒に過ごしてきた仲で、将来一緒に働く約束までしている。そんな仲良しの彼ともし別れたら、生涯気まずい思いを抱えたまま生きていくことになりかねない。
悩んだ時、一番の相談相手は幼馴染の李浩然だった。彼に相談することで、呉宇軒はいつも自分の気持ちを整理していたのだ。だが、今は彼が悩みの種そのものなので相談することもできない。
目下の課題は今夜をどう乗り切るかだ。呉宇軒は歯磨きを済ませると、洗面台の冷たい水で顔を洗い、もう一度鏡に映る自分を見つめた。
よく冷えた水のお陰で頬の赤みは幾分かましになったが、その表情はどこかぎこちなく、いつもの自分らしくない。どう見ても「何かありました」と言っているようなものだ。
一人で悶々としていると、バスルームの扉がガチャリと開く。彼があまりにも遅いから、李浩然が心配して様子を見に来たのだ。
「どうした? まだ寝ないのか?」
「あっ、うん……今行こうと思ってたとこ!」
訝しむような視線を向けられ、呉宇軒は精一杯の笑顔で答えた。いつも通りとはいかないが、我ながらよく誤魔化せたと思っていると、李浩然は僅かに眉を顰め、寝室へ向かおうとした呉宇軒を引き止めた。
「な、なに?」
何かおかしかったか?と動揺した彼は、思わず緊張の面持ちになる。すると李浩然は彼の頬をそっと指で撫で、穏やかに微笑んだ。
「顔に水がついていた」
優しげな眼差しと目が合った途端、どうしようと躊躇していた気持ちが一瞬で吹き飛んでしまう。
こんなに素敵な幼馴染が自分を好いてくれているのに、一体何を迷う必要があるだろうか。燻っていたものが燃え上がるように、心の底から彼への気持ちが湧き上がってくる。
「そっか、ありがと……」
平静を装って返しながらも、目を合わせると恥ずかしくて視線が泳ぐ。呉宇軒の心の中では「いくらなんでも格好良すぎるだろ!」とお祭り騒ぎだ。彼の一挙一動が気になって、頭がどうにかなりそうだった。
寝室へ戻ると濃いオレンジ色の照明が暖かな光を放ち、二人が寝るベッドを優しく照らしていた。その雰囲気は妙にムードたっぷりに見えて、呉宇軒はごくりと生唾を飲む。
ふと、別れ際に猫奴が言っていた「かましてやれ!」という言葉が脳裏に蘇り、彼は恐る恐る幼馴染を盗み見た。
李浩然はいつもと変わらない真面目腐った顔をして、ベッドサイドに浅く腰掛けている。彼は事前に運んでもらっていた荷物の中から予定表を取り出し、明日の日程を確認していた。暖かな照明は彼の凛とした表情を和らげ、穏やかで落ち着いた大人の雰囲気を引き立たせる。
いつまでも見ていられるほど素晴らしい光景に目が離せず、呉宇軒が入り口で突っ立っていると、彼は予定表から顔を上げて不思議そうに首を傾げた。
「いつまでそこに居るつもりだ?」
荷物の中に紙をしまい、李浩然は掛け布団を捲って彼を呼んだ。
普段の呉宇軒なら、勢いよく幼馴染の胸に飛び込んでそのままベッドにもつれ込むところだが、今はそんなことをする気持ちの余裕はない。自分を呼ぶ李浩然から距離を置くようにベッドの反対に回り込むと、呉宇軒は静かに中へ滑り込んだ。
その動きはどう考えても不自然で、李浩然は僅かに眉根を寄せて口を開いた。
「阿軒、俺が何かしたか?」
「なんでもない! その……おやすみのキス、する?」
ドキドキと高鳴る心臓の音が幼馴染に聞こえてしまうのではと心配になりながら、呉宇軒は誤魔化し笑いを浮かべ、上目遣いに尋ねた。
彼は初め、猫奴の言うように一発『かまして』やろうと思っていた。だが、いざ本人を前にするとたちまち気持ちが萎んで及び腰になってしまう。他の人──特に女子に対しては自信満々なのに、幼馴染に対してはまるで借りてきた猫のようだ。
彼の様子を不思議に思いながらも、李浩然はいつものように幼馴染の頬に口づけを落とした。
柔らかな唇の感触は、敏感になった肌にしっとりとした名残を残す。呉宇軒はベッドに寝そべった彼を追うようにして身を起こすと、緊張で僅かに唇を震わせながら、ゆっくりと顔を寄せて口づけた。
二度、三度、前に李浩然がそうしたように何度も口づけを落とす。血が上って熱くなった頭は爆発寸前で、相手の顔などまともに見ていられなかった。
僅かに開いた唇の間から舌を滑り込ませようとしたその時、手のひらがそっと呉宇軒の胸を押した。
「阿軒」
その声には、やんわりとした拒絶の色が滲んでいた。
「今日はもう、早いから寝よう」
優等生の李浩然にしては珍しく、言っていることが無茶苦茶だった。しかし、呉宇軒は彼に拒否されたという事実にショックを受けて、それに気付く余裕などない。
「ご、ごめん……」
少し前まですっかり舞い上がって、彼となら一線を越えてもいいとすら思っていたのに、今や呉宇軒は頭が真っ白になり、まともに考えることができなかった。例えるなら、暖かな布団の中で熟睡していたのに、突然凍った湖に突き落とされたような気分だ。
まさか……俺の勘違いだったとか?
未だに拒絶されたことが信じられず、呉宇軒は呆然としながらおやすみの挨拶をすると、布団の中でくるりと体を反転させて背中を丸める。あんなに何度もキスをしたのに、舌まで入れてきたのに、あれは全て練習だったのだろうか。
頭の中でたくさんの疑問符を浮かべながら、はっきりと口に出して気持ちを尋ねなくて良かったと安堵する。もし面と向かって「俺のことが好きなの?」なんて聞いていたら、とんだ勘違い野郎だ。
まんまと仲間たちに担ぎ上げられて、危うく一生ものの友情をぶち壊すところだった。明日になったら文句と苦情を浴びせてやろうと考えていた呉宇軒は、ふと違和感に気付く。いつもならすぐに李浩然が腕を回して抱き締めてくるのに、今日は二人の間に人一人分ほどのスペースが空いている気がするのだ。
呉宇軒は、一緒に寝たくないほど嫌われたのか?と青ざめる。どうなっているか確かめたいが、怖くて後ろを確認することもできない。
告白する前に振られる形になってしまったことに気付いた呉宇軒は、それから全く寝付けなくなる。今すぐ叫びたい気分だったが、いかんせん後ろには李浩然が眠っているので何もできない。
仕方なくじっとしていたものの、眠気が訪れないまま時間だけが刻一刻と過ぎていく。彼は結局、外が明るくなり始めてからようやく浅い眠りについた。
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