真面目ちゃんの裏の顔

てんてこ米

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第九章 ひみつのこころ

25 意識するほどおかしくなる

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 ふんぞり返って座っていた呉宇軒ウーユーシュェンは、凍りついた空気に息を飲み、ゆっくりと姿勢を戻す。先ほどの仲間たちとの会話を頭の中で反芻しながら、彼は恐る恐る振り返った。すると真後ろには李浩然リーハオランが立っていて、いつもと変わらない優しげな笑みを浮かべているではないか。

「……ト、トイレどうだった?」

 彼がいつからそこに居たのか、呉宇軒ウーユーシュェンは気が気じゃなくて、思わず変なことを聞いてしまう。本当なら「どこまで聞いてた?」と言いたいところだが、話の内容が内容なだけに非常に聞きづらい。
 幼馴染の変な質問に不思議そうな顔をしながらも、李浩然リーハオランはいつもと変わらない平然とした態度で答えた。

「思ったよりは綺麗だった」

「へぇ、そう……」

 彼の穏やかな目を見ていると、急に仲間たちの「恋だな!」という言葉が脳裏に過ぎる。さっきまで何ともなかったのに、本人を目の前にするとたちまち落ち着かない気持ちになり、呉宇軒ウーユーシュェンは不自然だと分かっていながらもサッと目を逸らした。後ろの方では猫奴マオヌーが「クソ犬終了のお知らせ」などと小馬鹿にするように呟いていて、彼はますます取り乱してしまう。

「帰ってきたなら席に戻ろうかな!」

 緊張のあまりいつになく大きな声を出しながら、呉宇軒ウーユーシュェンはソファから勢いよく立ち上がった。しかし、席を移動しようとした途端にテーブルの端に足をぶつけ、ガンっと大きな音を立てる。

「いっ……てぇ」

 声にならない声を上げながらしゃがみ込むと、心配した李浩然リーハオランが慌てて駆け寄ってきた。彼はソファを回り込んで屈み、痛みに耐える幼馴染の顔を心配そうに覗き込んだ。

「大丈夫か?」

 俯きがちになり、長いまつ毛が影を落とす。思わず見惚れてしまうほど整った顔立ちに、呉宇軒ウーユーシュェンは目を奪われる。
 しばらくの間、彼は自分を心配そうに見つめる幼馴染の瞳に釘付けになっていたが、急にハッと我に返り、テーブルに手をついて立ち上がろうとした。ところが、今度はその手がテーブルの上に置かれていたシェイクのコップにぶつかり、弾みで倒してしまう。

「わっ、やっちゃった!」

 カンっと軽快な音がして、プラスチックのコップが弾む。幸い中身はもうほとんど空で、テーブルを汚す事態だけは免れた。しかし、ほっとしたのも束の間で、そのコップを元に戻そうと手を伸ばすと、慌てすぎてポテトの下に引いた紙の端も一緒に掴み、危うくぶち撒けそうになる。
 というのも、彼の『らしくない』動きを見守っていた李浩然リーハオランが素早く手を伸ばしてポテトの皿を抑え、惨事を未然に防いでくれたのだ。

「何かあったのか?」

「なっ、なんもないけど!?」

 慌てふためく彼の後ろで、クスクスと忍び笑う気配がする。呉宇軒ウーユーシュェンがさり気なくそちらに目を向けると、さっきまで彼を囃し立てていた三人がニヤニヤしながら肩を組んでいた。

 あいつら、他人事だと思って!

 面白がっている仲間たちに怒りを覚えつつ、呉宇軒ウーユーシュェンは幼馴染に誘導されて元の席へ戻っていった。だが、席に着くと真横には当然ながら李浩然リーハオランが座り、いつものように彼の腰に手を回してぴったりと体を密着させてくる。彼のことを変に意識していた呉宇軒ウーユーシュェンは、驚きすぎて心臓が口から飛び出そうになった。

「なあ浩然ハオラン、もうちょっと向こう行ってくれない?」

 二人の距離はさっきまでと全く変わらないが、彼は今更になって、その距離の近さに違和感を覚える。これではまるで恋人同士ではないか。
 それに気付いた途端、ニヤニヤとこちらを見てくる仲間たちの視線が気になって仕方なく、そわそわと落ち着かない気分になる。
 ずっと彼の様子を心配していた李浩然リーハオランは、彼の言葉にきょとんとして首を傾げた。

「急にどうしたんだ?」

 今までは何ともなかったのに、と不思議がるのも当然だ。何せ、これまで二人はどんな場所でも慎みもなく寄り添い、仲睦まじく笑い合っていたのだから。
 どうして今まで平然としていられたのか、今となっては自分でも理解できない。呉宇軒ウーユーシュェンは心の中で頭を抱えつつ、誤魔化すように咳払いをする。そして一呼吸の後、声を上擦らせて答えた。

「な、なんか熱くって……」

 その言葉は嘘ではない。向かいの席からぷっと吹き出す音が聞こえてきたが、そちらを見ないようにして真剣な眼差しを幼馴染に向けた。李浩然リーハオランが帰って来てからというもの、呉宇軒ウーユーシュェンは妙に体が火照ってじっとりと汗をかいていたのだ。
 それを聞いた李浩然リーハオランは、テーブルの上にあったメニュー表で彼を仰ぎ、優しく微笑んだ。

「これでどうだ?」

「あ、うん……いい感じ」

 パタパタと仰がれて頬にひんやりとした風を感じながら、呉宇軒ウーユーシュェンはぎこちなく頷いた。体を離してもらいたかったのに、結局二人の距離はそのままだ。
 視界の端では、訳知り顔の猫奴マオヌーたちがニヤニヤしながらこちらを見ていて、トイレに行っていた王茗ワンミンたちは何があったのかと不思議そうに彼らと幼馴染二人を見比べている。明日の朝にはきっと、仲間たち全員に『例の件』を知られてしまっていることだろう。
 友人たちが楽しげに団欒する中、呉宇軒ウーユーシュェンだけは輪に加わることもなく、ただひたすらポテトを口に運び続けた。



 呂子星リューズーシン李浩然リーハオランによる入念な忘れ物チェックを終えた彼らは、イーサンの知り合いのアレックスおじさんにお礼と別れを告げ、ぞろぞろと連れ立って店を出た。相変わらず分かりにくい建物の入り口から外へ踏み出すと、冷たい風が肌を撫でる。
 あまりの寒さに呉宇軒ウーユーシュェンはつい、いつものように幼馴染に抱きついてしまった。やってしまったものはどうしようもなく、頭の中で大パニックになりながらも平静を装っていると、彼の背中を誰かがパンッと叩く。
 振り返ると、呂子星リューズーシン王茗ワンミンが仲良く肩を組んで立っていた。

「じゃあ、また明日な」

 呉宇軒ウーユーシュェンたちは猫奴マオヌーが取ってくれた宿があり、イベントスタッフではない彼らと謝桑陽シエサンヤンはここで一時お別れなのだ。去り際も呂子星リューズーシンはからかうように笑っていて、明らかに怪しさ満点だ。
 ホテルへ向かおうと足を踏み出したその時、荷物持ちをしてくれている李浩然リーハオランが腕を引いて引き止めてきた。

阿軒アーシュェン、自転車を取りに行かないと」

 幼馴染に言われるまで、呉宇軒ウーユーシュェンは自転車のことをすっかり忘れていた。

「うっかりしてた。取ってくるから待ってて」

 これは自然に離れる格好の口実になる。自分から抱きついた手前、離れられないでいた呉宇軒ウーユーシュェンは、いい機会だと喜びに顔を輝かせ、一人で取りに行こうと歩き出した。しかし、どうしたことか李浩然リーハオランが一緒について来てしまう。

「俺一人で大丈夫だぞ?」

 自転車の存在はうっかり忘れていたが、さすがに停めた場所は覚えている。そう言ったものの、李浩然リーハオランはゆるゆると頭を横に振った。

「一緒に行く。迷子になったら大変だろう?」

 頑なに付いて来ようとするので、呉宇軒ウーユーシュェンは渋々引き下がった。ずっと不自然な態度を取っていたので心配しているのだろう。
 チェックインの時間もあるので足早に駐輪場へ向かい、停めた時のままの自転車を持って帰ってくる。その間、呉宇軒ウーユーシュェンは急いでいますといった雰囲気を全身から醸し出しながら、幼馴染からの余計なちょっかいを全力で拒否した。



 待っていた猫奴マオヌーたちと合流して、来た時よりも人通りの減った繁華街を歩いていく。イベント会場とイーサンが紹介してくれたバーガーショップは思いの外近かったらしく、十分も経たないうちにホテルへ到着する。
 二十階建ての立派なホテルを見上げ、呉宇軒ウーユーシュェンは感心したように言った。

「おっ、結構いい感じじゃん。奮発したな」

 最上階は瓦屋根のようになっていて、古き良き中国の伝統を大切にしていることが窺える。こういうホテルは食事も美味しいのだ。
 珍しい建築様式に、アメリカ育ちのイーサンも目をキラキラさせる。彼は携帯のカメラを構えて写真を撮ると、嬉しそうに猫奴マオヌーを振り返った。

「凄いじゃないか! こんなホテルもあるんだな!」

 二人から褒められた猫奴マオヌーは得意顔でふふんと鼻を鳴らす。

「まあ、これくらい当然だな!」

 保護猫団体を運営している彼は、猫だけでなくそこで働くスタッフへの気遣いも人一倍だ。
 ホテルの中は外観と同じくらい豪華だった。吹き抜けになったロビーの中央には木彫りの大きな龍が鎮座していて、足元には伝統柄の赤い豪奢な絨毯が敷かれている。近くには錦鯉が泳ぐ水路もあり、どこもかしこも見どころがいっぱいだ。
 猫奴マオヌーの案内でチェックインを済ませた後、四人はロビーを一周し、素晴らしい景色を堪能した。それからエレベーターで六階まで上がり、明日の集合時間を確認してそれぞれ自分の部屋へ向かった。
 呉宇軒ウーユーシュェンは当然のように幼馴染と同じ部屋で、今からドキドキして息が止まりそうな気分でいた。そんな彼を、ふと猫奴マオヌーが引き留めてくる。何かと思えば、彼はぐっと拳を作って呉宇軒ウーユーシュェンの胸をとんと叩いた。

「かましてこい!」

 まるで初夜を迎える友人を応援するかのようで、呉宇軒ウーユーシュェンはぎょっとして言い返そうと口を開く。ところが、後ろから李浩然リーハオランが呼ぶ声がして、彼の言葉を掻き消してしまった。
 猫奴マオヌーもイーサンもニヤニヤと意味深に笑いながら、おやすみの挨拶だけを残してさっさと部屋へ入ってしまう。一人廊下に取り残された呉宇軒ウーユーシュェンは、幼馴染と二人きりという状況に急に緊張してきた。
 廊下でしばらく右往左往した後、彼は意を決して部屋の扉を開く。すると中にはベッドが一つしかなく、李浩然リーハオランはもうすでに寝る準備を始めていた。
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