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第十章 不穏
1 身に覚えのない告発
しおりを挟む街の中にあるホテルから李家に帰ってきた二人は、国慶節の最後の日を自室から出ることなくまったりと過ごした。そして楽しかった連休が終わり、今日から再び大学生活が始まる。
眩い朝日が差し込む部屋の中、呉宇軒は幼馴染と離れるのが嫌でベッドに引きこもり、掛け布団を掴んで無駄な抵抗を続けていた。
「阿軒、朝食ができたから起きて」
眉尻を下げて困り顔をした李浩然は、自分のベッドから幼馴染をどうにか引きずり出そうと奮闘していたが、布団を引っ張っても彼が離れないので手を焼いていた。粥の準備はとっくに整っていて、後はもう食べるだけなのだ。
彼はため息を一つ、一旦手を離してベッドの膨らみを見下ろすと、どうしたものかと頭を悩ませた。すると、掛け布団の陰から呉宇軒がちらりと顔を覗かせてくる。
悪戯っ子のように目をキラキラ輝かせ、構ってほしくてうずうずしているようだ。家に帰ってきてからというもの、彼の構ってちゃん振りは拍車が掛かっていた。
「歯は磨いたのか?」
子どもの支度をする母親のように尋ねると、呉宇軒はぐっと親指を立てて見せる。
「とっくに終わってる!」
李浩然は出てきたその手を掴もうとしたが、しゅっと素早く引っ込み捕らえ損ねてしまった。咎めるような視線を向けると、彼はやっと遊んでもらえた子犬のように嬉しそうな顔をしてこちらを見る。
「顔は……」
「洗ったよ!」
間髪入れず、呉宇軒は元気よく答えた。彼の顔をよく見ると、確かに寝起きのぼんやりとした表情ではなく、目が覚めてスッキリした顔だ。
だったらもう、後は朝食を食べるだけだろうに。
呆れて言葉も出なかったが、このままベッドで無駄に時間を潰していては、せっかく彼のために作った粥が冷めてしまう。そのため、李浩然は不承不承ながら最終手段に出ることにした。
「君のために朝食を作ったのに、食べてくれないのか?」
悲しそうに瞳を伏せて、情に訴える作戦だ。
いつもなら効果覿面な手ではあるが、今日に限って呉宇軒は頑なだった。彼は目元だけを覗かせて、出てきたくて堪らないという顔をしながらも、それ以上ベッドから体を出そうとはせず粘り続ける。
根負けした李浩然は、彼の隣に腰を下ろした。そしてまん丸い膨らみをポンポンと優しく手で叩き、声をかける。
「どうして出てこようとしないんだ? 今日から授業が始まるのに」
すると、小さな山の中から「だって……」と悲しそうな声が聞こえてきた。
「ここから出たら、しばらく離れ離れになるじゃん」
呉宇軒は寮に帰るため、この部屋に泊まるのは今日が最後なのだ。
彼は泊まりに来た当初、長く滞在する気は全くなかった。だというのに、今では幼馴染と離れることが耐え難く、こうしてベッドを占拠する迷惑行為に打って出ていた。
いじけた口調だけで、彼がどんな顔をしているか目に浮かぶようだ。幼馴染の可愛い我儘に李浩然は口元を緩め、諭すように話しかけた。
「いつでも泊まりに来ればいい」
「お前は? 寮に泊まりに来てくれないの?」
ようやく少しは出てこようという気になったのか、呉宇軒は窺うように顔を出し、期待の眼差しを向ける。彼のルームメイトの呂子星は怒るだろうな、と思いつつ、李浩然は柔らかく微笑んで頷いた。
「いつでも泊まりに行くから、もう出ておいで」
そう言うなり、やったぁ!と元気よく掛け布団を跳ね上げ、呉宇軒が飛び出してくる。逃げ遅れた彼は頭から布団を被せられ、たちまち目の前が真っ暗になった。
「阿軒!」
怒りに満ちた声で名前を呼ぶと、呉宇軒は大慌てで幼馴染から布団を剥ぎ取り、彼の唇に二回、触れるだけのキスをする。最近はもう、口にするのが当たり前になってきていた。
「ごめんごめん! もう行こう!」
授業に遅れちゃう!と自分のことを棚に上げ、呉宇軒は彼の手を掴んで引っ張り起こす。その笑顔は朝の日差しよりも眩しく輝いて見えて、李浩然は思わず彼の体を抱きしめていた。
「なんだよ、飯食うんじゃなかったのか?」
からかうような声音で、腕の中の呉宇軒がニヤリと笑う。そんな彼に誘われるまま、李浩然は弧を描く唇に口づけを落とした。
一度寮に寄って同じ学部の謝桑陽と合流した後、三人は講義室を目指して部屋を出た。ところが、講義室のある建物に入ると、たくさんの話し声が聞こえてきて何やら騒然としている。声の出所はエントランスにある掲示板の辺りで、もうすぐ授業が始まるというのに何故か人だかりができていた。
一体何があったのか不思議に思い、呉宇軒は彼らに近付いて事情を聞こうとした。すると、一番後ろに居た女子が、彼の顔を見て驚きに目を見開き、あっと大きな声を出す。
「軒軒が来た!」
その一言で、彼はたちまち学生たちに囲まれてしまった。同じ経済学部の生徒もいれば、別の学部の見慣れない生徒もいる。
何が何だか分からず面食らっていると、人の壁を割り入って李浩然が助けに来てくれた。だが、彼は呉宇軒を自分の元へ抱き寄せた後、ふと顔を掲示板へ向けて動きを止める。一体何があったのか、それっきり彼は微動だにしなくなってしまった。
呉宇軒が首を捻って掲示板を見ようとしていると、先ほど声をかけてきた女子が話しかけてきた。
「ねえ軒軒、あなた大変なことになってるわよ!」
これ、と言って申し訳なさそうに瞳を伏せながら彼女が手渡してきたのは、A4サイズの一枚の紙だ。それを見て、呉宇軒は幼馴染が固まってしまった理由がやっと分かった。
彼女がくれた紙には『人気モデルの呉宇軒、立ち入り禁止の場所で飲酒に喫煙まで!』と大きな文字で見出しが書かれている。おまけに、ご丁寧にも隠し撮りと思しき写真付きだ。だが、どれだけ記憶を辿っても呉宇軒には全く心当たりがない。
「なんだこれ? 合成?」
非常階段の踊り場のような場所で、柵にもたれて煙草を吸っている人物が写っているが、その画質は荒すぎて、じっくり目を凝らしても顔が潰れていて分からなかった。
しかし、怪しさ満点の写真には、袖がド派手なピンク色をしたサテン生地の上着を着た人物が写っている。それは、呉宇軒がいつも着ているものによく似ていた。何も知らない人が見れば、もしかすると彼が本当にやっていると思うかもしれない。
写真の下に書かれた日付を見ると、呉宇軒がハルビンに行っていた日だった。
「これは彼ではない」
怒りを孕んだ低い声がきっぱりと否定する。そんな風に言ってくれるのは、他でもなく李浩然だ。ただならぬ空気を感じ、ざわめきが一瞬で静かになる。
彼は呉宇軒の手から告発チラシを引き抜き、まるで親の仇のようにぐしゃりと手で握り潰した。そして二人を囲む野次馬たちをじろりと睨みつけると、毅然とした態度で言った。
「ただの悪戯だ。授業に行きなさい」
鋭い双眸には怒りの炎が宿っていた。凛とした彼の迫力に気圧されて、彼らを囲んでいた生徒たちは蜘蛛の子を散らすように慌ただしく教室へ向かい始める。
後に残ったのは同じ学部の生徒の一部だけだった。彼らも手に告発チラシを持っていて、困惑した表情を浮かべている。
野次馬の輪には加わらず、端の方で携帯を見ていた謝桑陽は、人の群れが去ると血相を変えて大慌てで走り寄ってきた。彼は画面を呉宇軒の方に向けながら、切羽詰まった声で口を開く。
「軒兄! この紙……大学中にばら撒かれてるみたいです!」
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