陽炎と裂果

かすがみずほ@3/25理想の結婚単行本

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呪いの終わり

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 その後、会議ではミシディアの行動計画の具体的な話し合いが夜を徹して行われた。
 その白熱した空気から俺たちが解放されたのは、夜明け前だ。
 同胞達は石窟から解散し、俺とオルファンとシャールクの三人は、長い地下道を渡ってシャールクの居館へと向かった。
 壁に灯されたランプの灯りの下で、誰もがしばらくは無言でいたが、先頭に立っていたシャールクが口火を切り、話し始めた。
「……オルファン。もう既に分かっていると思うが、君のことを少しイアンから聞かせてもらった。――君はこれからどうする? ……マウラカでは、恐らくシャイナの手先と思われる偽のヴァランカが暴れ回っているという話が聞こえている。――マウラカに戻ることも、ここにいることも、君にとっては困難な道になる」
「……」
 俺の後ろを歩くオルファンは、黙してしまい、何も答えない。
 どうしたのだろう。
 さっきから、少し様子がいつもと違うような気がしてならない。
 胸騒ぎがする。
 息苦しさを我慢しながら歩き続けていると、ついにオルファンが口を開いた。
「俺は、帰る。……一人で。イアンは帝国に返す」
「何だと」
 思わず立ち止まり、振り返った。
 前にいたシャールクもまた歩みを止め、こちらを振り返った。
「――私もそれがいいと思う。イアンは帝国人だ。君の命を何度も救い、こうして君を私に繋いだ。……もう十分、君に対する償いをしたはずだ。そして君は、十分にイアンを傷つけた」
「俺は傷付いてなどいない……!」
 慌てて叫ぶが、二人は俺のことなど目に入らないかのようだ。
 シャールクが俺の身体の横を通り、オルファンと向かい合う。
「――国と運命を共にしない者を、民は指導者として受け入れはしない。海外に亡命し、安全な国外でぬくぬくと独立を訴えても、根を失った花のようになるだけだ」
「……ああ、分かっている」
 短く答えたオルファンに、シャールクが満足げに微笑んだ。
「では、ここに居るうちは見るべきものを見て、経験するべきものを経験してから、マウラカに帰ると良い。――ヴァランカとしてではなく、顔と身分を明かした、オルファン・ロカとして。古臭い伝説の英雄ではなく、まことの姿の君と、我々は盟約を結んだのだから」
 あっ、と声を上げそうになった。
 そこも含め、全てがシャールクの作戦だったのだと気付かされたからだ。
 黙り込んだ俺とオルファンを置いて、シャールクが身を翻し、地下道の先へと迷いなく歩き始める。
 俺は居ても立っても居られず、オルファンに掴みかかった。
「俺は、お前と一緒にいる……! お前がマウラカに帰るなら、俺も一緒に行く……!」
 だが、オルファンは漆黒の瞳で俺を一瞥すると、すぐに視線を逸らし、そっけなく答えた。
「……。もう何の地位も無いあんたが一緒に来て何になる。あんたは港から船に乗り、帝国に帰れ」
「そんな……嫌だ、オルファン……」
「――元に戻る方法を探ってやれず、悪かった。……俺は俺のするべきことをする。あんたもそうしろ。……もう、俺のことはいい」
 彼の発する言葉の響きが、とりつく島もないのに余りにも優しくて、絶望で涙が溢れ出た。
 言われてみればそうだ。ミシディアでもうオルファンは独立への道筋を見つけた。
 呪いはもう解けている。
 そしてオルファンは……ミシディアとの盟約の為、俺が居なくても、ヴァランカに戻ることはない。
 俺に出来ることはもう、何もない……?
「それでも、それでも俺はお前と行きたい……家族も地位も全部失っても、たとえお前に殺されても、お前と一緒に居たいんだ……」
 涙を拭いながら訴えた俺を、強い腕が引き寄せて抱き締めた。
「イアン……。イアン、……もういい。俺は多分、ずっと昔に、あんたからそんな風に言って欲しかったんだと思う。だからもう十分だ。もう満足した。あんたはもう、必要ない」
 ――やっと、信じてもらえた。
 初めてそれを確信できたのに、望んでいた事が叶ったのに、決して受け入れては貰えないなんて。
 胸が引き裂かれそうになりながらオルファンの胸にすがった。
「嫌だ……何でそんなこと言うんだ……っ、俺はお前と行くと言ってるのに……!」
 服の合わせ目を握りしめて訴える俺の顔に彼の指が触れ、顎が持ち上げられた。
「……?」
 涙でぼやける目を細めると、額に触れるだけのキスを落とされる。
 いつかにそうされた時よりもずっと、彼の心の内側が伝わってきて、泣き叫びそうになる。
 許しと、別れのキス。
 そしてすぐに、胸を押されて突き放された。
「……行くぞ」
 短く言って、オルファンが背中を向けて歩き出す。
 俺は情けなく嗚咽しながら、力の入らない足取りでその後を歩いた。
 突き当たりまで地下道を歩くと、粗末な木の梯子が壁に立てかけて置かれている。
 その梯子を掴んだまま、シャールクがこちらに向かって手を上げた。
「待て! 今、上の私の屋敷に、帝国兵の手入れが来ているそうだ。マウラカ人のスパイの容疑者を逮捕しに来たと言っている」
 緊迫した様子に、ハッとして足を止めた。
 汽車の中でも来たゲルサ兵達だろうか。
 まさか、ここを嗅ぎつけたのか。
「私が彼らの足止めをする。こっちの出口はダメだ。オルファン、君は石窟の側から脱出しろ」
 普段は柔和なその表情に緊張が走っている。
 オルファンが踵を返し、長い髪を振り乱しながらもと来た方向に走り出した。
 その背を追いかけようとして、シャールクが背後で叫ぶ。
「イアン、君は追いかけるな! 祖国に帰れなくなってしまう……!」
 けれど、俺は振り返らず、足を止めなかった。
 暗く狭い地下道を走りながら、オルファンが鋭く叫ぶ。
「あんたは帰れと言っただろうが!」
 だが、俺も負けはしなかった。
 命が危険ならば、尚更だ。
「嫌だ、俺は絶対に帝国に帰らない。お前の帰る場所が俺の帰る場所だ! 最後までお前を見届ける!」
「くそ、あんたはどこまで行っても思い通りにならねぇな!」
 憎まれ口を聞いてはいるが、口調は温かく、どこか楽しそうにも聞こえるほどだ。
 二人で真っ直ぐに伸びる地下道の突き当たりまで来て、隠し扉に通じるドアを開けた。
 その先は、祭りの小さな灯火が全て消えた今は真の闇だ。
「――道、覚えているか? 俺は気絶していたから分からない」
 オルファンが緊張の面持ちでこちらを振り向く。
 俺はふっと笑って、彼の温かい手を取った。
「真っ暗でも問題ない程度には。俺がお前の手を握って引く! 来い!」
 手のひらが力強く俺の手を握り返す。
 まるで子供の頃のように、しっかりと……。
 手を引きながら、躊躇なく闇に足を踏み込んだ。
 熱い体温の感覚がいっそう強く伝わってきて、目眩がするような幸福感が湧く。
 何も見えない分、気持ちが大胆になって、後ろをついてくる相手につい、また、あの言葉を言いたくなってしまった。
「……オルファン、好きだ。……要らないと言われても、もうお前の手を離さない」
 答えは返ってこない。
 でもその代わり、強く手を握り返された。
 その反応を心から愛おしく思いながら、最後の角を曲がると、前方に眩しい光が差してきた。
「出口だ。出たら、シリウスと車で来た時の農園の門に向かって走ろう」
 後ろを振り返ると、オルファンが照れた少年のような落ち着きのない表情で手をもぎ離した。
「もう明るくなったんだから、さっさと離せ」
「はは。約束したのに」
 軽口を叩きながら外に出ようとして、息を呑んだ。
 ――外を、黄土色の帝国の軍服を纏い、銃を持った兵達が取り囲んでいたからだ。
「そこにいるのはオルファン・ロカだな!? 我々はミシディア帝国警察だ。両手を上げて頭の後ろに付けてから、そこから出てこい!」
 オルファンが激昂して叫ぶ。
「ミシディアにハメられたのか……!?」
「いや、違う……落ち着け、オルファン……」
 極力冷静にさせるように宥めた。
 ここでオルファンの怒りを煽れば、またヴァランカの姿になってしまう。
 単なるスパイ容疑ならともかく、ヴァランカの姿をあらわにすれば、間違いなくその場で銃殺だ。
「まず俺が出る。お前は中にいろ」
 言い渡してから、ゆっくりと石窟遺跡の外に出た。
 朝日の眩しさに目を細めながら、周りの兵士達を睨み付ける。
 皆帝国人の顔つきをしていて、ゲルサ兵ではない。
 見知った顔はないが、恐らく帝国軍人で構成された治安維持部隊のようだ。
「……私はイアン・ハリス少佐だ。私の個人秘書にスパイ容疑をかけるとはどういう事だ」
 ――だが、帝国兵の一番先頭に立っていた指令と思しき若い男は、臆することなく俺に銃を突き付けた。
「私は検査官のホーズと申します。少佐殿個人にも、機密情報漏洩の嫌疑がかけられています。――厳重な監視を付けた上で帝国行きの船に乗せるよう命令を受けております」
 肌が白く、頬のこけた酷薄な顔立ちをした男が言い放つ。帝国貴族でよく見るタイプの顔だ。
「何だと……」
「オルファン・ロカを逮捕しろ。奴はエヴカのロバート少佐の元へ移送する」
「はっ」
 命令と同時に、数人の兵士が次々に石窟寺院の入り口へ突進した。
 振り向くや否や、瞬く間にオルファンが床に押し付けられて拘束されていくのを見て、理性が消し飛んだ。
「やめろ!」
 彼を助けようと兵の一人に飛びついて蹴り倒し、もう一人を殴り飛ばした。
「オルファン、逃げろ!」
「クソ、この裏切り者め……ハリス少佐を拘束しろ!」
 他の兵たちが群がってきて、俺の身体はあっという間に揉みくちゃにされた。
 恐らく、俺の父親の命令で、撃つことは出来ないのだろう。
「離せ、オルファン、早く行けっ……!」
 ところが、オルファンは逃げる気配がなかった。
 そらどころか、石窟の床からゆっくりと立ち上がると、頭の後ろに両手を付け、堂々と兵達の前に歩み出た。
「オルファン……!?」
 オルファンは、俺の部下を演じていた時の丁寧な――だが、強い口調で言葉を発した。
「検査官殿、ハリス少佐を離して下さい。……少佐殿は私を庇っているだけです」
 地面に取り押さえられたまま絶句した。
 そんな……何故、逃げない!?
 オルファンは自ら捕まるつもりなのか。
「機密の漏洩は全て私が画策した事です。少佐殿に罪はありません」
「オルファン……! 何を言ってるんだ……!」
 今捕まってしまったら、もう未来はない。
 オルファンにも、マウラカにも……それで本当にいいのか!?
 目で訴えると、彼は形のいい唇を引き、ぎこちない微笑みを返してきた。
 子供の頃のような、純粋で綺麗な、笑みを……。
 ――駄目だ。
 一人では行かせない……!
 手を離さないと、約束したばかりだ。
「待て……! 俺も容疑者だと言うなら、俺もロバートの元へ連れて行くのが筋だろう!?」
 訴えて暴れる俺を、無理矢理左右から兵士が取り押さえてきた。
「……貴方はマウラカへの入国が今後一切禁止されます。護送の際に多少の乱暴は許すと上からは言われていますから、逆らわない方が貴方の身の為ですよ」
 背中を押され、両手を後ろ手に縛られる。
 痛みと悔しさで唇を噛みながら、検査官の顔を睨みつけた。
 冷酷なその顔の片頬が歪む。
「全く、親の七光りだけで副総督にまでなった癖に、現地人の愛人を作った挙句、洗脳されて国を売るとはな……。――お前達、農園の出口までこのマウラカ人と少佐殿を連行しろ。少佐殿は車で港へ、マウラカ人は囚人護送用の馬車で北に運ぶ」
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