俺を殺しにきた男

かすがみずほ

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「凄い、マコト、外が凄く綺麗だ……!」
 オレンジの灯火の洪水のような街を眼下に、ミーシャがガラス窓にへばりついている。
 裾広がりの光のドレスを着た貴婦人のようなエッフェル塔、セーヌ川沿いの道を連なって走る車のライトの瞬き。
 ルーブル美術館の前にそびえるガラスのピラミッド、そして、荘厳なオペラ座のライトアップ……。
 働いた後、疲れ切って家に帰る時にひとり横目で見る夜景より、ずっと美しくて温かく感じるのは何故なんだろう。
 まるで、この街に住むのを許されているように。
 となりにミーシャが居るからなんだろうか。
 彼だって、この場所では異邦人なのに。
 不思議な満ち足りた気分で下を眺めていると、同じ側の座席にミーシャがグイッと身体をねじ込んできた。
 小さなカゴの中で、男同士で隣り合って座ると流石に狭い。
「傾くから、そっちに座って」
 向かい側を指差したけれど、彼は聞かなかった。
「この中、寒いから、くっつこう」
 確かに、観覧車の中は暖房なんて付いてないから、底冷えのするような寒さだ。
「でも……」
 戸惑っている俺の肩を、長い腕がギュッと抱きしめてきた。
「……!」
 体温と一緒に、背筋が痺れるような幸福感が喉にせり上がる。
 何故か涙がこみ上げそうになった。
 この人は絶対に、これからもずっと俺のそばにいるような人じゃないのに、それでも彼の遠慮のないその行為が、たまらなく嬉しかったんだ。
 本当はずっと、誰かに親しく、こんな風にされたかった。
 ハグしながら両方の頬を合わせて、親しげに挨拶のキスを交わすフランス人達のように。
「ミーシャ、近い……」
「でも、あったかい」
 心臓がバクバクする。
 さっきワインを急ピッチで飲んだせいだろうか。
 戸惑いながら相手の胸を押したけど、ビクともしない。
 大人になってからこんな風に誰かにしっかりと抱き締めて貰ったのは初めてかも知れなかった。
 今までずっと、勉強と生活の維持で精一杯で、大学に入ってからはとにかく授業が厳しくて……友達を作る暇すらなかった。
 教授だって、要領の悪い俺がヘマをすると、アジア系だってことを引き合いに出して皮肉を言ってくるし、それを聞いた周りの学生達も冷笑するばかりで……。
 俺の友達はヤンミンくらいしか出来なくて、その彼とだって、こんな風にハグし合ったことなんて一度もない。
 そうっと、ミーシャの分厚い背中に腕を回して抱き返す。
「マコト、体温高いな」
 耳元で囁かれて、だんだん恥ずかしくなってきた。
「……は、離れてもいい……?」
 遠慮がちに訊くと、首を振られた。
「何でそんな照れてるんだ? 俺達もう、遠慮するような仲じゃないだろ」
 横髪に指先を入れられて、親指の腹で頬を撫でられる。
 親しげな仕草にドギマギしながら、じゃあ、どんな仲なんだろうと考えた。
 友達、ってことかな。
 そんな風に思ってもらえるのは凄く嬉しいけど、俺一人の勘違いだったら恥ずかしい。
「あ、あの……」
 それって、どういう意味――。
 訊こうとして視線を上げたら、吸い込まれるようなラピスラズリブルーの瞳とばっちり目が合ってしまって、うっとりと意識が蕩けた。
 俺、どうしちゃったんだろう。
 ワインのせいだろうか。
 顔が燃えてるみたいに熱いし、息苦しい。
 ミーシャの熱い息が耳に触れている。
 彼も顔には出ていないけど、多少は酔っ払ってるのかもしれない。
 身体中の血の巡りが、触れられた皮膚に集まるような感覚がする。
 彼の手が俺の頬を包み込んで、完璧な造形の顔が瞼を伏せて斜めに傾いた。
 その光景はまるで接吻の予兆のようで、ぞくっと身体の奥が疼く。
 靄のかかった意識の内側で、今まで誰にも感じたことのなかった感覚が開いて、俺を支配する。
 何だこれ、一体何が起こって……。
「――マコト、あれ見て」
 急にミーシャが横を向き、身体を離して背後の窓を指差した。
 俺は口から心臓が飛び出そうな状態のまま、まだクラクラして、中々反応できない。
「っ……、え……?」
 やっと外に視線を移し、彼の指差す方向を見た。
 観覧車は頂上を過ぎて、地上に向かうところだった。
 ガラスの向こうに見える、どこか見覚えのある美しい建物……。
「あれが何……」
 問いかけて、ハッとした。
 一気に酔いが覚めて、無言で相手の顔を見つめる。
「見て、俺のカード入れに入っていたカードに描かれてる絵とソックリだ……。あれだよな?」
 ミーシャがポケットを漁り、革のカード入れを取り出す。
 ホテル「メゾン・ディアーヌ」のカードキー……。
 俺は血の気がひくような気持ちで、ただ無言で頷いた。
 そうだった。最初から、俺たちは友達なんかじゃない。
 ミーシャは多分、俺を殺しにきた男なのに、それなのに俺は……。
「なぁ、――これから行ってみよう、あそこへ。マコト、付いてきてくれるよな?――」
 有無を言わさぬその問いかけに、俺は頷くほか無かった。
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