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セフィードのワガママ
深く暗い森から高く低く響いてくる、フクロウ達の微かな声。
小さな天窓から青い月明かりの差し込む簡素な部屋は、王子の寝室の壁の奥に配された、隠し階段からしか入ることができない。
王子セフィード以外にその場所を知るのは、ただ一人のみ。
扉を叩く音がして、ゆったりとした白い絹のガウンを身に纏った王子は、神秘的な深い青の瞳を輝かせた。
「アスワド。入るがいい」
扉を開けた幼なじみの騎士は、恭しく礼をして、美しい彫刻の施された、重い木の扉を閉める。
首の後ろで短く刈った黒髪が蝋燭の明かりで艶めき、感情の読めない紫の瞳はいかにも武人らしい。
その長身を包んでいる黒衣は煌びやかではないが、鋼のように鍛え抜いた肉体にぴたりと合い、彼の精悍な美しさを引き立てていた。
「……よく来てくれた。半分、諦めかけていた所だ」
「王妃様より言いつかった用事に出向いておりました。遅くなりまして申し訳ございません」
騎士が深く頭を下げ、ブーツで敷石を踏みながら王子のそばへと近づいてゆく。
部屋を照らす壁掛けの燭台、天蓋付きの寝台に、水差しを置くための台、銅製のテーブル、そして古い布張りの椅子が二脚。
簡素な隠し部屋の壁際には、王子の今まで描いた絵が所狭しと置かれている。
王子は優雅な布張りの椅子に座ったまま、手にしていた木板を卓の上に置いた。
それは麻布を貼った小さなキャンバスで、そばには黒い木炭が置かれている。
大っぴらに顔料を取り寄せることができないため、周囲の絵も、色を塗ってあるものは殆どない。
湖や森を描いた美しい風景、馬や子鹿の親子を描いたもの、平和で穏やかな光景を写しとったものが多かった。
「殿下。この絵を、本当に今晩で焼いてしまわれるのですか」
立ったまま壁際を見回し、アスワドが問う。
その拳は固く握られていて、努めて平静を装っているようだ。
セフィードは肩まである真っ直ぐな銀髪を優雅に揺らし、薄く微笑んで頷いた。
「父上が亡くなり、私は一刻も早く王座を継がねばならぬ。お前も知る通り、この国の王位を継承出来るのは、成人して妃を迎えた、神の血を引く直系の王族と定められている。私は成人と共に隣国ラズワルツ帝国から妃を迎え、この国の良き王として生きねばならない……」
ここに至るまでには重い苦悩があったが、騎士には微塵も見せたことがなかつた。
セフィードはアスワドを招き寄せた。
「アスワド、さあ、こちらへ……。私の前に、座っておくれ。この絵を最後に、もう金輪際、絵は描かないつもりだ。お前はここにいて、私の最後の絵を見守っていて欲しい」
アスワドは静かに王子に近づき、一礼してから、テーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰を下ろした。
卓上に置かれたキャンバスを見て、アスワドが目を見張る。
そこには、生真面目な顔をした、アスワドの肖像画が描かれていた。
「……この小さな絵だけは、焼かずにお前に預ける。人間としての私の心だ……お前に持っていて欲しい」
王子はキャンバスを手に取って、再び線を引き始めた。
「光栄でございます、殿下……」
抑えたような低い声で、アスワドが呟く。
王子の手が、木炭を走らせる。
影の騎士は暫くの間、微動だにせず、王子の方を向いたまま黙り込んだ。
紫の瞳は、食い入るように王子の美しい手を見ている。
炭で黒く汚れた、しなやかな指先を。
王子はその視線に気づき、顔を上げた。
「退屈だろう? 楽にしていろ。そうだ、酒を飲むがいい。眠っていても良いのだ……私は描けるから……」
「滅相もございません。殿下の前で眠るなどと」
「では、私も飲むから、酒は付き合ってくれ」
王子は含み笑いをしながらそう言うと、絵の道具を一旦手放し、立ち上がった。
「ならば、私がご用意を」
「いや、いい」
立ち上がりかけたアスワドを制して、セフィードは天蓋付きのベッドの横に置かれた、腰高の小さな台の前に歩み寄った。
その上に深緑色の丸底の硝子瓶と、黄金のゴブレットが置かれている。
王子は瓶を取り、金の器に琥珀色の液体を注いだ。
その手が、僅かに震えている。
――私は、神に背く罪を犯そうとしている……。
セフィードは一瞬唇を噛みしめたが、すぐに笑顔を作って振り向いた。
「さあ、飲むがいい」
セフィードはゴブレットを一つアスワドの前に置き、自分の分にも口をつけ、少しだけ飲んだ。
「線を引けなくなるから、今はこれだけにしておく」
アスワドが頷き、同じく自分の酒に口を付ける。
セフィードは半分ほど残った酒を卓に置くと、再び画材を取り、その陰から注意深くアスワドの表情を見つめた。
胸の内で、心臓が破裂しそうなほどに鼓動する。
セフィードは口を開いた。
「……アスワド……。一つ聞いてもいいか……」
「はい。何なりと……」
いつも通り、生真面目な口調で返事をした相手に、セフィードは聞いた。
「私の結婚のことを、どう思う……?」
アスワドは表情を変えることなく、答えた。
「姫君は、あなた様の良き伴侶となられるのに相応しいお方かと」
「……そうか。……では、私のことは」
「……あなた様は……アルスバーンの偉大なる王となられ、とこしえに……」
答えようとしたアスワドの様子に異変が起きた。
普段冷静沈着な顔が、耳が、赤く火照り、呼吸が荒く、激しくなってゆく。
「セフィード様……。おいとましても、よろしいでしょうか……どうも、酒に酔ったようです……」
「ああ、それは王族の嗜む酒だから、普通の人間のお前には、少し強すぎるかもしれないな……」
セフィードは席を立ち、アスワドに肩を貸した。
「その酒は強いがすぐに抜ける。……あちらで休んだらいい」
主人が自らの寝床を指差すのを見て、騎士は狼狽した。
「そんな訳には……ああ」
足元がふらつき、騎士は王子にもたれかかった。
その体温に甘い歓喜を覚えながら、セフィードは彼の背中を愛おしげに両腕で抱き締めた。
「……そんな足取りでは、階段から落ちてしまうぞ。さあ、こちらへ……」
すっかり正体をなくしたアスワドは、連れられるがまま、王子の寝床に仰向けに倒れた。
力の抜けた彼の脚を持ち上げ、ブーツの紐を解きながら、セフィードは騎士の様子を伺った。
「アスワド……気分はどうだ」
尋ねると、彼は陶然としながら、冗舌に答えた。
「とても……とても良いです、殿下……」
「それは良かった……」
セフィードの表情に、暗い愉悦が混じる。
ブーツを脱がせ終わると、王子は相手の腰のあたりに跨るようにして寝台に乗った。
アスワドは朦朧としているが、王子の行為に目を見張る。
「何を……?」
セフィードは拒絶されないうちにと、自らの身体に羽織っていたガウンの紐を素早く解き始めた。
「私のことを、愛しているか……?」
騎士の顔をじっと見つめたまま、甘くあやすような声で問う。
紫水晶の瞳が、うっとりと王子の動きを見つめた。
「ええ、殿下……。私は、幼い頃より……心から、貴方様を愛しております……。……結婚など……明日が来なければいいのに……」
それは、忠実な騎士が今まで決して口にしなかった真実の心――そして、セフィードがこの人生で、何よりも望んでいた言葉だった。
「ああ……。すまない、アスワド」
王子の薔薇色の頬に、真珠のような涙が一筋伝う。
「どうか私を許してくれ。お前に、薬を飲ませた。心のうちをとどめておけなくなる薬を……」
セフィードは告白しながら、薄い衣を脱ぎ、床に捨てた。
小さな天窓から青い月明かりの差し込む簡素な部屋は、王子の寝室の壁の奥に配された、隠し階段からしか入ることができない。
王子セフィード以外にその場所を知るのは、ただ一人のみ。
扉を叩く音がして、ゆったりとした白い絹のガウンを身に纏った王子は、神秘的な深い青の瞳を輝かせた。
「アスワド。入るがいい」
扉を開けた幼なじみの騎士は、恭しく礼をして、美しい彫刻の施された、重い木の扉を閉める。
首の後ろで短く刈った黒髪が蝋燭の明かりで艶めき、感情の読めない紫の瞳はいかにも武人らしい。
その長身を包んでいる黒衣は煌びやかではないが、鋼のように鍛え抜いた肉体にぴたりと合い、彼の精悍な美しさを引き立てていた。
「……よく来てくれた。半分、諦めかけていた所だ」
「王妃様より言いつかった用事に出向いておりました。遅くなりまして申し訳ございません」
騎士が深く頭を下げ、ブーツで敷石を踏みながら王子のそばへと近づいてゆく。
部屋を照らす壁掛けの燭台、天蓋付きの寝台に、水差しを置くための台、銅製のテーブル、そして古い布張りの椅子が二脚。
簡素な隠し部屋の壁際には、王子の今まで描いた絵が所狭しと置かれている。
王子は優雅な布張りの椅子に座ったまま、手にしていた木板を卓の上に置いた。
それは麻布を貼った小さなキャンバスで、そばには黒い木炭が置かれている。
大っぴらに顔料を取り寄せることができないため、周囲の絵も、色を塗ってあるものは殆どない。
湖や森を描いた美しい風景、馬や子鹿の親子を描いたもの、平和で穏やかな光景を写しとったものが多かった。
「殿下。この絵を、本当に今晩で焼いてしまわれるのですか」
立ったまま壁際を見回し、アスワドが問う。
その拳は固く握られていて、努めて平静を装っているようだ。
セフィードは肩まである真っ直ぐな銀髪を優雅に揺らし、薄く微笑んで頷いた。
「父上が亡くなり、私は一刻も早く王座を継がねばならぬ。お前も知る通り、この国の王位を継承出来るのは、成人して妃を迎えた、神の血を引く直系の王族と定められている。私は成人と共に隣国ラズワルツ帝国から妃を迎え、この国の良き王として生きねばならない……」
ここに至るまでには重い苦悩があったが、騎士には微塵も見せたことがなかつた。
セフィードはアスワドを招き寄せた。
「アスワド、さあ、こちらへ……。私の前に、座っておくれ。この絵を最後に、もう金輪際、絵は描かないつもりだ。お前はここにいて、私の最後の絵を見守っていて欲しい」
アスワドは静かに王子に近づき、一礼してから、テーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰を下ろした。
卓上に置かれたキャンバスを見て、アスワドが目を見張る。
そこには、生真面目な顔をした、アスワドの肖像画が描かれていた。
「……この小さな絵だけは、焼かずにお前に預ける。人間としての私の心だ……お前に持っていて欲しい」
王子はキャンバスを手に取って、再び線を引き始めた。
「光栄でございます、殿下……」
抑えたような低い声で、アスワドが呟く。
王子の手が、木炭を走らせる。
影の騎士は暫くの間、微動だにせず、王子の方を向いたまま黙り込んだ。
紫の瞳は、食い入るように王子の美しい手を見ている。
炭で黒く汚れた、しなやかな指先を。
王子はその視線に気づき、顔を上げた。
「退屈だろう? 楽にしていろ。そうだ、酒を飲むがいい。眠っていても良いのだ……私は描けるから……」
「滅相もございません。殿下の前で眠るなどと」
「では、私も飲むから、酒は付き合ってくれ」
王子は含み笑いをしながらそう言うと、絵の道具を一旦手放し、立ち上がった。
「ならば、私がご用意を」
「いや、いい」
立ち上がりかけたアスワドを制して、セフィードは天蓋付きのベッドの横に置かれた、腰高の小さな台の前に歩み寄った。
その上に深緑色の丸底の硝子瓶と、黄金のゴブレットが置かれている。
王子は瓶を取り、金の器に琥珀色の液体を注いだ。
その手が、僅かに震えている。
――私は、神に背く罪を犯そうとしている……。
セフィードは一瞬唇を噛みしめたが、すぐに笑顔を作って振り向いた。
「さあ、飲むがいい」
セフィードはゴブレットを一つアスワドの前に置き、自分の分にも口をつけ、少しだけ飲んだ。
「線を引けなくなるから、今はこれだけにしておく」
アスワドが頷き、同じく自分の酒に口を付ける。
セフィードは半分ほど残った酒を卓に置くと、再び画材を取り、その陰から注意深くアスワドの表情を見つめた。
胸の内で、心臓が破裂しそうなほどに鼓動する。
セフィードは口を開いた。
「……アスワド……。一つ聞いてもいいか……」
「はい。何なりと……」
いつも通り、生真面目な口調で返事をした相手に、セフィードは聞いた。
「私の結婚のことを、どう思う……?」
アスワドは表情を変えることなく、答えた。
「姫君は、あなた様の良き伴侶となられるのに相応しいお方かと」
「……そうか。……では、私のことは」
「……あなた様は……アルスバーンの偉大なる王となられ、とこしえに……」
答えようとしたアスワドの様子に異変が起きた。
普段冷静沈着な顔が、耳が、赤く火照り、呼吸が荒く、激しくなってゆく。
「セフィード様……。おいとましても、よろしいでしょうか……どうも、酒に酔ったようです……」
「ああ、それは王族の嗜む酒だから、普通の人間のお前には、少し強すぎるかもしれないな……」
セフィードは席を立ち、アスワドに肩を貸した。
「その酒は強いがすぐに抜ける。……あちらで休んだらいい」
主人が自らの寝床を指差すのを見て、騎士は狼狽した。
「そんな訳には……ああ」
足元がふらつき、騎士は王子にもたれかかった。
その体温に甘い歓喜を覚えながら、セフィードは彼の背中を愛おしげに両腕で抱き締めた。
「……そんな足取りでは、階段から落ちてしまうぞ。さあ、こちらへ……」
すっかり正体をなくしたアスワドは、連れられるがまま、王子の寝床に仰向けに倒れた。
力の抜けた彼の脚を持ち上げ、ブーツの紐を解きながら、セフィードは騎士の様子を伺った。
「アスワド……気分はどうだ」
尋ねると、彼は陶然としながら、冗舌に答えた。
「とても……とても良いです、殿下……」
「それは良かった……」
セフィードの表情に、暗い愉悦が混じる。
ブーツを脱がせ終わると、王子は相手の腰のあたりに跨るようにして寝台に乗った。
アスワドは朦朧としているが、王子の行為に目を見張る。
「何を……?」
セフィードは拒絶されないうちにと、自らの身体に羽織っていたガウンの紐を素早く解き始めた。
「私のことを、愛しているか……?」
騎士の顔をじっと見つめたまま、甘くあやすような声で問う。
紫水晶の瞳が、うっとりと王子の動きを見つめた。
「ええ、殿下……。私は、幼い頃より……心から、貴方様を愛しております……。……結婚など……明日が来なければいいのに……」
それは、忠実な騎士が今まで決して口にしなかった真実の心――そして、セフィードがこの人生で、何よりも望んでいた言葉だった。
「ああ……。すまない、アスワド」
王子の薔薇色の頬に、真珠のような涙が一筋伝う。
「どうか私を許してくれ。お前に、薬を飲ませた。心のうちをとどめておけなくなる薬を……」
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