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番外編2

渚の家庭内恋煩い7

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 その反応に密かに目を見張る。
 湊が俺を意識してる……?
 やっぱりこの作戦は有効なのかも――。
「ご、ごめんな。一瞬、誰かと思って……最近その顔を見慣れないもんだから」
 弁解するようにそう言いながら、湊が布団の上で身を起こし始めた。
 パジャマの一番上のボタンが外れていて、大きく開いた襟から覗く綺麗な鎖骨が眩しい。
 まだほんのりと染まった目元が色っぽくて、心臓がキュンと苦しくなった。
 ……俺はやっぱり切ないくらいこの人に恋してる。
「6時半か。土曜なのに早起きだな……」
 可愛いあくびをしながら、大好きな人は悪戯っぽい笑顔で俺を見た。
「朝から随分めかし込んで、どうした? これから一人でどこかに出掛ける用事でもあんのか?」
 聞かれてドキッと肩が跳ねる。
「いや、何にも無いよ……!?」
 首を左右に振ると、湊は怪訝そうな顔になった。
「何もねえのに、その顔とその格好……?」
「きょ、今日はお洒落したい気分だったんだ……そ、それだけ」
「……ふうん?」
 やばい、何か疑いの目で見られている。
 それもそうだよな、今まで家では全く人間の顔してないし。
「……俺が人間の顔してると変かな?」
 ドキドキしながら聞くと、湊は肩を竦めた。
「いや……早起きできたら、子供達が起きるまでソファで獣の渚とじゃれようかと思ってたから」
 すごく残念そうに言われて、ウッと決意が緩んだ。
 だっ、駄目だ! こんな誘惑で揺らいでたら、ますます湊とのエッチが遠のくだろ!
「……別に、犬っぽい俺じゃなくても、この格好でイチャイチャすればいいよね?」
 膝で立ち上がりながら、恭しく湊に手を差し出す。
 でも相手は俺の手を取ろうとはせず、自分で立って布団を離れていった。
「……。朝からそんなことしてたら、子供達がビックリするだろ。――顔洗って着替えてくる。朝飯、サンキューな」
 パジャマの後ろ姿があっさりと洗面スペースに消えてゆく。
 当然イチャイチャ出来るものだと思っていた俺は、ショックで呆然とした。
 犬だから駄目だったんじゃないのか?
 犬でも人間でも駄目だったとしたら、俺、もう……。
 ――どうしたらいいんだろう。
 足元からじわじわと絶望が湧いて、次々と疑念が浮かんだ。
 俺って、アルファだったよな?
 湊とは、つがいになったはずだよな。
 消しても消しても浮かぶ、後悔とか、離婚とか、浮気とか、勘違いとか――そんな言葉。
 湊に限ってそんなことあるわけない!
 けど、――怖い……!
 堪えられなくて、気付いたら俺は湊のいる脱衣所の奥へ駆け込んでいた。
「あのさ! ちょっと、話し合いたいことが――」
 その瞬間、驚愕した。
 洗面所に水が出しっぱなしになったまま、湊がバスマットの上に倒れていたんだ。
「み、湊!? ど、どうしたの!?」
 気が動転し、俺は飛びつくようにして彼の身体を抱き起こした。
 その背中に触れた瞬間に驚きが走る。
 手の平表面がピリリとする程の皮膚の熱さが伝わって、――どう考えても、尋常じゃない。
「……凄い熱だよ……! きゅ、救急車――」
「バカ、大げさだよ。……ちょっと風邪気味でクラッとしただけだって……」
 湊はちゃんと意識はあるようで、フラフラしながら立ち上がろうとして、俺の腕の中にまたガクッと力なく戻った。
「おっとっ……!」
 その身体をぎゅっと抱きしめて、顔を覗き込む。
 頬が真っ赤になって、目がトロンとしてる。
 あぁ、甘い匂いが堪らない……こんな時なのにキスしたいなんて……バカ渚、正気になれ!
 どうして気付かなかったんだろう。大事な人がこんなに体調崩していたなんて――。
 泣きそうな気分で熱い身体を抱き締めると、湊が腕の中でもがいた。
「大丈夫だから離せって……! ちょっと俺さ、いつもの病院行くから子供達見ててくんねえ……?」
「何言ってるの!? こんなフラフラなのに一人で行かせられる訳ないだろ! 子供はみんなに預かって貰えばいいんだから」
「大人なんだから一人で行ける。土曜日に申し訳ないだろ……」
「一人でなんか絶対に行かせない」
 俺はきっぱり言い切って、それ以上抵抗できないように湊の身体を片手で肩に担いだ。
「ちょっ」
「暴れると危ないからじっとしてて」
 リビングに戻って片手でスマホをとり、母に短いメッセージを打つ。
 あっという間に既読がついたから、恐らくすぐに来てくれるはずだ。
「うちの母が来てくれるよ。一緒に病院行こう」
「ちょっ、勝手にどんどん決めんなよ……っ。てか俺パジャマ! お母さん来る前に着替えたいから早く降ろせって!」
 ハッとして湊の腰をそっと下に降ろす。
 彼は俺を押しのけるように離れてクローゼットのある部屋の方へ走って行き、バタンと扉を閉じた。
 次の瞬間ワンワン吠える声がドアの外で聞こえる。
 焦って獣身のままやって来たらしい母の為に玄関を開けに行きながらも、俺は部屋に閉じこもった湊の事が心配でたまらなかった。
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