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俺VS牛 のちプリン

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 ――俊が選んだアトラクションは、でっかいトラクターが先頭になったトロッコ列車に乗り、非公開ゾーンも含めた広大な牧場を巡るツアーだった。
 座席は一グループずつ分かれている上、全員前を向いて座る形になっている。
 列車の左右に大きなガラスなしの窓があいていて、トラクターに引っ張られながら牧場が眺められるという訳だ。
 コースは牛の放牧地のど真ん中とか、建物の裏の非公開ゾーンとか、あまり人のいない所を突っ切っていくらしく、確かに人目にはつかない。
 俊と横に並んで乗り込むと、車両はものすごくゆっくりとしたスピードで動き出した。
 トラクター用のコースは、斜面になっている放牧地の中を蛇行するように設けられている。
 その周囲に様々な珍しい種類の牛がいて、立ったり横になったりしながらのんびりと草を食んでいた。
 さっきの出来事で暗くなりかけてた心も、否応なしに和んでしまう光景だ。

『あちらの、黒い毛に、お腹だけ白い大きなベルトをしているように見える模様の牛さん、見えますか~? あの牛さんは、ベルテッドギャロウェイという種類の牛さんになりまして、日本ではファーザー牧場でしか出会えない、とっても珍しい牛さんなんですよお~! ぜひお写真撮って下さいね~』

 先頭でマイクを持つ添乗員のお姉さんの声が、車両に備え付けられたスピーカーから聞こえてくる。
 窓の外を見ると、まるでプレゼントのリボンをお腹に巻いたみたいな模様の黒い牛が、立ち止まったままこっちを見ていた。
 足が短く、毛足が長めで、まるでぬいぐるみみたいに全身の毛がモコモコしてる。
 ……なんて……物凄~~く可愛い牛なんだ……っ。
 希少な牛に胸を射抜かれていると、横で俊が身を乗り出すようにして激しくスマホのシャッターを切りまくっていた。
 それもよだれを垂らさんばかりの顔で……。
 そりゃあ、いつでもどこでも会えるアナウサギに比べたら、日本で唯一の貴重な牛の方に心を奪われるだろう。
 俊はあのモコモコの牛と結婚すれば良かったんじゃ……。
 ――つい鬱々した対抗意識をかもし出してしまう。
 そのうち列車は牛の放牧地の丘を抜け、緑の絨毯の広がる開けた場所に出た。
 視界に、十頭ばかりの羊と、黒が多めの三毛猫みたいな色柄の小柄な犬が現れる。
 アナウンスとともに今度は牧羊犬のショーが始まり、これまた完全に俊の心を奪っていった。
 無理もない。
 羊よりも小さくて可愛い犬が、吠えることもなく魔法みたいに羊の群れを誘導して、止めたい所でピタッと羊たちを止めるんだ。まるでエスパーみたいに。
 ストロングアイ・ヘディングドッグっていう犬で、目力だけで羊をコントロールする、珍しい種の牧羊犬らしい。
 俊がトロッコの施錠されたドアにかぶりつきながら、呟いた。

「……俺も目力で止められますかね、羊……」

 ……。できそうだけど、目力が強すぎて羊が心臓麻痺起こすんじゃねぇか……?

「試すなよ、俊……」

「……」

 こっそり試そうと思ってたな……?
 ハラハラしつつも列車は羊の群れと別れ、見事な菜の花畑の中で止まった。
 撮影タイムの小休止で、右を見たり左を見たり忙しかった俊が、満足の溜息をついて背中を座席に預ける。
 色白の頬を珍しく上気させて、彼は嬉しそうに話しかけてきた。

「夢みたいです。陸斗さんと一緒に出掛けられるのも、ここに来られたのも」

 そう言う俊の目は、スマホに撮り溜めた動物の画像に夢中だ。

「そっか……よかったな」

 まだ心に痛みを引きずっていた俺は、つい気のない返事を返してしまった。

「……陸斗さん?」

 さすがの俊も、俺のちょっとした異変に気付いてしまったらしい。

「何か、ありましたか」

 さっきの牧羊犬みたいに、強い視線で見つめながら聞かれて、慌てて俺は笑顔で首を振った。

「別に、なにもねえよ。俺もすごく楽しい」

 答えた言葉に、偽りはなかったつもりだ。
 でも、一度生まれてしまった不安はなかなか消えない。
 ちゃんと向き合うことができない俺に、俊の表情が硬くなっていく。

「陸斗さん。一つ聞いていいですか」

「……うん。何?」

 頷くと、突然、ぎゅっと横から手を握られた。
 山の上の肌寒い気候のせいなのか、その手のひらから伝わる体温がびっくりするほど熱くて、思わず体が強張る。

「陸斗さんは、どうして俺と結婚したんですか。俺で、良かったんですか」

 突然のどストレートな質問に、自分の顔がかーっと熱くなるのが分かった。

「そ、それは……もちろん俺は良かったと思ってるよ」

 しどろもどろになり、俺はつい、余計なことを正直に言ってしまった。

「けど……。……正直言うと、社長が結婚していい、って言ってくれたのは大きかったかも」

 並行二重のでっかい目が見開かれて、透き通ったウルフ・アイがますます俺を睨み付ける。

「社長にしろって言われたから、結婚したんですか……!?」

 ヤバイ、誤解された。

「ごめんごめん。そんな意味じゃなくて」

 慌てて首を振る。

「……ほら、俺、俊よりもちょい昔のアイドルだからさ。俺がデビューしたころは、メンバー全員、40になるまでは絶対結婚するな、なんて言われてたんだ。でも本当は俺……早く結婚して、家族が欲しくて」

 触れている俊の手が、一瞬びくりと震えた。

「女手一つで俺を育ててくれた母ちゃんが中学の時に死んで、それから、ずっと一人だったからさ。……社長がずっと親代わりになってくれてたし、バニーボーイズの光や愛彦(まなひこ)や、事務所の先輩後輩が兄弟みたいなもんで、寂しくはなかったんだけど」

 なんだか真剣な感じで話を聞かれている感じがして、俺はわざと明るく笑顔を作った。

「だから、俊が結婚しようって言ってくれて、すげー嬉しくて……社長もいいって言ってくれるならって……」

「……」

 俊の表情が凍ったみたいになっていて、胸がざわざわする。
 俺がこんないい加減な感じで結婚したの、嫌だった……?
 不安にかられている内に、ガタンとトラクター列車が動き出した。

「おっと」

 前によろけたのを、握られた手で支えられる。
 話している間に、出発のアナウンスを聞き逃していたらしい。

「サンキュ……もう、離していいよ。人に見られるから」

 そう言ってみたけれど、俊は何故だか、俺の手をずっと離そうとはしなかった。

「あの……俊……?」

 こっそり伺うと、完璧なEラインの綺麗な横顔はもう前を向いていた。
 その唇が、低い声で呟く。

「俺は、俺が陸斗さんと結婚したのは……ずっと、陸斗さんが好きだったからです。事務所に入ってからは、見かけるたびに目で追ってました」

 ――あの睨まれてると思ってたのは、狙われてたのか。

「そばに居られるだけでもいいと思ってたけど、あんなに近くで二人きりで一緒にいたら、もう我慢が出来なくて。……結婚してくれるって言って貰った時は、死んでもいいくらい嬉しかった」

 とつとつとした告白に心臓が痛くなって、俺はうつむいた。

「あ、ありがとう……。俺なんかを、そんなに好きになって貰えて、すごく嬉しい。でもさ、その……」

 こんなこと、今言うべきことじゃないかもしれない。
 でも俺は、胸のモヤモヤしたものを吐き出さずにはいられなかった。

「……俊が元々好きになったのは、やっぱり、芸能人としての俺だよな。もしも、俺と一緒に暮らして、やっぱり違うって思ったり……俺が俊の芸能活動の邪魔になってたりしたら、いつでも、ちゃんと別れるから。……俺、世間から見たら、やっぱり俊には相応しくないだろうし……」

 そう言った瞬間、すごい顔でぎりっとこっちを睨まれた。
 ただでさえ吊り上がり気味の男らしい眉がますます吊り上がって、めちゃくちゃ怖い。
 ひ、ひぃ……こんな人の見てる所で頭から食われる……!!
 恐怖に慄いたその時、俊が掴んだ手を引いて俺の体を引き寄せ、うさ耳をがぶっと噛んできた。

「ひっ……!」

 実際は甘噛みだったけど、片耳全部持ってかれたかと思う勢いだ。
 次の瞬間、怒りと当惑の滲んだ声が、耳元で囁いた。

「……芸能人としてとか、相応しいとか相応しくないとか、そんなこと俺にはどうでもいいです。陸斗さんが俺のことをそれほど好きじゃなかったとしても、俺はこの先一生、絶対にあなたを離してあげません」

 ひええええ……。
 俺の全身がふにゃふにゃのプリンみたいになって、椅子の上をずるりとすべり落ちそうになった。
 ……噛まれた耳が異様に熱いし、標高300メートルなのにヒマラヤの頂上にいるみたいに息が苦しい。
 頭が真っ白になって、ぼーっとする……。
 なんか誤解されてる気がするけど、酸欠でうまい弁解が浮かばない。
 やばい、俺、死ぬのかな。なんかの病気……?
 ――ダメだ、頭、真っ白になってきた。
 ……そんな俺をよそに、その後もツアーは続いて。
 途中で列車を下りてアルパカに餌やったり、生まれたての子牛の授乳を見たりしたはずなのに、ほとんど記憶に残らないまま、トラクターはいつの間にか終点に着いていたのだった。
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