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信用の重量
しおりを挟む窓枠に手をついていると、ガラガラという車輪の振動がよく伝わってくる。
街の中央通りやこの辺はきちんと石敷きで舗装がされており、馬車の音も振動も均一だ。ヒトの力でこれだけの面積を施工するのは手間も時間もかかったことだろう。
道を舗装をすれば土のままよりも馬車が進みやすく、物流が捗る。雨の後も歩行が容易く、長期的な目で見れば衛生面も向上される。そこに住む者たちの利便性が上がるだけではなく、街という集合体そのものの機能が上向くのだ。
何代も前から中央通りだけは舗装がされていたそうだが、それを街全体や他の街にも広げようというのがファラムンドの取り組みらしい。
内外の道を整え、水路を造って上下水道を行き渡らせる。それが成功し実際に良いものだと余所の住民たちにも周知されれば、情報は伝播し技術は伝承され、このイバニェス領が広く暮らしやすくなっていくのだろう。
自分の代だけで終わるかわからない、その完成や領民たちの喜ぶ顔を見ることが叶うかは知れない。……そんなことを生涯の事業として日夜頑張っている。とても他人事とは思えないし、どうにか助けになりたい。
その気持ちは嘘偽りのないものでも、感情の出所が「他人事とは思えない」せいなのだとしたら、何だか動機が不純ではないかという疑念も抱く。
もしかしたら、尊敬している父に生前の自分を重ねているのだろうか?
「リリアーナ様、冷たいお茶をどうぞ」
「え? ……あぁ、うん、ありがとう」
「お疲れですか?」
「いや大丈夫だ、少し考え事をしていただけで……」
カミロが差し出した取っ手のないカップを受け取り、口をつける。
たしかに良く冷えていて心地よい。平気だと思っていたが、やはりそれなりに長く会話をして喉が渇いていたようだ。
香りの薄い、さっぱりとしたお茶が喉を通って気鬱を洗い流していく。
エーヴィがもうひとつのカップにお茶を注ぎ、カミロへと手渡す。外へ持ち出すためのポットなのだろう、屋敷の中では見たことのない形だ。
何の構成も描かれてはいないようなのに、保温の機能がある。ということは容器が厚くなっているか、重ねた材質の間が空洞になっているかだと思われる。重量のわりに内容量は減るのだろうが、移動時間の長い馬車へ搭載するには便利なものだ。
こういう物もあるのかと感心し観察しながら、冷えたお茶をちびちびと飲んでいた。
「注文された品について何か気掛かりでも?」
「そういうわけではない。良いものを仕上げてくれそうで楽しみだ。あの、ラロとかいう職人も器用そうな手をしていたしな」
「手……ですか?」
「うん」
手袋越しにもわかる太く短い指。魔王城で細工物を一手に引き受けていたゴビックとそっくりな、物を作り出す手だ。
懐かしさに目を細める。
木工に石工、ガラス工房に鋳造所と城には様々な設備を置いたものだが、自分が纏う細々とした装備品は、ほとんどゴビックの手によって最終的な調整がされていた。
とうてい真似できないような細かな作業を易々とこなす指先、太い指は深爪気味でいつも黒くしていた、物作りの職人の手。
自分に出来ないことが出来る相手は全て尊敬に値する。技術を持つ者というのは貴重なのだから、尊重されるべきだと考えている。
ラロもあれだけの店に身を置いているなら、腕前相応の待遇を得ていることだろう。今回は加工代金だけで済むとはいえ、しっかりと相応しい対価を支払いたい。
カップから顔を上げ、同じようにお茶を飲んで一息ついているカミロを見上げた。
「先ほどは支払いについての話を全くしなかったが。ああいった店は、納品の際に払うものなのか?」
「そうですね。バレンティン夫人からの紹介、そして貴公位である領主のご息女という信用がありますから、前金等もなく出来栄えを見てからのお支払いとなります」
「そうか……金額の確認もなかったから驚いたんだ。他の店とはずいぶんやり方が異なるのだな」
「特殊な例ではありますが、今後もこういった店との関わりを持たれることになりますから。対応や信用の担保については少しずつ慣れていけばよろしいかと」
お茶を飲んで細い息をついたカミロは、「逆に言えば」と続ける。
「先ほどは支払いをしない代わりに、リリアーナ様が石と銀をお預けになられたでしょう?」
「うむ、加工してもらうのだから当然だ」
「例えばのお話ですが。もし彼らが預けた宝石を持ち逃げしたら、店を捨てても十分におつりが来ますよ」
「……?」
例え話の意味を受け取りかねて、首をかしげる。
預かった素材を加工し、仕上がった品を引き渡せば対価として相応の加工賃を貰えるはずなのに、持ち逃げをするとおつりが来る……?
こちらの様子をどう受け取ったのか、カミロは人相の悪い目元を少しばかり引き締めた。
「あまり宝石には詳しくない私の目から見ても、あれらは相当な代物です。イグナシオ氏も驚いていたのをご覧になられましたね? 富裕層相手の宝飾品を扱い慣れている彼ですら、額に汗するほどの品ということです。おそらく、あのどちらか一粒だけでも身代が傾きますよ」
思いもしなかった言葉に口を開きかけ、また閉じる。
「一見の相手に、念書の類もなくそれだけの品をぽんと預けられたのです。彼らもその信用に応えるべく、最大限の力を揮ってくれることでしょう」
「そんなに……?」
と零しながらも、カミロが嘘を言うはずもないことはわかっている。価値観のあまりの相違に目を瞠った。
インベントリに突っ込まれていた革袋には、同じような石がじゃらじゃらと雑多に入っていたものだから、個々の石にそこまでの価値があるとは思いもしなかった。
ヒトの領では何より『金』が重用されると聞いていたし、重要なのは石自体よりも効果の方、刻まれた構成にこそ真価があるとしか考えてしなかったのだが……。
しかもあんなに小粒なのにと感心しかけて、ふと気づいたことがあり顔を上げてカミロを見る。
レンズの向こうの目はいつも通り、疑念も不信も浮かべることなく凪いでいる。
何となく、三年前に精白石について話した時の目を思い出す。幼い子どもが突飛もない話を持ち出したのに、あの時もカミロは疑う様子もなく静かに聞き入れてくれた。
信用という言葉の形のない重みを想う。
「カミロ、自分で言うのも何なのだが。そこまで価値のある石をわたしが私物として扱っているのはおかしいだろう? どこから持ち出したのか、訊かないのか?」
「訊いてほしいのですか?」
「えっ、んー、うーん……?」
白状しろと迫られれば、それはそれで困る。
インベントリは異空間を扱う魔法の一種だから、それを使えることについては何とか説明のしようもある。でも、それならばなぜその中に貴重な宝石類が収蔵されているのか、という話になるだろう。
元々あった物だと言うなら、出所を『魔王』として引き継いだ品だと説明しなくてはいけない。
ただ、個人的にどうしても元『魔王』であったことだけは伏せておきたいから、そこを隠せばインベントリの説明自体が難しい。
あれこれと、うんうん唸って悩んでいると、カミロが手の中からとうに空になっていたカップをそっと抜き取った。
「無理に仰らなくても構いませんよ。リリアーナ様でしたら、問題のあるようないわくつきの品を、大事な方々へ贈ったりなさらないでしょう」
「……ん、物は何も問題ない、あれらは正当に受け継いだわたしの一存で自由に扱って良い品だ。そんなに貴重な物だとは知らなかったが、自分では使う予定もないし、あのふたりに贈ることで役立ててもらえるなら、そのほうがいい」
「受け継いだ……ですか。では、そうですね、ひとつ提案なのですが」
「?」
カミロはふたつのカップをエーヴィへ渡し、皮手袋に包まれた指を一本立てて見せた。
「あれらの石は、私がリリアーナ様の母君からお預かりしており、言伝によりご息女のリリアーナ様へお渡しした。……ということにしておきましょう」
「う、ん……? 石については、まともな言い訳も用意せず取り出したわたしの落ち度だが、お前はそれで良いのか? 出所を訊いておきたいんじゃないか?」
「仕事柄、知らなくて良いことにはふれないでいるのが常ですから」
そう言ってしまわれる指を見送り、小さく嘆息した。安堵と自身の不注意に呆れる気持ちが混じったそれは、音もなく膝の上に落ちる。
「これも信用、ということか」
「ええ、お互いに」
この男には何だか借りばかり積み上っていくような気がする。いつか返す時には、一体どれほど膨れていることやら。
窓の外へ視線を向けると、もう高級商店の通りは抜けたのだろう、周囲にはまた通行人や荷馬車の類が増えて賑やかな様子が見て取れる。
先のほうには赤い煉瓦でできた大きな建物が見えてきた。赤煉瓦、という響きで以前聞いた話を思い出す。おそらくあれがキンケードの言っていた、「赤煉瓦通り」の目印だ。
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