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同じ高さにある目
しおりを挟む被ったフードの位置を直しながら振り向くと、黒い木をくり貫いた顔がじっとこちらを見ていた。
丸太を彫っただけの木製の顔でも、夜間にこれが突然目の前へ現れたりしたら自分でもちょっとびっくりするだろうなと思う。
ポポの話ではサルメンハーラで見つけた「掘り出し物」ということだが、材木としての質はともかくこの見目の異様さだ、おそらく買い手がつかず投げ売りになっていただろうことは想像に難くない。
炭のように黒い表面をぺちりと叩き、リリアーナは店の前から離れた。
頭上の太陽が傾きはじめた昼下がり。周囲を見回してみても、入店前と変わらず通行人は少ない。
ポポの店もこちらとは反対側に客用のテーブルや出入り口がある様だったし、この道は露店などが並ぶ商店通りの裏側にあたるのだろう。
マントのボタンを留め終えたノーアに向かって左手を差し出すと、嫌そうな顔をしながらも拒否することはなく、大人しく手を繋いできた。
握った指先はまだ少しひんやりとしている。
血行を促すために繋いだ手をにぎにぎと動かしてやると、少年は嫌そうどころかあからさまに顔をしかめた。
「何してんの、気持ち悪い」
「き、気持ち悪いだと……?」
<なんてことをー! この無礼者ーっ!>
いつもの調子で騒ぐアルトはさておき、厚意から手を温めてやろうとしただけなのにずい分な言われようだ。
「初めて言われたぞ、そんなこと。失礼な奴だな」
「失礼さなら君のほうが余程だよ」
「いいや、絶対にお前のほうが失礼だ」
「どの口で言うんだ、自分の言動を振り返ってみろ」
どう考えてもノーアのほうが礼を欠いているのに、自分のことを棚上げにしてそんなことを言う。
リリアーナとして生まれて以降、周囲を取り巻く大人たちは礼節をわきまえた者ばかりだったから、ここまでずけずけと失礼な物言いをしてくるヒトは初めてだ。
類似のサンプルとしてレオカディオが浮かぶけれど、あの次兄は適当そうに見えてそれなりに相手の心情や反応を慮った物言いをする。
つまり、ノーアには思い遣りが足りないと思う。
「ノーアには思い遣りが足りないと思う」
「君にだけは言われたくないから、それ」
思ったことをそのまま口から出すと、呆れや苦々しさをない交ぜにした目を向けられた。
まるでこちらに非があるとでも言いたげな口振りだ。
「本当に失礼な奴だ……やれやれ」
「呆れているのは僕のほうだからな?」
「何を言うか、自分の非礼を棚に上げて」
「それも君のことだろ!」
「何だと」
「何だよ」
そうやってノーアと威嚇の表情で顔を突き合わせていると、横から笑みの気配を含ませる吐息が聞こえた。
ふたり同時に振り向くと、口元に手を当てながら何食わぬ顔でそっぽを向いているカミロがいる。
「…………」
「…………」
またもや外見年齢に引きずられて子どもレベルの言い争いをしてしまった。
さすがに少し恥ずかしい。
ノーアも気恥ずかしさからか口を線のようにして黙っているので、ここは痛み分けとしておこう。
同じような顔になっているのを自覚しながら空いた右手をカミロへ向かって差し出すと、こちらも今回はすんなりと手を取った。
そうして三人でのんびりと店の西側へ向かって歩き始める。
「この後は表側の露店通りで昼食をお召し上がり頂き、それから菓子店へ向かいたいと思います。その途中でも何か気になる店がございましたら、どうぞ仰ってください」
「うん。雑貨店に寄れなかった分、どこか覗いてみたいしな。……そういえば、自警団の詰め所とやらが気になっていたんだが、訓練などを見学させてもらうのは無理だろうか?」
街へ来たらキンケードの職場や、訓練の様子などを見てみたいと思っていた。
あの武器強盗のせいで詰め所から出られないでいるそうだし、顔出しがてら挨拶でもと考えたのだが、カミロは眉間にひとつしわを作って答える。
「訓練場は少々離れた場所にございますので、今から向かうのは難しいかと。詰め所のほうもリリアーナ様が足を踏み入れるのは、お勧め致しかねます」
「なぜだ?」
「自警団には女性職員もおりますが、詰め所はほぼ男所帯ですので。……男臭いですよ」
「あぁ、うん、そうか、ん、……やめておく」
想像したら何だか背筋のあたりがぞわぞわと寒くなった。
べつに男の割合が多いからといってどう変わるわけでもないと理性では思うのに、感情面がよくわからない忌避感を示す。
何となく「嫌だな」と思うので、今は感情に従っておこう。
「自警団……領兵の代わりか。そんなとこを見て何になるんだ?」
「ああ、そこにわたしの知り合いがいるんだ。強い男だから、日頃から鍛錬をしているなら剣を振っている様子を一度見てみたいと思ってな。でも訓練場が離れているのは知らなかった」
街を歩くならまた護衛についてくれると言っていたのに、当面は詰め所から離れられないらしい。
屋敷で最後に会った日からだいぶ経ったし、もう彼にまとわりついていた精霊たちは散っただろうか。
精霊にたかられてこんもりとしていた様子は、今思い出しても噴きそうになる。
もし今日キンケードに会えたとしても、あの状態が収まっていなければ初見のノーアを驚かせてしまうだろう。
ノーアの眼なら、カステルヘルミよりも余程はっきりと視認できるだろうから。
こうして歩いている間にも、辺りには様子をうかがうように、もしくは何か楽しいことが起きないかと期待でもしているように、汎精霊たちがちらほらと舞っている。
道の端々に、街路樹の葉に、建物の壁に屋根、空にも。眼に映るすべてに精霊たちの存在を感じる。
同じ視界を持つ存在、自分と同等の眼を持つ者など、生前ですら『勇者』以外に会ったことがない。
虹彩の紋様を見る限り、ノーアの有している精霊眼は、機能のみであれば『魔王』クラスのものと思われる。
つまり、今の自分と同じ世界を視ているということだ。
歩きながら頭上の空を仰ぐ。
澄んだ青色、薄い雲、風に舞うベールのような精霊の輝き。
網膜には映らない煌めきの数々。
構成の織り成す不可思議な模様。
この世界を彩る何もかも。
ノーアの眼には、すべて同じものが視えているはず。
「……いくら手を繋いでるからって、歩きながら上を見てたら転ぶよ」
「ん、そうだな。転倒したらカミロはともかくお前を巻き込んでしまう、気をつけないと」
「誰が巻き込まれるか。その前に手を放すよ」
「そうしたらカミロが引っ張り上げてくれるからいい。安心しろ、薄情を責めたりはしないぞ、そんな細っこい体で転倒なんてしたら骨折しかねないからな」
「ほ、ん、とに、君は失礼だな。仮に僕が無礼だとして、君はその数十倍は失礼だからな!」
相変わらず失礼さをなすりつけようとするノーアは、小声で怒鳴るという器用なことをした。
繋いだ手は元通り、子どもらしい体温を取り戻している。
きっと先ほど食べたパンケーキの消化が始まって体温が上がってきているのだろう。
まだまだあれは前菜に過ぎない。露店で色んなものを食べさせて、もっと熱量と栄養を摂らせてやろう。
閑散とした通りには、置物店や植木屋、石工店などが軒を並べている。
このあたりの店は冬支度の賑わいから離れているというより、必要に応じて客がやってくる業種なのだろう。
少し先の店先から木製の荷車が動き出した。表通りの忙しなさとは正反対に急ぐ様子もなく、車輪がゴロゴロと長閑な音を奏でる。
こちら側の道は人通りが少ないのだからはぐれる心配もないし、まだ手を繋ぐ必要はなかったと今になって気がついた。
だが、カミロとノーアが指摘をしないのなら、別にいいかと思い直す。
三人で手を繋いで歩くなんてこれまで経験したことがない。そのせいか、こうしていると何だか少しばかり心が浮き立つような、楽しい気持ちになってくるのだ。
いつか機会が巡ってきたら、ファラムンドや兄たちとも試してみよう。
「……僕には関係ないし、気にしているわけでもないけど。さっきの店にあの男たちを残してきて大丈夫なのか?」
腹も程ほどに満ちて両手は温かい。上機嫌に足取りも軽く歩いていると、ノーアが視線をやや上向けながら言葉を発した。
カミロに向かって話しかけているのだろう。そう思い、自分も隣を歩く男を見上げる。
「ご心配なく。ポポに任せておけば問題はありません」
「別に、心配なんかしてない。自分にかかった煤を払ったことで、余計な迷惑がイバニェス公に向かったら後々面倒だと思っただけだよ」
「今は均衡を取るために難しい関係性が続いておりますが、パンケーキのお代も十分に頂きましたから」
「……ふん。使い道まで関与しない、好きにすればいい」
「ええ、存分に」
頭上でそんなやり取りが交わされるのを、黙って聞いていた。
あの岩蛙たちをポポに任せきりにしてしまったのは少々気になっていたが、カミロが問題ないと言うなら大丈夫なのだろう。
それと、ノーアが彼らに向かって告げていた言葉。倉庫の地下がどうこうという話の仔細はよくわからなかったけれど、岩蛙たちには効果覿面だったし、何やらカミロも内容を理解しているらしい。
政務に携わっていない自分は商工会との繋がりなど皆無だから、そちらのほうも気にせず任せておいて良いだろう。
何か必要があれば、後日カミロのほうから報告をしてくるはずだ。
……まぁ、本当に正直なところを言えば、自分にもわからないようなイバニェス領関係の話をノーアが把握していることは、ちょっとだけ悔しい。ちょっとだ、ほんのちょっと。
博識なこの少年は聖堂上位者の子というだけでなく、貴公位の家柄でもあるらしいから、きっと情報の伝手をたくさん持っているのだろう。
周囲の者から聞く話と、書斎に置かれている――おそらく大人たちによって選別された本、それしか情報源のない自分とは異なる環境に生きている。
ヒトの文化圏について知識量に差があるのもしかたない。
自分も十歳記や十五歳記を終えたら、今よりもっとたくさんの事情を明かされ、閉じられていた情報の数々を得ることが叶うはず……なのだが。
あと二年、あと七年がとても長く感じる。
「……何、その顔」
「何とはなんだ、わたしの顔に何か文句でもあるのか」
「顔には文句ないけど。いや、別にそういう意味でもないけど」
「ちょっと考え事をしていただけだ。羨ましくなんてないからな!」
「羨ましい……?」
瞬きを繰り返して怪訝そうな表情を浮かべる。
同じ高さにある赤い目には、不服そうな自分の顔が映り込んでいた。
生前も今も表情を作るのは苦手だったはずなのに、どうも表情筋がおかしな働きをしてしまう。
息を吐くのに合わせて、意識して顔面から力を抜く。
稚気じみた嫉妬だ。
もっと知りたい、識りたい、明かしたい、そういう持ち前の知識欲は時が来るまで我慢すると決めたはずなのに、こんな些細なことで揺らいでしまうなんて。
「……ノーアは物知りだなと思っただけだ」
「…………」
なるべく平坦を心がけた言葉は、やはりふてくされたような声音をしていた。
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