よいこ魔王さまは平穏に生きたい。

海野イカ

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花畑×隣領

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 周囲一帯、光の奔流とともに空高く花弁が舞い上がる。
 自分たちの成果を見てくれと言わんばかりに踊る精霊らを見回して、ふと、背後からこちらを見ていたはずのエーヴィがどこか別の場所へ顔を向けているのに気づいた。
 その視線を追ってみると、休憩用の小屋の傍らに、四角く削り出された石が立っている。大人の背丈ほどもありそうなその表面には、遠目では読めないが何か文字が彫られているようだ。

「あれは、三年前の落石事故の追悼碑です」

「墓のようなものか?」

「ええ。遺体は全員コンティエラまで運ばれましたから、あの下に埋まっているのは馬の骨と、馬車の残骸だけですが。旦那様が事故の犠牲者を偲び、立てて下さったものです」

 感情の見えない瞳に何かを揺らめかせながら、エーヴィがこちらを見下ろす。

「あの時に死んだ侍女は、私の双子の姉です」

「え、」

 静かな声音が耳に染みて、その意味がわかって、それでもすぐには言葉が出てこなかった。
 あの時、ファラムンドの乗っていた馬車で見た侍女の死体は、エーヴィの同僚だったとしか聞いていない。
 先日の街行きの馬車でその話を持ち出した時、カミロが何か言い辛そうにしていたのは、このことだったのかと今になって気づく。
 自分は姉を失くした相手の前で、それを知らされていないと文句を言っていたことになる。思わず頭を押さえたくなるが、伏せられていたのは事実だし、今それを謝られたところでエーヴィとて困るだろう。

「……それは、知らなかった。顔ははっきりと覚えていないが、確かに似たような印象だとは思っていた。そうか、お前の姉だったのか」

「お嬢様にお伝えするなら自分からと、侍従長には申し上げておりました。遅くなってしまい申し訳ございません」

「お前が、そんなことで謝る必要はない」

 今この瞬間も、エーヴィの顔に表情と言えるものは何も浮かんでいない。悲しいとか、苦しいとか、目に見える形ではわからない。だが抱く感情の判別はつかなくとも、身近な者を喪ったことによる失墜感だけは理解できるつもりだ。
 腹の底に穴が空いて、心臓がそこに落ちていくような、言葉に置き換えられない空虚を知っている。
 誰しもが同じ感じ方をするわけではないとしても、決して三年という時間経過だけで埋まるような穴ではない。

「私たちは領外からの流れ者です。共同墓地とはいえ、きちんと埋葬される最期なんて想像もしたことがありませんでした。ですから、旦那様とお嬢様には心から感謝を。姉に代わり、いつかお礼をと思っておりました」

「わたしは、お前の姉には何もしてやれなかった」

 馬車の扉に向かい、落石で頭を潰されていた侍女。馬と共に死んでいた自警団員と同様に、自分が現場へ着いた時にはもう命がなかった。即死ではいくら状態を巻き戻したところで救いようもない。
 小さく首を振り、悔恨にもならない言葉を呟くと、エーヴィは何か言いたそうにしてから口を噤んだ。初めて表情が動きかけるが、小屋から出てきた人物にいち早く気づき居住まいを正す。
 もうフェリバが呼びに来たのかとそちらを見れば、大きく手を振っている侍女と一緒に歩み寄るファラムンドの姿が目に入った。

「リリアーナ様~、これどうしたんですかお花畑すごい! さっきまで咲いてませんでしたよねー?」

 大きな声でそう問いかけてくるフェリバと、その後ろを歩くファラムンドに対し、 エーヴィが姿勢を正したまま直角に花畑の方を振り返る。

「魔法師の先生がご披露くださいました」

 指をぴんと伸ばした手で指し示すのは、座ったままぼんやりこちらを眺めているカステルヘルミだ。
 まだ状況が読めていないらしいその顔を見て、すかさず自分もエーヴィの機転へ乗ることにする。

「そう、事故の犠牲者たちへの追悼に、カステルヘルミ先生が精霊たちへ祈りを捧げたんだ」

「はぇっ?」

「精霊様がその真摯なる祈りに応えて下さったのでしょう。さすがは王都からいらした魔法師様です、お嬢様の教師にも相応しいと改めて感服いたしました」

「いえ、あのっ」

 ようやく何をなすりつけられているか理解したのだろう。カステルヘルミは手を振りながら慌てて立ち上がり、弁明に口を開こうとするが、得心がいったとばかりにうなずくファラムンドの姿をその目に留め、ぴたりと動きが止まる。

「そうだったのか。素晴らしい献花だ、ここで犠牲となった彼らの分まで礼を言おう。感謝する、カステルヘルミ殿。季節が悪くてリリアーナに花畑を見せてやれないのも残念だと思っていたんだ」

「そっ、そんなファラムンド様……いえ、微力ながら、わたくしなどの祈りでも亡くなったった方々の慰めとなるのでしたら、いくらでも捧げましょう。おほほほ……」

 まんざらでもない様子で笑うカステルヘルミとそれを称えるファラムンド。とりあえずこの場はそういうこととして落ち着いたようだ。
 エーヴィを目を見合わせ、どちらともなくうなずき「これで良し」と目配せを交わす。

「リリアーナ」

「? はい、父上」

「お前は花が好きだそうだから、できれば暖かい季節にここへ連れてきたかったんだ。先生のお陰でこうして花畑を見せてやれて良かったよ」

「あぁ、うん。とても美しいな、わたしも目の当たりにできて良かった。領道を通る商人らの、疲れを癒す一助となっているとも聞く。これからも皆には花畑には立ち入らないように、大事にしてもらえたら嬉しいと思う」

「そうだな。景観の邪魔にならない程度に、注意書きでも置くとしよう」

 目を細めて笑う父の手に、頭を軽く撫でられる。相変わらず大きくて武骨な手だが、その仕草はとても優しい。
 頭に感じる重みと感触に何となく気分が上向いて、もう少し何か話したいと思ったのだが、ファラムンドの後ろに当然いると思っていた人物が見当たらないことに気づいた。

「父上、レオカディオ兄上はどうした?」

「ああ、少し気分が優れないと言ってな、今は中で休んでいる。窓からもこの花畑はよく見えるから、食事をしながら眺めを楽しもう」

「馬車酔いか?」

「そうかもしれないな。俺の仕事に付き合ってずっと書類を読んでいたせいで、目を回したんだろう。さ、もうすぐ準備ができるそうだし、そろそろ中に入ろう。リリアーナも体が弱いのだから、あまり寒いところにいて風邪をひくといけない」

 自身では至って健康体のつもりだが、度々寝込んでいるせいで父にはすっかり病弱な娘だと思われているようだ。
 とはいえ、事あるごとに熱を出して寝込んでいるのも事実。この場での弁明は諦め、ファラムンドに連れられて大人しく小屋へと入る。

 それから中央の部屋で簡易な昼食を取り、馬車の点検が終わるのを待って再び出発した。
 体調が思わしくないというレオカディオも食事を終える頃には顔色がだいぶ良くなっており、一瞬にして花畑を作り出したカステルヘルミの腕前をしきりに褒めていた。どうやら花が一斉に咲いた瞬間を、ちょうど小屋の窓から眺めていたらしい。
 精霊たちの咲かせるナスタチウムは、旅の商人だけでなくレオカディオの疲れをも癒してくれたようだ。
 もし酔いやすいならこちらの馬車に移るかと提案しようと思ったが、この先はなるべく寝て過ごすと言うのでやめておいた。居眠りをするには、女性陣の馬車は少々姦しすぎる。

 そうして出立して間もなく、正面に座ったカステルヘルミが前屈みになって顔を寄せてきた。その鬼気迫る面持ちは、どこかポポの店の入口に鎮座していた木彫りの顔を思わせる。

「お嬢様、たしかに例の件で約束はしましたけれど、さっきのあれ、本当に魔法ですの?」

「……」

 さっきのあれ、とは花が一斉に咲いたことを指しているのだろう。
 魔法かどうかと問われれば、厳密には違うかもしれない。だが、構成陣を介して命じるか、自主的に開花を起こしたかの差でしかなく、いずれも精霊たちが起こす現象に変わりはない。……はず。だ。

「魔法だとも」

「間が! 今なんか不自然な間がありましたわよっ?」

「あれくらいは構成による魔法でも可能だし、お前だっていずれは真っ当な魔法師になるのだから何も問題はない。今後もこのまま通すぞ、旅の最中はくれぐれもわたしから離れるなよ」

「もちろんですわ、というかお嬢様のほうこそわたくしから離れないでくださいまし!」


 そうやって度々休憩などを挟み、夜には宿場の部屋を借りて眠り、初めての馬車での旅は順調に過ぎていった。
 屋敷の柔らかな寝具しか知らない体には、枕の硬さや毛布の肌触りが気になりはしたが、どうせ横たわればすぐ眠りに落ちてしまうのだから支障はない。
 道中の食事も、普段アマダが作ってくれるものとは質が違いこそすれ、携行食ならではの味わいが面白かった。
 外で焚火を囲む自警団員らが食べている、棒に刺した肉も気にはなったがさすがに自重する。いつか機会があれば、ああいった食べ方も試してみよう。




「サーレンバーの領主様って旦那様と仲が良いそうですけど、もう結構なご高齢ですよね?」

 イバニェス領の屋敷を発って三日目。無事に関所町も通り抜け、夕刻までにはサーレンバー領主邸に到着するだろうという頃合いにフェリバがそんなことを訊ねてきた。
 丘陵地を越えた辺りにあるイバニェス領主邸とは異なり、大きな街の最奥部に屋敷を構えているということで、早々に窓のカーテンは下りている。こうして道を進む間にも通りすがる商人や荷馬車が多くいるためだ。
 窓の外を眺めるという一番の楽しみが封じられたので、到着まではおしゃべりをして過ごすくらいしかすることがない。これまでも様々な会話をしてきたが、この間際になってようやく世話になる相手方のことが気になるとは、どこへ行ってもさすがフェリバはフェリバだと思う。

「そうだな。現領主、サーレンバー公ブエナペントゥラ殿は、一度は子息への継承を済ませて引退したが、事故でその領主夫妻が亡くなり、残された娘はまだ幼いため特例として再び領主に就いたそうだ。うちの先代……父上の祖父とも懇意にしていたと聞くから、相当の年齢だろうな」

「残された娘さんが可哀想ですねぇ……。えっと、お名前は、クストディア様でしたっけ?」

「ああ。とはいえ事故からもう八年経っているから、亡くなった領主の息女は今年で十三歳。レオカディオ兄上と同じくらいの年齢だな」

 自分を話し相手にと望まれている割には、五歳も年が離れている。話題が合致するかどうかは相手次第だと思うけれど、成人前の未就労の娘という括りでは、もしかしたら八歳も十三歳も同じような扱いなのかもしれない。
 屋敷にいる同性で一番年が近いのはフェリバだったから、同年代のヒトの娘と付き合うのはこれが初めてだ。
 事前に聞いている話では部屋に籠りがちの大人しい少女らしく、ノーアのように会話が弾むかはわからない。
 それでもせっかくの好機なのだから、貴公位の娘に相応しい話題だとか、好みとか、これまであまりサンプルに恵まれなかった類の――そしてこの先必要となってくるそれらの情報を、この機会に色々学ばせてもらうとしよう。

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