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間章・はしる魔王さまは約束を守りたい①
しおりを挟む自室にある巨岩を削り出したテーブルに地人族から取り寄せた大判の紙を広げ、新たな居住予定地を描き込む。泥炭を加工したペンは容易に消すことができるため、後で変更が生じるような地図を描くのにはもってこいだった。
これからやってくる木精族は自分たちで住環境を整えられると言っているから、ひとまず南西側の森の近くを用意すれば良いだろう。あの辺は移り住んできた化蜘蛛の縄張りとなっているが、もともと交流があったと聞くし、面通しをしておけば住処が隣接しても上手くやれるはず。
後で夜御前に会ったらこのことを伝えておこう、とデスタリオラは記憶に留めてペンを置いた。
川の支流を作って魔王城の近くまで水路を引き、裏手には転移陣を利用した水源と上水道を配備したことで、城周辺の暮らしやすさは格段に向上した。
水が豊かになった影響で植生も変わり、生活用水だけでなく食糧の確保も容易になったことが大きい。噂は噂を呼び、連日デスタリオラのもとには移住や傘下への加入を望む声が多く寄せられるようになった。
自ら方々へ出向き、部族ひとつずつに交渉を持ちかけていた時とは段違いの早さで臣下が増え、働き手が増すことによって城とその周辺の増改築も進んでいく。
当初は小鬼族などの弱小種族がほんのわずか住み着いているに過ぎなかった魔王城。今では二十以上の種族が出入りをし、内外に様々な形式の住居が造られている。
一応、大きな増築や加入があるたびにこうして地図へ書き加えてはいるが、そろそろ大判の紙でも足りなくなってきた。端に継ぎ足すか、別の紙を用意するか考えなくては。アルトバンデゥスの杖もあるし、自分でも記憶はしておけるのだが、誰でも見られる形で現況を記しておく必要はあると考える。
「魔王様、先日到着しました地人族らの族長が、面会を希望しているとのことでゴザイマス」
「あぁ、そうか。落ち着いたら改めてということだったから、荷解きなどが粗方終わったのだろう。ちょうどこれから外に出るつもりだ、彼らの集落にも寄るとしよう」
かけられた声に振り向かないまま了承を返し、そのまま放っておこうと思ったデスタリオラだが、やっぱり振り向くことにした。
「バラッド、窓から話しかけるなと前にも言ったろう。緊急の用件ならともかく、そうでないならちゃんと入口から部屋へ入ってこい」
「これは失礼を。階段を上るのが面倒でゴザイマシタ」
「……魔法で浮くなら、階段も浮きながら上ってくれば良いのではないか?」
「ああ~、ナルホド!」
窓の外に浮かんだまま、ぽんと白手袋の手を叩く。所作も語調も何もかもが大仰でわざとらしい男だが、本人がそうしたいなら特に言うことはない。
増築が進んで広くなってきた魔王城の中で、率先して執政官のような立ち位置に収まり、各所との連絡や折衝など取り持ってくれている。そうした細々と気のつく点は評価しているものの、どうにも姉弟のアリアと似て雑というか、気分屋というか、性格的にあまり向いていないのではと思わなくもない。
姉とは違う金色の髪を神経質になでつけ、ヒトの盛装にも似た衣服を身に着けた細身の男。ものぐさらしく浮いて移動したり、重い物を浮かせたりといったことにしか魔法を使っているところを見たことはないが、おそらくこの城の中では自身に次ぐ能力の持ち主だ。
用件は終えたとばかりに空中で踵を返し去って行く金髪が、陽光を照り返して八朔の実のようだった。
<所感:……相変わらず妙な男ですね。魔王様に対する敬意も足りません。あの慇懃無礼な態度はいかがなものかと>
「まぁ、それを言ったらアリアだって妙だし敬意は感じないし態度も雑だろう。他に行くあてもないと言う姉弟だ、ここで働くことを望むなら好きにさせるさ。今はもう吸血族の里は残っていないのだろう?」
<肯定:流行り病にて隠れ里が死滅して以降、吸血族たちの集落についての情報はありません>
姿形がほとんどヒトと変わらない吸血族は、昔から聖王国側に溶け込んでヒトの間で生きる者が多い。そのさなかに混血が進み、長い時間をかけて種族を名乗れるほどの血の濃いものたちは絶えていった。
そうした事情でただでさえ数を減らしていた中、アルトバンデゥスの言う通り、数百年ほど前に隠れ住まう里で奇病が蔓延し、あっという間に絶滅寸前にまで追い込まれたようだ。
『魔王』となってからキヴィランタ中をあちこち巡ったデスタリオラも、バラッドとアリア以外に純血の吸血族は見たことがない。まさか最後の生き残りということはないと思うが、ふたりともあまり過去のことは話したがらないため、深く訊ねることもしなかった。
「……種族的にも余所事ではないしな。我を頼ってこの城まで来た以上、野に放り出したりはせん。最近はふたりとも細々と働いているようだ、長い目で見てやろう」
<承諾:はい、魔王様がそう仰られるのでしたら>
「では外出をするか。ここのところ工事の進みが早くて、数日見ないだけで様変わりしていたりと立ち寄るたびに驚かされる。今日は地人族らに分譲した南側から、西に向かって半周しよう」
到着したばかりの頃は更地が広がっていた魔王城周辺も、今では区画整備が進んで様々な種族の集落が立ち並ぶ。
同じキヴィランタの住人とはいえ、これまで住環境も何もかも異なる場所で生きていた者たちだ。接したことのない種族同士がそばで暮らす上で、不要な諍いが起きないよう、たまの視察は欠かさないようにしている。
初期に狩場について少し揉めたくらいで、今のところ目立った問題は起きていない。小さな衝突が起きても、自分のところまで話が上る前に各々対話による解決を試みているのだろう。
これまでは同族だけで生きてきた者たちだが、他種族と得意分野を分かち合い、協力関係を結ぶ利点についての理解が染みてきた。
力に優れた種族が住居の建設を担い、手先の器用なものが日用品の制作を請け負い、狩りを好むものたちが森で獲物を狩ってくる。力の弱いものは畑や果樹園で食糧を採取し、水路を見守り、川では魚が獲れる。
頼れるのは同族と己の力のみだった暮らしが変わり、生活に安全とゆとりが生まれたことで、皆が「協力し合ったほうが楽」ということに気づいたのだ。
もともと自分たちだけで何でもこなせた人狼族らはともかく、非力な小鬼族などの弱小種族にとっては、こうした共同体による相互扶助は生き延びる上での大きな助けとなっただろう。
『魔王』として臣下の確保が主な目的ではあったが、彼らの生活を保障するのも統べる者の役割。城の内外の整備が進み、集まった者たちの暮らしが日々豊かになっていくことは、『魔王』としての職務遂行を望むデスタリオラにとっても喜ばしいものだった。
私室を置いている塔から下り、城の外周沿いに正門へと向かう。
穴だらけであちこち崩れていた外壁もすっかり補修が済み、見違えるくらい立派になった。階層も高く荘厳な城ではあるのだが、方々から集まる主な者たちは城の周辺にそれぞれ集落を構えているため、中はまだ空き部屋が多い。
自分以外で城に住んでいるのは、小鬼族とアリアたちダンピール姉弟くらいなものだ。張りぼての居城とならないよう、中身についてもそろそろ考えなくてはいけない。
住まいとする者が少ないなら、何かの施設を入れるべきか。娯楽室、読書室、あとは食堂とか……?
自前の知識を総動員しても、あまりぴんとくるものは思い浮かばなかった。参考例として、ヒトの城にはどんな施設があるのか、今度また地下書庫に行ったら調べてみよう。
デスタリオラがそんなことを思案しながら歩いていると、前方から賑やかな三人組の声がしてきた。
接近に気づいたのは耳の良い彼らのほうが先だろう。門の脇からひょいと顔をのぞかせ、陽気に片手を上げて見せる。
「チワーっす、魔王様! 散歩っすか?」
「そんなところだ。皆の住まいの様子を見ながら、先日やってきたばかりの地人族の集落まで向かおうと思ってな。族長のゴビッグから何か話があるらしい」
「あー、あのちんまい奴らっすね! もうだいぶ家もできて、店みたいなことも始めてるんすよ。俺もこないだ肩のトコ直してもらったばっかで!」
そう言って人狼族のいつも一緒に行動している三人衆のうち、黒っぽい毛並みの者が自身の肩鎧を指した。大型魔物の骨や表皮を用いて作られたその防具は、たしかに以前見た時よりも縫製がしっかりしている。
「なるほど、繋ぎ目を調整したことで肩の可動域が増したようだな。だが、店ということは対価として金銭を払っているのか?」
「俺は別になんもしてねっす。肉の余りを分けてやったのと、家つくる資材運ぶのを手伝ったくらいっすかね?」
黒い目をぱしぱしと瞬きながら、人狼族の青年は頭を横に傾けた。他の二名とは形の違う耳が重力に引かれて垂れる。
物々交換以外の交易の手段として、価値を保証した金銭でのやり取りについてはデスタリオラにも一応の知識がある。
キヴィランタは鉱物資源が豊富であり硬貨を鋳造するのもたやすいが、それを使う側、住民らの事情がヒトとは大きく異なるため、今後も貨幣制度を取り入れるつもりはない。
人狼族のように上半身だけでも何か防具を着けていれば、硬貨を入れるためのポケットや小物入れを足すことも可能だろう。しかしキヴィランタに住まう種族の半数は、大黒蟻のように衣服を身に着ける習慣がないのだ。
体の大きさも、種族のベースとなる生態系も多種多様。貨幣として規定の物品に価値を持たせ、それと引き換えに品物のやり取りをする文化を今から広めようとしたところで、きっと根付かないだろう。
「であれば、彼らは手技によってお前に食糧と助力の返礼をしたのだ。地人族は何かと器用らしいからな、これからは日用品や農具の作製なども捗るだろうと期待している」
「あー、そうそう、なんか色んなモン作ってるっすよあいつら。皮が欲しいとか石が欲しいとか言うから、外で見つけたらたまに持ってってやるんすけど」
「ほう、なかなか世話焼きだな、新参に親切にしてやるとは感心だ」
「うっは、やっべ、魔王様に褒められたっ!」
横にいる仲間に背中を叩かれながら、黒い毛並みの人狼族がその場で小躍りをする。
魔王城近辺の先住民として、後から集まった者たちに何かと助力を買って出ているようだ。話題に上った地人族も、進路がずれていた先遣隊を彼らが見つけて城まで案内したと聞いている。
自身で物事を考えることは苦手な種族だが、こうすれば良いとかこれをやれなど、行動の方向性を示せば実直な働きを見せる。
力が強く、駆けるのは早く、協調性があって数も多い。これまであまり群れをなして生活する習慣はなかったようだが、まとまった数がこちらに協力してくれるようになったのは幸いだ。城の補修に食糧の確保にと、みな良く働いてくれている。
そうした人狼族は名前通り狼がベースとなる二足歩行の種族だが、どうにも眼前の若者はそれとは若干異なるような気がしてならない。
垂れ気味の耳に柔軟な毛並み、つぶらな黒い瞳。どちらかというと、狼ではなく、犬……では……?
そういえばまだ獣犬族は一度も見たことがなかった。もしかしたら混血が進んで血が薄れてしまったのは、吸血族だけではないのかもしれない。
生得の知識と現状にズレがあるといけないから、各種族と話すときはさりげなくこの辺のことも訊いてみよう。
大きく左右に振られるふさふさの尻尾を目で追いながら、デスタリオラは内心でそんなことを考えていた。
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