ウツクシ村のミチル

岡本ジュンイチ

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ウツクシ村の少女

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 スーッスー、はぁっはぁ、スーッスー、はぁっはぁ……

 揺れる木々。
 深緑な枝の隙間からこぼれる木漏れ日。
 そんな薄暗い山道の中を、ひとりの少女が歩いている。

 スーッスー、はぁっはぁ、スーッスー、はぁっはぁ……

少女は呼吸を繰り返しながら、野菜をいっぱい詰め込んだ竹籠を背負っている。
 岩が転がっているでこぼこしたこの道は、11歳の彼女にとってはとても厳しかった。
(はぁ、つかれたぁ……! でも、あと少しでおうちに着くのだから、がんばらなきゃ!)
 彼女はそう自分自身に言い聞かせ、急ぎ足で次々と岩を飛び越えていく。
 そしてたどり着く。
 彼女の生まれ故郷、ウツクシ村に。


「ただいま~」
少女は村人たちに向かって、そうつぶやく。

すると、村人たちは彼女の姿を見て、次々と近寄ってくる。
「ミチル! 今日も街へおつかいしに行ってくれたのかい?」
「ええ、そうよ」
 ミチルは小さく頷いた。
 すると、大人たちは深々と頭を下げ、両手を合わせた。
「いつもすまないね。本当に助かるよ」
 老いた白髪まじりの市民たちは、申し訳なさそうに小さなミチルをねぎらう。
 だが、彼女は大きく首を振る。
「大丈夫よ。久しぶりによその街に出られて、とても楽しかったわ。はいっ、これはお土産ね!」
 ミチルは喜々とした表情で、村人たちにお菓子を次々と手渡していく。
 村人たちは、それをありがたそうにうやうやしく受け取る。
「ミチルちゃん。ウチに、もう電池を切らしちゃってるんだけど……」
 痩せ細った中年の婦人が、小さなミチルに向かってしゃがみ込んだ。
「大丈夫よ、おばさん。そう言うだろうと思って、おばさんの分も買ってあるわ」
 そう言って、ミチルは婦人に乾電池を手渡す。
「ありがとう、ミチルちゃん」
「これはささやかではあるけど、受け取ってちょうだい」
 婦人の隣にいたしわくちゃのおばあさんが、ミチルに数枚の硬貨を握らせた。
 だが、ミチルはそれを即座に拒否する。
「ダメよ、こんなには受け取れないわ」
「いやいや、ミチルちゃん。どうか受け取ってちょうだい」
「できないわ」
 そう言って、ミチルは老婆に硬貨を返そうとする。
 だが、老婆はにこやかに言った。
「頼むよ、ミチルちゃん。年寄りのこの想いを、どうか受け取っておくれ」
「……」
 ミチルは老婆からもらったお金をしばらく見つめ、小さく「ありがとう」とつぶやくのだった。


「今日も、たくさんお金をもらっちゃった」
 ミチルは懐のポケットに触れ、チャリンチャリンと音を鳴らす。
 そして、彼女は村の向こう側に広がっている山林に目を向けた。

 相変わらず、ウツクシ村の山はきれいだな……

 そう心の中でつぶやき、ほれぼれとした表情で、ミチルは山の木一本一本に目を凝らして見つめていた。
 だが、彼女はしばらくして、ハァ~ッと深いため息をつく。
「お兄ちゃん、今ごろどこにいるんだろう……」
 ミチルはそうつぶやき、ふと薄く雲のかかった青空に目を向けた。


 ミチルの兄は、いまだに行方不明であった。
 彼がいなくなったのは、もう5年も前のことである。
 ミチルはその頃のことを、まだ鮮明に覚えていた。
 なぜなら、あの数日間は彼女にとって、とんでもない悲劇を味わっていたからだ。
 
 ミチルの両親は、もう、殺されていたのだ。

   ☆ ☆

「ミチル、おかえりなさい」
 脳裏に浮かんでくる、今は亡き母の声。
 母は、別荘地であるこの山奥の豪邸で、クッキーを焼きながら待ち構えていた。
「ただいま、お母さん」
 ミチルがそう返事すると、母はいつものようにフフッと微笑んだ。
「今日のおやつはミチルが大好きな、手づくりショートクッキーよ」
「えっ、ほんとに? やった!」
 ミチルは両手を上げて喜んだ。
 あの頃のミチルは、まだまだ幼い5歳の少女だった。
 もうすぐで6歳の誕生日を迎える、純粋な幼女だった。

「ただいま~」
 玄関から、青年の声が聞こえてくる。
 幼いミチルは、音のする方へ振り返った。
「あっ! おかえりなさい、お兄ちゃん!」
 ミチルは兄に向かって言う。
 兄は靴を脱ぎ、ミチルのほうへずんずん近づいていく。
「ただいま、ミチル。今日もいい子にしてたか?」
「うんっ!」
 ミチルの喜々とした表情を見て、兄は「そうか」と言いながら、声を上げて笑った。
「ワタル。今日も狩猟に行ってたの?」
「うん。まあね」
「ご苦労様」
 ワタルは、自分の身につけていた上着を脱ぎだす。
「この上着、そろそろ洗いたいんだけど」
「そう。それじゃあ預かるわ」
「ああ、お願い」
 兄は母に、汗の染みた毛皮の上着を手渡した。
「ねえねえお兄ちゃん、今日のおやつはショートクッキーだって!」
 ミチルがそう言うと、ワタルはにこやかに「おう、そうか!」と応じた。
「お母さん、もう食べていい?」
 ミチルは母に甘えた口調で、そう聞いた。
 母はそんな彼女に、目を細めた。
「いいわよ。ただし、手をしっかり洗ってからね」
「はぁ~い」
 ミチルは急ぎ足で、洗面台に向かって走っていく。
 彼女は背中越しに、兄と母の笑い声を感じた。
 そして玄関の戸が開かれる。
「ただいま~」
 入り口から父の声が響いた。
 ミチルは喜々とした表情で、ふと後ろに向かって言う。
「おかえりなさい、お父さん!」


 ふと振り向くと、そこにあるのは草だらけの荒れ地だけ。
 ミチルの回想の時間は、またもはかなく消えていった。


 誰もいない山道の中を、ただ一人さびしげに歩く少女。
 ミチルは、目に涙をいっぱいため込んでいた。
「お父さん……お母さん……」
 ミチルは孤独な現状に耐えかねて、ただ両肘を抱えている。
 そしてやがて、彼女はひざまずき、赤褐色の大地に向かって泣き出してしまった。
「お兄ちゃん! どこへ行ったのよ……。助けて……助けてよ~!」
 ミチルの泣き声は、ただむなしく森の中でこだまするだけ。
 そのむなしさが、彼女の心をより悲しくさせた。

「大丈夫かい?」
ふと気がつくと、ミチルの目の前にはさっきの老婆がたたずんでいた。
 ミチルは必死に、涙を隠した。
「ごめんなさい……大丈夫よ。気にしないで」
「そうかい? でも、あんたはいまだにひとりぼっちなんだろう?」
 老婆のその言葉に、ミチルはびくっと反応する。
「どうして知ってるの?」
 ミチルがそう聞くと、老婆はにっこりと、虫歯だらけの歯を露わにした。
「そりゃあ、あんたはこの村では有名人だからね。私ら老人にとっては、アイドルみたいな存在なんだよ」
「アイドル」
 老婆はきょろきょろした両目の視線を、ミチルのほうにじっと向ける。
「スガワラさんちの件は、本当に災難だったね。家が組織に狙われて、ご両親も皆殺しにされて……」
「…………」
 申し訳なさげな表情で、老婆は言った。
「ごめんね。私らは、ただ見守ることしかできなかった。武器も持っていないし、戦う力もない。私らが昔みたいにもっと若かったら、あんな輩は村に一歩も踏み入れさせな買っただろうに……」
 ミチルは、口をつぐんだ。
 老婆はそんなミチルの様子を見て焦ったらしく、話題を変えようと試みる。
「ところで、ミチルちゃん。最近、いいものを手に入れたんだよ」
「いいもの?」
老婆は「そう」と応じ、彼女が背負っているカバンの中から、水色に輝く天然石のペンダントを取り出した。
「きれい……」
 ミチルがそうつぶやくと、老婆はまたもにやりと笑いだす。
「そうだろ。でもね、この石はただきれいなだけじゃないんだよ。この石にはね、不思議な力が備わっているって言われていてな。つい最近仕入れたばかりさ」
 そう言って、老婆はミチルの手にそっと握らせた。
「これを持ってなさい。ミチルちゃんにあげる」
「えっ、いいの?」
「もちろんだよ。それと……」
 老婆はそう言いながら、ゴソゴソとカバンの中をさばくり出した。
「あったあった! ほら、これもあげるよ」
 老婆はミチルの手に、もう一つ握らせた。
 それは、ウツクシ村ではめったに手に入らない、貴重な代物だ。
「スマートフォンだよ」
「えっ!?」
 ミチルはひどく驚いた。
 スマートフォンといったら、村の畑でもよく噂に聞くほど有名な、最先端の機器だ。
 これ一つあれば、なんでも使うことができるという、魔法の代物である。
「どうしておばあさん、これを持ってるの?」
 すると、老婆は口を開けて笑い出す。
「そりゃあんた、私は村で随一の中古品屋だからね。宝石も扱えば、こういう機械も仕入れてくるのさ」
 老婆はしゃがみ込み、ミチルの耳元に顔を近づける。
「これは特別だよ。困った時は、またいつでもウチの店に遊びにおいでね」
 それに対し、ミチルは老婆に大きな声で「ありがとう!」と言った。
 そして、ようやく小さな彼女の顔から笑みがこぼれだす。
「ハッハッハ。やっぱり子供は、笑顔が一番だねぇ」
 老婆はミチルの頭を撫で、カバンを担ぎ出す。
 だが、彼女は何かに気づいた様子で、表情を一変させた。
「あっ。いかんいかん! すっかり忘れるところだった」
 老婆はそう言って、カバンを再びさばくった。
「どうしたの?」
「いやぁ、大事なものを忘れとってな」
「大事なもの?」
「そう」
 老婆は、カバンの中から小さな黒い箱を取り出した。
「なに、それ」
 首を傾げる少女に向かって老婆は答えた。
「これは、ペンダントをしまう宝石箱さ。この箱がないと、ペンダントの力が発揮しないんだよ」
 老婆は、ミチルにその小箱をゆっくりと手渡す。
「魔法のエネルギーを補充するために、定期的にしまっておくといい」
「魔法のエネルギー?」
「そう」
「おばあさん、魔法のエネルギーって、なんなの?」
 ミチルがそう尋ねると、老婆はニヤリと笑う。
「さあな。私にもよくわからん」
 老婆はそう言って、再び声をあげて笑うのだった。
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