恋結び(旧題:こひむすび)

明里もみじ

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1巻

1-3

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「馬鹿正直な性格だなあとは思ってるぞ」
「う……。確かにそのとおりなんだけど、さ。……気を悪くした、よね?」

 あすかが上目遣うわめづかいで尋ねてくる。その表情を自分に向けられるのは気分がいいが、あまりに無防備なので、他の人間にも同じことをしているんじゃないかと勘ぐってしまう。

「どうかな。まあ、まるで都合のいい男のように扱われるのはごめんだな」

 意趣返しの意味もあって、長門は意地悪な態度をとった。
 するとあすかは、慌てて否定してきた。

「そんな風には思ってないよっ。リュージさんのことを都合のいい男だなんて思えないって! だってリュージさん社長さんじゃん!」

 都合のいい男だと思えない理由が社長だからというのはさっぱり理解できないが、あすか本人にはその言い分がおかしいという自覚はなさそうだ。
 長門は笑いをこらえながら、重ねて問いかけた。

「じゃあ、俺に会いたいだろ」
「……う、うーん」
「どっちだ。はっきりしろよ」
「う、うーん、ううーん」

 悩む様子が面白くて、長門は畳みかけるように問う。

「どっちなんだ」
「う、ううーん」
「あーすか」

 うなりながら考え込んでいたあすかだが、不意に瞳を輝かせた。

「リュージさんこそ、あたしに会いたいの?」
「……なんだって?」

 まさに直球だ。

「あたしにばっかりくんじゃなくてさ。リュージさんは? あたしに会いたい?」

 あすかの向けるにごりのない瞳に少したじろいだが、それも一瞬で消した。にやりと人の悪い笑みを浮かべて、長門は答える。

「当然だろ」
「ふうん。会食っていうのはそんなに面倒なんだねえ」
「……おい。なんの話だ」

 わけがわからず、長門は怪訝けげんな声を出した。あすかは「あれ?」と首をひねる。

「前に言ってたじゃん。仕事の相手と食事をするのは嫌いだって……。自分の顔色をうかがいながら食事してたら、美味おいしい食事も不味まずくなるって」
「ああ。そういえば、そう言ったな」
「忘れちゃってた?」
「いや、忘れてねえよ」

 あすかを言いくるめるための言葉だったが、本心でもあった。
 六州会会長としてもフロント企業の社長としても、会食の機会は多い。どんな相手であっても仕事だからと渋々しぶしぶ付き合うのだが、楽しいものではない。
 それに引き換え、あすかとの時間は嫌な気分になることもなく、楽しいものだ。
 彼女は長門の素性を知らないから、へつらうこともこびを売るようなこともない。ただ純粋に食事を楽しめる。そんな彼女を、長門は絶対に手放したくない。
 とはいえ、まだ出会って一週間ほどでそう伝えるのは、時期じき尚早しょうそうだろう。そこで長門は、改めてあすかに念押しする。

「会食が面倒なのは本当だが、食事に誘うのはあすかに会いたいからだ。覚えとけよ」

 あごに手を添えて、あすかを落とすつもりで微笑みかける。

「で? あすかも俺に会いたいだろ」

 重ねるように問いかけられ、あすかは流される。

「あたしもリュージさんに会いたいよ。……うん、会いたいんだと思う。だって会いたくなかったらこんな風に食事に誘ってもらっても、ついていかないしね。リュージさんに誘われるのは、全然嫌じゃないもん。ってことは、やっぱり会いたいんだよね」

 まるで自分に確認するような返事だ。あすかからは、まだ自信を持って断言できない迷いがにじみ出ている。
 だがそうだとしても、これは喜ぶべき進歩だろう。
 あすかは自分の気持ちに向き合う、最初の一歩を踏み出したに違いない。

「それでいい」

 その答えに満足して、長門は口角を上げたのだった。



   第二章


 大学の講義室の一室。終業のチャイムが鳴り、解散になったと同時に、あすかは声をあげた。

「やっと終わったあ」

 約二週間あった定期試験も、今受け終わったもので最後。明日から待ちに待った長期休暇だ。
 解放感でくたりと机に頬を乗せると、冷たい感触が気持ちいい。

「あっちゃーん、今日の打ち上げ、行くでしょ?」

 同じ試験を受けていた友人がバッグを片手に話しかけてきた。あっちゃんとは、あすかの愛称だ。

「行く行くー」
「じゃあ行こ」

 定期試験のあとは、友人たちと集まって打ち上げを開くのがお決まりである。女だけだが楽しい。もちろん今回も参加するつもりだった。
 あすかはリュックに荷物を入れると肩にかけて、友人と並んで教室を出る。

「打ち上げってどこに集合?」
「一階にあるカフェテリア。うわあ、暑……」

 すでに七月も終わり、八月に入った。じりじりと照りつける太陽の日差しに、二人は目を細めた。
 そして友人は思い出したように言う。

「そういえばもう準備した? 水着とか」
「ん、なんのこと?」

 あすかが首をかしげると、友人は呆れた顔をする。

明後日あさって、海に行くじゃん! まさか忘れたわけじゃないよね~」

 すっかり忘れていたあすかは、「あ」とつぶやいた。
 そういえば、夏の休暇中に海へ行く旅行の計画があった気がする。

「あっちゃん~?」

 ずいと顔を近づけられて、あすかは乾いた笑みを浮かべた。

「ははは……。ごめん、最近いろいろあってさあ……」
「もう……。明後日あさってなんてすぐだよ。準備は大丈夫なの?」
「準備はすぐできる……と思う」
「いい加減だなー。でも楽しみだよね。わたし、今年こそ彼氏を作るって決めてるんだっ」
「彼氏、ねえ……」
「だって夏だよ! 海だよ! ただでさえ女子大で出会いがないんだから、こういう機会をフルに使わなきゃ、出会いなんてそうそうないって!」

 友人は力強くこぶしを握った。今回の旅行は、あすかを含めた女四人、友人の彼氏とその友達三人、合計八人というメンバーだ。いわゆる合コンの延長線。友人カップル以外は今現在決まった相手がいないフリーなので、出会いのきっかけにはなるだろう。
 この旅行のことは、試験が始まる前まではあすかもしっかりと覚えていた。
 だが、ひとりの男との出会いですっかり頭から抜け落ちていたのだ。

「リュージさんに連絡しないとなあ……」
「なんか言った?」
「ううん、別に」

 あすかが首を横に振ると、友人は「変なの」と笑った。


   * * *


 立派な外観のビルの一室――六州会の会長室で、長門は電話に向かってすごみの利いた声を響かせた。

「ああ? なにを言ってやがる。金を集められねえのはおまえの責任だろうが。期日は守れ。今週末までに、きっちり耳を揃えるんだな」

 それだけ言うと強引に通話を切る。

「ちっ、愚痴ぐちを言う暇があったら、足りねえ頭を使えばいいものを」

 そう吐き捨てた直後、部屋の扉が開いて声が聞こえてきた。

「ずいぶん機嫌が悪いようですねえ」
「……佐賀里か」

 部屋に入ってきたのは、部下で六州会の幹部を務める佐賀里だ。

「お疲れさまです。期日を守っていただけなさそうなのですか?」
「ああ。だが構わねえよ。使えない人間は切るだけだ」
「ええ、承知しています。そういうあなただからこそ、私はついていくのです」

 長門は顔をしかめて「ふん」と鼻を鳴らした。
 彼は仕事中、厳しい顔つきでいることが多い。自分についてこられない無能な人間をすぐに切り捨てるのは当然。そうしなければ組織は成り立っていかない。甘えなど必要ないのだ。
 しかし、長門は物事を楽しむタイプでもある。特に気に入っているものに関しては、冷酷に切り捨てたりはしない。あすかの前では表情をころころ変え、親しみやすい雰囲気を出すのも、そのためだ。
 長門はおもむろにスマホを開いた。そして、先ほどまでとはまったく違う声音こわねつぶやく。

「あー、あすかが足りねえ」
「……また古籍さんの話ですか」

 佐賀里は大げさにため息をつく。最近、長門が暇さえあれば彼女の話をするからかもしれない。

「ずいぶん執着なさっていますね。正直、あなたのことですから、すぐに飽きるのではないかと踏んでいました」
「あいつ、面白いぞ。話をしてても、目の前に好物の料理が出されたら、そっちに夢中になっちまう。人の話なんか聞きゃしねえ。俺の前で平然と――しかも美味うまそうに飯を食う人間なんて、今までいなかったからな。それだけでも面白くて仕方がない」

 あすかの様子を思い出し、長門は口角を上げる。

「それはずいぶんと興味深い方ですね」

 今まで呆れていただけの佐賀里も、口元を緩ませた。

「だろ?」
「会長がああいったタイプの女性を気に入るとは、想像もしていませんでしたよ。ですが、古籍さんと会うようになってからは、女遊びはぱったりでしょう? よい傾向だと受け止めています。それまではずいぶん不名誉な噂を流されていたので」
「そんなに酷くはなかっただろ」
「自覚がなかったのですか」

 佐賀里にそう驚かれ、長門は反論を躊躇ちゅうちょする。
 確かに、これまでは好みの女を好き放題食ってきた。それらはいつも一晩限りの関係だったから、いい噂が流れていないのは当然である。
 しかしあすかと出会ってから、長門は女遊びをやめたのだ。佐賀里が感心するのも無理はない。

「……あいつと会ってからは健全な生活をしてるだろ」
「偉そうにおっしゃることではないと思いますよ」

 佐賀里の正論に、長門は口を閉じた。けれどここで言い負けるのは悔しい。

「……おまえはどうなんだ。おまえこそ楽しんでるだろうが」
「人聞きの悪いことを。私はあなたのように来るもの拒まずで相手を口説くどいたりはしません。あなたと違いますから。それに、夜を共にするのは同せ――」
「いい、わかった。それ以上言うな」

 長門は慌てて佐賀里の言葉をさえぎった。

「てっきり『こちら側』に興味があるのかと。会長になら詳しくお話しさせていただきますよ」
「ねえよ。あるわけねえだろ」
「残念ですねえ」
「……おまえと話すのは疲れる」

 どうにも言い負けた気がしてならない。しかし、佐賀里という男は美しい容貌ようぼうとは裏腹に辛辣しんらつで、普通の男なら耳を塞ぎたくなるようなことを平気で口にするのだ。
 これ以上付き合えば、こっちが疲れるだけだと判断し、長門は口をつぐんだ。その代わり、楽しいことを口にする。

「あすかに会いに行くか」
「会長。それは仕事を終わらせてからにしてください。まず、この報告書に目を通していただきます」
「……わかった」

 長門は内心舌打ちしながら、今日も必ず入るだろうあすかからの連絡を楽しみにしていた。
 自分でもおかしなものだと思う。十五も年下の女からの連絡を楽しみにしているだなんて。だが、長門の言いつけどおりあすかが自分に連絡してくれると思うだけで、面倒な仕事も片づけられる。そんな自分に一番驚いているのは長門自身だ。
 しかし、長門の機嫌を急降下させる出来事がすぐに起こったのである。


   * * *


 試験の打ち上げのあと、あすかはいつもより早い時間に長門に電話をかけた。

「もしもしリュージさん?」
『あすかか。試験はどうだった』
「うー……かないで~」

 痛いところを突かれたあすかは、情けない声をあげる。電話越しに長門はかすかに笑った。

「笑いごとじゃないよー」
『笑ってないだろ』
「嘘つき! 笑ってるの、電話越しでもわかるよっ」

 あすかがむっとして言い返すと、長門は今度は声を出して笑う。

「リュージさーん……」
『ああ、悪い悪い。つい面白くてな』
「面白くないよっ。こっちにとっては大問題なんだから。ああ、単位取れなかったらどうしよう」

 頭を抱えるあすか。すると長門は、苦笑の混じった声で言った。

『からかって悪かった。機嫌直せよ、あすか。そうだな、今度服でも買ってやる』
「服ー? いいよ、そんなの悪いし」
『遠慮するなよ』
「いやいや、遠慮するよ」

 いきなり服を買ってやると言われ、そう簡単に『ありがとう』と返す人間がどれだけいるだろうか。あすかにも一応、遠慮というものはあるのだ。

「なんでいきなりそんなことを言うの?」
『前々から思ってたことだ。食事もいいが、あすかに好きな格好をさせてやりたいってな』
「好きな格好? してるよ、これでも」
『それは好きな格好じゃなくて、楽な格好だろ』
「はっきり言うなあ。まあそのとおりだけど」

 あすかはかわいさより、金銭的に負担の少ないお買い得で楽な格好を好んでいた。それは経済的な理由と、自転車通学にはラフな格好が適しているからだ。

「そりゃあ、おしゃれしたいって思うことはあるけど……。実際おしゃれを優先している余裕なんてないから、いいんだよ」
『だから買ってやるって言ってるだろ。遠慮するな。俺が買ってやりたいんだから、あすかは自分の欲しいもんや我慢してたもんを素直に欲しいって言えよ』
「リュージさん……」
『俺に甘えろよ、あすか』

 彼がどうしてここまで自分を甘やかそうとするのか、あすかにはわからない。
 それはさておき、やはり長門の申し出には素直にうなずけない。しかし、真剣な彼をはっきり拒絶することもできなかった。
 だからあすかは苦し紛れに、話を後回しにすることにする。

「……その話はまた今度、今度ねっ」
『おい』
「それより今日は話があるの!」
『話?』

 なんとか話題を切り替えることに成功した。というよりも、もともと本題はこちらだ。

「今週末は一緒に食事に行けないんだ」
『なにかあるのか』

 長門の声が若干低くなった気がする。しかし気のせいだろうとあすかは続けた。

「友達に海へ行こうって誘われててさー。思い出したの、ついさっきなんだよね」
『海だと?』
「そうそう。大学の友達とか、その子の彼氏とか何人かで、海へ遊びに行くんだよ」
『男と一緒なのか』
「ん? そうだよ。男の子四人、女の子四人の計八人。車二台でね」
『俺よりガキをとるだと……?』

 楽しそうに話すあすかの声を、長門がさえぎる。しかしその声はくぐもっていて、よく聞こえない。

「え? なに、聞こえなかった……」
『――いつだ』
「へ?」
『それはいつの話だ』

 そのとき、あすかは長門の声がいつもより低いとはっきり感じた。しかしその変化の理由はわからず、首をかしげながら答える。

「えっと、明後日あさってだよ。朝の七時に迎えに来てくれる予定で――」
『そうか。わかった』

 彼はそう言うと、電話を切った。

「あ、ちょ、リュージさんっ?」

 唐突に切れた通話に唖然としつつ、あすかはスマホを見つめる。

「なんか変だったなリュージさん……どうしたんだろ」

 考えても答えは見つからない。ただわかったのは、彼の機嫌がずいぶん悪そうだったことくらいだ。

「もしかして食事に行けないって断ったのがまずかったのかなー……。うーん……あ、やばい。早く旅行の準備をしなくちゃいけないんだった」

 あすかはあまり物事を気にしない性格だ。長門の機嫌が悪くなった原因を考えるのを諦め、海へ行くための準備を再開したのだった。


 それから二日後の朝。あすかがアパートの前で待っていたら、そばに見慣れないシルバーの車が停まった。その助手席から友人のひとり、花江はなえが顔を出す。

「あすかちゃーん。こっちこっち」
「おはよう。晴れてよかったね」

 リュックを肩にかけたあすかが近寄ると、花江はそのまま指で運転席を示す。そこには花江の彼氏がハンドルを握っていて、お互いに簡単な自己紹介を済ませた。

「じゃあそろそろ行こうか。もうひとり迎えに行くからさ。あすかちゃんは後ろに乗ってくれる?」
「わかった」

 花江の言葉にうなずいて、あすかが後部座席のドアに手をかけたそのとき――

「あすか!」

 突然名前を呼ばれ、びくりと肩を震わせる。振り返ると、いつのに停まっていたのか、黒の高級外車の後部座席から見覚えのありすぎる人物が降りてきた。

「あれ、リュージさん!?」

 どうしてここにいるのだろう。それもこんな朝早くに。
 大股で近づいてきた長門は、あっというにあすかの目の前にやってきた。

「どうしたの?」

 びっくりするあすかに構わず、長門は無言のまま腕を掴んでくる。

「え、わ、わ、な、なになに!? なにっ!?」
「来い」
「リュ、リュージさん!?」

 驚いて抵抗しようとするが、大人の男性の力にかなうはずもない。力任せに引っ張られ、ずるずると引きずられるかたちで花江たちの車から引き離される。

「ちょ、なん……」
「黙れ」
「……っ」

 なにがなんだかわからない。とりあえず腕を離してもらいたいのに、それを口に出せなかった。
 長門は力強くあすかの腕を掴み、こちらをいっさい振り向かずにぐんぐん進む。彼の背中からは、今まで感じたことのない雰囲気が放たれている。あすかの背筋に冷たいものが走った。
 怖い。今まで長門のことを怖いと感じたことなどないのに、異様な恐怖感があすかの身体を包んだ。
 抵抗できずに、あすかは長門が乗ってきた高級外車の後部座席に押し込まれる。
 しかしそれをそのまま見過ごせないのは、目の前であすかをさらわれた花江だ。

「……あ……あすかちゃん!」

 それまでほうけていた彼女は、はっと我に返り、助手席から呼び止めようとした。しかし、長門と目が合って一瞬で青ざめる。そして花江は口をつぐみ、黒い外車を見送ったのだった。


 ほとんど力ずくで車に乗せられたあすかは、いつもなら文句のひとつも口にしていただろう。けれど、この状況下で文句を言う勇気はさすがに持ち合わせていなかった。
 ただとにかく花江にスマホで謝罪の連絡を入れ、『自分は大丈夫だから心配しないで。海には自分以外のメンバーで行って欲しい』と頼んだ。
 それを終えると、静かというよりも息苦しいくらい重い空気の車内で、自分の腕を掴んだまま離さない男を見上げる。
 長門はあすかよりずいぶん年上で、社長という社会的にも地位のある男だ。しかし、それを鼻にかけた言動をされたことも、傍若ぼうじゃく無人ぶじんに振る舞われたこともない。彼はあくまで正当な手段――多少強引であろうとも、相手を納得させてから行動に移す人物だと、あすかは認識していた。だからこそ信用していたし、すんなりと『友人関係』になりえたのだ。
 けれど今はどうだ。彼はあすかの意思など確認せず行動し、すべてをねじ伏せてしまうほどの強い威圧感と口も挟めない緊張感を放っている。
 こんなやり方は長門らしくない。こんな姿は知らない。
 そう思うのに、あすかは緊張で言葉がつむげない。いや、長門の雰囲気がそれを許さないのだ。
 車内の時間はのどが渇くほど長く感じられ、車が停まった頃にはぐったりと疲れ果てていた。
 先に降りた長門に引っ張られて、あすかは外に出る。そして見上げた建物にぽかんと口を開けた。
 それは以前訪れた長門の会社のあるビルとは別の建物で、一見普通のビルである。しかし入り口から姿を見せた男たちは、普通のサラリーマンとは到底思えない雰囲気を持つ人種だったのだ。

「お疲れさまです!」

 一斉に飛んできた野太い声に、あすかはぴしりと固まる。けれど長門は気にもめず、あすかを見せつけるように引きずりながら、頭を下げる男たちの間を進んだ。
 時折、いぶかしむような視線があすかの背中に突き刺さった。とにかくこの場から逃げ出したくなったが、それを見越したように長門が強く腕を引いたせいで、逃亡は叶わなかった。
 ここがどこかとか、あの人たちはいったいなんなのかとか、どうして自分を連れてきたのかとか、きたいことは山ほどある。しかしどうしても口に出せない。
 あすかは背中にじっとりと汗を掻きながら、おとなしく長門についてエレベーターに乗った。
 エレベーターを降りた長門が、とある部屋を開けた途端、中にいた数人の男たちが立ち上がる。屈強な体格の男性たちが、野太い声をあげた。

「お疲れさまですっ」
「ああ」
「会長、おはようございます。今日は……おや、珍しい。お客様とご一緒でしたか」

 その中に見知った顔があり、あすかは目を丸くした。それは一見すれば女性と見まがうほどの容貌ようぼうの男、佐賀里である。

「……さ、がり、さ……」

 やっと声が出せたのは、知っている顔を見た安心感からだろう。

「……佐賀里さんだ」

 安心したら、へにゃりと身体の力が抜けた。それが伝わったのか、長門があすかの腰に手を回し支えてくれる。けれど、もはや悲鳴すら出てこない。

「古籍さん。いらっしゃい」
「あれ、でも佐賀里さんがどうしてここに……? それに『会長』って……」
(誰のこと?)

 そう考えながら、自然と長門を見上げていた。すると長門が視線を落とす。いつものからかいが混じった瞳ではなく、どこか真剣さをうかがわせて、じっとあすかを見下ろしている。

「リュージさん、社長さんじゃないの……?」

 ぽつりと尋ねると、佐賀里が呆れたように言う。

「会長。古籍さんには、まだお話しになっていらっしゃらなかったんですか」
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