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第9話
* * *
(どうしてこんなところにわたしはいるんだろう……)
大通りから一本路地裏に入ったところにある隠れ屋レストラン。古民家を改装して造られたというその店は、レトロな雰囲気と年季を感じさせるたたずまいが、どこか懐かしさを思い起こさせた。
店内は吹き抜けの二階席とともに、古民家らしい障子や梁が目に飛び込んでくる。趣があり、落ち着いた空間が演出されていた。
さらには店へ入ってすぐに、カウンターに立つ、着物に割烹着姿という品のよい女性。この店の女将だという彼女は、年齢を重ねた美しさが同じ女として羨望を覚えるほどであった。
初めて訪れたのにどこかほっとする、そんな雰囲気がある古民家レストラン。ひっそりと営業しているとあって、お忍びで訪れるにはとても最適な場所だと思う。
(しかもこのひとと二人で……)
ちらっと前へ視線をやれば、千穂をこの店へと連れてきた犯人が悠々と食事をしている。
(……わけがわからない)
店は主に、魚をメインとした創作和食を提供する和食専門店だ。その日の仕入れによって提供されるメニューが異なるという。
二人が挟むテーブルには、今日のおすすめというお造りのほかに、焼き魚と大葉の炒飯や、エビときのこの炒め物などいくつも皿が並んでいた。
「やっぱ久しぶりに食う和食は美味いな」
がっつくほど行儀が悪いわけでもなく、かといって気取っているでもない。それなのに市ヶ瀬の食べる姿は、本当に美味しいものを食べているのだと印象づける。見ていて飽きない、と言ったほうが正しいだろう。
「ん? なんだ、あんまり進んでねえみたいだが、口に合わねえか」
「……あ、いえ、そうじゃなくて」
「遠慮すんなよ」
「遠慮とかじゃなく……」
(そもそもどうして一緒にご飯を食べてるの? おかしいって)
箸が進まない理由なんて、ひとつだ。
無理やり連れてこられたと思えば、こうやって食事をともにすることを強要された。いくら初対面でないからとしても、これはどうなのだろう。
なにより千穂の同意なしに連れてきた手段が褒められることではない。
それに、問題はもうひとつある。
「ここの味は外れがねえから口に合うはずだぜ、KAHO」
これだ。千穂のことをこの男は「KAHO」と呼ぶ。いくら違うと訴えても聞く耳を持たない。
「……市ヶ瀬さん。先ほどから何度も言ってますが、わたしは人違いです」
「隠さなきゃいけねえ必要があるのか?」
「隠すとかではなく……」
「なあ、KAHO」
またも呼ばれた。
千穂は頭が痛くなった気がして、ふうと息をつく。
「……それは、わたしの名前じゃありません」
「つってもKAHO以外のあんたの名前を俺は知らねえんだよな」
そこまで言われて、目をぱちくりした。
(あ……そうだった。そういえばわたし、あのとき名刺を渡していない)
盲点であった。
ルカの撮影現場にて、本来なら渡していたはず。しかしタイミングを逃してしまい、結果、渡しそびれてしまった。
それに今回も、自己紹介自体していない事実を思い至った。社会人として失格である。
千穂は箸を置いて、バッグから名刺を取り出した。
千穂にも事務所から名刺は支給されている。しかし、普段は事務員として働いているため、これまで使った機会は少ない。
いまももちろん持ち歩いているが、まさかこの場で手渡す必要性が出てくるとは。予想もしていなかった。
「フェアリーキッズプロダクションの門倉千穂です」
そう言いながら、取り出したばかりの名刺を市ヶ瀬のほうへ差し出した。それを受け取り、市ヶ瀬は目を通す。
「門倉千穂……ああ、なるほど。それでKAHOか」
「……っ、……だから、あのですねえ」
(本当に聞いてくれないなこのひと……!)
だんだん口調が荒くなりそうな気配を抑えつつ否定しようとするも、次の言葉で勢いが削がれた。
「あの坊主のマネージャーやってるんだよな」
坊主……市ヶ瀬の指す人物はひとりしかいない。ルカのことだ。
「……違いますよ」
「あ?」
「事務員です、わたし」
「……は、……はあ?」
箸を口に運んでいた手を止めた市ヶ瀬の顔が、怪訝そうに歪んだ。
「マネージャーではなく、ただの事務員なんです、わたしは」
そこで、あの日に起きた巻き込まれ事故の一件と、その関係でルカに付き添うに至った経緯を説明した。
話を聞き終えた市ヶ瀬が、「ふうん」と相槌を打つ。
「じゃああんたは普段、子役の現場に付き添うことはねえと」
「そうですね。あのときのようなことは稀ですから」
今後、よほどのことがない限りこんな機会は訪れないと思う。
(あ、でも……ルカくんのマネージャーの件……)
ふと脳裏をよぎった専属マネージャー打診の話。もしあの話を受けるなら、今後はルカとともにさまざまな現場へと足を運ぶ機会もあるかもしれない。
(……本当、あの話もどうしようか……。考えることが多くて困る)
眉を寄せそうになるも、軽く首を振ることで振り払った。
だが、千穂がひとり思考に走っているあいだも話は進んでいく。
「それなら、俺があんたを見つけることができたのは、いくつもの偶然の重なり合いの結果ってことか」
「……は?」
「あんたのところの社長さんが事故に巻き込まれたのも、その社長さんの代わりにあの坊主に付き添うことになったのも、たまたまだろ? そこにプラスして、俺があの仕事を受けたのも知り合いからの頼みだ。普段なら受けることのねえ仕事だしな」
「あ……」
(そうだ。このひとがあの撮影に携わることになった経緯も、わたしと似たようなものだ)
もともと参加するはずだったカメラマンの急病により、急遽変更されたカメラマン。それがなければルカが市ヶ瀬に撮影してもらえる機会もなく、また市ヶ瀬があの現場に現れることもなかった。
そして、千穂がこの男と知り合うきっかけもなかったはずである。
(偶然って、こわい)
たまたま、そんなことの重なりでいくつもの縁ができ、繋がっていく。それは人間社会においてとても重要なことだが、時には思わぬ繋がりも結んでしまうものだ。
いまの千穂の現状など、まさしくその体現である。
「まあ俺にとっては面倒な仕事だと思ってたところに舞い込んだ幸運だったってことだ」
「幸運……」
「なにせ、ずっと探してたKAHOに会えたんだからな」
「……ですから」
違う、と言いかけたところで千穂の口が固まる。
(……っ、……そんな目で見ないでほしい)
いつのまにか箸を置いた市ヶ瀬の、こちらの深淵を覗き込むような深い眼差しが千穂に注がれていた。
真正面からまともに受けて、千穂は軽く息をのむ。
市ヶ瀬の三白眼の瞳は少し苦手だった。カメラマンという本職の人間が持つ、ひとを見通す眼力。それが、千穂のようななにか隠しごとがある人間の心の奥底を看破してしまうからだろう。たとえ思い過ごしだとしても、そう思わせてしまうだけのなにかがある。
それでも千穂は目を逸らすという選択はしなかった。
ところが、千穂を「KAHO」という人物と結びつける市ヶ瀬の自信ありげな態度。ここまで固辞される要因がなにかあるのかと気になってしまう。
しかし、訊くのはいささかためらった。ここでこちらからKAHOの話題を振ったとして……そのあとに起こる作用が想像できないからだ。
それでも、気にならないと言ったらうそだ。なぜなら、これまで一度も言われたことがない――KAHOだと。だから安心していた面もある。
だがその余裕が崩れたのだ。千穂の動揺は大きい。
「ほくろ」
「――え」
平静さをわずかに乱した中で、突然つぶやかれた単語に反応が遅れた。そんな彼女の様子を正面から市ヶ瀬が観察している。
その口元をにんまりと笑みのかたちに歪めて。
「人違いだとあんたは否定するが、俺がKAHOと確信した理由な。ひとつある。それがほくろだ」
「ほくろ……、ですか?」
「気づいてるかどうかしらねえが、あんたの左目の下にな、縦に並ぶように二つ、ほくろがあるんだよ」
「……あ」
(うん。……たしかに、ある)
毎日、鏡で確認しているのだ。指摘された箇所にほくろが存在するのは事実だった。だから思わず指先で触れる。凹凸もないしなんの変哲もない、ただのほくろだ。
(けれど、まさかそれが?)
すると、気づけば千穂を見つめる市ヶ瀬の小さめの黒目が、捕食者のような光を宿しているではないか。
(……っ、この目は苦手だ)
その視線に射貫かれた千穂は、無意識のうちに唾を飲み込んでいた。
「ああ、ちょっと待て」
にやり、と男の唇が弧を描く。と同時に、目元の鈍い光が細められた。
彼は、テーブルの上に伏せて置いていた自分のスマホを手に取り、なにやら操作している。そして目当てのものが見つかったのか、スマホの液晶画面を千穂に見えるように差し出してきた。
「ほら」
そこに写っているのは、写真データ。それも、多少画質の粗いものだ。
(……! これ……っ)
千穂は声をあげかけたが、とっさに抑えた。
あまりの驚きに、目を見開く。
そこに写しだされたもの。画質が粗かろうが、少しぼやけていようが、見間違えるわけがない。
(どうしてこれが……!?)
拡大するようにして見せてくれたのは、ひとりの幼女の顔だ。それは、あまりに見覚えのあるものであった。幼女の顔も、その写真そのものも。
「見えるだろ? ここにある――KAHOと同じだ」
とんとんと市ヶ瀬の指先が示した画面の中の幼女にもほくろがある。左の目の下に、二つ。縦に並ぶようにちょこんと存在しているのが、この画質でもはっきり見て取れた。
千穂と同じ位置に存在する、ほくろ。
そしてその写真は、千穂にとっても記憶から消えることのない一枚であった。
(……このひと、いまでもこの写真を知ってる……しかも、手元に持ってるなんて……。信じられない……)
千穂はすでに言葉がなかった。ずっと「人違い」だと否定してきたというのに、ここまで証拠を提示されたらもう無理だ。
いや、実際に見当違いであったなら偶然の一致だと強く否定したはずだ。また、どうしても認められないほど嫌悪する理由があったならば、本人であっても一貫して否定する。それこそ、ほくろの位置なんて似たような場所に存在する人間など珍しくないと、声高々に主張して。
けれど、千穂は否定する気力を削がれてしまった。なにより市ヶ瀬の目が語るのだ。
自信満々に。
これ以上、違うと言わせないと。
間違いなく、これは、あんただろうと。
その迫力にのまれてしまい、反論することも忘れてしまった。
それは、認めたと言っても過言ではない。本人にそのつもりはまったくなくても、相手はそう受け取るに違いない。仮に千穂が市ヶ瀬の立場なら、やっと認めたかと思うものだ。
(……久しぶりに見たな)
千穂は食い入るようにその写真を見る。
画面の中には、五歳ほどの年齢の幼女がいた。その顔を、少しだけ愁いを帯びた表情に染め上げて。
幼女は、泣いているようにも見えるし、少し哀しげにも思える。だが実際は涙を流していない。見る者に、そう思わせる表情を浮かべているのだ。
頑是ない子どもであるのに、なぜか色気を放ちひとを惹きつける蠱惑的な表情。
当時、そんなふうに話題になったものだ。決して本人にそのつもりがなくとも、たった五歳の子どもからこの表情を引き出したカメラマンの腕も、たしかなものであった。
(こんなほくろに気づくなんて、このひとにとってこの写真はどんな意味があるんだろう)
千穂は市ヶ瀬という男を知らない。知っているのは、インターネットで調べた経歴と、ルカの撮影現場で編集長から聞いた話だけ。それ以上は知る必要を感じなかった。
けれど、ここまできたら話が変わってくる。なにを思ってKAHOを探していたのか。彼にとってKAHOはどんな存在であるのか。
気になってしまうのは、KAHOが千穂にとっても重要な存在だからだ。
そんな思考で頭が支配されてた最中のことである。スマホの液晶画面から目が外せない千穂の頬を、そっとなにかがかすめたのは。
(……っ!?)
驚いて視線を上向かせると、正面に座る市ヶ瀬の手が千穂の顔まで伸びていた。そのまま彼が指摘した箇所を、無骨な中指の背で触れられる。市ヶ瀬の指先に残るたばこの匂いが鼻先をかすめた。
千穂の左目。その下の、ほくろが二つ縦に並ぶ頬の上を、自分のものではない他人の熱が侵していく。その現実的ではない状況に、千穂は金縛りに遭ったような感覚に陥っていた。
いろいろ頭の中を埋めていた思考も、弾けたように真っ白になる。
「あのころと変わらずにあるんだ。忘れられるわけねえよ」
そう言って肌をなぞられた感触は、千穂の背をぞわぞわさせるなにかを含んでいた。他人に触れられたという不快感ではない。しかしえも言われぬ得体の知れなさは、千穂の身体の自由をいとも容易く奪っていく。
「年齢的にも合う。それにじっと見てたら、面影もあるしな。――で、極めつけは、これだ」
すり、と二箇所のほくろを撫でさすられ肌が粟立った。
それはともすれば愛撫のように熱を持ち、男の執着を伝えてくる。こんな触れ方を、いままでだれにもされたことがない。
たかがほくろだ。それも、これまで気にしたことがない。だというのに市ヶ瀬の指先が慰撫するように撫でるものだから、千穂の顔にどっと熱が集まる。
恋人でもない相手からの接触にこれほど動揺するなんて、自分はどこかおかしいのかもしれない。しかしどうしても嫌悪感は湧かないのだ。反対に心臓の鼓動が痛い。
この変化がどんな意味を持つのか気づかないほど、千穂は鈍くない。けれど目をつぶりたくなる気持ちも本音だ。
だからつい、釘を刺すつもりでつぶやいてしまった。
「……セクハラですよ、これ……」
了承もなしに接触されたのだから、抗議も込めた台詞だ。
だが向けられた市ヶ瀬は、たいそうおかしそうに笑って手を引っ込めただけ。なんのダメージも与えられなかった。
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