騎士と農民

ハンゾウ

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逕庭Ⅱ

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 オリガに促されるまま古びた木製の椅子を引く。キィと音を立てた椅子に二人揃って腰掛けた。

「師匠、酒を買ってこいという話ならお断りします。」
 正騎士に誘われたという話を避ける為か或いは本当に酒を買ってこいと言われるのではという淡い期待を込めて、ゼノが口を開いた。

「やはりお酒なら…」
 そう言いかけたところでオリガはかぶりを振った。
 言いかけたゼノはギクリとする。
「実はな、お前達二人を正騎士に迎え入れたいそうだ。」
「やはり…!」
 ディルクが色めき立つ。
「だが俺は正直気が進まん。この先ノルドベルクとの戦があるやも知れん。戦場では鍛錬を積んだ騎士や、強力な魔導士もおる。危険はこの前の賊討伐とは比べ物にならん。」
「師匠、ご心配には及びません。正騎士団から直々に誘いがあったという事はそれ相応の実力が認められたということ。俺は小さい頃、正騎士になるのが夢だったんです。そんなに簡単には死にません!」
「まあ待て。俺も無理に引き留めるつもりは無い。お前達の実力は俺が一番良くわかっている。戦場に出れば一際ひときわの活躍が出来るだろう。行くのも留まるのもお前達に任せる。自分のこれからは自分で決めよ。」
「はい、必ず立派な正騎士になってみせます!なあ、ゼノ?」
「…。」
「五日後に正騎士が迎えに来るそうだ。それまでによく考え、意志が固まれば出立の準備をしておけ。」
 終始オリガは窓の外を眺めたまま話していた。

 二人が休憩所を後にしようとすると、思い出したように
「ゼノ、いつもの酒を頼むぞ。」
 と銭の入った小袋を投げる。
 パシッと小袋を受取ると、さっき酒を買いに行くことは断った筈なのに無意識にコクリと頷いていた。


 外に出るやいなや、
「どうしたんだよ、ゼノ!」
 とゼノの肩を鷲掴みにし、揺さぶりながら問いかけるディルク。
「まさか行かないなんて言わないよな?」
「…俺はこの村に残る。」
 ゼノは静かに答えた。
「お前は俺より強い。正騎士になれば俺より活躍するのも目に見えてる。この小さな村で終わらせていい才能じゃないんだぞ?」
「俺はこの村が好きだから残るんだ。」
「そんな…。」
 ディルクは落胆の表情を浮かべると、一息置いて諭すように言った。
「俺も勿論この村が好きだ。でも正騎士になればもっとたくさんの人を救うことができる。俺より強いゼノならもっともっと可能性があるんだ。それでも行かないのか?」
「ああ。」

 その返答を聞くと暫くうつむき、諦めたように言い放った。
「分かった…。」
 ディルクは頷き、家路を歩き始める。
 力無く歩くディルクの背中に何か言葉を掛けようと思ったが、適した言葉は見つからなかった。

 何かとても悪いことをしてしまったのかも知れない。そう感じながら、オリガから渡された銭入れを握りしめる。
 正騎士への誘いなど、これを逃せば恐らく一生機会は無いだろう。だが、それでもゼノは行く気にはなれなかった。
 近年ではある程度の歳になると王都や街へ行く者も多く、そこで所帯を持つが為にどんどんと村は衰退している。昔のように生まれた土地を守っていくより、王都で一旗上げることが素晴らしいと言われるような風潮もある。
 村に残って田舎者と揶揄やゆされることに抵抗を持つものも少なくなかった。王都に出た者が里帰りした際には、兄弟にこんな田舎に居てはいけない、もう何処に行こうが自由な時代なんだと諭すことさえあるという。

 そんな話を聞くたびに(何処に居ても自由だと言うなら、なぜ村に残ることはいけないのだろう…?)という思いが胸をよぎった。

 オリガのことだ。ただ酒欲しさに遣いを頼んだのではないのだろう。
 街への道を歩くすがら、本当は正騎士になるべきなのではないかとの思いも浮かび自分の本心が分からなくなってきた。正騎士になれば稼ぎも良くなるし、育ててくれた母へも恩返しが出来るかもしれない。
 だが村へ帰ることは滅多に無くなり、母や懇意の人々と過ごす時間は減るのだろう。
 どちらにせよ自分のこれからは自分で決めなければならないのだ。

 樽に入った酒を受け取る頃には既に少し日が傾きかけていた。何か無性に駆け出したい気持ちに駆られる。オリガに早く酒を届けなければということもあったが、それ以上にもやの掛かった気持ちを振り切りたかった。

 酒の入った樽にロープを結び、肩に掛けて少し深呼吸をしてから走り出す。
 日が暮れると頬に当たる風がなお冷たく感じるが、今はそれが迷いを拭ってくれているようで心地よい。
 北の山脈は既にかなり雪を冠している。吹き渡る風が空高く、茜とも藍とも言えない色に染まった雲を流していく。



 村の門が見えたところで立ち止まり、ゼェゼェと上がる息を整えた。
 普段は夜になれば星明かりが主役となる程、町中は暗く窓から少し明かりが漏れる程度だ。今日は至る所にランタンや篝火が焚かれ、暖かい光に家々が照らされている。
 既に気の早い若者達が酒を煽っているのだろう、賑やかな笑い声が村の外までも響いてきた。
 街から村まで走っただけなのに、今まで頭をぐるぐると堂々巡りしていた考えは何処かへと去った。

 もう迷いは無い。返答を求めて正騎士がやってくるまであと五日だ。
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