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ひとつ
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「失礼致します」
するすると衣擦れと音とともに座敷へ上がると、遅いとふくれっ面をした遼展に一喝された。
隣で女中が竦み上がるそれにも、幸菜は「申し訳ございません」とにこやかに笑んで受け流す。はらはらと怯えを滲ませる彼女をそっと背後に庇って前に出ると、遼展はまた不満気に顔を顰めた。
「む、彰久はどうした?」
「申し訳ございません、どうしても都合が合わず……。やはり、私だけではご不満ですか?」
わざと悲しげに眉の形を変えれば、そうとも知らず彼は呆気なく手のひらを返した。慌てたように取り繕う彼に「お招きくださりありがとうございます」といかにも幸せそうに礼を言えば、それ以上を追求されることもない。
座れ座れと上機嫌に催促する彼に会釈して、一挙手一投足まで嫋やかさを意識して下座に着いた。距離が狭まったことで物珍しいものに気づいて、とくと彼が魅入る。
「艶やかな髪が際立つな……よく似合う」
「恐れ入ります」
玉簪一本で髪をまとめた夜会巻きは、幸菜の狙い通り彼の気をひくには十分な真新しさを持っていた。
僅かな身動ぎでも遊ばせた後れ毛が揺れ、吸い寄せられるように彼の目が釘付けになる。
惜しげもなく曝け出された白いうなじには彼の喉が大きく鳴った。
「昨夜とは随分趣向が違う。見違えるようだな……」
「美しい装いは女の戦装束でございますから」
口元だけを和らげ目を細めれば、それだけで微笑が完成する。その言葉の意図するところを覆い隠す甘やかな声音と嫋やかな微笑みは、間違いなく彼を高揚させた。
言葉少なに一つを問えば、仔細まで武勇譚のように答えた。大仰に身振り手振りを加えて語られるそれらにひとつひとつ丁寧に相槌を打てば、彼はますます気を良くしてあれやこれやと様々なことを聞かせてくれた。
「殿方らしい勇猛な方なのですね」
「武士たる者、これしきのこと!」
豪快に呵呵大笑する遼展は、昼には彰久を誘って遠乗りに出る算段を立てているらしい。大物を狩ってくると今から息巻いていた。
正直を言えば、あの彰久が彼の遊興に付き合うとは到底思えないのだが、こうも気分屋であれば執り成しも容易いだろう。
その時、ぱしりと背後で障子が開かれた。女中ではありえないその音に振り返る途中、遼展の喜色の滲む声が響く。
「彰久! 遅かったではないか!」
「……何をしている」
ぐっと低められた声音に思わず身が竦む。恐る恐る彼を仰ぎみれば、冷たい眼差しが降り注ぎ突き刺さった。
「……遼展様に、お話を伺っておりました。さすがに、武勇に優れたお方で……」
恐々とした声に興ざめて彰久が鼻を鳴らした。くるりと遼展に向き直った後も凄まじい威圧感が幸菜を苛む。
「む? どうした幸菜、顔色が悪いぞ」
気軽な遼展の奥で、彰久が鋭い目を向けている。ひたりと見据えて逸らさない目に、心臓を鷲掴みにされた気がした。
暴走する心臓と逃げ惑う血の気を自覚しながら、幸菜はなんとか笑みを取り繕った。
「ぁ、いえ。殿も参られましたし、私はこれで失礼致します。どうぞごゆるりとお楽しみください」
まろぶように座敷を逃げ出して、幸菜は震える手で胸元を握りしめた。
障子越しにも、あの怜悧な眼が向けられている気がした。
するすると衣擦れと音とともに座敷へ上がると、遅いとふくれっ面をした遼展に一喝された。
隣で女中が竦み上がるそれにも、幸菜は「申し訳ございません」とにこやかに笑んで受け流す。はらはらと怯えを滲ませる彼女をそっと背後に庇って前に出ると、遼展はまた不満気に顔を顰めた。
「む、彰久はどうした?」
「申し訳ございません、どうしても都合が合わず……。やはり、私だけではご不満ですか?」
わざと悲しげに眉の形を変えれば、そうとも知らず彼は呆気なく手のひらを返した。慌てたように取り繕う彼に「お招きくださりありがとうございます」といかにも幸せそうに礼を言えば、それ以上を追求されることもない。
座れ座れと上機嫌に催促する彼に会釈して、一挙手一投足まで嫋やかさを意識して下座に着いた。距離が狭まったことで物珍しいものに気づいて、とくと彼が魅入る。
「艶やかな髪が際立つな……よく似合う」
「恐れ入ります」
玉簪一本で髪をまとめた夜会巻きは、幸菜の狙い通り彼の気をひくには十分な真新しさを持っていた。
僅かな身動ぎでも遊ばせた後れ毛が揺れ、吸い寄せられるように彼の目が釘付けになる。
惜しげもなく曝け出された白いうなじには彼の喉が大きく鳴った。
「昨夜とは随分趣向が違う。見違えるようだな……」
「美しい装いは女の戦装束でございますから」
口元だけを和らげ目を細めれば、それだけで微笑が完成する。その言葉の意図するところを覆い隠す甘やかな声音と嫋やかな微笑みは、間違いなく彼を高揚させた。
言葉少なに一つを問えば、仔細まで武勇譚のように答えた。大仰に身振り手振りを加えて語られるそれらにひとつひとつ丁寧に相槌を打てば、彼はますます気を良くしてあれやこれやと様々なことを聞かせてくれた。
「殿方らしい勇猛な方なのですね」
「武士たる者、これしきのこと!」
豪快に呵呵大笑する遼展は、昼には彰久を誘って遠乗りに出る算段を立てているらしい。大物を狩ってくると今から息巻いていた。
正直を言えば、あの彰久が彼の遊興に付き合うとは到底思えないのだが、こうも気分屋であれば執り成しも容易いだろう。
その時、ぱしりと背後で障子が開かれた。女中ではありえないその音に振り返る途中、遼展の喜色の滲む声が響く。
「彰久! 遅かったではないか!」
「……何をしている」
ぐっと低められた声音に思わず身が竦む。恐る恐る彼を仰ぎみれば、冷たい眼差しが降り注ぎ突き刺さった。
「……遼展様に、お話を伺っておりました。さすがに、武勇に優れたお方で……」
恐々とした声に興ざめて彰久が鼻を鳴らした。くるりと遼展に向き直った後も凄まじい威圧感が幸菜を苛む。
「む? どうした幸菜、顔色が悪いぞ」
気軽な遼展の奥で、彰久が鋭い目を向けている。ひたりと見据えて逸らさない目に、心臓を鷲掴みにされた気がした。
暴走する心臓と逃げ惑う血の気を自覚しながら、幸菜はなんとか笑みを取り繕った。
「ぁ、いえ。殿も参られましたし、私はこれで失礼致します。どうぞごゆるりとお楽しみください」
まろぶように座敷を逃げ出して、幸菜は震える手で胸元を握りしめた。
障子越しにも、あの怜悧な眼が向けられている気がした。
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