三鍵の奏者

春澄蒼

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第三章 交点に降るは紅の雨

番外編 八人の散髪事情

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 ベレン領での滞在があと少しとなった本日、館の一室でフェザントによる一日散髪屋が開かれている。

 旅を再開する前に、身なりを整えておこうというものだ。

 すでにラーク、ヘロン、アイビスと終えて、今はジェイの黒髪が床に敷かれた布にパラパラと落ちていっている。

 シャキ!シャキ!
 リズムよく鳴るハサミの音が心地よい。

 散髪を終えた三人は、大浴場に頭を洗い流しに行き、部屋にはジェイ、フェザントの他に、カイトとユエとクレインが残っていた。

「──よし、終わったぞ」
 フェザントが短くなった髪をぐしゃぐしゃとかき回し、余計な毛を落とす。

「ああ、ありがとう」
 じっとしていて凝り固まった体を、ジェイは伸びをして解し、コキコキと肩を鳴らした。

「クレインはどうする?」
 一応、といった感じでフェザントが声をかけるが、
「いや、俺はいいよ」
 クレインからは予想通りの言葉が返った。

「カイトは?」
「そうだな、頼む」

 ジェイと入れ替わりにカイトが、フェザントの前に据えられた椅子に腰かけた。

 それを待っていたように、ユエが二人に近づき、
「……俺が切っちゃ、だめ……?」
 そんなことを言い出した。


「……」「……」
 黙りこくった部屋に、ユエは首をかしげる。

「……だめ?」
「……いや、ダメってこともねぇが……」

 困惑したフェザントはちらっとカイトを伺うが、無言を返されるだけだ。

(まぁ、物珍しくて、やってみたいだけだろうさな)
 フェザントはユエの行動をそう分析して、師匠になった気分でハサミを渡す。

「けっこう重いぞ。気をつけろ」
「うん──ほんとうだ……」

 フェザント愛用のハサミは忠告通り重い上に、初めて握ったユエは扱いが分からずたどたどしいことこの上ない。

 ハラハラしながらフェザントは、「ここを持って──そう、開いて──っ指を切らないように気をつけろっ!」教えていく。

 何とか開いて閉じてできるようになったそれを、ユエはキラキラした目で見つめる。まるで新しいオモチャを買ってもらった子どものようだ。

 危なっかしくて目が離せないクレインとジェイとは反対に、カイトは『見なければ安心』とでもいうように真っ直ぐ前だけ見つめている。


 ユエは躊躇なく、カイトの後ろに立った。


 ユエがイメージするのは、自分の髪を切ってもらったあの時だ。
 カイトの手を思い出しながら、同じ動きを辿る。

 指で髪をすき、地肌に触れてかき上げる。すると石けんの香りの中にカイト自身の匂いが混じって、なんだかユエを落ち着かせない。

 敏感になった指先で、コシの強い黒髪を摘む。


 シャキッ!!


 全く躊躇なく、ハサミを入れた。

「あ……」

 ユエの呟きに、部屋中に緊張が走った。

「……ど、どうし──?」
 おそるおそる手元を覗き込むフェザントに、
「……指、切れた……」
 ユエは血が滲んだ自分の指を、恥ずかしそうに掲げて見せた。

「っうおぉい!!」「ちょっと!大丈夫?!」

 フェザントの雄叫びとクレインの心配の声が届く前に、カイトが素早くハサミを奪い取り、その指を検分する。

「──大丈夫だ。そう深い傷じゃない」
 そう言って、血が滲んだ中指を口の中に招き入れ──「んっ」血を吸った。

「──耳を切られては敵わない。ユエ、フェザントと代われ」

 その行動に目を見張った三人から逃げるように、カイトはそっけなくユエを追い払う。


「……あーー、ゴホンッ!!そんじゃあ、改めて──」
 わざとらしく咳をして、フェザントがハサミを構え直した。

 シャキシャキ──安心感いっぱいの音が部屋に再び響く。

「……カイト、ごめんね」
「……俺に謝ることじゃない。けがをしたのはお前だ」

 椅子に座ったカイトの前に座り込んで、ユエは肩を落としている。

「俺の髪、カイトが切ってくれたから、カイトの髪は俺が切ってあげたかったのに……」

 カイトの膝に頰を乗せてしょんぼりするユエのその想いは、いまいち他には理解できない。

 ユエにとってカイトに髪を切ってもらったあの時間は、何か特別だった。
 無防備な後ろ姿をさらして、普段は髪に隠れて見えない肌に触れられて、カラダの一部を切り取られる──それは親密で、どこか淫靡な……──。

 ユエは自分がしてもらったお返し、と思っているが、その中には彼自身も気づかない独占欲が隠れていた。

 ──カイトの一欠片も、他の人には奪われたくない。


 だがさすがにユエも、あの手つきでは続きを望むことはできないと諦めて、フェザントの手によって切られていく黒を少しだけ哀しく思って見ていた。


「ほい、終わりだ」
「お疲れさん」

 終わるまでじぃーーーっと見つめられていたカイトは、ユエの意図が読めずに見当違いの気づかいをする。

「……お前もフェザントに整えてもらったらどうだ?俺よりよほど上手いぞ」

 ザックリと短剣で切っただけのユエの髪は、細い首を露わに揺れている。

「ううん、いい」
 それをスパッと断ったユエに続いて、

「おいおい!やめてくれ……俺はユエの髪を切る勇気はないぞ……!」
 フェザントがおののいたように一歩後退る。

「これ以上短くしたら、ベレン卿が発狂しそうだ……」


******
 短くなったユエの髪を初めて見た者は、みんな一様に驚いた。

 あれほど存在感があった青い髪をバッサリいったのだ。仲間だけでなく、ここの使用人たちも目を丸くしていた。

「へぇ~!思い切ったもんだ!!」
「バッサリだねっ!」
「……ちょっともったいないくらいだな」
「えっ?!カイトが切ったのか?!」

 だがそれも、ベレン卿の嘆きには敵わなかった。


「……っ!……っ!!どうして……!!どうして切ってしまったんだ……っ!!!」

 後処理で寝る間もないほど忙しいはずなのに、わざわざ顔を出して、頭を抱えた姿を見せつけていったのだ。

「あれほど見事な髪が……っ!!なんと嘆かわしい……!」

 呆れ顔のカイトが「……髪などまたすぐに伸びる」と言うのを睨みつけて、

「切った髪はどうしたっ?!」
「どうって……」
「まさか……!捨ててしまったなどと、愚かなこと──」
「……暖炉の火にくべたが?」
「……っ!!!」

 その後は言葉にもならなかった。

 フラフラとおぼつかない足取りで部屋を出ていく卿を、皆一様にドン引きで見送ったのだった。


******
「……アレはちょっと、怖かったな」
「切った髪なんか、どうするつもりだったんだ……?」

 あの時を思い出したクレインとジェイが目を合わせる。

「髪……コレクションするつもりだった、とか……?」


 ベレン卿のお宝部屋──土器やら宝石やら風切鳥の像やらに囲まれて、ユエの青い髪が飾られている場面を想像し、みんな何とも言えない表情になった。


「……なんか、気持ち悪っ!」
 クレインがバッサリとベレン卿の趣味を否定した。

 ユエ自身はこの時まで、自分の髪の行方などどうでもいいと思っていたのだが──(……うん、確かに。俺の髪をベレン卿が持っているのは、ちょっと気持ち悪いや……)クレインに同意する。

 そんな四人にカイトは、おもしろがるようにこんな話をする。

「──髪の毛はどこかの地方では呪術に用いられることがある。髪はその人物の一部だからな。人形にくくりつけてそれを呪ったり、または身代わりにして厄を払ったりするらしいぞ」

 そう言われると余計に、ベレン卿のことが気持ち悪くなる四人だった。


 だがその一方で──(……クレインの髪……)(カイトの一部、か……)ジェイとユエには人知れずそんな妄想が浮かんでいた。

(やっぱり、俺が切りたかった、な……)
 床に散らばった黒髪とフェザントの手にあるハサミを交互に見るユエに、フェザントが救いの手を差し伸べる。

「なんだ、そんなに切ってみたかったのかぁ?」
「……うん」
「はっはっ!なら次までに練習しねぇとな!!」
「……え?」
「まずはハサミに慣れねぇとな!教えてやるよ!!」

 豪快に請け負うフェザントに、「うんっ!!」全開の笑みでユエは応えた。


******
 カイト、アイビス、ラーク、ヘロン、ジェイの髪を切ったフェザントは、自分の髪も自分で切って、それで一日散髪屋は店仕舞いをした。

 フェザントの加入まではそれぞれ自分で切るか、比較的器用なカイト、マイナがみんなの髪を切っていたのだが、今ではクレイン以外はほとんどフェザントに任せている。

 特にアイビスなどは自分で髪を切る習慣がないお貴族様らしく、ひと月に一回はフェザントに頼んでいた。

 カイトは時々自分で切ることもあるが、こうしてタイミングが合えば基本的にはフェザントにお任せだ。

 何せフェザントは本職にも負けない腕前なのだ。


 しかしその中で、クレインだけはフェザントに切らせたことはなかった。

 彼を信頼していない訳ではないのだが──母が亡くなってから自分でやることに慣れてしまった、という理由もあるが、他人に頼ることが苦手なクレインの性格によるところが大きい。
 自分のことは自分でするのが当たり前、という感覚が消えないのだ。


******
 一人になった部屋で、フェザントに借りたハサミを動かしたクレインは、「……まぁ、いいかな」鏡も見ずに散髪を終わらせた。

 コンコン!

 そのタイミングで、扉が叩かれる。

(……、な……)
 いつもとは違う訪れに、クレインは少しドキッとして扉へ向かう。

 ガチャ──「…………何か?」
 しかし扉の外に待ち構えていたのは、思い浮かべていたのとは違う顔──使用人の男だった。

「少しお話を──髪を、お切りになられたのですね」
 その言葉にクレインはゾワッとして、慌てて部屋へと踵を返し、散らばっていた髪を暖炉へと放り込んだ。

「……主人がまたお嘆きになります」

 ユエの髪と並んで、自分の髪もガラスのケースに並べられている場面を想像し、クレインは身震いが止まらない。

「……何の用?俺の髪を回収に来た訳じゃ、ないだろう?」
 眉をつり上げるクレインに微笑んだ男は、「それもありますが……」などと恐ろしい前置きをしてから、
「旅立たれる前に、もう一度だけお気持ちを確認させてください」

 彼が全てを言い終わる前に、クレインは何度も繰り返した言葉をため息混じりで放つ。
「何度言われても、俺の気持ちは変わらない。俺はここに残る気はない」

 長話する気はないと、扉を閉めてそこに背を預けて腕を組む。

(……から勧誘は途絶えていたのに、なんで今さら……?)

 ベレン領を訪れるたびにこのやり取りは繰り返されてきた。
 そう、あの日までは──ジェイとカラダを繋げた夜からは、全てを悟っているかのように女性からの誘いも、ベレン卿からの勧誘も途絶えたのだ。

 気味が悪いほどに、ぱったりと。

(……まあ、知られていても不思議ではない、か……)

 部屋を掃除してシーツを取り替えるのは、使用人たちなのだ。

 もちろんクレインもジェイも、あからさまな痕跡を残したりはしなかったが……完全に隠すことは難しいだろう。

 それにクレインが香油を知ったあの日から、ジェイは開き直ったようにクレインの部屋を訪れている。毎晩のように──。

 クレインは二人の関係をことさら吹聴するつもりはないが、かと言って滑稽なまでに隠し通そうとも思ってはいない。

(たぶん……いや、絶対にカイトにはバレてるだろうし……なんとなく、フェザントからも生暖かい視線が…………アイビスは絶対に気づいてないだろうけど)

 仲間の顔を思い浮かべると、クレインは背中がむずがゆい気がして落ち着かない。

 仲間に対しては少しばかりの葛藤があるが、ここの使用人に対しては、むしろ知られた方がいいとも思っていた。

 ジェイや自分に対する『お誘い』をけん制する意味でも。

 そしてそのけん制が功を奏したように、ジェイにもクレインにも横やりは収まっていたのだが──クレインは目の前の男を警戒しつつもう一度口を開く。

「……俺はここには残らない。ベレン卿のモノになる気はないし、ここの女性と子どもを作る気もない。──分かってると、思うけど?」

 暗に、ジェイとの関係をベレン卿にことを、知っている、と。

 最後通告のつもりのクレインに、男は深くした笑みを向けて予想外の言葉を放つ。


「それではわたくしのために、ここに残っていただけませんか?」
「…………は?」

 自分よりも頭ひとつ高いところにある整った顔を、クレインはポカンと見つめた。

「あなたの恋愛対象が男性ならば、わたくしにも少しは好機があるかと思いまして──」

 男がクレインに一歩近づいたその時、「……っ!」横から伸びた手がぐいっと華奢な身体を引っ張った。

「……ジェイ……」
 慣れた香りに包まれる。

 ジェイはクレインを腕の中に囲い込み、男と対峙する。
「……なんの、真似だ……?」

 だが男はしれっと「口説いているだけです」言い放つ。

「……冗談──」「冗談ではありません」
 ジェイの腕の中で顔をひねるクレインに、やはり男はしれっと言う。

 何を言い出すんだ?という胡乱な目を向けるクレインに男は、
「……本気、なのですがね……」
 笑みを少し苦くする。

「……わたくしも主人の方針には賛成しています。優秀な者、秀麗な者は子を成してその血を繋げるべきだ、と──ですから今までは、己の気持ちを伝えるつもりはありませんでした」

 ですが、と、真剣な目を向ける男を見て、やっとクレインは冗談でもベレン卿からの嫌がらせでもないと理解する。

「あなたが選んだ人が男性だったと知って……このまま黙っていられなくなってしまいました」

 ジェイの腕の中にいるクレインを見つめる。

「あなたのことが、好きです」
 クレインが、ジェイが、言えない言葉を簡単に口にした。

 ジェイの腕に力が入る。それを感じるクレインには、なぜか焦りと自己嫌悪が湧いてくる。

「……わ、るいけど、俺は……あんたを選ばない。俺はここには残らない」
 同じ言葉を繰り返した。

「……答えは、分かっていました。ただ、伝えたかっただけですから」
 男は存外あっさりと引き下がったが、クレインには分からないように、最後にジェイに笑みを向けた。

「……主人からの伝言です。『ここを二人の愛の巣にしてもよいぞ』、と──」
 言い終わる前に、バタンッ!扉が閉まった。



******
 その夜の情交は、いつにもなく激しかった。
「クレインっ!……クレイン!!」
 縛りつけるように名前を呼ぶジェイを、クレインはただ抱き締めた。

 気を失うように眠りについたクレインに最後に残ったのは、『好きです』そのセリフ。

(俺は……あんなに簡単に言えない……!どうして……?『ジェイを選んだ』と答えられなかった……?俺はどうして、ジェイにも弱さを見せられない……?)

 ベッドに誘うことはできるのに、一番大切な言葉は出てこない。

 ユエのように素直に甘えたり頼ったりできない。

 これほど身体を重ねたのに、まだ足首のサラシを解くことができない。


 一人、部屋で短く切った髪が闇に紛れた。

 誰にも頼ることができないクレインを象徴するように──それは強さなのか弱さなのか、クレイン自身にも分からなくなっていた。


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