三鍵の奏者

春澄蒼

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第五章 星は天を巡る

77 渦巻く海

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「献杯」

 ヘイレンの音頭で盃を掲げると、その場の全員は無言で果実酒を空ける。

「アディーン大司教の功績は数え切れない。孤児院の整備、司教への教育、他宗教との共存の確立、亜種や他種の正確な情報を広めたこと……特に大きな偉業は、あの人が大司教になってから、教会圏内では宗教戦争がなくなったことだ」

 ヘイレンがここまで敬意を払う様には、あまり信心深くない面々にも、この喪失が鮮明に胸に迫って感じられた。


「ひとつの時代が終わる──大司教の死はその象徴だ」


 演技パフォーマンスではなく、脅すためでもなく、自然と愁眉を見せるヘイレンから、先行きの見えない不安が伝染する。道しるべを失ったような、灯台の光が消えてしまったような、そんな心許なさ。


「時代が変わる、か……変わるにしても、いい方へ行けばいいんだがな」
 願いを込めてそう言うフェザントに、さっきまでの憂い顔が嘘のように、軽い調子に戻ったヘイレンが応える。

「ま、あの人のことだ。自分の死後のことまできっちり考えてくれてるだろ。現に司教たちは新しい体制で動き始めていて、四日後の葬儀も大きな混乱なく行えそうだからな」


 それは、つい先ほどヘイレンの配下よりもたらされた報せだった。


 先発組──ヘイレン、クレイン、ジェイ、ヘロン、フェザント、アスカ──が『青の教会』を出発してから約半月。陸路ならその三倍はかかるであろう旅は、ヘイレンの最新鋭の船と秘密の航路のおかげで、それだけの時間で終えることができた。

「早いのはいいんだが、情報が届きにくくなるのが難点なんだよな、船の旅は」
 情報戦が主戦場のヘイレンにとって、死去の三日後に届いた報せは、ぼやきたくなるほど遅過ぎたらしい。

 その他にとっては、三日の時間差タイムラグはむしろ早過ぎると感じているが。実際にでは、教会圏から少し外れていることもあって、大司教の崩御はまだ王にさえ伝わってはいない。



「カイトたちは葬儀の前に発ったんだろ?」
「と言うことは……に着くのは約半月後、か」
 その情報も、船を降りてから届いたもの。ジェイが数えた日にちに、「思っていたより、ずっと早いな」とせっかちなクレインも安心する。


「ひと月かふた月か……そのくらい覚悟してたんだがな」
 船上でヘイレンから説明を受けていたから、予定が早まったことを喜べないフェザントは、初めての船旅で疲れ果て眠るアスカに毛布をかけながら、複雑な表情で唸った。


「半月だって長いぜ!あーあ、早く来ねえかなぁ」
 珍しく愚痴っぽく溢すヘロンは、相棒の不在にいまいち調子が出ないらしい。ラークとこれほど長く離れたのは初めての経験だった。

 これでもヘロンの気分は、目の前のとの再会でちょっとだけ浮上したところなのだが、まだ全快にはほど遠い。

 ぐだぐだと寝転がっていたヘロンだったが、「ん?」と床に耳をつけて何かに気づくと──久しぶりに、いたずら小僧の顔になってガバッと体を起こす。

 その時には全員が、バタバタと騒がしくなった外の様子に、誰が帰ってきたのか予想できていた。

「そういう訳で!!」

 走り込んできた人影に向かって、ヘロンがにやっと親指を立てる。
「とりあえず半月、世話になるぜ!!」


 そんなヘロンに顔を引きつらせて、この家の主人は絞り出すような声で言う。
「お・ま・え・たち~!!」

 人数を数えるように、家主よりもくつろぐ六人の表情を見回すのは、仁王立ちのクウェイル。
 そして苦笑しながらも楽しそうなメイが、聞きかじった事情を説明すると、さらに夫のこめかみのけいれんが激しくなる。


「我が家は待合所じゃないっ!!」
 クウェイルの渾身の突っ込みは、海を波立たせることもなくどこかへ消えていった。



***
 仕事場から呼び戻されたクウェイルは、もう今日は仕事にならないと諦めて、そのまま招かれざる客人たちと対峙することにした。


「まったく……勝手に私の家を待機場所にするなっ!!何が『世話になる』だ!?こちらはお世話する気など一切ないからな!」

 憤るクウェイルだが、文句をぶつけるべきカイトがいないから長続きしない。

「安心しろ。滞在費は俺が全部出す」
「ヘイレン、なんでお前までここに……」
 しかもカイトに代わるように、白髪金眼のこの男が堂々と請け負うから、クウェイルの勢いは萎んでいくばかり。

 メイの件でカイト同様に恩人であり、かつ捉えどころのないヘイレンには、クウェイルは強く出られないところがある。


 簡単に決着しそうになったが、そこにクレインが「ちょっと」と割り込んだ。

「船でも言っただろ、ヘイレン。俺たちはお前の部下じゃないんだから、ただで金を出してもらう訳にはいかない」

 カイトは最初、ドワーフ王国の依頼の対価として、ヘイレンから船をもらうと言っていたが、あれから事情も変わり、ヘイレンに送り届けてもらう形になったため、五人は乗組員として仕事を手伝うことを自ら願い出たのだ。

 ヘイレンからは気軽に「送ってやるよ」なんて言われたが、『ただより高いものはない』──カイトの仲間はその精神が身についている。


「ヘイレンに借りを作るのは後が怖いから、自分たちの滞在費は自分たちで稼ぐ。──だからクウェイル、なにか仕事を手伝わせてくれ」

 とは言えクレインのその提案は、クウェイルに配慮しているというより、一周回って無遠慮にも思えて、もう一度頭を抱えさせることになった。


 そんな夫を助けるために、メイが「ええっと……ずっと気になっていたのだけど、その子はフェザントの娘さん、なの?」と話題を無理やり変える。

 七人の視線が集中したからか、「う~ん……」ちょうどその時アスカが目を覚まし、知らない場所と知らない顔二つにぱちくりと目を瞬いた。

「いやいや、俺の娘じゃないっ!!なんでそうなる?!似てるか?似てないだろっ?!」

 思いがけない方向からの攻撃に、フェザントが慌てて否定するものだから、かえってやましい関係に見えたようで、クウェイルとメイは「え、じゃあ……?」と距離を取ろうと体を引く。

「ゆ、誘拐じゃないぞ!!」
「わぁ!!ほんものの人魚だ……!」

 フェザントのおかしな弁明は、アスカの歓声にかき消されていった。

「あなたがメイ?アスカ、会うの楽しみにしてた!」
「え……えっと、アスカ、ちゃん?そう、私が人魚のメイよ。初めまして」
 前のめりになったアスカの勢いに押されるように、メイが自己紹介をすると、ますます目をきらめかせてアスカは距離を詰めた。

 そして海面を覗き込んでメイの下半身を確かめると、「すごい」「すごい!」とはしゃいで飛び跳ねて、「フェザント、ほんもの!!」と解りきったことを報告しに戻ってくる。

「はいはい、本物の人魚だな。はしゃぐのはいいが、海に落ちないように気をつけろよ」
「うんっ」

 いい返事をしてから振り返ったアスカの胸元に、きらりと揺れるモノ──「え……」その赤に、メイは釘づけになる。

「どうした?」固まった妻の隣に寄り添うと、「え……」クウェイルも同じように動きを止める。


「それって……」「まさか……」
 目を見開いて見つめ合った夫婦に、「どっから説明すりゃあいいのか……」フェザントは頭をかいた。



***
「信じられない……」

 説明を一手に引き受けることになったフェザントは、ヘロンとアスカの横やりに四苦八苦しながらも、何とかドワーフ王国の騒動を語り終えた。

 クウェイルとメイの反応は予想通りで、受け入れるまで時間がかかるだろうと、フェザントが気を遣って待とうとしたが──


「これこれ!これが『ドワーフの鍵』なんだぜ!!」
「そう!アスカはこれで人間になった!でもね、人間になっても泳げなかったの……」
「泳げなかったよなっ!でもさ、フェザントよりはマシだぜ~!とりあえず、浮くんだからっ」
「だからね、メイに泳ぎ方を教えてほしい!」
「あっ!俺も俺も!!」
「……ヘロンは泳げるでしょう?」
「メイに教えてもらうってのが、いいんだよ!!」


 お子様二人がどんどんと脱線していくものだから、クウェイルとメイは巻き込まれていくうちに、とりあえず全部信じてみようという気持ちになっていた。


「『ドワーフの鍵』……本当にあったのね」
 アスカの首にかかっていたそれを手に取らせてもらって、メイはしみじみと存在を確かめる。

「ねぇ、これってドワーフに戻ることもできるの?」
「できるよ。でも……ここではできない」
「どうして?……あ、そうね。まだ陽があるものね」
「うん。それに、ドワーフ王国から離れるとね、夜でもダメみたいなんだ。地下なら大丈夫かもしれないけど」
「そう……あ!それならフェザントは?!」
「はっ?俺?」
「フェザントはこの鍵を使えないの?純血ではなくても、ドワーフなんだし……!」


 メイのその疑問はこれまで誰も思いつかなかったので、この場で初めて試されることとなった。
 ごくん、と喉を鳴らして鍵を構えたフェザントだったが──案の定、鍵はうんともすんとも言わずにただ服を捻っただけ。

「……あーあ、フェザント~」
「ああ?!俺のせいじゃないだろう!!」
 ヘロンとフェザントのいつもの言い合いの間に、鍵は静かにアスカの首に帰ってきた。


 目に見える形での証拠を求めるが、どうやらそれは難しいらしい。
 他に何かないかと、クウェイルは広げられた何枚もの紙を漁るが、「古代文字というやつか……」その壁に阻まれる。

 トリエンテの日記もカイトの手による写本で、その上、遺跡の文字は読めないから、二人はあまり現実味を感じられない。まるで壮大な物語の幕間に紛れ込んだ気分だった。

「……鍵は純血だけしか使えないということか……?」
「純血……人魚も元々は純血がいたっていうカイトの推測、あなたはどう思う?」
「どうもこうも……メイ、故郷で聞いたことないのか?」


 納得しようと話し合う夫婦の傍らで、雪崩れてきた一枚の写しを止めたクレインが、「……すっごく今さらな疑問なんだけど」と時間稼ぎのようにアスカに話を振る。

「この古代文字って、アスカが書き写したのか?」

「えっ?カイトじゃないの?」応えたのはなぜかヘロン。
「俺もそう思ってたけどさ、古代文字は地下遺跡の壁とかに彫刻されてたんじゃなかった?」
「……そう、言っていた気がするな」

 クレインの言いたいことに、まだピンときていないままジェイが頷く。ジェイだけでなく、ヘロンもフェザントもまだ何が疑問なのかすら理解できていない顔だ。

 察しの悪い仲間たちのために、クレインは懇切丁寧に説明を加える。
「さすがに壁を剥がして持ち出せないんだから、その場で写さないといけないだろ?つまり地下遺跡の中でこれは写された。で、地下遺跡まで行けるのは純血のドワーフ──アスカだけなんだから」

「ああ、なるほど。……ん?でもこんな難しい文字、アスカが書き写せるのか……?」
 やっと得心がいったフェザントが、アスカに確かめる前に──「簡単だぞ」それまで黙っていたヘイレンがいきなり注目を奪った。


「彫刻の上に紙を置いて、その上から木炭でこすり出しをすれば、アスカでも簡単に写せる」
 わざわざ懐から双頭の蛇の印璽を取り出して、その上に紙を置いて木炭でこするという、実演つきで説明してくれる。

「へぇ~!すっげぇカンタン!!」
「なるほど、これなら……」

 アスカ本人に訊いていないのに、ヘロンもフェザントもこれが正解だと思い込んでしまった。


 そして、そのやけに親切な行動に対して、クレインが疑問を持つ前に、ヘイレンはさっとメイに話を振る。

「そう言えば近頃、東の海で人魚の目撃情報が増えているんだが、メイ、お前なにか知らないか?」
「あっ!それ、そう、そうなのっ!」


 ヘイレンの横顔を伺って首を傾げたアスカを置いてけぼりに、話題は移った。



***
「あなたたちが旅立ってから、こちらも色々とあったのよ」
 メイは複雑なため息をつきつつ、ぴちゃん、と尾ひれで飛沫を跳ねる。



 カイト一行を見送ってからひと月後、クウェイルとメイの元に人魚の目撃情報が寄せられた。
 海に引きこもっているはずの人魚が、人間の住む島の近くに、最近出没しているというのだ。

 クウェイルがもっと詳しい情報を集めたところ、人魚たちの目的はすぐに推測できた。
 大渦だ。
 ユエが深海に沈んだ『人魚の鍵』を取り戻した時に、東の海に突如現れたあの大渦を見るために、人魚たちは集まっていた。

 何が起こったのか知らない人魚たちは、その不気味な大渦の原因を探ろうと近づいたのだ。


 そしてクウェイルとメイは、そんな人魚たちを放ってはおけなかった。

 自分たちのところにまで届いているということは、その噂はかなり広まっていると見て間違いない。人魚と人間の間で何かが起こるのも、時間の問題だ。

 メイの身に起きたような、が──。


 二人は、人魚たちに自分たちが持っている情報を伝え、そして忠告することに決めた。
 休暇を取ったクウェイルは、いつかの時のために造らせておいた特別製の船で、メイと共に東の海に出て、人魚に接触したのだった。

 これは同時に、メイの結婚後初めての里帰りにもなった。


 クウェイルとの結婚は当然のように反対されたが、縁を切られた訳ではないため、東の一族はメイをそれなりに歓迎してくれた。とは言え、クウェイルに対してはとても友好的とは言えない態度だったため、彼は船に残して、メイは一人で族長に会いに行くことになった。



「勝手に悪いとも思ったけれど……全てを話したわ。『人魚の鍵』のこと、ユエのこと、あなたたちのことも」
「いやそんな、こっちこそ……」

 まさかあの大渦がそんな事態を引き起こしていようとは、思ってもみなかった面々は、「面倒をおかけしまして」と恐縮する。
 自分たちが悪いというものでもないが、誰のせいかと言われれば、他に犯人はいないのだから。


「あれって、あなたたちにも原因はよく分からないのよね?」
 メイに責めているつもりはないのだが、自然とフェザントの背筋は伸びて「はい、分かりません」と敬語になっている。

「私も近づいてみて初めて分かったのだけど、あの大渦、普通じゃないわ」
 全てを話して忠告すれば、それで収まると思っていたメイだったが、事はそう単純ではなかった。


「たぶん、人魚だけが感じるの。なんだか……引き寄せられるのよ。なにかに呼ばれているような気持ちになって、でも近づき過ぎると一気に恐ろしくなって……怖いもの見たさって言うのかしら。だから忠告しても、大渦に近づく人魚が後を絶たないみたい」

 族長は一族に厳命を出したのだが、今現在も、人間の生活圏に近づく人魚は目撃されている。

「それにね……」メイにとっては、こちらのもうひとつの憂いの方が悩ましい。「私の話を聞いた東の一族は、ユエに興味を持ったらしくて」

「ユエに?」
「あの伝説の『人魚の鍵』を取り戻したことと、人間になったこともあるけど、それよりなにより……私が『姫』に似ているって言ってしまったものだから……」

 東の一族にとって、『姫』は今でも憧れの存在なのだ。髪や瞳の色が似ている上に、元々彼女が受け継いだ『人魚の鍵』が、今ユエの中にあるということで、ひと目ユエに会いたいと人魚たちは恋い焦がれている。
 さらに付け加えると、ユエが見目麗しい若い男性であるとメイがぽろっと溢してしまったから、その熱は一層高まった。

「ユエに会わせろって、ここまで押しかけて来たのよ……!」
「ええっ?!」

 ここに?!と飛び上がったヘロンは、今にも人魚が現れるのではないかと、クウェイルの家をキョロキョロ見回した。


「まあ、ここに押しかける人魚の中には、メイを一族に取り戻そうとする者たちも混じっているがな」
 クウェイルの言葉にメイは、離さないでと伝えるように彼の手を握る。それだけでクウェイルからは、眉間のシワが消えた。

「そう、それもあるの。今回里帰りすることになって、色々と言われることは覚悟していたけど……」
 海に残るようにと説得されたが、メイはキッパリとそれを断ってクウェイルの元へと戻った。

 その時はずいぶんとあっさり帰されたのだが……後日になって、いきなりこの家に三人の人魚が訪ねて来て、メイもクウェイルも仰天したものだ。


「その時に気づいた。この家は人魚に対して、扉も鍵もあったものじゃない。入り放題なのだ、と……」
 大金と時間をかけた自慢の我が家の思わぬ欠陥に、クウェイルは肩を落とす。

 いざという時のために、メイがすぐに逃げられるようにと海と繋がっているこの家は、人魚が侵入し放題だった。


「しかもね!最初の三人は確かに、族長の命だったらしいわ。私を説得することと、私がここでどんな生活を送っているのか、それと人間の生活や陸の様子を調べるっていう。でも……その後は完っ全に好奇心よ!野次馬よ!」

 メイはよほどその野次馬に苦労しているのか、らしくもなく声を荒げる。

 最初の三人から、この家やここでの生活を聞いた人魚たちの中で、人間や陸が一大流行ブームになったらしい。
 特に若い世代は人間に対する危機感も薄く、それよりも未知の世界への興味が上回ったのだ。

 その火つけには、メイも一役買ってしまった。

「人間と結婚なんて……!」と向けられた白い目に、ついつい熱の入った反論をしてしまったのだ。いかにクウェイルが自分を愛してくれているか、人間の中にも優しい人はいること、海とは違う陸の生活──メイとしては「私は幸せだから」と言いたかっただけなのだが、どうやら聴衆には、人間や陸への危機感を薄れさせる結果となった。


 おかげでこの一年、静かだった家はまるで人魚たちの観光地と化している。

 ここに来ればユエに会えるのではないかと期待する者たち、メイを説得しようとする者たち、そして──それを口実にただ遊びに来る人魚たち。
 族長の厳命もメイの忠告もあったものではない。


「まだ誰にも目撃されていないようだから、今のところ噂にはなっていないが……」
「ここに出入りする姿を見られたら……私だってクウェイルだって困るから、『来ないで』って追い返してるのに……」


 ため息深い夫婦にかける言葉は、「……お疲れ様です」以外に見つからなかった。



******
「ほれ、これが紹介状だ」
 賑やかな夕食を終えて、一度仕事場に戻るというクウェイルに、フェザントはこっそりとくっついて来た。
 ヘロンとアスカがいては、五分も真面目な話が続かないからだ。

「おお、助かる。本当に繋ぎをつけてくれるとは」
 クウェイルは紹介状と共に分厚い手紙も受け取って、その場で目を通していく。

 この手紙は、フェザントのヴェルドットの知人からクウェイルに宛てたもの。
 以前この場所で約束した『繋ぎ役』を果たすことができて、フェザントはホッとひと息ついた。


「ふむ……ヴェルドットに使者を送らなくてはな。誰を行かせるか……」
 クウェイルはひとり言を言ってから、もう一度「感謝する」とフェザントに改まる。

「いやいや、俺はちょちょっと話をしただけだ。その新技術の開発に、知り合いが携わってたってだけで、俺が感謝されることじゃあねぇよ」


 その知り合いというのは、ヴェルドットに出稼ぎに行っているアスカ村の住人だ。フェザントが子守をしたこともあるその若者が、ヴェルドットで冷却船の開発に携わったうちの一人だった。

 ヴェルドットからクウェイルの領地に氷を運び、この領地の果物をヴェルドットへ──その提案は、そろそろ実践段階に移るというタイミングもあって、ヴェルドット側にも魅力的に映ったらしい。

 これから正式に交渉していくことになるのだろうが、とりあえずこの手紙を渡したことで、何の接点もなかったクウェイルの領地とヴェルドットに繋がりができたことは確かだ。


 紹介状を丁寧に仕舞ったクウェイルは、代わりに引き出しから「前祝いだ」と少し強めの酒を出してきた。

「お、いいのか?こんなところで」
「子守に戻る前に、ゆっくり呑んでいけ」

 クウェイルにも、フェザントが一人で抜けてきた理由が読めていたらしい。苦笑いしながら、フェザントはありがたく杯を受け取る。

「ヘロンが大人しいかと思いきや、まさかアスカがあんなにはしゃぎっぱなしとはな」
 船旅の間、ずっとハラハラ後を付いて回って、フェザントの足と心はなかなかに限界だった。

 そう愚痴をこぼしてはいるがフェザントは、子どもらしいアスカの行動や表情に、安心している一面もある。

 そして思い出すのは、アスカ村を発つ前にラサージェ夫妻と話し合った時間だ。



***
「いいのかい?」
 フェザントが聞くと、ラサージェはまだ未練を見せながらも「その方がいいと思うのです」と頷く。

 いきなり「一緒に行きたい」と言い出したアスカにも驚かされたが、それ以上にフェザントは、それを簡単に許したラサージェ夫妻に憤っていた。

 しかしこうして対面してみると、決して『簡単』ではなかった複雑な胸の内が伝わってくる。


「アスカがこんなお願いをするのは初めてですし、叶えてやりたい。それに……このままアスカを、この国に閉じ込めてしまってはいけないのではないか、と」
「閉じ込めるって……」
「ドワーフ王国はそのつもりでしょう?」

 王弟に裏切られたラサージェ夫妻は、故国そのものが信じられなくなっていた。
 だがフェザントは、その疑惑を否定してやれない。

「そう、だろうな。国はいずれ、アスカをどうにか利用したいと思ってる節がある。……まあ分からないでもないがな。また誰かがアスカを担ぎ出して、王家にケンカでも売る前に、先に自分たちの側に取り込んでおきたいんだろう」

「そうなった時、また私たちの存在が、アスカの負担になる。あの……王弟に脅された時からアスカにとって私たちは、守ってもらう大人ではなく、守らなければならない存在になってしまっています」

 アスカの大人びた表情を思い返し、そうかもしれないとフェザントの口の中に苦いものが広がる。一足飛びに大人にならざるを得なかったアスカは、もう無邪気に親の庇護下にいられないのだ。

 ラサージェとアスカが、このままアスカ村で普通の家族として暮らしていくことがどれほど難しいか、フェザントにもようやく見えてきた。

 しかしそれでも、一緒に暮らすことで関係を修復した方がアスカにとってはいいのではないかと、家族を亡くしたフェザントは思うのだ。

 それを素直に伝えたところ、ラサージェは泣き笑いのような表情になっていきなりフェザントの手を握る。

「あの子はただ一人の、純血のドワーフなのですよ。世界にとっての重要人物です。それならば……もっと広い世界を知るべきです」
「広い、世界を……」
「自分にできないことを、あなたたちに丸投げするようで情けないのですが……あなたになら……いえ、あなたたちになら、アスカを安心して預けることができます……!」

 どうぞ、アスカのことをよろしくお願いします、と深々と頭を下げられて、フェザントは完全には納得できないながらも、その手を握り返した。


***
 旅に出てからのアスカは、次第に年相応の無邪気さを取り戻している。
 初めて見る海に目を丸くし、船上の生活に戸惑い、船員たちとおっかなびっくり話し、仲間たちとも打ち解けて──わがままを言ってフェザントを困らせたり、ヘロンと一緒になってイタズラを仕掛けてきたり、できないことは素直に頼ったり。

 それを見るにつれて、この選択は間違いではなかったとフェザントにも思えるようになってきた。


 そしてアスカの存在は、フェザントの選択にも影響を与えている。

 フェザントがこの一行に加わったのは、家族を亡くした家でひとり暮らすことが辛かったからだ。
 現実から逃げるように村を出て、広い世界を知って、賑やかな仲間と過ごして──乗り越えて戻った故郷は、フェザントを温かく迎えてくれた。

 もう、旅を続ける理由がなくなっていたのだ。

 だがそれを思案する前にアスカを託されたから、なし崩しに旅に出ることになってしまった。決断を先送りにできたフェザントは、どこかで安堵している。


(もうしばらくは、子守役に専念しようかね)
 久しぶりの静かな酒盛りを愉しむつもりが、こうしてアスカの顔を思い浮かべている自分に苦笑して、フェザントは思い切りよく酒を煽った。


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