ダブルドリブル

春澄蒼

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 ピーッ!

 ホイッスルが響き、ボールの音が止んだ。
「チームチェンジ!CチームとD、準備して!」

 日野先輩の声で、俺はコートを出る。汗だくだ……交代で入る滝にタッチし、ドリンクを配る雪ちゃんに近づく。
 雪ちゃんはみんなにボトルを渡し終わると、すぐにモップを持ってコートに向かった。

「働くね~」
 俺がぼそっと言うと、「大助かりだよ」日野先輩が何か書きながら言う。
「雪ちゃん、がんばってるよね」

「おぅ!……最初はさ……」
 やっと書き終わったのか、顔を上げて、俺の方じゃなく雪ちゃんの方に視線を向けた。
「『バスケのことなんて全然知らない』なんて言ってたけどさ、あれは謙遜だったな」
「?そうなの?雪ちゃん、バスケなんて、俺たちの練習試合くらいしか見たことないって言ってたけど……」
「まじで?……じゃあ覚えたのかな?ルールは完璧に入ってるぜ」

 ──いや、マネの話が来てから覚えたわけじゃないだろうな……健気だよな……。

 たいていバスケ好きってやつは、海外の選手とか派手なプレーとか、それかマンガでハマることが多いけど、ルールは実際にやらなきゃ覚えられない。すぐ変わるし。
 雪ちゃんは、俺の試合を見るためにルールを覚えたんだなっていうのが、すぐ分かった。

「初日はさ、ちょっと心配だったんだよね。俺、あの子のことよく知らないし。パッと見、気が弱そうだし、おどおどしてたし」
「雪ちゃんは、はっきりしてるよ。どっちかっていうと気が強いと思うし」

 日野先輩の言い方にムッとしたのが、自分でも意外だったけど、なんか気に障った。
「だから、『初日は』だって。……お前、本当に水上のこと気に入ってるのな」
 先輩も、俺の機嫌が下がったのが意外のような、面白がるような顔になる。

 まだ5月だっていうのに、日中はもう暑い。空気の入れ替えに、ドアを開ける雪ちゃんの横顔を、日差しが照らす。

「こういうの慣れてないんだろ?確かに最初はいちいち指示出さないといけなかったけどさ、1回言ったことは忘れないし、部員の名前もすぐ覚えたし、分かんないことはちゃんと聞きに来るし、2日目にして俺より働いてる」
 フッと笑って、「大助かり」とまた言う。

 確かに予想以上に、なんて言うと雪ちゃんに失礼だけど、本当に思っていたより早く『マネージャー』になっている。
 自分では、『気がきかない』なんて言ってたけど、向いてるんじゃないかな。
 名前だって、2、3年はもう覚えたっぽいし。1年も半分くらいは分かるんじゃないかな。すごいよね。俺なんかまだ全くなのに。

「っしゃ!次行くぞ!」
 日野先輩が隣で大声出すから、ちょっとのけぞっちゃった。

 俺は次は休み。ボトルを回収して、それが入ったカゴを持ち上げようとするのを、雪ちゃんの手から奪って、「一緒に行こっか」と言うと、「1人で大丈夫!」なんてカゴを取り戻そうとするから、強引に先に持って行く。
「どうせヒマだし。どこで作ってんの?あっちの水道?」
「……ありがと」

 雪ちゃんのいいトコロはこの素直さだよなー。あんまり遠慮されてもこっちが困るし。
 雪ちゃんは手際よくボトルの飲み口を洗っていく。そいえば俺、ドリンク作ったことないかも。いつも日野先輩が用意してくれてるし。

「雪ちゃん、これ、粉って全部入れていいの?」
「えっ?待って!そんなに入れちゃダメ!」
 そうなの?マネ2日目の雪ちゃんに教わってやっと要領が分かってきた。
「へー……こんな目分量っていうか、中途半端な量だね」
「……いちいち計ってないから……もしかして薄かった……?」
 心配そうに聞かれるけど、うーん……「別に違和感なかったから、大丈夫じゃない?」
 俺の返事は心配を完全に晴らせなかったみたい。
「……ちゃんと役に立ってる……かな……?」
 雪ちゃんの悪いトコロは自己評価が低いとこだね。
「なに言ってんの!さっきも日野先輩と褒めてたとこなのに!」
「……本当……?」
「ホント!むしろがんばりすぎなくらいだと思うんだけど!」

 水が流れる音が、遠くから響くみんなの声に重なっていく。
「なら……いいんだけど……本当に言われたことしかできないし……日野先輩の負担がかえって増えてるんじゃ……」
「ストーップ!ネガテイブ禁止!それ以上言うと、卑屈っぽいよ!」

 笑って言ったけど、本音だとちゃんと分かったのか、言葉に詰まる。
「あのねー、もっと楽しんだ方がいいよ。真面目なのはいいことだけどさ、部活なんだし」
「……部活なんだから、真面目にやらなきゃいけないんじゃないの……?」
「えー?部活なんて楽しくなきゃやらないでしょ?」
「……そういうもの?」

 なんか、俺と雪ちゃんとでは『部活』に対する認識が違うみたい。楽しくないのにこんな汗だくになるまでやるなんて、ただのドMだと思うけど……?
「そ。楽しも。そうそう!笑顔!雪ちゃん、全然笑ってないでしょ!」

 そっか。なんか雪ちゃんのこと気になってたのはそれだ。一生懸命すぎて、笑っちゃいけないって自分を抑え込んでいるみたい。
「ほら、笑顔!」
 そう言いながら雪ちゃんの口角を上げようと顔に手を伸ばすと、ぎくっとして一歩後ずさった。
 ムッ!昨日から……

「雪ちゃん、俺のこと避けてない?」
「えっ?」
「だってさ、」
 俺は昨夜のできごとを思い出す。



 床一面に敷き詰められたふとん。
 部屋は長方形で、窓側に8組、ドア側にも8組、枕を部屋の真ん中に向けて並べてあった。

「俺ぜっっったい端っこ!人が隣にいると寝らんないの!」
「いや!端は俺だ!お前去年もぐーぐー寝てたろうが!」
「待て待て!ここは公平にじゃんけんで……」
 俺と滝はさっさと窓側隅のふとんに寝転がった。
「まぁまぁ、どこでもいいじゃん」
「お・ま・え・ら~!1番いい場所を勝手に取っといて!どけ!これからじゃんけん大会だ!」

「お前らうるさい!」
 じゃ~んけ~ん……!と何人かが言い始めたところで、監督と話していた日野先輩とキャプテンが戻ってくる。
「場所なんてどこでもいいだろ!どうせお前ら爆睡なんだから」
 なんて言いながら日野先輩は、滝がいる1番端のふとんに無理やり座り、「ちょっと1つずれろよ」なんて横暴を発動する。

「お前、ずるいじゃねーか!」
 他の3年生が口々に非難するが、「うるせ!俺はお前らより先に起きる予定なんだぞ!俺を真ん中に寝かせて、朝踏まれてもいいっていうのか!?」
 そう一喝すると、みんな大人しくなる。
 日野先輩なら本当に踏んでいくからな。
 みんなやり取りに満足したのか、次々ふとんに潜り込んでいく。

 そんな中、雪ちゃんは余ったところでいいと思ってるのか、まだ動いていなかったから、ちょいちょいっと手まねきして、俺の隣、滝じゃない側のふとんをポンポンと示す。
 でもブルブル頭を振って後ずさるから、もう一度手まねきした。
 それでもまた頭を横に振って、
「あ!ねぇ」
 近くで騒いでいた2年の小見山たちに話しかけた。
「おう!どうした?って水上、顔が赤いけど、ホントにどうした?」
「っな、なんでも……!ちょっと暑いのかも……それより!僕もちょっと先に起きたいから、ドアに近いところもらってもいい?」
 結局雪ちゃんは、ドアに1番近いところ、日野先輩の反対側に収まったのだった。



「昨日、なんで一緒に寝てくれなかったの?」

 ゴットーン……!あーあ、ボトルが……うん、坂井のだから、いっか。
「ねっ!ねっ……!」
 雪ちゃんが落としたボトルを拾って体を起こすと、わぁ、顔真っ赤。
「へっ、変な言い方しないで!」
「えぇー、だってさーせっかく一緒にお泊まりなのに、なんで隣に来ないのー?それにさ!昨日は、お風呂も後から入ったんでしょ?今日だって起きたらもういないし……一緒にご飯食べようと思ったのに!」

 食堂に行ったら、もう小見山たちと座ってて、さらに!その後だって、一緒に体育館まで行こうと思ったら、もういなくなってた!
 練習中だって、分からないことは俺に聞けばいいし、休憩中なら雑用も手伝うのに!

「やっぱり避けてる!」
「うぅ……」
「……避けてるんでしょ?」

 俺が何回も追及すると、「……ムリ……」ドアは閉まっているのに、コートの声にかき消されるほどのかすかな響きだった。
「……隣でなんて……緊張して眠れない……」
 ──なにこのかわいい生き物……。

「……もしかして……お風呂も俺と一緒だと緊張するとか?」
 これもう限界でしょうってくらいなのに、また赤が深くなった。

 あぁ、雪ちゃん、俺のこと本当に好きなんだな。
 なんか、しみじみとそう思ってしまった。
 いや、今初めて、本当に信じたのかもしれない。

 だってさ、今まで告白してきた子たちと、違いすぎる。
 今までの女の子たちなんて、隙あらば触ってこようとするし、いつも一緒にいたがるし、自分だけを特別に見せようと他の子と争うし。
 俺が誘ったわけでもないのに、勝手にベッドに入ってきたり、勝手に脱ぎだしたり。

 男同士なのに、お風呂が恥ずかしいのか……。
 隣のふとんで寝るのさえ緊張するのか……。

 ……もしかしてこれが『人を好きになる』ってことなのかな……。
 今まで言われた『好き』は1つも信じられなかったけど……。

「……うぅ……ごめん……男同士なのに意識しすぎで……き、きもちわるい……かな……?」
 俺が黙ったのを気にしてしまったみたい。たぶん真顔になってたし。
「ぜーんぜん。気持ち悪いなんて思わないよ」

 それどころか、かわいいと思ってるよ。これはまだ言わないけど。

「そっかぁ、それなら、お風呂とふとんはあきらめよっと」
 雪ちゃんは俺の軽い口調にほっとしたみたい。

「そのかわり!他の時はいいでしょ?」
「え?」
 うん。さすがの俺もこれを聞いて、普段通りにはできなそうだし。

「ご飯食べたり、移動とか、あと、こういうのも」
「こういうの?」
「そ。手伝いなら俺に声かけて。分からないことあったら俺が教えるし」
「でも……あんまり流君に頼りすぎるのは……」
「いいじゃん。俺が雪ちゃんを連れてきたんだし、俺が面倒みるの、あたりまえでしょ」
「そうかな……?」
 俺が押し切ると、完全に納得したわけではなさそうだけど、一応うなずいた。

 その後は2人黙って仕事に戻る。

 普段より、2人の間の空気は、張り詰めていたように思う。でもそれは居心地の悪いものではなかった。


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