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第一章 教会潜入編

13 迷える子羊

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 そして景吾として過ごすことその翌日。
 他の孤児と一緒に朝食を食べていると、智哉が私のことをじっとみていた。
 装着したまま食事もできる特殊な顔面マスクだけど、不自然だっただろうか。
 
「僕の顔に何かついてる?」
「ピーマン苦手なんだろ、食べてやるよ」
「助かるよ」
 
 景吾という少年はピーマンが苦手だったらしい。智哉の気が変わらないうちに、ピーマンを皿ごと彼にあげると、私はパンを食べ始めた。
 食事が終わって、食器を片付ける。
 部屋に戻ろうと食堂を出ると、その脇には扉があった。

 あれ? この扉は……!
 館内の構造をある程度知っていたけれど、事前に頭に叩き込んでいた見取り図には書かれていなかった。勝手口にでも繋がっているのかな?
 
「その中に入ったらダメじゃないか」

 急に注意されて、扉の取手を開けようとした私は肩をビクリとさせた。振り返ると、ルームメイトの智哉だった。

「その部屋は前に入って痛い目にあっただろう。忘れたのか?」
 
「そうだったね」と私はごまかす。
 
「鈍臭いな。まったくお前は」
 
 智哉はそう言うと、廊下を歩いていった。
 私は彼の姿が見えなくなったのを見届けると、そっと扉の取手を回す。しかし、鍵がかかっていて開かなかった。
 この部屋、怪しい。

 周囲に人の気配がないことを確認すると、ポケットから針金を出した。
 怪盗の本領を発揮だ。
 ピッキングの要領で鍵を開けて、取手を回した。
 扉がギィィと音を立てて開くと、中には本棚と長机と椅子があった。壁にはお目当ての絵が飾られている。
 SNSに投稿されていた絵と一緒だ。

 絵の裏を覗くと、盗難防止の鍵が取り付けられていた。用心深い神父らしい。それだけでなく罠が仕掛けられている可能性もある。
 長居は禁物だ。ここは一旦引こう。
 ドアに耳を当てて、人の気配がないのを確認してから外へ出て、鍵をかけ直して私は部屋へ向かう。

『葵ちゃん、何かあった?』
 
 通信が聞こえて、誰もいない中庭に素早く出た。
 
「いや、なんでも……。それより、大きな収穫があったよ」と私は言った。

『収穫って?』

「ターゲットの絵のありかがわかったの。教会の中に部屋があって、そこに飾られてた。長机と椅子がある部屋で、おそらく書斎かなにかだと思う」
 
『よくやったね、葵ちゃん!』
 
 澪に褒められると、頑張った甲斐があったなと思った。
 
「今日の深夜二時くらいに忍び込もうと思うんだけど……景吾として寝泊まりしてる部屋から絵をこっそり持ち出すと怪しまれそうだし……」
 
『わかった。夜の内に忍び込めそうな経路を探しておくよ』と澪は即答する。ありがたい。
 「よろしく、澪」と私は言うと通信を切った。

 
 ◇
 
 
 朝の礼拝堂には、前方の席に数人の信者が集まっている。祈りが終わると、神父は聖書を机に置き、手を広げて高らかに言い放った。

「──迷える子羊よ。君たちをあるべきところへ導こう。さあ、悩みを打ち明けなさい」
 
「神父様……。私の息子がどうしようもないバカ息子で……」

 彼女の息子が苦労をかけたのだろう、憔悴しきった女性が手を組みながら神父に助けを求めてきた。神父は頷きながら耳を傾ける。

「奥さんがそんなに気に病む必要はありません。息子さんは我々の手で導いていきましょう」
「はい……」

 女性が神父を見る目は、救世主を拝むようだ。
 話を聞いてもらっただけでも、心が軽くなるのだろう。
 
「神父様、僕の悩みを聞いてください」
 
 次の信者は、薄汚れたTシャツとデニムパンツの少年だった。
 
「いいですとも、話してみなさい」
 
 神父は優しく頷きながら聞く姿勢をとったが、そこで一瞬表情が曇った。

「はい……。高校を中退してから入った職場でパワハラにあってしまいまして……仕事を辞めた今、戻れる場所がありません。少しの間で構いません。僕を居候させていただけませんか」

「それは辛かったでしょう。……助けてあげたいが、君を引き取ってはあげられない。この教会を宿代わりだと思ってほしくないからです。決して意地悪を言っているのではないよ。君は自立した人間に思える。かえって教会の手を借りない方が、良いのかもしれない」

「……っ。僕はダメな人間です。先輩から『使えない人間』と何度言われたかわかりません。このままでは生きていける自信がないのです」

「そうか……。この教会の暮らしは楽ではないよ。自分のことは自分でやるのは当然だ。それでも良いか?」

「はい! よろしくお願いします」

 彼は顔をパッと上げた。
 あれ? この少年の横顔に見覚えがある。
 私は彼を凝視した。
 形の良い眉毛に、まつ毛が長い切れ長の目元。そして、手足はすらっと長く、細身の体型。
 
 ……って、うわ! 同級生の健太じゃないの!
 声を上げそうになったが、なんとか堪えた。
 自称探偵で怪盗ヴェールを捕まえようと躍起になっている男、桐生健太じゃないか! 私は冷や汗をかく。
 
 変装は完璧だと思っていたのに、こんなところで同級生に遭遇するとは。

 ――ということはさっきの話は真っ赤な嘘だ。高校を中退に、先輩から使えない人間呼ばわりとは………健太とは真逆で順風満帆でない人生をでっち上げて、私は笑いそうになった。
 話し方も従順なフリをして、明らかに猫を被っている。それにしてもどうしてここに……。
 
 
「君を歓迎しよう」

 神父は手を広げて、そう言った。
 
「……助けてくださって、ありがとうございます。この場所に出会えていなかったら……」
 
「君みたいな素直な子は大歓迎さ。十八歳を過ぎたらこの施設からは出て行く子が多いけれど、君は自信がつくまで、心を休めると良い」

「ありがとうございます……」

 少年は感極まって泣き始めると、神父はそっと彼の頭を撫でた。
 
「君の名前は?」
浅井寛太あさいかんたと言います」
「寛太くんだね。よろしく」
「よろしくお願いします」

 神父が手を差しのべると、彼はその手をとった。
 
 まずいな……。まさか、怪盗ヴェールが潜入していると情報をつかんでやって来た?
 いや……予告状はまだ出していないから、その線は薄い。健太と関係のある警察からの依頼という可能性もある。
 バレる要素なんて何もないし、大丈夫に決まっている! 自分にそう言い聞かせて平常心を保とうとするけれど、なかなか難しかった。
 
 それからも神父の説教が続き、その場にいる誰もが深く感銘を受けていたが、私はちっとも頭に入ってこなかった。
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