永久に待つ春

三谷玲

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春売

 君を置いて逝く僕を許さないで。

 そう願った僕が悪かったんだ。
 まさか生まれ変わったその先で君にまた出会うとは思わなかったんだから……。


「んっ、あっ、やぁっ、も、イくっ」

 甘い声を上げる僕の背後にいるおっさんが絶頂を迎えた瞬間に僕もまた絶頂を迎えた……フリをする。
 ここはこの王都一の高級娼館、春待楼。僕はそこの一番の売れっ子である。
 こうして毎夜、男に春を売るのが仕事。

「瑛晴、ああ達した後のお前も美しいな」

 太ったおっさんの指が僕の髪を掴み頬ずりをする。今日もうまく誤魔化せたようでなによりだ。
 気怠さを全面に押し出せば後始末もしてくれるから、しどけなく着物を羽織る。

「良い良い、後は自分でやるゆえ、瑛晴はもう休んでおれ」

 そう言っておっさん、萬龍は湯殿へと向かった。
 僕は手元に置いておいた濡れ布巾で粗方拭うと着物を羽織直して緩く帯を締めた。
 金払いのいい萬龍のおかげで今日はもう店じまいだ。萬龍が帰った後、湯を浴びて眠りにつける。
 売れっ子に成ったおかげで大抵は一晩男の相手をすれば十分な稼ぎを得られるようになったのは幸いだ。

 僕が何故この娼館で働くことに成ったかと言えば、よくある口減らしのため。
 3年前の大雪で僕の村は大規模な雪害を受けた。ほそぼそと暮らしていた僕の家族を養うためにも出稼ぎに出るべきだったろうがその頃の僕は12歳になったばかりだったし、農村の生まれにしては線が細く見目も良かったため、両親がこの春待楼へと売ったのである。
 おかげさまで両親と幼い弟妹は無事、この3年間を過ごしていると手紙で聞いていたし、この娼館は格が高いため、無理強いをするような客もおらず、僕は平和な時を過ごしていた。
 12歳の男子が、男に買われる。その事を知ればきっと死ぬほど辛いと思っただろう。

 しかし僕には経験があった。
 生まれる前の記憶の中で、だけど。

 瑛晴という名前はこの娼館に来て自分でつけた名前だ。親が付けてくれた名前よりもよっぽど馴染みがある。なんせ前世の名前を音読みしただけだからだ。
 「瑛晴」と書いて「あきはる」、これが前世の僕の名前。今は同じ漢字でも「えいせい」と読む。
 まさか自身の身に異世界転生などというファンタジックなことが起きるとは、小説家だった僕にも予想出来なかった。

 思い出したのは3年前、この王都の門をくぐった時だった。
 数年来、天候は不順であり特に僕が生まれたころからずっと、寒波に襲われていた。夏でも単衣を数枚重ねなければならないほどで冬は綿を入れた袍がなければ凍死するだろう。
 それくらい寒い日々を過ごしていたが王都に近づくにつれ気温は上がり、門をくぐる段になっては袍を着ていると汗ばむほどの陽気だった。
 袍を片手に抱えてそびえ立つ王都の門を見上げた。青空なんて初めて見た僕は驚きのあまり上を向いたままその門をくぐった。
 大人の足で50歩ほどの門の天井は弧を描き、そこには黄色い龍がいた。
 この国には龍が居る。実際にいる、らしい。見たことはない。
 その龍が眼前に大きな口を開けて僕を見下ろしているのを、只管見つめながら歩いていた。
 すると突然に頭の中に、今までの自分の記憶ではない記憶の渦が一度に押し寄せ、そして同化した。
 門を抜ける頃にはその全てが自分の記憶であることを理解していたし、ここが元の世界とは違う世界だということも理解した。
 つまりは異世界転生なのだと。
 小説家の端くれとしては、そんな馬鹿なと思わなくもない。
 もっとこう、倒れるだとか熱を出すとかあるのだろうと。しかしそんな予兆もなく体調も頗る宜しく、前を歩く女衒(で良いのか分からないがいいだろう)に置いていかれないよう歩いていた。

(そうか、転生したのか……どうせなら自分の書いた小説の中が良かったな。そしたら……)

 12歳にして落ち着きを身に着けた僕に春待楼の楼主である驪蘭は困惑した表情を一瞬だけ見せた。しかしそれはほんの一瞬で、僕の決意を理解したのか驪蘭に一から仕込まれた僕が床に上がったのはたった三ヶ月後だった。

 あれから3年。15歳の僕は今や春待楼の一番の売れっ子であり、王都の娼館の中でも最上位の男娼へと成り上がった。
 娼婦を差し置いて男娼の僕が最上位であることにやっかみはあったが、この国では同性婚も可能なためか直接の被害に遭遇したことはない。 
平和な時を過ごしていた。過去を思い出すことを除いては……。

 湯殿から上がってきた萬龍は今夜もここに泊まることなく屋敷へと帰宅のために身支度を整えていた。まだ床上げ前の小童達にその支度を手伝わせながら僕を口説く様は滑稽だ。

「瑛晴や、今はまだ時ではないがいずれ身請けしてやるから待っておれ」
「わたくしにはもったいないお言葉、ありがとうございます」

 目を伏せて憂いを帯びた表情を見せれば勝手に誤解するだろう。一言も頼んでいないし、喜んでもいないのが分かる男ではない。
 萬龍は名の通り龍王王家の一員だが、家格は低く、また彼自身も能力がないのだろう。龍王の眷属には選ばれていない。
 この国の王は龍王と呼ばれ彼の眷属、つまりは神と同格の龍王のその使者として任命されたものにより統治されている。
 その下に、王家やそれに連なる貴族階級が大多数の庶民を支配していた。
 僕からすればただの太ったおっさんも、王家の一員であるため支配者階級である。彼が否といえば僕の首等すぐ飛んでしまう。
 媚諂うことはしないまでも、彼の機嫌は取っておくに限る。

 それに、男の寝物語ほど、信用のできないものはない。
 帰宅の途に就く萬龍を見送ると、僕は入れ替えてもらった湯殿ヘと足を運んだ。
 大きな壺のような湯船に身体を沈めると、ふと思い返すのは最期の時。


 人通りの多い通りを避けて細く暗い道を歩いているときだった。イヤホンから流れる曲が彼を思い出させて足を止めた。
 腰のあたりに衝撃を受けて思わずふらついた僕に更に追い打ちを掛けるように肩に痛みが走る。
 崩れ落ちるように倒れた僕に女が跨った。手に持っているのは血まみれのナイフ。それを振りかざしながら彼女が叫んだ。

『貴男が悪いのよっ! 貴男さえ、貴男さえいなければ! 』

 そう言って数度振り下ろされたナイフ。頸動脈を掠めると吹き出す血しぶきを見て彼女はやっと我に返ったのか顔を蒼白にした。

(あ、さっきの人……彼といた、あの女の人……)

 小説家になって10年、売れない作品ばかりを書いていた僕に訪れた転機により、プチブレイクを果たした僕は出版社の打ち合わせの帰りに彼の職場へと向かった。シリーズ四作目の構想を担当とすり合わせし、ゴーサインが出たところだった。
 早く彼に伝えたくて、待ち合わせ時間よりも早くに辿り着いたのが良くなかったのだろう。
 彼は女性と二人、談笑していた。
 小雪の舞い散る中スーツ姿の彼は高い背丈を少しかがませ彼女に何事か語ると、彼女は頬を赤らめて微笑んだ。
 まるで似合いのカップルのようなその姿に僕は打ちのめされた。
 見下ろせばあまりにも見すぼらしい自分の普段着姿がやけに汚れて見えた。
 今日の打ち合わせのために寝食を削っていたことは小説家としては致し方ないにしても、恋人に逢うための衣装としては不十分なその姿。
 ただでさえ辛気臭く垢抜けない僕の顔をより一層曇らせた。

(もしかして、奥さんだったりして……)

 そう思ってしまうとさっきまでの浮ついた気持ちが一気に下る。
 恋人と呼べる関係にあることに間違いはないが彼には妻がいた。ゲイで不倫だなんてと心にわだかまりはあれど、彼を好きになってしまったことに悔いなどなかったが、彼女を見てしまうとやはり自分は身を引くべきなのではないかという思いが去来する。
 その場を小走りに逃げ出して家路を急ぐ。イヤホンをして外界を遮断して、冷静に、冷静になるんだと言い聞かせる。
 そんなタイミングで襲われた。

 意識が薄れかけていた僕の身体から重みがなくなって、なんとか目を開けると彼女は居なかった。その代りに僕のうつろな目に映ったのは彼だった。

『あきっ! 瑛晴! ダメだ、目を閉じるな! 俺を見ろ、分かるな? 』
『た……き……ごふっ』

 彼の名を紡ごうとした口から血が溢れ出る。伝えたい言葉は後から後から溢れてくるのに、刺された身体はそれを許さない。
 せめて、最期は彼の顔を見て逝きたい。それなのに瞳からは涙が溢れ、彼がぼやける。
 3月も半ばが過ぎたにも関わらず、さっきまでの小雪が嘘のように大粒の雪が空から降っていた。

(愛してる。ごめん、愛してるんだ。だから君を置いて逝く僕を許さないで。君を一人にする僕を許さないで。もう疲れたんだ……君を見送る一人の部屋に、君が訪れるのを待つ一人の部屋に、君の残り香のする部屋に一人で居るのに。もう終わりにしたい。君を、好きでいることも……だからこんな最期になったからには、僕を忘れないで……愛してくれなくてもいいから、忘れないで)

 酷く傲慢な僕の最期の思い等通じるわけがないと分かっていても願って止まない。
 自嘲する僕の口端が持ち上がるのと、僕の命が尽きるのは、ほぼ同時だった。

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