世界の終わりに、想うこと

鈴木りんご

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19話「エデン」

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               白石しらいし かえで 二十九歳



 世界の命運は、俺の双肩にかかっている。

 終焉の時は目前に迫っていた。おそらくそれを止められるのは俺だけだ。しかし俺は特別な力を持ち合わせているわけではない。ただ俺はこの世界の秘密を知っていた。

 俺には一つ趣味がある。暗号解読だ。子供の頃、数学教師だった父が作ってくれた数字のパズルがきっかけだった。それから俺は暗号解読にはまっていた。数式の証明、ネットワークシステムのハッキング、古代の言語の解読など暗号解読に類することは手当たり次第にやった。

 そんな俺が数年前にチャレンジしたのが、グリモワールだった。グリモワールとは魔術書。悪魔や精霊、天使を召喚して願いを叶えるための手順や、そのために必要な魔法陣、印章のデザイン、呪文が記されている書物。俺は中世ヨーロッパで流行った魔法を解読してやろうと試みたのだ。

 そして成功した。一部ではあるが魔法を解読し、俺は魔法使いになった。

 そもそも魔法とは不思議な力ではなかった。簡単に言えば魔法はチートだ。それはコンピューターゲームでシステムを改竄し、本来とは異なる動作をさせるのと同じような行為だった。

 コンピューターゲームと同様に、この世界にもシステムが存在する。空気は水より軽く、水は上から下へと流れる。光は秒速三十万キロで、地球は一年かけて太陽の周りを回る。そんな多くの世界を構成する理。その全てがシステムによって構築された決まりごとだ。そのシステムを改竄し、自分の都合のいいように決まりごとを改変させる技術、それが魔法と呼ばれたものの正体だった。そして魔法を使うための不思議な記号や呪文こそがこの世界のシステムを構成する言葉。コンピューターでいうところのプログラム言語なのだ。

 聖書のヨハネの福音書にも記されている。「初めに、言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」

 俺はこの世界を形作る、言葉の一部を手に入れたのだ。

 そして、ここで一つの仮説が生まれる。この世界は言葉で出来ている。そしてその言葉を用いて綿密に組まれたシステムが存在する。と、いうことはだ……この世界は高度なコンピューターの中に存在しているという可能性もある。

 まぁでも、そのへんはどうだっていいことだ。見上げる空の彼方。宇宙の最果て、深淵のその先にいったい何があろうと俺には関係ない。そこが鉄の壁で囲まれていたっていっこうにかまわない。俺はこの世界で生きている。そして俺の大切な人たちもまたこの世界に生きている。俺の有する財産も、俺の求める未来も、全てはこの世界と共にある。大切なことはそれだけだった。

 そして今、その世界が絶体絶命の危機にさらされていた。そこで世紀の大魔法使いである俺様の出番というわけだ。

 すでに俺は近所のビルの屋上で、魔法陣の製作準備を始めていた。魔法陣と言ってもオカルト映画のように血液で描く必要はない。普通の油性ペンやペンキで充分だ。

 ただ一つ問題があった。それはこの世界に降りかかる災厄にどう対処するかだ。魔法と言っても全てを思い通りに操ることが出来るわけではない。管理者権限のない俺には魔法で新しい決まりごとを作ることは出来ない。俺に出来ることは、すでに存在する決まりごとの一部を改変すること。では、どんな方法がいいだろう。地球の公転のスピードを上げれば、やり過ごせはそうな気はする。ただ問題なのは、そんなことをしたら地球上に大きな被害がでる可能性もあるということだ。はっきり言って、俺には全く想像がつかない。

 だったらもっと安全そうな手段はないだろうか。そもそも魔法陣を描く必要があるため、向こう側をどうにかするという手段が取れないことが痛い。そうなるとやはり公転の速度を上げることが一番現実的だろう。災厄も迫っている。もう考えている時間はあまりない。

 俺は決意を固めて、魔法陣を描き始めた。久しぶりに手書きなので緊張する。魔法陣の五芒星は角度や比率などかなりの正確さが求められる。そのため最近は、パソコンで魔法陣を製作し、紙に印刷して魔法を使っていた。古来日本に存在していた魔法使い、陰陽師の用いた呪符の要領だ。        

 しかし今回はあまりに急で用意は出来なかった。それでもやるしかない。

 魔法を使うにあたって魔方陣は重要だ。魔法陣を描くことはパソコンで言えばコマンドプロンプトを起動させること。魔法陣を描くことでシステムにつながるドアが開くのだ。

 そしてその魔方陣が大きければ大きいほど権限も大きくなる。

 だからこそ俺はこのバカみたいに高くて広いビルの屋上に来た。

 描き始めてからだいたい十分ほどで魔法陣は完成した。

 俺は魔方陣の上に立って、空を見上げる。すでに災厄は視界に迫っていた。空が燃えるように紅く染まっている。隕石はもう目の前だった。

 俺は呪文の詠唱を始める。世界が俺の言葉によって加速する。その衝撃で体が右に強く引っ張られた。

 危ない。そう思ったときには、すでに俺の体は宙に舞っていた。

「うわぁぁーーー!」

 叫び声を上げる。

 その瞬間、衝撃と共に異変を感じた。ゆっくりと辺りを見回す。俺はベッドの下にいた。そして全てを悟った。

 今のは夢だ。

 ベッドの中に戻り、掛け布団を整えながら時計を確認する。すでに十一時を回っていた。

「しまった。遅刻だ」

 そうつぶやき、ベッドから這い出そうとして思い出す。今日は土曜日だ。そうとわかると急に眠気が戻ってきた。うん。二度寝しよう。それにしても今見ていた夢はなかなか面白い夢だった。最近やっていたゲームと、昨日寝る前に見ていた映画が混ざったような内容だった。

 そんなことを考えていると、何か声が聞こえてきた。俺は耳を澄まし、声のする方に視線を向ける。テレビがつけっぱなしだった。昨日の夜、テレビを見ながらそのまま寝てしまったのだろう。

 ニュースをやっているようだが気にすることなく、リモコンでテレビを消す。これで静かになった。

 よし、もう一眠りだ。布団の中に潜り込む。二日前に押入れから引っ張り出したばかりの冬用の厚い掛け布団。この何とも言えない重厚感と、シルクのカバーのつややかな感触がたまらなく心地いい。まどろむ布団の中はまさに楽園だ。

 そして今日は土曜日。土曜日は最高だ。今日も休みで明日も休み。それに今日は予定もない。何時までとか、後どれくらいなどという俺を縛る制約は存在せず、心おもむくままに好きなだけ寝ることが赦されている。今日の俺はアダムとイヴのようにこの楽園から追放される心配はない。

 さぁ、今度こそ二度寝と洒落込もう。二度寝ほど贅沢で甘美な時間は存在しない。

 そして俺は目を閉じた。しかしそのときだった。わずかにもたげた尿意が楽園との離別を誘う。これは決して瑣末な問題ではない。今はまだほんの小さな問題でしかなかったとしても、後に大きな問題へと発展することが予測された。

 どうするべきだろう。今解決してしまうべきか、それとも未来の自分へと問題を先送りにしてしまおうか……

 あぁ……駄目だ。まぶたが鉛のように重く、目を開くことは叶わない。言葉巧みにトイレへと誘う蛇の誘惑も、この眠気の前では何の意味もなさない。

 寝よう。もう選択の余地は残されてはいない。このまま抗うことなく、眠りに落ちよう。せっかくだからさっきの夢の続き、解決編が見られたらいい。

 それでは、おやすみなさい。
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