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第14話 溢れる想い
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人混みをかき分け、俺は陽菜の前に立った。友人たちとの会話が途切れた一瞬。陽菜は、俺の姿を認めると、驚いたように少し目を見開いた。
「……湊? どうしたの?」
その声は、まだ少し震えているように聞こえた。周囲の喧騒が、嘘のように遠のいていく。俺は、自分の心臓の音がやけに大きく響くのを感じながら、言葉を絞り出した。
「……陽菜。ちょっと、話があるんだ。二人だけで」
俺の真剣な声色に、陽菜は戸惑ったような表情を見せた。隣にいた莉子が「えー、何々? 告白?」と茶化すように言ったが、今の俺にはそれに反応する余裕はなかった。陽菜は、数秒間、俺の目をじっと見つめた後、小さく頷いた。
「……うん。わかった」
俺たちは、友人たちの好奇の視線を感じながら、その場を離れた。体育館の喧騒を抜け、渡り廊下を歩き、校舎の裏手にある中庭へと向かう。卒業式の今日、この人気のない場所に来る生徒はほとんどいなかった。冬枯れの芝生と、葉を落とした木々が、午後の弱い日差しの中に静かに佇んでいる。まるで、この空間だけが世界から切り離されてしまったかのようだった。
どちらからともなく足を止め、向き合う。陽菜は、不安そうに俺の顔を見上げていた。何を言われるのだろう、という緊張が、彼女の表情を硬くさせている。
俺は、ゆっくりと背負っていたリュックを下ろし、中からLumina Vision Classic 2を取り出した。ずしりとした重みが、震える手に伝わる。
「……カメラ?」
陽菜が、訝しげな声を上げた。
「ああ」
俺は頷く。
「最後に、一枚だけ。撮らせてほしいんだ。卒業の、記念に」
陽菜は、さらに戸惑ったようだった。けれど、俺の真剣な眼差しに何かを感じ取ったのか、小さく息を吐くと、「……分かった」とだけ言った。
俺はカメラを構え、ファインダーを覗いた。フレームの中に、陽菜の姿が収まる。淡いピンク色のワンピース。少し赤くなった目元。無理に作ろうとしている、ぎこちない笑顔。ピントリングを回し、彼女の瞳に焦点を合わせる。綺麗だと思った。けれど、同時に、胸が張り裂けそうに痛んだ。
シャッターに指をかける。息を止める。けれど、押せない。
ファインダーの中の陽菜は、まるで壊れかけの硝子細工のように見えた。今、シャッターを切ったら、彼女のその脆い均衡が、粉々に砕けてしまうような気がしたのだ。
俺は、ゆっくりとカメラを下ろした。そして、陽菜の目を、今度は自分の裸眼で、まっすぐに見つめた。
「陽菜……」
声が、震えた。
「俺……ずっと、お前のことが、好きだった」
陽菜の目が、驚きに見開かれる。
「え……?」
「気づくのが、遅すぎた。お前が蓮と付き合うって聞いて、それで、やっと……自分の気持ちに気づいたんだ。最低だって、分かってる。今さらだって、分かってるけど……でも、どうしても、伝えたかった」
練習した言葉なんて、どこかへ吹き飛んでいた。ただ、心の奥底から湧き上がってくる、不器用で、正直な言葉を紡ぐ。
「お前が隣にいるのが、当たり前だと思ってた。お前の笑顔も、怒った顔も、泣き顔も、全部、俺だけのものだって、勝手に思い込んでた。……ごめん」
陽菜の大きな瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ち始めた。彼女は、何も言えず、ただ首を横に振るばかりだった。
「蓮とのこと、聞いた時、本当は、祝福なんてできなかった。嫉妬した。悔しかった。……でも、それ以上に、お前が、俺の知らないところで、どんどん変わっていくのが、怖かったんだ」
言葉が、堰を切ったように溢れ出す。
「最近、お前が無理してるのも、辛そうなのも、気づいてた。なのに、何もできなかった。声をかけることすらできなかった。……本当に、ごめん」
俺が言い終わると、中庭には、陽菜の静かな嗚咽だけが響いていた。彼女は、俯いたまま、小さな声で話し始めた。
「……ううん。湊が、そんな風に思ってくれてたなんて、全然、知らなかった……」
しゃくり上げながら、陽菜は続ける。
「嬉しいよ。湊の気持ち、すごく嬉しい。……でも、ごめん。私は、湊の気持ちには、応えられない」
その言葉は、予想していたものだった。けれど、実際に聞くと、鋭い刃物で胸を抉られるような痛みが走った。
「それに……」
陽菜は、涙で濡れた顔を上げた。その表情は、苦しみに満ちていた。
「私、蓮のこと、もう、よく分からないんだ……。好きだって、信じたい。ずっと一緒にいたいって思う。でも、時々、すごく不安になる。連絡がなかったり、他の子と仲良くしてたりするのを見ると、捨てられちゃうんじゃないかって、怖くて……」
それは、俺が今まで見たことのない、陽菜の弱さだった。
「湊の前だから、正直に言うけど……私、結局、一人になるのが怖いだけなのかもしれない。誰かに必要とされたいだけなのかも……。蓮が優しいから、キラキラしてるから、それに縋ってただけなのかもしれない……」
自己肯定感の低さ、承認欲求、依存心。彼女が抱える内面の脆さが、涙と共に吐き出されていく。
俺は、ただ黙って、陽菜の言葉を聞いていた。彼女の痛みや混乱が、痛いほど伝わってくる。かけるべき言葉なんて、見つからなかった。けれど、ただ一つだけ、伝えなければならないことがあると思った。
「……陽菜」
俺は、静かに呼びかけた。
「それが、陽菜の本当の気持ちなら、ちゃんと、向き合うしかないんじゃないか?」
「……え?」
「蓮とのこと、陽菜自身の気持ちのこと。誰かのせいにするんじゃなくて、陽菜がどうしたいか、だよ。……逃げないで、ちゃんと話してみるしかないんじゃないか?」
それは、自分自身に言い聞かせている言葉でもあった。
陽菜は、俺の言葉に、はっとしたように顔を上げた。涙はまだ止まらないけれど、その瞳の奥に、何かが宿ったような気がした。迷いを振り払おうとするような、何かを決意したような、そんな複雑な表情。
その瞬間、俺は無意識に、再びカメラを構えていた。
ファインダー越しに見える陽菜は、涙に濡れながらも、凛とした強さを感じさせた。壊れかけの硝子細工なんかじゃなかった。傷つきながらも、自分の足で立とうとしている、一人の人間だった。
カシャン。
シャッター音が、静かな中庭に響き渡った。
モノクロフィルムに、陽菜の、その瞬間の『真実』が焼き付けられた、という確かな手応えがあった。
シャッター音の余韻の中、俺たちはしばらく、何も言わずに見つめ合っていた。重苦しいけれど、同時に、何か大きなものが流れ去った後のような、不思議な静けさが、そこにはあった。
「……湊? どうしたの?」
その声は、まだ少し震えているように聞こえた。周囲の喧騒が、嘘のように遠のいていく。俺は、自分の心臓の音がやけに大きく響くのを感じながら、言葉を絞り出した。
「……陽菜。ちょっと、話があるんだ。二人だけで」
俺の真剣な声色に、陽菜は戸惑ったような表情を見せた。隣にいた莉子が「えー、何々? 告白?」と茶化すように言ったが、今の俺にはそれに反応する余裕はなかった。陽菜は、数秒間、俺の目をじっと見つめた後、小さく頷いた。
「……うん。わかった」
俺たちは、友人たちの好奇の視線を感じながら、その場を離れた。体育館の喧騒を抜け、渡り廊下を歩き、校舎の裏手にある中庭へと向かう。卒業式の今日、この人気のない場所に来る生徒はほとんどいなかった。冬枯れの芝生と、葉を落とした木々が、午後の弱い日差しの中に静かに佇んでいる。まるで、この空間だけが世界から切り離されてしまったかのようだった。
どちらからともなく足を止め、向き合う。陽菜は、不安そうに俺の顔を見上げていた。何を言われるのだろう、という緊張が、彼女の表情を硬くさせている。
俺は、ゆっくりと背負っていたリュックを下ろし、中からLumina Vision Classic 2を取り出した。ずしりとした重みが、震える手に伝わる。
「……カメラ?」
陽菜が、訝しげな声を上げた。
「ああ」
俺は頷く。
「最後に、一枚だけ。撮らせてほしいんだ。卒業の、記念に」
陽菜は、さらに戸惑ったようだった。けれど、俺の真剣な眼差しに何かを感じ取ったのか、小さく息を吐くと、「……分かった」とだけ言った。
俺はカメラを構え、ファインダーを覗いた。フレームの中に、陽菜の姿が収まる。淡いピンク色のワンピース。少し赤くなった目元。無理に作ろうとしている、ぎこちない笑顔。ピントリングを回し、彼女の瞳に焦点を合わせる。綺麗だと思った。けれど、同時に、胸が張り裂けそうに痛んだ。
シャッターに指をかける。息を止める。けれど、押せない。
ファインダーの中の陽菜は、まるで壊れかけの硝子細工のように見えた。今、シャッターを切ったら、彼女のその脆い均衡が、粉々に砕けてしまうような気がしたのだ。
俺は、ゆっくりとカメラを下ろした。そして、陽菜の目を、今度は自分の裸眼で、まっすぐに見つめた。
「陽菜……」
声が、震えた。
「俺……ずっと、お前のことが、好きだった」
陽菜の目が、驚きに見開かれる。
「え……?」
「気づくのが、遅すぎた。お前が蓮と付き合うって聞いて、それで、やっと……自分の気持ちに気づいたんだ。最低だって、分かってる。今さらだって、分かってるけど……でも、どうしても、伝えたかった」
練習した言葉なんて、どこかへ吹き飛んでいた。ただ、心の奥底から湧き上がってくる、不器用で、正直な言葉を紡ぐ。
「お前が隣にいるのが、当たり前だと思ってた。お前の笑顔も、怒った顔も、泣き顔も、全部、俺だけのものだって、勝手に思い込んでた。……ごめん」
陽菜の大きな瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ち始めた。彼女は、何も言えず、ただ首を横に振るばかりだった。
「蓮とのこと、聞いた時、本当は、祝福なんてできなかった。嫉妬した。悔しかった。……でも、それ以上に、お前が、俺の知らないところで、どんどん変わっていくのが、怖かったんだ」
言葉が、堰を切ったように溢れ出す。
「最近、お前が無理してるのも、辛そうなのも、気づいてた。なのに、何もできなかった。声をかけることすらできなかった。……本当に、ごめん」
俺が言い終わると、中庭には、陽菜の静かな嗚咽だけが響いていた。彼女は、俯いたまま、小さな声で話し始めた。
「……ううん。湊が、そんな風に思ってくれてたなんて、全然、知らなかった……」
しゃくり上げながら、陽菜は続ける。
「嬉しいよ。湊の気持ち、すごく嬉しい。……でも、ごめん。私は、湊の気持ちには、応えられない」
その言葉は、予想していたものだった。けれど、実際に聞くと、鋭い刃物で胸を抉られるような痛みが走った。
「それに……」
陽菜は、涙で濡れた顔を上げた。その表情は、苦しみに満ちていた。
「私、蓮のこと、もう、よく分からないんだ……。好きだって、信じたい。ずっと一緒にいたいって思う。でも、時々、すごく不安になる。連絡がなかったり、他の子と仲良くしてたりするのを見ると、捨てられちゃうんじゃないかって、怖くて……」
それは、俺が今まで見たことのない、陽菜の弱さだった。
「湊の前だから、正直に言うけど……私、結局、一人になるのが怖いだけなのかもしれない。誰かに必要とされたいだけなのかも……。蓮が優しいから、キラキラしてるから、それに縋ってただけなのかもしれない……」
自己肯定感の低さ、承認欲求、依存心。彼女が抱える内面の脆さが、涙と共に吐き出されていく。
俺は、ただ黙って、陽菜の言葉を聞いていた。彼女の痛みや混乱が、痛いほど伝わってくる。かけるべき言葉なんて、見つからなかった。けれど、ただ一つだけ、伝えなければならないことがあると思った。
「……陽菜」
俺は、静かに呼びかけた。
「それが、陽菜の本当の気持ちなら、ちゃんと、向き合うしかないんじゃないか?」
「……え?」
「蓮とのこと、陽菜自身の気持ちのこと。誰かのせいにするんじゃなくて、陽菜がどうしたいか、だよ。……逃げないで、ちゃんと話してみるしかないんじゃないか?」
それは、自分自身に言い聞かせている言葉でもあった。
陽菜は、俺の言葉に、はっとしたように顔を上げた。涙はまだ止まらないけれど、その瞳の奥に、何かが宿ったような気がした。迷いを振り払おうとするような、何かを決意したような、そんな複雑な表情。
その瞬間、俺は無意識に、再びカメラを構えていた。
ファインダー越しに見える陽菜は、涙に濡れながらも、凛とした強さを感じさせた。壊れかけの硝子細工なんかじゃなかった。傷つきながらも、自分の足で立とうとしている、一人の人間だった。
カシャン。
シャッター音が、静かな中庭に響き渡った。
モノクロフィルムに、陽菜の、その瞬間の『真実』が焼き付けられた、という確かな手応えがあった。
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