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薔薇の棘
しおりを挟む深夜にも及ぶ作業の為、ホテルデュボアでの仕事の翌日は午後からの出勤を許されていた。
遅く起きブランチを食べ終える頃スマホが鳴る。事務所からの着信に嫌な予感しかしない。電話に出るとデュボアからクレームが入ったと告げられ血の気が引いた。
慌てて師匠と共にデュボアに向かう。
お客様が飾られている薔薇に触れて棘で怪我をされたというのだ。
怪我をされたのは小さなお子様で母親が激怒しているという。
師匠は、私を安心させるために大丈夫だと言ってくれたが、顔面蒼白だった。
薔薇の棘を取り除く作業はアシスタント二人と私が担当していた。最後の確認は私の役目だった。どうして見落としてしまったのだろう。デュボアの仕事を私に任せたいと言ってくれていた矢先にこんなミスをするなんて。
「申し訳ありません!私の見落としです…私のミスです!」
たかが棘が刺さったくらいでと言う人もいるしれないが、薔薇の棘で皮膚を傷つけるのは思った以上に痛い。私も棘を取る作業中に何度も刺したし、その痛みがよく分かる。化膿すると小さいお子様なら熱を出す子もいるかもしれない。
薔薇の棘は全て取り除くのが鉄則だ。それさえも満足にできていなかった。
私達は支配人に深く頭を下げ謝罪しお子様の怪我の状態を伺う。
いつも穏やかな笑顔の支配人の顔も硬くなっている。
「すぐに医務室の担当医が駆け付けて手当てをしたので怪我としては大きなものではありません。ただ…お母様が大変厳格な方で…今回のミスでデュボアの格が落ちたと仰られて、今後、ご主人様の会社での利用も考えると…」
その会社名を聞いて青褪めた。国内だけでなく国外にも美容室やエステ店を何店舗も経営する大きな会社だったからだ。
大変なことになってしまった……。
口の中はカラカラに乾き、指先も冷たくなる。
師匠も私も直接謝罪させて欲しいと申し出た。
謝罪はお客様の了承を得てからと保留され、今後のお客様への対応や、これからのコーディネートの依頼についても後ほど連絡すると言われ話は打ち切られた。
去っていく支配人の背中を見つめることしか出来なかった。
ふと支配人が立ち止まる…彼を呼び止めた人がいたのだ。
品の良いスーツを着た背の高い男性だった。
何か話しているようだったが私達の距離からは支配人と男性の横顔しか見えず、その表情までは分からなかった。
私は他の薔薇に棘がないかの確認作業に入る。一緒に作業にかかろうとした師匠をどうにか止めて、妊婦の体調を考え戻って待機してもらえるようお願いした。
作業中にホテルの従業員の方から声をかけられた。お客様が会っても良いと仰っているが時間がないので手短にと伝えられる。師匠の到着を待っている時間はなく私は慌てて持参していたジャケットを着ると、庭園が見渡せるロビーのテラス席へと案内された。
「この度は、私共の不注意で大切なお子様が怪我をなさるような事態となり、大変申し訳ございません」
深々と頭を下げる。
ご婦人は三十代前半といったところだろうか。鮮やかな赤いワンピースの肩にジャケットを羽織りソファにゆったりと座っている。
ティーカップを口元に運ぶと、こちらにチラリと視線をよこし眉間に皺を寄せ溜息をつく。
「あなたのような下っ端に謝罪されても仕方がないわ。せいぜい次があるならこんなミスは起こさない事ね、謝罪が終わったならもう消えて頂戴」
吐き捨てるように言うと、猫や犬でも追い払うように手でシッシと払うような素振りをする。
こちらが悪いので、どんな扱いをされても我慢しなくてはならないと分かってはいる…これ以上デュボアに迷惑はかけられない。
重ねた手をギュッと握り締めた。
「本当に…申し訳ございません…私共の落ち度ですので…ホテルデュボアに責任はありません…」
「ああ!もうっ、煩いわね。私の言ったことが分からなかったのかしら?消えてと言ったのよ」
声を荒げた女性はティーカップを乱暴にソーサーに置いた。
ビクッと体を震わせ怯えた私の背後から穏やかな声が聞こえた。
「マダム……お久しぶりですね。覚えてらっしゃいますか?」
柔和に微笑む超絶イケメン。
スラリとした長身に厚い胸板、肩幅も広いのでスーツ姿が様になる。
彼は私とご婦人の間にするりと割って入る。
まだ、二十代ぐらいの若い男性に見えるが、上品な立ち居振る舞いは上流階級の男を体現しているようだ。
「…まぁ!……こんなところで会えるなんて…久しぶりね…」
ご婦人は急に声色を変えた。
イケメン紳士を捕らえた瞳は爛々と輝く。
「当ホテルで至らない点があったようですね…ぜひ、お詫びをさせていただきたい…」
「まぁ、このホテルもあなたの一族のものだったの?……そうねぇ…些細なことなのだけれど…話を聞いて下さる?」
科を作るようにグロスがたっぷり塗られた唇に指を添え、うっとりとした目で紳士を見つめる。
「ええ。勿論」
イケメン紳士はご婦人の肩をさりげなく抱くと奥のレストランへと消えていった。
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