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第12話 母の告白と甦る記憶
ぼんやりとした視界。何かを叫ぶ声、慌ただしい足音。
「アルマ、アルマ! わかるか? パパだ! ママも居るぞ!」
「ああ、アルマ……良かった、本当に良かった……」
大きな声も、涙声もどちらも聞き覚えがある。
朦朧としながらも声の主である二人の姿に心底ホッとした。
「パパ……ママ……」
娘が倒れたと知らせを受けた両親は辺境伯のご厚意で転移魔法を使い王都へと駆けつけたらしい。状況がわからず混乱するばかりの両親は生きた心地がしなかったと涙ながらに話し聞かせてくれた。
意識がないだけで外傷のないアルマと、血だらけの猫、気が狂わんばかりに泣き叫ぶソレーヌ。ソレーヌの泣き叫ぶ声で駆けつけた人々は一体何が起きたのか皆目わからず。呆気にとられるばかりだったという。
「エルガー様! ね、猫! 猫はどうなったの?!」
「ああ、第一騎士団の……あの方は……」
「え……どうなったの? ねぇ、パパ! 彼は無事なの?!」
猫に変身していたエルガーだったが駆けつけた人々の前で人間の姿に戻り、アルマと同じ病院に運ばれ緊急処置を受けた。だが、未だに意識は戻っていないという。
ソレーヌは落ち着きを取り戻したが、三人に何があったのか一切話そうとせず。沈黙を貫き今は療養のためという名目で子爵家に戻っているらしかった。
「エルガー様……エルガー様の所に行かなくちゃ……」
止める両親を説得し、腰が抜けた状態の彼女は父に抱えられ彼の病室に向かった。
白いカーテンの奥に彼はいた。白い包帯を巻かれ眠ったまま。
ベッドの側の椅子に降ろされると、アルマは彼の手を取った。いつもの彼の体温より低く、冷たく感じる掌を包み込んだ。
「皮肉なものだな……あの時と逆じゃないか」
「あの時?」
そっと彼女の背中を擦った父の瞳には暗い影が落ちる。
「アルマは忘れてしまっているが……おまえが十四歳の時、大きな事件があったのは知っているだろう?」
「ナラダーン国の兵士が暴徒化して街を占拠したという事件でしょう? 私は逃げる途中で転んで頭を打ったから、その時の記憶が抜けてしまったんだって……パパ、言っていたわよね」
「ああ、記憶を失ったのは本当だが、経緯が違うんだ。おまえも大人だ……もう話しても良いのかも知れないな」
父はエルガー様を見つめ切なげに目を細めた。
「アルマ、おまえは暴徒化した兵士達に攫われたんだ。パパの娘であったが為に奴等に狙われた。おまえも知っているだろうが、パパは戦いで多くの敵を殺めてきた。その恨みを買ってしまった。俺に向けられる筈の恨みが、おまえに向けられてしまい……ごめんよ、アルマ」
苦しそうに顔を歪め俯いた。
「攫われ監禁されていたおまえを救い出そうとしたのが彼だったんだよ」
アルマの心臓に掴まれたような痛みが走った。
「今こそ立派な第一騎士団の副団長だが、あの頃の彼は新人騎士だった。大怪我を負ったにも関わらず彼は頭を下げて謝った。自分の判断ミスでおまえを更なる危険に晒してしまったって。全て自分の所為だって言ってな」
父から事件の詳細を聞いていると、アルマの頭の中には断片的に過去の記憶が映像として映し出されていた。
日が暮れても、アルマはその場を離れなかった。ランプの火が灯る病室で二人きり。肌を優しく撫でたくれた剣ダコだらけの手を両手で包み込む。
「ねえ、エルガー様。二人で過ごす微睡みの時間には、この手で撫でてくれたでしょ。どんなに心地良かったかわかる?」
何度も彼女の唇を啄んだ薄い唇をそっと指でなぞる。
「何度もキスしてくれたじゃない? もう、してくれないつもり?」
赤みのかかった美しい金髪を指で掬う。
「狂おしいほどに、私の髪を乱したくせに」
抱き締めてくれた逞しい腕に、そっと手を置いた。
「もう一度抱き締めてよ……苦しくなるくらい抱き締めて」
静かに眠る彼に向けた言葉は薄暗い病室内に虚ろに響いただけで夜は更けていった。
アルマはいつの間にか眠ってしまっていた。彼はまだ意識のないまま横になっている。
「とても長い時間眠ったように気がしたけれど」
時計の針は三十分程しか進んでいないようだ。アルマは途方もない長い時間を過ごしているような、時間の進み方が自分だけ他と違うような感覚を覚えた。
ランプの灯りで照らされる彼の端正な顔を見つめ頬の傷に触れてみる。
「このまま、目覚めないなんて許さないんだから。早く起きて、起きない気なら他の男性のところに行ってしまいますよ。これでも結構モテるんですからね」
感傷的になっていた先程とは違い、精一杯の強がりを言ってみても、やはり彼は眠ったままで虚しいだけだった。
アルマが小さな吐息を漏らすとエルガーの瞼が微かに震えた。
「……ふ」
息を漏らすような声が聞こえ、驚き腰が抜けていたのも忘れて立ち上がった。
「……エルガー様?」
薄っすらと目を開けたエルガーは次の瞬間、眉を顰め苦しそうに唇を動かすが酷く声が掠れ言葉にならない。アルマは水差しの水を口に含むと、口移しで飲ませる。
大きく息をついた彼は必死の形相で声を絞り出す。
「駄目だ……他の、男の、ところになんて……行かせるかものか……誰にも渡さない……」
第一声がそれかと目を丸くするも、アルマの見開いた目からは大粒の涙が次から次に溢れる。
「エルガー様!」
思わず抱きつくと、彼は痛みに顔を顰め悶絶した。
「いっ!!……痛!!」
その後、医師と看護師が駆けつけエルガーの意識は安定した。怪我の快復が早いので、そう遠くないうちに通院での治療に変更されると聞かされ安堵した。
ホッとしたのも束の間、一足先に退院することになったアルマは病室で両親からある事実を告げられた。
「アルマ。あなた、組み紐を着けていないじゃない? 症状は出ていないのね?」
「ああ、そういえば……組み紐が切れてしまって、そのことでパパとママに手紙を書こうと思っていたのに、色々ありすぎて、すっかり忘れてしまっていたわ。何の症状も出ていないから焦る必要もないと思って。もしかして、治ったのかしら?」
それを聞いた二人は顔を見合わせると、十四歳の時に発症した病について重い口を開いた。深刻な顔の父とは対象的に、母はあっけらかんと笑って言った。
「あのね。ママ、実は淫魔なの」
どこまでも明るく、ざっくばらんな母の言葉にぽかんと口を開ける。
「いんま……え、淫魔?! 淫魔って……魔物の?」
「あら、やだ。この子ったら、淫魔を魔物だとか言うような乱暴な奴等のようにはなって欲しくなかったのに! だから、最初から私の素性については話すべきだって言ったのに。パパが反対なんてするから」
「まだ、十四歳だったんだぞ。教育上良くないだろう!」
「教育上って何よ!? そりゃあ、私達の出会いの場は魔物討伐で私の魅了の力に負けたパパとセックスしたことが始まりだったかも知れないけれど。でも、あなたを一目見た瞬間ビビッときたの! そして触れて再確認したのよ、運命の相手は、この人だって!」
「おい! 子供の前でなんてことを言っているんだ!」
父は、青褪めたり真っ赤になったり忙しい。娘としても両親のそんなことは聞きたくはなかったが、自分とエルガーも先に体の関係ありきだったので似たようなものである。
「パパが話の腰を折るから、ちっとも話が進まない」
怒った母によって父は部屋から追い出されてしまった。
「私は何度も言ったのよ? 母親が淫魔だって隠す必要なんてないって。アルマがこんなに可愛いのだって淫魔であるママの美貌を引き継いだからなのに」
娘の自分が言うのもなんだが、確かに母はこんなに大きな娘がいるとは思えない程、若々しく美しい。
「でもね……人間であるパパの血が入ったことで、美貌以外の淫魔の要素……魅了の力がないまま成長してきたから、普通の人間だとばかり思って育ててきたのよね。だから、あの時は慌てたわ~」
どうやら、十四歳の時にアルマの中の淫魔の血が覚醒したらしい。本来なら、自分自身で魅了の力をコントロールし使いこなせるよう教育を受けるべきだったのだが、母が淫魔であることを隠したかった父によって、病ということにされ本人に真実を伝えないまま、ひた隠しにされてきたというのだ。
組み紐は魅了の力を押さえる為に強力な魔力を込めて作られたものだ。それは性的な欲求も抑える程の強力なものだと感術師から忠告されたものの、アルマを心配する父がその方が好都合だと判断し身に着けさせたのだという。
彼女は大きな溜息をついた。不感症と悩んだ日々が父の心配性の所為だったなんて。母は申し訳なさそうに眉を下げた。
「アルマの中の奥底に潜んでいた淫魔の血が覚醒するには、きっと大きなきっかけが必要だったと思うの。あなたが、十四歳の時に起きた事件と関係しているのか、また別の何かなのか」
「攫われた時のこと? エルガー様に助けられたっていう……」
「ええ、隠れていた淫魔の要素が覚醒するような何かがあったんじゃないのかしら」
「覚醒?」
「アルマは淫魔と人間のハーフでしょう? だから本来なら一定の年齢になれば、当たり前に魅了の力を使い男を虜にすることが出来る純血の淫魔とは違うのよ。最近は人間を愛して結婚する私のような淫魔も増えてハーフの子も増えたのだけれど……ハーフの子供が淫魔の能力を覚醒するかは個人差が大きいの。覚醒しないまま普通の人間として生きていく子もいるしね」
淫魔の世界は他の種族との婚姻など、人間の世界よりもずっと多様化が進んでいるようだった。
「最近の研究で、ハーフの子が覚醒するきっかけの多くが、異性に発情したり、好きな異性が現れたり、要は本能で異性に惹かれることが引き金になっていると言われているわ」
「異性に発情? 好きな異性?」
「心当たりは?」
「ないわ。だって、事件前は普通に暮らしていたし。特に好きな子もいなかった。事件の時のことは、漸く断片的に思い出せるようになって……」
思い出しながら断片的な記憶をゆっくりと話し始めた。
「天井から人が降ってきて、びっくりしたの……まるで天から舞い降りた大天使ミカエルみたいだったから。凄く眩しくてキラキラして。不思議だった……」
そう、あの時、赤みがかった金色の髪の美しい青年が天から降ってきて、暗闇の中に現れた大天使ミカエルのようだと思った。
「勇ましくも神々しい姿に私は救われるんだって直感で思ったの」
アルマは思い出すがまま、ぽつりぽつりと話す。
「それで……寒くて怖くて……震えていると彼が外套を掛けてくれて、私が安心するように背中を撫でてくれたの。凄く温かい気持ちになって、安心したのよ」
外套から香るビターな柑橘の香りを思い出していた。
「大天使ミカエル様ねぇ」
ぷっと吹き出し、可笑しそうに笑う母をアルマはむっとして睨んだ。
「笑わなくてもいいじゃない?」
「ごめんなさいね。だって、私がパパと出会った時に似ているって思ったから。あ、でも、流石にパパは大天使ミカエルのようではなかったけれどね。あの時のパパ、凄くキラキラ輝いて見えたわ。彼自身が光を放っているんじゃないかって思うくらいにね」
「……それって、エルガー様が私の覚醒を誘発した人物だって言いたいの?」
「本人に自覚がないから確定はできないけど。おそらく、そうでしょうね。本当に、アルマったらパパに似て鈍感なところがあるから」
アルマは目を瞬かせた。
「で、大天使ミカエル様とはお付き合いしているってことで良いのかしら?」
「うん」
「じゃあ、もうセックスしたのよね?」
あからさまに聞いてくる母に、父がいなくて本当に良かったと思いながら苦笑いし頷いた。
「あなたが、本能から求める男と体の関係を持った。結ばれたからコントロールできなかった魅了の力を抑え込むことが出来たのよ。結局、彼があなたの全てを握っていたって訳ねぇ」
母は満面の笑みで娘を抱き締めた。
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