神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第二巻『[人間]の業は 人の傲慢で 贖われる。』(RoGD Ch.3)

Verse 4-12

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 フリードリヒ二世とともにドイツに帰った頃には、すでに右も左も分からないほど夜の帳が景色を包んでいた。どうやら二人の帰りを待っていたらしく、ルプレヒトは車の音を聞いて玄関で待っていた。

「収穫は。」

「久し振りだなルプレヒト! うむ、上々だったぞ。」

 二つのトランクを受け取り、ルプレヒトはいとも容易くダイニングテーブルの上にそれを乗せた。

「理恵は?」

「今日の昼にフランスに行った。十一月、ヴィシー政権の支配域がナチス・ドイツの占領下になるからな。」

 リーズ達の手伝いに行った、という事で、零は名残惜しそうに理恵が一晩だけ使った客室を見つめた。

「あとはジャンとジークから知らせが入った。エンスラポイド作戦……ハイドリヒ暗殺にソロモンとジャックが若干の支援をするらしい。」

 フリードリヒ二世が早々に自室へ退散すると、零はトランクを開けて中身の衣類を全て洗濯籠にぶちまけた。

「あの二人、そんな暇できたのか……。」

「暗殺者の片割れが死ぬのは勿体無い、だそうだ。」

 成る程な、と零はため息をついた。

「どうかしたか。」

「いや、ちょっと疲れただけだ。」

 もう一つのトランクも開けて衣類をぶちまけようとしたが、洗濯籠をルプレヒトに引ったくられてそれは叶わなかった。

「精神的に疲れてるな。休め。」

「いや、もう少しだし——」

 引ったくられた洗濯籠を掴もうとしたが、ルプレヒトはそれをすぐに遠ざけて零の額に人差し指を突きつけた。

「いいか、休め。」

 口を尖らせて上目遣いをしてみたが、ルプレヒトの眼帯が視界に入ってやめた。

「おやすみ。」

「あぁ。」

 階段を上がり自室に戻ると、零はちんたらと風呂に入ってベッドに倒れ込んだ。

 気が付けば、風景は黒一色だった。地に足はついているが、どこか頭はほわほわしていて、零はそれが夢の中だと気付いた。

「私について嗅ぎ回っているようだね。」

 タールのようなねっとりとした声が耳に触れて、零は慌てて身を振り返して距離を取る。

「バスカヴィル!」

「名前で呼んでくれるとは嬉しいよ。」

 口元を軽く覆いながら、バスカヴィルは薄く笑った。

「お前、まだ生きてるのか!?」

「おやおや酷いな……。これでも会いたくて会いにきてるんだよ。」

 脳髄から溶かしていくような囁き声に、零は思わず喉で言葉が止まった。今一歩、どちらかに足を踏み出せば、確実に腰が抜けて地に崩れ落ちるに違いない。指先で頰を撫でられて、零は思わず顔を背ける。

「そんなに私に興味が?」

「一つ聞きたい事がある。」

 一睨みすると、バスカヴィルは涼しい顔のまま頰から手を遠ざけた。片手をスラックスのポケットに入れると、バスカヴィルはジッポライターとシガレットを取り出した。

「私が答えられる範囲で答えよう。」

「あんたは[人間]?」

 形の良いしっかりとした、しかし目立たない眉毛を片方釣り上げて、バスカヴィルはシガレットを離した。

「それは酷く難しい質問だね……。」

「のらりくらりと交わしてねぇで答えろ。」

 剣呑な零の言葉に、バスカヴィルはゆったりと笑った。首を傾げると、細い黒髪が次々と頰にかかっていく。

「残念ながら、肉体、精神、霊魂の三つが揃っているものを[人間]とお前が言うのであれば、私は既に[人間]ではない。もしくは……女の胎で育てられそこから生まれ落ちたものを[人間]というのであれば、私ははなから[人間]ではない。」

「……は?」

 紫煙を口から燻らせながらバスカヴィルはくすくすと笑った。

「もう少し噛み砕いて言ってあげようか。前者の定義であるなら私はかつて[人間]であったけれど今はもう[人間]ではなくなってしまった。後者の定義であれば、私は最初から[人間]ではないよ。」

 分かったかい、とバスカヴィルは再び首を傾げた。

「じゃあお前は……お前は、何?」

「さあ。なんだろうね。」

 唇を弓なりに曲げて笑うバスカヴィルに、零は茫然自失の状態で突っ立っていた。

「も、もう一つ答えろ! お前は俺の味方なのか敵なのか……答えろ!」

 必死な零になにを感じたのか、バスカヴィルはいつになく愛しそうな瞳で零を見下げた。

「あぁ、それなら答えられるよ。」

 獲物を追い詰めるように、バスカヴィルはゆっくりと零に近付いてその頰を片手で撫でた。紫煙を含んた口で零の唇を塞ぐと、満足そうな微笑みで囁いた。

「勿論、味方だよ。」

 * * *

 意識が浮上すると、そこは倒れ込んだベッドだった。腹の上では黒猫が寒さに耐えようと丸まって寝ている。

「……。」

 むくりと起き上がると、零は窓の外を見た。すっかりカーテンを閉め忘れた窓の向こう側には、しんしんと雪が降り注いでいる。ぼーっとした頭で夢の内容を思い出していると、軽快なノックが聞こえた。

「零、朝食だ。」

「着替えたら行く。」

 扉の向こうでルプレヒトの足音が遠ざかって行くと、零は一度目をこすって猫を腹の上から転げ落とした。

「お前もご飯食べるんだぞ。」

 ワイシャツと下着一枚ではまだ身震いするような時期である。急いでスラックスを履いてサスペンダーをつけると、身支度を整える。扉を開けると、腹を空かせた黒猫が鳴きながら飛び出していった。

「今日の朝食は?」

「マッシュポテトのマスタードあえ。あとキノコのポタージュと鱈のアルミホイル包みだ!」

 食卓の上には、三人暮らしにしてはかなり豪華な朝食と取り皿が並んでいた。零の質問に自慢げに答えるフリードリヒ二世を見るに、どうやら朝食は彼が作ったようだった。最後に温野菜サラダを持ってきたルプレヒトが席に着くと、全員は早速自らの皿に食事を盛りつけ始めた。

「あぁそうだ。朝食の後すぐに今日はジークの屋敷に出かけて来るぞ。夜には帰って来るが、日中は恐らく。」

「そうですか。昼は二人前か……。」

 マッシュポテトを頬張るフリードリヒ二世は、頷きながら鱈にフォークをかけた。

「戻ってからすぐにオーストリアに行ってなかなか話せてなかったからな。よかったら零も来ないかね?」

「いえ、俺は今日は家でゆっくりしますよ。二人で楽しんで下さい。」

 いまいち疲れの取れない体を捻りながら、零はまた再び夢の中の事を思い出した。
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