神秘学メンズラブシリーズ”nihil”

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第三巻『その痩躯から 死が分たれる その時まで。』(RoGD Ch.4)

Verse 1-1

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 それは、東京郊外も深々と雪が降る一九XX年一月末日の事だった。悠樹邸の屋敷よりも広い庭には、椿がまるで血痕のようにぽつんぽつん、と少量の花を落としていた。

「帰ったぞ。」

 悠樹清張は第二次世界大戦が終わってからすっかり姿をくらまし、最近まで天界で[シシャ]として多くの手続きを済ませていた。日本に戻ってからは国家公務員として、人間界に溶け込んでいる。

「お帰りなさい。」

 大谷吉継という[人間]として転生していた妻の悠樹継子もまた、清張と共に天界で手続きを全て終えた後は悠樹邸にいた。今日もいつも通りに夕食を作り終えるくらいに帰ってきた清張を出迎えると、継子は目を丸くして微笑んだ。

「お邪魔します。」

「失礼します。」

 清張の部署で働いている二人、島田史興と咲口久志が戸口で頭を下げた。思い切り皺の多い革靴を脱いで、継子が促すままに悠樹邸に足を踏み入れた。

「あ、咲口先輩!」

「お久し振りっす島田先輩!」

 悠樹邸に居候している二人、佐藤博人と竹伊勇斗は、戦後に追加で建設した二階から姿を現した。二人は現在、都内の国立高校に通っている。

「二人とも元気そうでなによりだよ。」

「俺、夕食の支度してきますね。」

 颯爽と階段から食事処に駆けていった博人を微笑みながら見守り、継子は悠樹の来ていたコートを脱がせた。

「わー! 今日は寄せ鍋だ!」

 博人を手伝いにいった勇斗は、台所を覗いた。机の上に所狭しと並べられた具材を見て、勇斗は目を輝かせる。

「清張から聞いて、今日は久志君と史興君の分もあるけれど、良かったら食べて帰ってくかい?」

「本当ですか!? ではお言葉に甘えて……。」

 史興と久志は相変わらず同居しており、早く帰ったほうが夕食を作る事 になっていた。一緒に帰宅するなら二人で支度をするが、悠樹邸から住居が離れており、今から帰っても夕食の時間には少し遅くなる。

「よしよし。じゃあ久志君、帰ってすぐで悪いんだけれど、鶏肉団子を丸めるのを手伝って貰っても?」

「勿論です!」

 後ろに立っていた史興にコートと革鞄を渡して、久志はいそいそと洗面所へ身支度を済ませに行った。史興も咲口の荷物と自分の荷物を玄関のポールハンガーに掛けると、博人と勇斗の助太刀に入る。普段は箱膳で夕食をとる悠樹邸も、鍋料理となると大テーブルを使う。いちいち出し入れしなければいけないのがネックだが、男の手にかかればものの数分で出来上がる。

「あ、島田先輩! こっちの脚お願いします。」

 ちょうど脚を二つ取り付けたところだったようで、三本目の脚を勇斗がドライバーで留めていた。博人は、史興に持っていた机の脚を渡すとすぐに台所へ走っていく。

「そろそろ机出来るので運びますねー。」

 野菜や肉で埋めつくされた皿を持って、博人はせっせと食卓へ運び始めた。スプーンを使ってひき肉を掬っていた久志は、慌てて手のペースを早める。

「久し振りだねぇ、こうやって皆で鍋を囲むのは。」

「そうですね。毎日のように囲んでいた日が懐かしいです。」

 プラスチックボウルの中に肉団子を転がしながら、久志は目を細めた。前の大戦が集結して少し後、四人は正式に[使徒]として認定手続きをして、一度生まれ変わる為に生涯を終えた。普通の転生では、母親はランダムに決まるが、[使徒]にそれを適用させれば確実に人探しに繰り出さなければならなかった。そして、生まれ変わりの為の母体に清張の妻の継子が選ばれた。継子も息子の友人であるアルフレッド・オードリーの頼みを快く受けたのである。

「それにしても、今更ながら四人も産んで育むって大変じゃないですか……?」

「出産はそうでもないんだよ。なんにせ[シシャ]だからね。」

 手元の鶏肉が底をつくと、継子は微笑みながら手拭いで脂だらけの手を拭いた。

「ただ確かに育児は……君達はともかく博人君と勇斗君はやんちゃだったからねぇ。」

「立てるようになってからは毎回のように問題起こしてたのは覚えてます……。」

 史興と久志が生まれた二年後、博人と勇斗が生まれたのを、久志はしっかりと記憶している。記憶を引き継いでいる為に、茶碗をひっくり返したり取り敢えず口に含んだりはなかったものの、悠樹邸の広い庭園ですぐに怪我をしてきたり迷子になったりは日常茶飯事であった。夕食で忙しい継子と仕事に出ている清張の代わりに長男次男ともいえる二人が骨を折ったのは言うまでもない。

「さ。君の肉団子も終わったことだし、鍋を持っていこうか!」

 渡された手拭いで久志もまた手を拭うと、空っぽになった発泡スチロール容器を持って笑顔で頷いた。



 食卓には博人が並べた皿が既に家族団欒を待っていた。久志が持ってきた鍋にめんつゆと水、だし昆布を突っ込んだ清張は、そのまま全員に飲み物の希望を聞いて食卓を後にする。

「準備していたらすっかり暗くなったな。」

 縁側で休んでいた久志の隣に、史興はほんのりと消えかかる橙色を眺めながら胡坐をかく。邸宅に入った頃はまだ煌々と輝いていた太陽や雲も、冬に負けて風前の灯火である。膝に肘をつく史興は、仕事疲れのため息を長々と吐いて肩の力を抜いた。

「……こんな平和な世の中が見れるとは思ってなかったなー、なんて。改めて。」

 穏やかな日々であった。戦時という異常時を知っている久志としては、ただ毎日淡々とスーツで仕事をこなして帰宅をする日々を過ごすという事は身に覚えのない幸福である。

「確かに……GHQが来ることもなく、負の世界遺産を抱えない日本が存在しているのが、まだ不思議な気分だ。」

 正史の戦後を生きた島田にとっては、八月に入ってもなんの式典もない現在にまだ違和感が残っている。

「本当にこれで良かったのかなってふと思うんだ。歴史を捻じ曲げてまで幸せになってるっていうは……一つ目の大戦を潜り抜けた人に失礼なんじゃないかって……。」

 片足を縁側に乗せて、久志は頭だけ膝に寄りかかった。冬の冴えるような風が、彼の白い頬を撫でる。一眼を持ってくれば良かった、と後悔した史興は、すぐに頭を振って苦笑する。

「久志らしいが……そういう事を考えてるときっといつか身が保たなくなる、と俺は思う。俺は保たなかった。」

 薄茶色の瞳を丸くして、久志は史興の横顔を眺めた。

「いや……。戦後に東京にあった大佐の道場を遺言で継いだんだ。武道だけじゃなくて学も子供達にやったんだが、それが楽しくてな。でも、そうやって楽しく過ごしてるのは間違いなんじゃないかとどこかでずっと抱えていたら、ストレスで体を悪くした。で、まあその思いの丈をぽろっと教え子に告げてみたら、教え子が俺に言ったんだ。」

 少しの沈黙が走る。背後で鍋の中身が沸騰し始める音が耳に届いた。

「……なんて?」

「早く幸せになりなよって——」

 肩を叩かれて、史興が振り向く。久志もその視線の先を見ると、清張が未開封の焼酎瓶を持って立っていた。

「もう出来るぞ。」

「は、はい! 今行きます!」

 慌てて立ち上がった二人は、先までの会話も忘れて縁側に続く硝子障子を閉めた。



 夕食が終わると、清張と史興の周りはすっかり酒の席になっていて、博人はそれに若干の呆れを覚えながらつゆの残る鍋を台所へと持っていった。

「このつゆで明日の朝ご飯は雑炊にしましょうか。」

「ん、いいね。」

 なにか悶々と考えている久志は、炊飯器の釜を出してきた博人に素っ気なく返した。米びつから乾いた米を注いでいると、博人は大人しい久志に視線を寄せた。

「自分が幸せになるのに、他人は関係ないですよ。」

 弾かれたように振り返って、久志は皿洗いの手を止めた。

「話聞いてたの!?」

「癖で……。」

 詰め寄られて、博人は視線を泳がせる。聞こえる話に耳を立てても損はしない、情報取集の為の彼の鉄則である。

「いいですかー。例えば先輩がお高い牛肉の霜降りステーキを食べたとします。それに、俺は今まで金がなくてそんなの食べた事ないんだから先輩も食べないで下さい、って俺が言ったらどうですか?」

「理不尽。」

 久志の隣の蛇口で米を洗いながら、博人は声を上げて笑った。

「その通り。ですから、幸せじゃない人から幸せな人に、お前は幸せになるな、というのは理不尽です。っていうかそれは最早呪いですよね。」

 シンクをスポンジで洗う久志は、そうかなあ、とぼやきながら空を見つめていた。米が洗れていく軽快で澄んだ音を聞いていた二人は、風呂上がりの継子の声で入り口を見た。

「久志君。あの様子じゃ史興君は眠そうだし、泊まっていくかい? 二階の洋室、使っても大丈夫だよ。」

「す、すみません……。もう外も暗くて危なそうなので、お言葉に甘えます。」

 清張と話にならない将棋をし始めていたのを思い出して、久志は呆れと苦々しさの混じった微笑みで疲れたように頭を下げた。

 * * *
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